バイト先の彼に恋をして
私の父は喫茶店を営んでいる。祖父の代からやっているこの店は外観も内装も古い。だが、私はこの雰囲気が好きだ。窓からは太陽が机を照らし、時にはカウンターまで日の光が差し込む。来るお客様は常連の方ばかりで、いろいろなお話をする。お客様同士も仲が良く、この店にはいろいろな声で溢れている。そんな温かいこの空間を私はカメラに収める。撮れた写真はカウンター近くの掲示板へ。自由にお客様が持ち帰る。だから、掲示板に写真が溢れることはない。
この店に新しくバイトの人が来た。端正な顔つきだ。私と10歳も歳が離れているとは思えない程に大人びた大学生である。この大学生が来てからだ。私の好きな空間が壊れ始めたのは。最初の頃は良かった。大学生は話しが上手く常連さんにも人気があった。だが、ある日、女子大生が来てから変わってしまった。今では、常連さんの見る影はなく、あの穏やかな雰囲気もない。女の子の高い声で賑わっている。
大学生は元の雰囲気が好きだったのか。申し訳なさそうに、辞めたいと私の父に言っているのを聞いた。父はそれを承諾しなかった。代わりに裏の仕事をやるということでその話は終わった。彼が裏の仕事に回ってからというもの、段々と女の子たちの数は減り、私の好きな空間が戻って来た。
彼は「あなたの好きな空間を壊してしまってごめんなさい。」と私に謝ってきた。そんなにも私の顔は物語っていたのだろう。私は彼の誠実さが好きだ。彼のことを悪く思っている訳ではない。彼が引きつける後の出来事が嫌なのだ。
そのうちに私は彼のことが好きになっていった。物腰の柔らかさや仕事の丁寧さ、彼は優しい人だった。私のミスをさりげなくカバーしてくれる時もある。そんな彼に興味が沸いてしまった。
私はよく自宅のベランダからこの店を眺めている。その過程で、私は彼の習慣を知ったに過ぎない。彼は出勤時間の10分前にやって来て、店の裏に行き5分煙草を吸ってから店に入る。これはストーカー行為ではない。先程も述べたようにこの店を眺めるのが私の日課であり、その過程で知ってしまっただけなのだから。
私は今日もこの店の写真を撮る。フレームの中の常連さんは皆笑顔で会話を楽しんでいる。フレームに彼が入り込んでくる。私に気がついた彼は、微笑む。それだけで十分だった。私は意図も簡単に恋に落ちた。私はシャッターをきる。彼の微笑みを永遠に自分の物にする。私はずるい。彼に近づく、あの女の子たちを嫌っていながら自分はその立場に行きたがるのだから。
私は今日もベランダにいる。店の外観を撮るためだ。カメラを店に忘れしまったので、スマホのカメラを開く。最近のスマホのカメラは性能が良いのか、店が綺麗に写る。スマホの画面に彼が入ってくる。ああ、彼の出勤時間だ。彼は煙草を吸いに行くのだろう。カメラを拡大する。彼が画面に大きく映るがぼやけてしまう。他のカメラアプリをインストールするも虚しく全てぼやけてしまう。店はこんなにも近く、はっきりと写るのに、彼はぼやけてしまう。なんだか、近いのに心は遠くぼやけているような感覚がする。
私は今日も出勤する。彼が「おはようございます。」と挨拶をしてくる。やはり、彼は僕の近くにいる。