第13話 さようなら王太子殿下。私は筋肉と推しに囲まれて生きていきます
魔獣スタンピードから三日後。
王都グランドルは、急速に日常を取り戻しつつあった。
北の騎士団による驚異的な復旧作業(筋トレとも言う)のおかげで、瓦礫は撤去され、破壊された城壁も修復が進んでいる。
巨大な岩を軽々と運び、ハンマーを笑顔で振るう騎士たちの姿は、今や王都の名物となっていた。
そして、その中心にいる私、レティシアはというと。
「キャーッ! レティシア様ー!」
「見て、あの方が『筋肉の聖女』様よ!」
「素手でヒドラの口をこじ開けたっていう……」
「なんて逞しくてお美しいの……!」
王都の目抜き通りを歩くだけで、黄色い声援が飛んでくるようになっていた。
かつて「氷の令嬢」「可愛げのない女」と陰口を叩かれていたのが嘘のようだ。
「……筋肉の聖女って、なんなのかしら」
私は複雑な顔で呟いた。
隣を歩くシグルド様が、可笑しそうに肩を震わせている。
「良いではないか。民衆は正直だ。君の強さと、その肉体美に救われたことを理解している」
「聖女という柄ではありませんわ。どちらかと言えば『戦鬼』のほうがしっくりきます」
「ふっ、違いありません」
私たちは王城の前庭――今は資材置き場兼、臨時ジムとなっている場所へ向かった。
そこには、国王陛下との約束通り、山のような物資が積み上げられていた。
「レティシア様! 積み込み、完了しております!」
騎士たちが敬礼で迎えてくれる。
荷馬車に満載されているのは、金銀財宝……ではなく。
最高級の鉄塊(ダンベル用)。
弾力性のある特殊ゴム(トレーニングチューブ用)。
そして、樽いっぱいの「南方産カカオパウダー」と「東方のスパイス」だ。
「ああ、素晴らしい香り……!」
私はカカオの樽を開け、その芳醇な香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
これだ。
これを求めて、私は戦場を駆け抜けたのだ。
「これで、あの泥のような味のプロテインが、極上のデザートに変わるのね……」
感動に打ち震えていると、背後から弱々しい声が聞こえた。
「……レティシア」
振り返ると、そこには粗末な服を着せられ、縄で拘束された元王太子、カイルの姿があった。
隣には同じく拘束されたミナもいる。
二人は兵士に連行され、これから護送馬車に乗せられるところだった。
「あら、カイル……元殿下。ごきげんよう」
私はカカオの樽に蓋をして、ニッコリと微笑んだ。
「ど、どこへ連れて行かれるのだ……。私は王太子だぞ……父上に会わせてくれ……」
カイルは目が虚ろで、ブツブツと呟いている。
廃嫡のショックと、筋肉を見せつけられたトラウマで、精神が少し退行してしまっているようだ。
「北のさらに北、極寒の修道院へ行かれるそうですね。国王陛下が仰っていました。『根性を叩き直してくるがいい』と」
「い、嫌だ……寒いのは嫌だ……。ドレスも宝石もない生活なんて……」
ミナが泣きじゃくっている。
皮肉なものだ。
かつて彼らが私に言い渡した「北への追放」を、今度は自分たちが味わうことになるなんて。
「安心してください。向こうに行けば、否が応でも身体を動かすことになります。薪割り、水汲み、畑仕事。素晴らしい有酸素運動と筋力トレーニングが待っていますわ」
「そ、そんな……私は……」
カイルが私を見る。
その瞳には、未練と後悔が渦巻いていた。
「レティシア……やり直せないか? 今からでも……君が父上に頼んでくれれば……」
往生際が悪い。
私はため息をつき、近くにあった鉄の延べ棒(重さ五十キロ)を片手で拾い上げた。
「カイル様」
「ひっ」
「私が王都にいた頃、なぜあんなに無表情で、動きが少なかったか分かりますか?」
私は鉄の棒を、指先で弄びながら言った。
「貴方を、壊さないためです」
「え……?」
「私がうっかり感情を表に出して、貴方に抱きついたり、肩を叩いたりしていたら……貴方のその貧弱な鎖骨は粉砕され、背骨は折れていたでしょう。だから私は、常に筋肉を制御し、感情を殺していたのです」
カイルは顔面蒼白になり、ガチガチと歯を鳴らした。
「感謝してくださいね。私が『可愛げのない女』だったおかげで、貴方は今まで五体満足でいられたのですから」
「……あ、あぁ……」
「さようなら、カイル様。修道院での労働で、少しはマシな大胸筋がつくといいですね」
私が手を振ると、兵士たちが彼を馬車へと押し込んだ。
「レティシアぁぁぁ!」という情けない叫び声が遠ざかっていく。
馬車の車輪が回る音と共に、私の過去も遠くへ消え去っていった。
胸が痛むかと思ったが、驚くほど何も感じなかった。
むしろ、「今日のデッドリフトは何キロいこうかな」という思考が脳の容量を占めていた。
「終わったな」
シグルド様が、私の肩を抱いた。
「はい。スッキリしました」
「ならば、行こうか。我々の家へ」
「はい! 帰りましょう、筋肉の楽園へ!」
◇
帰りの旅路は、往路とは比べ物にならないほど賑やかで、快適だった。
何しろ、カカオがある。
「乾杯!」
夜の野営地。
焚き火を囲んで、私とシグルド様、そして騎士たちは一斉にシェイカーを掲げた。
中身は、獲れたての魔獣のミルクと卵、そしてたっぷりのカカオパウダーと少しの蜂蜜をブレンドした、特製チョコレート・プロテインだ。
「んん〜っ!」
一口飲んだ瞬間、私は天を仰いだ。
濃厚なカカオの風味が、口いっぱいに広がる。
魔獣肉の臭みなど微塵もない。
甘く、ほろ苦く、そして筋肉に染み渡るタンパク質の味。
「美味い……! これは革命だ!」
騎士たちも涙を流して飲んでいる。
「チョコレートって、こんなに美味かったのか……!」
「これなら、一日に五回でも飲めるぞ!」
「筋肉が喜んでいるのが分かる!」
シグルド様も、口元に白い髭をつけながら満足げに頷いた。
「素晴らしい。糖質とタンパク質のバランスも完璧だ。これならトレーニング直後のリカバリー効果が倍増するだろう」
「ええ、ええ! 苦労して王都まで行った甲斐がありましたわ!」
私はシェイカーを空にし、二杯目を注ぎながらシグルド様を見つめた。
焚き火の光に照らされた彼の横顔は、いつにも増して精悍で、カッコいい。
「……レティシア」
ふと、シグルド様が私に向き直った。
真剣な眼差しだ。
「砦に戻ったら、君に見せたい場所がある」
「場所、ですか?」
「ああ。君が『ジム機材の導入』を希望しただろう? 実は、職人たちに命じて、ある部屋を改装させておいたんだ」
「まあ! 仕事が早いですわ!」
「それと……」
シグルド様は少し言い淀み、そして意を決したように言った。
「その部屋で、君に渡したいものがある。ダンベルよりも重く、カカオよりも甘い……私の想いだ」
「……!」
周囲の騎士たちが「ヒューッ!」と囃し立てる。
私は顔が熱くなるのを感じた。
プロテインで火照った身体が、さらに熱くなる。
「楽しみにしています、シグルド様」
私は彼の手を握った。
マメだらけで、分厚くて、温かい手。
王太子のひ弱な手とは違う、信頼できるパートナーの手。
「さあ、飲みましょう! 明日は早朝からランニングですよ!」
「望むところだ!」
夜空には満天の星。
私たちの笑い声が、どこまでも響いていった。
◇
数日後。
私たちは北の辺境、鉄壁の砦に帰還した。
「おかえりなさいませー!」
「師範代! 待ってましたー!」
留守番をしていた兵士や、領民たちが総出で迎えてくれる。
彼らの手には、「祝・カカオ奪還」と書かれた横断幕が掲げられていた。
どうやら目的が完全にバレているらしい。
「ただいま! みんな、お土産をたくさん持ってきたわよ!」
私が手を振ると、歓声が上がった。
平和だ。
王都のギスギスした空気とは大違いの、温かい空気がここにはある。
「レティシア、こっちだ」
シグルド様に手を引かれ、私は砦の奥へと案内された。
そこは、かつて殺風景な倉庫だった場所だ。
「開けてくれ」
言われるがままに、重厚な扉を開ける。
「わぁ……!」
私は思わず声を上げた。
そこは、完璧な「ジム」だった。
王都から持ち帰った鉄で作られた最新式のパワーラック、ベンチプレス台、ダンベルのセット。
壁一面には大きな鏡が張られ、フォームのチェックができるようになっている。
床には衝撃吸収用のマットまで敷かれている。
「すごい……! 前世で通っていたジムより立派ですわ!」
「君の理想を形にしてみた。気に入ってくれたか?」
「気に入るも何も、住みたいくらいです!」
私がはしゃいでいると、シグルド様が私の前に立ち、片膝をついた。
「レティシア」
彼は懐から、小さな箱を取り出した。
パカッ、と開けられた箱の中には、銀色に輝く指輪が入っていた。
宝石ではない。
ミスリル銀で作られた、シンプルだが恐ろしく強度の高い指輪だ。
「これは……?」
「結婚指輪だ。……普通の宝石では、君の握力で砕けてしまうかもしれないと思ってな。特別に鍛造した、強度重視の指輪だ」
シグルド様は照れくさそうに言った。
「君の薬指のサイズに合わせてあるが、万が一トレーニングで指が太くなってもいいように、サイズ調整機能付きだ」
なんて実用的なの。
私のことを、筋肉のことを、誰よりも理解してくれている。
ダイヤモンドなんかより、一億倍嬉しい。
「レティシア・フォン・ヴァルト。……いや、未来のレティシア・グランツ」
シグルド様が、私の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「私と結婚してくれ。そして、死ぬまで一緒に……トレーニングをしてくれないか」
プロポーズの言葉も、彼らしかった。
私は涙が溢れるのを止められなかった。
嬉し涙で視界が滲む。
「……はい! 喜んで!」
私は彼に抱きついた。
全力で。
手加減なしで。
「ぐっ……! いい、締め付けだ……!」
シグルド様が呻いたが、彼は私を受け止め、力強く抱きしめ返してくれた。
私の背骨がミシミシと鳴る。
痛い。でも、幸せだ。
「愛しています、シグルド様」
「私もだ、レティシア」
私たちはキスをした。
汗と、プロテイン(カカオ味)の甘い香りがした。
こうして。
王太子に捨てられた怪力悪役令嬢は、北の辺境で最強の騎士団長に拾われ。
念願の筋肉留学を経て、最高の幸せを手に入れた。
「さあ、シグルド様! 誓いのキスの後は、誓いのスクワットです!」
「ああ! 今日は百回セットでいくぞ!」
私たちの熱い筋肉生活は、まだ始まったばかり。
これから先、どんな困難があろうとも。
私たちは物理(筋肉)で乗り越えていくだろう。
だって私たちは、世界最強のカップルなのだから。




