表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

オモイバト

作者: APURO


人が亡くなったら行く場所は天国でもなく地獄でもない。


 冥界。


 人が亡くなったら善人でも悪人でも関係なく行く場所。


 その冥界に向かう電車、冥霊車めいれいしゃ狭間駅はざまえきに向かって来ている。


 冥霊車は黒と白の塗装がされている。

 狭間駅は人間が住む地上と人ではない者が住む地下世界・常泉街じょうせんがいの間に存在する。


 冥霊車が狭間駅に停車した。ドアが自動で開く。


「これでお別れだね。お兄ちゃん」

 少年の霊は言った。


 少年を含めた家族全員は交通事故で亡くなった。両親と少年の妹はもう冥界に居る。この少年の魂だけが現世にとどまってしまった。


「だな。あっちに行っても頑張れよ」

「……うん」


 少年は不安そうに表情を浮かべている。

「大丈夫だ。あっちに行けば家族全員に会えるから。なぁ」


「……わかった」

 少年は冥霊車に乗った。 


「じゃあな」

「うん。バイバイ」

 冥霊車の発車音が鳴る。ドアが閉まる。


 俺はこの冥霊車には乗れない。乗ってしまうと、冥界に行ってしまう。生きている人間がこの冥霊車に乗って、冥界に着いてしまうと亡くなった事になってしまう。


 冥霊車が動き始める。

 少年の霊は笑顔で俺に向かって、手を振っている。


 俺も笑って手を振り返す。


 ……胸が痛い。この少年も事故に会わなければ普通の人間のように人生を歩むはずだった。でも、その権利を奪われた。そんな少年を笑顔で見送るなんて。


 冥霊車は目視できない所まで行った。

 俺はベンチに座り、溜息を吐いた。


 ……仕事だから仕方がないのは分かるけど、辛いな。あんな小さい子を見送る時は特に。

「こう言う時は飯を食べるしかないな。よし」


 俺はベンチから立ち上がり、地上に向かう為に階段を上る。






 マンホールの蓋を半分開けて、誰も居ないか確認する。


 ……いないな。なんで、地上の入り口がマンホールなんだよ。もう少し考えろ。出にくいじゃねぇか。狭間駅に行ける者が限られているからって。


 マンホールの蓋を完全に開けて、路地裏に出る。

 雲ひとつない青空。大通りから聞こえる雑踏。地上だ。人間が住む世界。


 マンホールの蓋を閉めて、大通りに出る。

 大通りには様々な店が並んでおり、人々は時間に追われるように歩いている。


 定食屋「おかん」に向かう。


 今日は何を食べようかな。焼肉定食、唐揚げ定食、それとも、焼き魚定食。あー考えるだけでよだれが出てくる。


 定食屋「おかん」の前に着いた。


 店先のショーウインドには様々な料理のサンプルが並んでいる。ここに並んでいる料理以外にも様々な料理がある。


 ドアノブを引いて、店内に入る。

 カウンター席には三人座っている。テーブル席には誰も居ない。


 14時30分だから仕方ないか。

「いらっしゃい」


 厨房で料理を作っている岡野佐知子さんが元気よく言った。

 岡野さんはこの店の店長。この店の料理をほぼ1人で作っている。


 ふくよかな体型でTHEおかんみたいな人だ。まぁ、俺には親が居ないから、想像でしかないが。


「どうも」

「あら、晴羽せいは


「どこ座ってもいい?」

「どうぞ」


「ありがとう」

 俺はカウンター席に座った。


 カウンター席から厨房が良く見える。それに色んな料理のいい匂いが直に鼻に入って来る。


 岡野さんは俺の前に水の入ったコップとお手拭きを置いた。


「それで今日は何にする?」

「うーん。悩むな」


 俺はお手拭で手を拭きながら言った。

 色々食べたいな。でも、食べすぎもよくないし。


「早くしな」

 岡野さんは急かしてくる。この人は本当にせっかちだな。


「え? ちょっと待ってよ」

「悩んでるならミックス定食にしな」


「ミックス定食? なにそれ」

「ミックス定食はミックス定食よ。ハンバーグとからあげとエビフライとポテトサラダとか入ってるの」


「あ、それじゃ、それで」

「はいよ。あと、サービスで刺身つけてあげる。捨てるの勿体無いから食べて」


「マジで。ありがとう」


 ラッキー。この時間に来ると色々とサービスがつくからいいんだよな。


「じゃあ、ちょっと待ってて」


 俺は頷いた。

 コップに入った水を飲む。乾いた身体に水が染み渡っていく。 


 水ってなんでこんなに美味いんだろう。味が全くしないに。


 ――5分程が経った。


「ほら、食べな」


 岡野さんは俺の前にハンバーグとからあげとエビフライとポテトサラダが乗ったお皿と大盛りのご飯が入っている茶碗と味噌汁が入った茶碗を置いた。


それと鮪と鯛が鮭の刺身が盛り付けられたお皿を置いた。

 美味そう。これご飯何杯でも食べるな。食べすぎちまう。


「いただきます」

 割り箸が入った箱から割り箸を一膳取り出し、半分に割る。


 からあげを割り箸で掴み、口に運ぶ。

 チョーうめ。これだけで一杯はいけるな。

 





 ミックス定食を食べ終えた。結局、ご飯を5杯も食べてしまった。


 お腹いっぱいだ。ちょっとの間動けない。動いたら吐いてしまう。


「美味しかったかい?」

「はい。無茶苦茶美味かったよ」


「そうかい。それは嬉しいよ」

 岡野さんは笑顔を浮かべた。本当に嬉しそうだ。


「世界一だね。俺が言うから間違いない」

「ハハハ、ありがとう」


「不味いとか言われた事ないでしょ」

「それがあるんだよ。私の料理を不味い不味いって言うやつがいたのよ」


「凄いね。その人」

「……そうなのよ。本当にある意味で凄かったの」


 岡野さんは悲しそうに言った。余程、辛かったのだろうか。これ以上聞かない方がいいのかもしれない。


 スマホが鳴った。

「ちょっとごめん。電話に出るね」


「どうぞ」

 スマホをズボンのポケットから取り出す。そして、スマホの画面を見る。


 スマホの画面には「明衣」と表示されている。

 俺はスマホの画面をタッチして、耳に当てる。


「もしもし」

「今どこにいるの」


 明衣めいのうるさい声だ。なんでいつもこんなにうるさいんだ。俺の妹なのに。双子なのに。気品がないんだよ。気品が。


「ご飯屋」

「上か下かどっちよ」


 地上か常泉街かを聞いているのだろう。


「上だよ」

「じゃあ、早く下に来なさい。仕事よ」


「腹いっぱいで動けないから無理」

「何馬鹿な事言ってるの。葛葉さんに電話変わるわよ」


「え、それは嫌だ」

「じゃあ、すぐに来なさい」


「わ、分かりました。すぐに向かいます」


 電話が切れた。

「彼女かい?」

 岡野さんはにやついた顔で訊ねて来た。


「違うよ。妹だよ」

「なんだい。妹かい。面白くないねぇ」


「面白いってなんだよ。あ、お愛想お願い」

「はいはい」


 俺はズボンのポケットから財布を取り出して、中から千円札を手にとり、岡野さんに手渡した。


「どうも。ほら、お釣り」

 お釣りの20円を受け取り、財布に入れる。


「じゃあ、また来るよ」

 俺は椅子から立ち上がり、入り口に向かう。

「はいよ。待ってるから」


 ドアノブを引いて、外に出る。

 あーお腹がいっぱいで動けない。でも、動かないと葛葉さんに怒られる。あの人に怒られるのだけは絶対にいやだ。





狭間駅を経由して、常泉街に着いた。

 のっぺらぼう、火車、魚人など、人ではない者達が歩いている。


 空はなく、天気もない。天井に人工の太陽があるだけ。


 台湾や韓国などの繁華街に近い街並み。店の店頭に並んでいるものは地上ではまず見ない奇形な食べ物ばかり。決して、不味くはないが。


 かなり走ってきたせいで、気分が悪い。今にでも吐きそうだ。けれど、走って、葛葉さんの居る事務所に向かわなければいけない。


 深呼吸をして、息を整える。そして、気合を入れる為に両手で頬を叩く。


 ジーンと痛みがする。よし、これで気合が入った。

 俺は走って、事務所に向かう。


 この街の住人は殆どの者がマイペースだ。寝たい時に寝て、ご飯を食べたい時に食べる。時間と言う概念がない。寿命が人の何千倍もあるから仕方がない。


 この街に居る人間は俺と明衣だけ。

 幼い頃に狭間駅に捨てられた俺達を葛葉さんが拾ってくれた。そして、常泉街で育てられた。


 事務所が入っているビルの前に着いた。

 事務所の入っているビルは三階建て。他の建物とは違いコンクリート造り。街中では異質な建物。


 三階の窓には「オモイバト事務所」と白いペンキで書かれている。

 俺はビルの中に入り、階段を上って、三階に向かう。


 三階に着いた。目の前には「オモイバト事務所」と書かれたドアがある。


 ドアを開けて、事務所の中に入る。


 手前にはブラウンのソファが向かい合うように置かれており、その間にはテーブルがある。左側のソファには明衣が座っている。明衣は首に木製のカメラをかけている。


 明衣は入って来た俺を睨んでいる。


「遅い。晴羽」

 明衣は偉そうに言った。


 また髪型変えたな。この前会った時は朱色のツインテールだったのに。今日はセミロングに変わっている。


「うるせぇ」

「なによ。お姉ちゃんに向かって」


「俺が兄貴だ」

「いや、私がお姉ちゃんよ」

「違うね。俺が兄貴だ」


 出生時間が分からないからどっちが上か下かでもめる。まぁ、十中八九俺が兄貴だろうがな。


「二人ともうるさいぞ。呪うぞ」

 部屋の奥に置かれているビジネスデスクの前の椅子に腰掛けている葛葉さんが言った。


 葛葉さんの頭部に生えている狐の耳が尖っている。これは怒っているサインだ。早く謝らないと本当に呪われてしまう。


「すいません」

「ごめんなさい」

「分かればいい」


 葛葉さんの狐の耳が普通の状態に戻った。もう怒っていないようだ。ちょっと安心した。


 葛葉さんは人間ではない。狐の妖人あやかしびとなのだ。人間界に行く事もある為、人間の姿に化けている。


こっちの世界では人間が俺と明衣しかいないため、狐の耳を出している。狐の耳を隠すのは結構な力が必要らしい。そこは良く分からないが。


「今日も着物も羽織りも最高っすね」


 葛葉さんのご機嫌を取る為に青色の着物と、紫色の羽織りを褒めた。


「ありがとう。それじゃ、仕事の話をするぞ。ソファに座れ」


 葛葉さんは少し顔を緩めたが、一瞬で仕事モードの顔になった。


「はい」


 俺は明衣の座っているソファの向かい側のソファに座った。


「今回はこの堕魂だこんの持ち主を探してほしい」

 葛葉さんは椅子から立ち上がり、こちらへやって来て、テーブルの上に堕魂を置いた。


 堕魂は雫の形をしている。間違って狭間駅に降りた霊体の記憶と感情の塊。


 霊体がまだやり残した事を成し遂げようと地上に向かう時に霊体から魂が抜ける。その魂が堕魂になり、常泉街に落ちる。


「分かりました。霊殻れいかくの方は見つかってるんですか?」


 霊殻。魂が抜けた霊体の事を言う。地上で彷徨い、生きている人間の生気を吸ったりする。だから、そのままにしておくのは危険。


「それは大丈夫。もう検討はついてる」

 明衣は写真を置いた。


 写真には白装束を着た男性の姿が人混みの中に映っている。写真の風景から見て、定食屋の近くぐらいだな。

「くっきり映ってるな」

「私の腕が上がったって事よ」


 明衣は自慢げに言った。霊殻は明衣が首にかけている木製のカメラでしか撮る事ができない。


「はいはい」

「なによ。その反応」

 明衣は顔をムスッとしている。


 あー褒めないといけないか。めんどくさいな。


「いや、明衣のカメラの腕ならこれぐらい普通だと思ったから」

「よ、よく分かってるじゃない」


 明衣の機嫌は普通に戻った。

「晴羽。この堕魂に触れて、その持ち主がどんなものか探ってくれ」


「了解です」

 俺は堕魂に触れ、目を閉じる。


 堕魂に入っている記憶の光景が見えてくる。


 舞台から客席を見ている。オーディションに落ちて落ち込みながら歩いている。美味しそうなご飯を食べている。顔ははっきりしないが母親らしき人と喧嘩している。夜行バスが崖から落ちて地面に落下していく。


 俺はゆっくり目を開けた。

「どうだった?」


「この人はきっと生前演劇をしていた人だと思います。それとご飯を食べるのが好きだったようです」

「……そうか。俳優と言うやつか」

「はい。そうだと思います」


「それじゃ、晴羽は地上で霊殻を探せ。演劇にまつわる場所に現れるはずだ。霊殻を見つけ次第連絡しろ。明衣に持って行かせる」


 霊殻はやり切れなかった夢などが関連する場所へ行く事が多い。


「了解しました」

「分かりました。出来るだけ早く探しなさいよ」

「分かってるよ。それじゃ、行ってきます」


 俺はソファから立ち上がり、ドアを開けて、外に出た。





地上に行き、霊殻を探す為に街を歩いている。

 演劇に関連する場所か。演劇をした事がないから関連する場所があまり思いつかないな。


 ……仕方が無い。人間の英知に頼るか。


 俺はズボンのポケットからスマホを取り出して、検索エンジンで「演劇 関連する場所」と入力する。

 数秒も経たない内に検索結果がスマホの画面に表示される。


 劇場、レッスンスタジオ、芸能事務所か。芸能事務所は堕魂の光景に出てこなかったから候補から外そう。


 ここら辺の劇場とレッスンスタジオを当たっていくしかないか。


 スマホの検索エンジンで「劇場 レッスンスタジオ 現在地周辺」と調べる。


 劇場が5軒。レッスンスタジオが10軒。……結構多いな。時間が掛かりそうだ。

 俺は一番近くの劇場に向かう。


 最初の劇場で見つかればいいけど、そんな事はまずないよな。いつも、必死に探してようやく見つかるし。もっと、楽な探し方はないものか。


 十分ほど歩くと、一軒目の劇場が見えてきた。この街では一番大規模の劇場。収容人数は1000人。いわゆる、大劇場ってやつだ。


 劇場に着き、周りを見渡す。


 ……いない。白いシャツを着た人は大勢居るが白装束を着た人はいない。

 霊殻は普通の人に見ないから他人に聞く事もできないから面倒だ。

 





 劇場を全て周りを終えて、10件目のレッスンスタジオの前に居る。


 もう空は茜色に染まっている。だいぶ時間が経ったようだ。


 足は痛いし、疲れてきた。けど、成果は今の所ゼロ。ここに居なかったらどうすればいいか分からない。


 俺は深呼吸をして、息を整える。その後、レッスンスタジオがあるビルの中に入り、エレベーターに乗る。


 演劇をやっていたのは確実だ。でも、どこにも居ない。探し方が間違っているのか。


でも、劇場やレッスンスタジオ以外に演劇に関連する場所なんて思いつかないぞ。

 エレベータが止まり、ドアが開く。


 俺はエレベーターから降りた。このフロアにはレッスンスタジオがある。


 レッスンスタジオを見る。

 レッスンスタジオ内ではジャージを着た若者の男女が台本を持って、稽古に励んでいる。その中には霊殻はいない。


 ……ここでもない。それじゃ、どこに居るんだ。


「……腹減ったな」

 一回腹越しらいしてからまた探すか。このまま探すのは体力がもたない。休憩も大事だ。




 

 定食屋「おかん」の前に着いた。

 入り口のドアには「明日は休みです」と書かれた紙が貼られている。


 あれ、定休日以外は休みを見たことがないのに。岡野さんが体調を崩したのだろうか。それとも、違う理由なのか。


 まぁ、中に入って、本人に聞けば全部分かる事だ。

 ドアを開けて、店内に入る。


 店内は常連さんが5人居る。二人はカウンター席に座り、他の三人はそれぞれ違うテーブル席に座っている。


「いらっしゃい」

 厨房から岡野さんが元気よく言った。


「どうも」

「晴羽。今日も来てくれたのね。ありがとう」


「はい。席どこでもいい?」

「えぇ。どこでもいいわよ」


 俺はこの前と同じカウンター席に座った。

 岡野さんは水の入ったコップとお手拭を俺の前に置いた。


「今日は何する?」

「うーん。ミックス定食で」

「はいよ。出来るまで待って」


 俺は頷いた。

 岡野さんが料理する背中を見つめる。


 お母さんがご飯を作るってこんな感じなのかな。それだったら、なんだが温かいな。


温度かじゃなくて。心が温まる感じ。まぁ、俺の親は俺達を捨てたはずだから、会いたくはないが。


でも、普通の親子の関係にはちょっと羨ましさを感じる。親が居ないから親が居るという普通さえも憧れてしまう。


人間って生き物は自分の持っていないものに憧れを抱いてしまうのだと思う。……でも、俺達には葛葉さんが居るからいいか。


葛葉さんは俺達の育ての親だ。色々と怖いけど。たまに恐ろしい事をするけど。それでも大好きなのには変わりない。


 ――10分程が経った。


「ほら。ミックス定食」

 岡野さんは俺の前にミックス定食を置いた。おかずやご飯や味噌汁からは湯気が立っている。見ているだけでよだれが出てしまう。


「ありがとうございます。いただきます」


 割り箸を割り、エビフライを掴み、口に運ぶ。その後にご飯をかきこむ。


 あー最高。至福の時だ。なんで、こんなにご飯を食べる事は幸せなんだ。


 岡野さんは俺の食べっぷりを嬉しそうに見ている。

 そんな顔で見られると、ご飯を何杯でもおかわりしたくなる。 


「あ、岡野さん。一つ聞いてもいい?」

「なんだい?」


「明日は何で休みなの?」

「……それはね」

 岡野さんは悲しそうな表情になった。


 なにか辛い日なのか。いや、きっとそうだ。そうじゃないと、こんな表情にはならないはず。


「……それは」

「息子の命日なの」

「……そうなんですか。それは聞いてすみません」

 申し訳ない気持ちになった。聞かない方がよかった。


「いいのよ。謝らないで」

「……はい」


「……馬鹿息子だったのよ。本当に大馬鹿よ。大馬鹿の癖に夢は大きくってね。でも、それが原因で死ぬなんて」

「何をされてたんですか?」


「俳優よ。将来の夢はハリウッド俳優。顔もお父さんに似てかっこよくなかったし、演技もそんなに上手くなかったね」

「……そこまで酷く言います?」


「そんだけ酷かったのよ」


 岡野さんの表情は少し明るくなった。なんと言うか、無理に明るくしているような気がする。


「……そうですか」

「オーディション受ける為に夜行バスに乗ってね。その夜行バスが崖から落ちて。それでね。亡くなったの」

「夜行バス……」


 ちょっと待って。俳優と夜行バス。それに美味しいご飯。も、もしかしたら、堕魂の持ち主って。


「それにね。私のご飯をいつもいつも不味いって言うのよ。酷いやつでしょ」

「……こんなに美味しい料理をですか」


「そうよ。でも、そんな奴だったけど大好きだった。お腹を痛めて産んだかけがえのない息子だったから。私にとって一番の宝物だったの」


 岡野さんの瞳から一滴の涙が落ちた。

「……岡野さん」


 どれだけ息子さんの事が好きだったのか。大事だったのかが分かる。本当に愛していたのだろう。


「だから、明日はその馬鹿息子・守にね。不味い不味い弁当を作ってやるの。絶対に食べてはくれないけどね」

「……食べてくれますよ。それで、美味しいって言ってくれますよ。きっと」


「そうだね。晴羽、アンタはいい子だね」

「普通ですよ」


「褒めてるんだから素直に受け取りなさい」

 岡野さんは微笑みながら言った。


「……そ、そうですね。ありがとうございます」

「それじゃ、明日の弁当は気合入れて作らないとね」

「ですね。……もう一つだけ聞いていいですか?」

「なに?」


「その息子さん。守さんがよく行ってた場所とか分かります?」

「なんでそんな事聞くの?」

「いや、何となく」


 聞き方が悪かったか。そりゃそうだよな。普通はこんな事聞かないよな。


藤海橋とうかいばしの高架橋下よ」

「あそこですか。ありがとうございます」


「理由は聞かないわ。話を聞いてくれたしね」

「……はい」

「冷めないうちに食べて頂戴。ご飯は温かいうちに食べなきゃ」


「ですね」

 おかずとご飯を口に運ぶ。

 飯を食べたら藤海橋の高架橋下に行くぞ。きっと、そこに守さんの霊殻が居るはず。





すっかり夜になり、街の建物には照明が点いている。

 藤海橋近くの河川敷グラウンドには誰も居ない。それはそうだ。ナイター設備がないから。明かりがないのにスポーツをしたら高確率で怪我をしてしまう。


 藤海橋の前に着いた。

 藤海橋は隣町まで掛かっている。きっと、守さんの霊殻はこの下に居るはずだ。


 俺は河川敷に降りて、高架橋下に行く。


 高架橋下には白装束を着た強面の男性が居た。やっと、見つけた。この男性が探し求めていた守さんの霊殻だ。


「……あめんぼあかいなあいうえお」


 何かを呟いている。演劇に関する事なのだろうか。それにしても、霊殻の状態で言葉を発するとは余程生前に思い入れがあるものなのだろう。


 あ、連絡しないと。

 俺はズボンのポケットからスマホを取り出して、明衣に電話を掛ける。


「もしもし」

 明衣の声だ。


「晴羽だ。霊殻を見つけた」

「本当に?」


「あぁ、本当だよ」

「よかった。今日は見つからないと思ってたのに」

「うるせぇ。堕魂を持って来てほしい」


 明衣はいつも一言多い。もう少し相手の気持ちを考えて言葉を言え。まぁ、妹だから許すが。だって、優しいお兄ちゃんだから。


「了解。それで場所はどこ?」

「藤海橋の高架橋下」


「藤海橋の高架橋下……あそこね。分かった。今すぐ持って行く」

「頼んだ」


「じゃあ、待ってて」

「はいよ」


 電話がきれた。

 スマホをズボンのポケットに入れる。そして、守さんの霊殻が逃げないか監視する。


まぁ、普通の霊殻は一定の場所に居続ける。けど、例外で様々な場所に移動するものもいる。


どちらか、判別はできないから監視するのが一番手堅い。

 あとは霊殻に堕魂を渡して、冥霊車に乗せて、冥界に行ってもらうだけだ。


 ――30分程が経った。


 明衣が紫色の巾着を持って、こちらへ走って来ている。


 これで一件落着か。でも、何かまだやらないといけない事がある気がする。


「はい。堕魂」

 明衣は息を切らせながら、紫色の巾着を手渡してきた。


「ありがとう」

 俺は紫色の巾着を受け取り、中から堕魂を手に取る。


 守さんの霊殻のもとへ行き、堕魂を胸に当てる。すると、堕魂が守さんの霊殻に入って行く。


「……ここはどこだ」

 感情を取り戻したようだ。これで冥界へ連れて行ける。


「ここは藤海橋の高架橋下です」

「藤海橋の高架橋下? 俺はたしか夜行バスに乗って、オーディションを受けに行ってたはずじゃ」


 まだ自分が亡くなった事に気づいていないのだろう。亡くなった事を受け入れるのも難しい事だが。


「……貴方は」

「それにお前らは誰だ」


「俺は和泉晴羽。それで、こっちが和泉明衣」

「明衣です」


「そうか。それでなんで俺はここに居るんだ?」

「……貴方が亡くなっているからです」


「な、亡くなっている。ふざけんなよ。俺はこの通り」

 守さんは自分の姿を見た。


「あ、足がない。それにこの白装束はなんだ?」

「貴方はもう人間じゃない。簡単に言えば幽霊です。夜行バスが崖から落ちて、その時に亡くなっています」


「……そ、そんな」

 守さんは頭を抱えて困惑している。


「俺達、兄弟は貴方のような霊を冥界に連れて行くのが仕事です」

「……俺は死んだ。母ちゃんより早く死んじまったのか。そんな。まだ有名にもなってねぇのに」


「…………」

 言葉が出ない。どんな言葉をかければいいのかが分からない。


「くそ……くそったれ」

 守さんは涙を流し始めた。


「……守さん」

 声をかけようとした。けど、止めた。それをするのは意味をなさないはずだから。


 俺と明衣はアイコンタクトをとった。


 俺と明衣は守さんが現実を受け入れるまでの間、何も言わずに見守る事にした。それがどんな言葉をかけるよりいいと思ったから。


 ――一時間程が経った。

 守さんは泣くのを止めた。そして、表情も落ち着いてきているような気がする。


「守さん。どうですか?」

「……もうどうにもする事はできないんだろ」


「……はい」

「母ちゃんの飯ももう食べられないんだろ」


「……そ、それは」

「そっか。できねぇのか。最後に一回だけ食べたかったな」


「いや、一つだけ方法があります」

「ほ、本当か」


「晴羽。あんた、あれをするつもり」

 明衣は俺がしようとしている事を察知したのだろう。


「あぁ。お前の思っているやつだよ」

「で、でも、それは」


「大丈夫だ。この人なら大丈夫だ」

「……あんたがいいなら、もう私は何も言わないわ」

 明衣は納得してくれたようだ。心配してくれているんだな。


「その方法は?」


 守さんは訊ねて来た。


「俺の身体に守さんが入ってご飯を食べる事です」

「……アンタの身体に俺が入る」


「はい。長時間は無理です。30分。それ以上は俺にも、守さんにも悪影響が出るので」


「……30分か。わかった。あんたがそれをしてくれるなら頼む」

「はい。それじゃ、明日。食べましょう。貴方のお母さんが美味しい弁当を作ってくれるはずですから」


「……俺の母ちゃんを知ってるのか?」

「はい。いつも食べに行っていますから。定食屋「おかん」に」


「そっか。けど、なんで弁当なんだ」

「それは明日が貴方の命日だからです」


「……そう言う事か。それじゃ、頼むよ。晴羽君」

「……はい。守さん」


 守さんは自分の死に納得したようだ。それに弁当を食べれば現世に踏ん切りをつけれるはずだ。これぐらいの事はしてあげないと。いつも、美味しいご飯を食べさせてくれる岡野さんのためにも。





翌日になった。雲もない晴天だ。

 俺と守さんは守さんのお墓がある霊園の茂みで隠れていた。岡野さんが来るのを待つ為に。 


「本当に来るのか」

「はい。必ず来ます」


「……そうか」

「あ、来ました」 


 守さんのお墓に岡野さんが向かっているのが見えた。手には御供え用の花と風呂敷で包んだ弁当箱と水と水差しが入ったバケツを持っている。


「……母ちゃん」


 守さんは涙をこぼした。

 何も言わない方がいいな。そっとしておこう。

 岡野さんは水差しに水を入れて、お墓にかける。


それを何回した後、花をお供えする。その後、目を閉じて、合掌をする。


 ……なんでだろう。この一連の行動だけで、守さんがどれだけ愛されていたのかが分かる。人間って言葉じゃなくて行動だけでも愛情を表現できるんだな。


「はい。あんたが不味い不味いって言う弁当。食べな」


 岡野さんは風呂敷で包んだ弁当箱をお墓の前に置いた。そして、バケツなどを手に持ち、去って行った。


「元気そうだな。母ちゃん」

 守さんは言った。


「そうですね。それじゃ、ご飯食べますか」

「あぁ、食べさせてくれ」


「じゃあ、ここで待ってください」

「分かった」


 俺は茂みから出て、守さんのお墓に向かう。

 周りには誰も居ない。もし、居たら色々とややこしい。他人から見たら、お供えものを盗むバチあたりな奴だ。


 守さんのお墓の前に着いた。

 お墓はぴかぴかに輝いている。岡野さんが丁寧に手入れをした証拠だ。


 風呂敷に包まれた弁当箱を手に取り、周りを見渡す。……誰も居ない。今しかないな。


 俺は茂みに全力で向かった。


「……べ、弁当持って来ました」


 茂みに入り、守さんに風呂敷に包まれた弁当箱を見せた。


「あ、ありがとう」

「そ、それじゃ食べますか」


「あぁ、頼む」

「じゃあ、俺の身体にタックルしてください」


「た、タックル。分かった」

 守さんは驚きながらも理解した。そして、タックルしてきた。


 身体の中に守さんが入って来たのが分かる。今の身体の主導権は守さんが握っている。


「す、すげぇ。本当に入れた」

「はい。時間はないので早く食べてください」


 身体の中から守さんに語りかける。


「そ、そうだったな」

 守さんは風呂敷を解いて、弁当箱を開けた。弁当の中身は大盛りのご飯とハンバーグと唐揚げとエビフライと卵焼きとミートボールとポテトサラダ。きっと、守さんの大好物ばかりなんだろう。


 守さんは弁当箱の蓋についている箸を手に取った。

「いただきます」


 守さんはおかずとご飯を交互に食べる。

 美味しいも何も言わない。黙々と口に運んでいる。


 なんだろう。食べるスピードは速いが噛み締めるように食べているように思える。


 



「ごちそうさま」

 守さんはものの10分で弁当を食べきった。よほど美味しかったのだろう。


「……母ちゃんのいつもどおりの不味さだ。ちょー不味い。世界一不味い。……ごめんな。母ちゃん」

 守さんは泣きながら言った。


 この人はご飯の評価だけは天邪鬼なんだろう。だって、弁当箱に米一粒残ってない。それに不味かったら一口食べて捨てるだろう。この人は岡野さん。お母さんに対して、素直になれなかったんだな。


「……守さん」

「あのよ。晴羽君。ペンと紙ってあるか」


「ズボンのポケットに入ってます」

「使っていいか。弁当の感想を書きたいんだ」


「……いいですよ」

「ありがとうな」


 守さんは弁当箱の蓋を閉める。その後、ズボンのポケットからメモ帳とペンを取り出して、メモ帳を弁当箱の上に置く。


 守さんはメモ帳に何かを書き始めた。


 俺は見ないようにした。岡野さんへの想いは岡野さんだけが受け取るべきだ。俺が見る権利はない。


「OK。これでいい」


 守さんはメモ帳の紙を千切って、二つ折りにする。その二つ折りにした紙を弁当箱の上に置き、風呂敷で包む。


「あとは頼むわ。さすがに自分の墓を真正面から見たくはねぇから」

「了解しました。じゃあ、目を閉じてください」

「……わかった」


 守さんは目を閉じた。すると、俺の身体から守さんの霊体が抜けていく。





 狭間駅のホーム。

 俺と守さんは冥霊車が来るのをベンチに座って待っている。


 守さんの表情は清清しい顔をしている。もうこの世に後悔はないみたいに。


「いろいろとありがとうな」

「いいえ。仕事ですから」


「仕事だとしてもよ」

「……それじゃ、素直に受け取ります」


「そうだよ。それでいいんだ。素直がな。俺が一番出来なかった事だよ」


「……守さん」


 人間って生き物は何かが終わってからじゃないと本質が見えないのかもしれない。


人生がどれだけ素晴らしい事も死んでからじゃないと分からないのかもしれない。なんだか、それって勿体無いな。でも、俺自身も人生の素晴らしさが生きている間に分かるか定かじゃない。


 冥霊車がホームに入って来る。


 もうこれで守さんとお別れか。約一日しか関わってないが大切な人だ。もし、俺が冥界に行った時は会いに行こう。


 冥霊車が停車した。そして、ドアが開いた。

 俺と守さんはベンチから立ち上がり、冥霊車に近づく。


「それじゃ、これでお別れか」


 守さんは冥霊車に乗った。

「そうですね。俺がそっちに行ったら遊んでください」

「おう。当たり前だ」


 守さんはニッコリと笑った。


「ありがとうございます」

「あのよ。最後に素直になっていいか」 


「……はい」


「母ちゃんは世界一最高の母ちゃんだ。飯も世界一上手い。こんな親不孝なやつだったけど、愛してくれてありがとう」


 守さんは顔をくしゃくしゃにして言った。


「守さん」

 俺は守さんの表情を見て、耐え切れなくなり泣いてしまった。 


「ハハハ、お前に言っても意味ねえな」

「だ、大丈夫です。その想いはきっと伝わっていますよ」


「そうだったらいいな。あと、ご飯食べに行ってやってくれ」

「はい。食べに行きます」


「頼んだぞ。じゃあな」

「はい。行ってらっしゃい」


「行ってきます」

 冥霊車のドアが閉まった。

 守さんはドアの前で立ったままで居る。


 冥霊車は冥界に向かい動き始めた。狭間駅からどんどん離れていく。

 さようなら、守さん。冥界で幸せに暮らしてください。





オモイバト事務所前。

 今回の仕事はなぜか普段と違い疲れた。それは知っている人のお子さんだったからか。


それとも、ただいつもより動いたのか。きっと、前者だろう。仕事に対する気持ちが段違いで強かった。

 俺はオモイバト事務所のドアを開けて、中に入る。

 明衣はブラウンのソファに座っている。


「遅かったじゃない」

「うるせぇ。色々とあったんだよ」


「……まぁ、いいけどね」

「お、おう」


 普段ならもう少し突っかかってくるはずなのにしてこない。ちょっと、気を遣ってくれているのかもしれない。

「……帰って来たな。お疲れ」


 ビジネスデスクの前の椅子に腰掛けている葛葉さんが優しく言った。

「ありがとうございます。仕事終了です」


「あぁ。よくやった。また頼んだぞ」

「……はい」


「少し大人になったな」

 葛葉さんが珍しく褒めてくれた。一年に一度あるかないかぐらいだぞ。


「そうですか?」

「あぁ、顔つきが違う」 


「それは嬉しいです」

 単純に嬉しい。そして、仕事を通じて成長したんだと実感した。


「えー違うと思いますけど」

 明衣は癇に障る言い方で言った。


 聞き流そう。自分にプラスにならないことは聞かない方がいい。






 翌日。

 定食屋「おかん」の前に着いた。ご飯を食べないともう何もできない状態だ。


 俺はドアを開けて、店内に入る。

「いらっしゃい」


 岡野さんの声が厨房から聞こえてくる。なんだが、普段よりも元気良さそうだ。

 常連さん3人がそれぞれ違うテーブル席に座り、ご飯を食べている。


 ピークの時間を外して来てよかった。

「どうも」

「あら、晴羽。今日も来てくれたのね」


「うん。どこ座ってもいいよね」

「えぇ、どうぞ」

 いつものカウンター席に座る。


 岡野さんは俺の前に水が入ったコップとお手拭を置いた。

「今日は何にする?」


「ミックス定食で」

「それ好きだね」


「はい。大好きです」

「ありがとう」 


「岡野さん。何か機嫌いいですね」

「そう。まぁ、いいことがあってね」


「いいこと?」

「あの子が弁当を食べてくれたのよ。普通に考えたらホラーだけど。……ちょっと待って」

「……はい」


 岡野さんは厨房の奥にある休憩スペースに行った。そして、スマホを持って来た。


「これよ。現物は汚したくないからね」


 岡野さんはスマホの画面を見せてきた。画面には「母ちゃんへ。無茶苦茶不味かった。でも、世界一ましな味だったぜ」と書かれた紙が写っている。


 守さんが書いたものだろう。


「いいですね。これ」

「でしょ」


「大切にしないといきませんね」

「えぇ。宝物よ。馬鹿息子からの」


「はい。そうですね」

「あ、ごめんね。ご飯今から作るから」


「はい。世界一美味しいご飯が出来るの待ってます」

「えぇ。世界一のミックス定食作るから待って」


 岡野さんは嬉しそうに笑って言った。

 守さん。貴方の想いはお母さんにちゃんと伝わってますよ。だから、安心してください。


 オモイバト。俺はこの仕事を誇りに思う。だって、こんな素敵な親子の絆を見れるんだから。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ