老人と少年
「…ルーゲル地方に向かうといい、そこでならおぬしのやりたいこととやらもどうにかなるじゃろう」
ルナに街を出て行くことを伝える前、ミツルはロブにそんなことを言われていた。
もともと、ミツルがここで働いていたのは時計屋になるためではないことは以前から伝えていた。機械に関して、自分がそれにまつわる夢を持っていること、そして時計屋としてここで働くのはそのための技術を磨きたいからであるとミツルはロブに語っていた。
それに対するロブの反応というのは冷たいもので、「手を動かせ」などまともにミツルの言葉を聴く気がないというような対応だった。
だからこそ、ロブからその言葉が出てきたことはミツルにとってかなり驚きの出来事だったのだ。
「ルーゲル地方って…。ロブ、急にどうしたの。」
「おぬしの態度を見ていればわかる。もはやこの時計屋ではおぬしの夢とやらは叶わんのじゃろう?」
ミツルはその言葉に、少しだけ拗ねた様子を見せる。ロブにはバレていないだろうと思っていたからだ。
「…そんなにわかりやすかった?」
「年の功というやつじゃよ。知りたくなくてもそれぐらいはわかってしまうものじゃ。」
「…そう」
二人の間で沈黙が続く。つくづく老人というのは厄介なものかもしれない、とミツルはロブの横顔を見ながら思う。思い返すと彼にはなんだか見透かされているような気が常々していた。
「…なんで今まで教えてくれなかったの?さっきの以外にも理由、あるんでしょ?」
沈黙を破るようにミツルは老人に問いかける。それに対し、ロブは少しだけ躊躇うように目を泳がせると、観念したかのように大きくため息をついた。
「…話す気はなかったんじゃがな。」
老人は重い腰を上げるように、ぽつりぽつりと言葉を紡ぎ出した。
「…昔、儂はそこでおぬしのように夢を抱き、毎日機械を解体しては直し、作っては壊しと繰り返していた。」
「ルーゲル地方で?」
「そうじゃ、ルーゲル地方で。あそこはこの国でも生粋の技術者が集まるところじゃ。儂も最初は彼らのようになれると思っとった。」
「…」
「でも実際そんなことはなかったのじゃよ。儂は彼らからすれば、未熟者で、夢を追うにも半端者。ずっと前から儂の目はどうにも濁っとたらしい。」
ロブは遠くを見つめる。老人はミツルではなく、過去を見ていた。
「…夢にもな、期限というものがあるのじゃ。追いかけるのは自由じゃが、どこかで諦めなければいけない日がくる。儂はその日までに夢を叶えることができなかった。諦めきれず追いかけ続けてしまった。とっくのとうに限界がきていたのにな。」
ミツルにはそのとき老人が一体なにを思っていたのかまではわからなかった。まだ、ミツルはその夢の限界というものを知らない。夢の先にあるものしかミツルは知らない。
夢を叶えられなかった末路を知らない。
「儂は、おぬしに儂のようになってほしくなかった。なにもできぬまま老いぼれていく男になってほしくなかった。」
そのとき、ロブがようやくミツルを見た。老人は、過去の自分のように夢に狂わされる少年の姿を見たくなかったのだ。
「虚無には本当になにもないのじゃよ。なにもできぬまま燃え尽きてしまえば、火がつくことはもうない。」
ミツルは奴隷だったときのことを思い出す。
もし、あのまま終わっていれば。その虚無を自分も経験することになったのだろうか?
「そんな顔をするな。おぬしの夢を壊すなら、わざわざルーゲル地方のことを伝えたりせんじゃろう。」
「…ということは、」
「ああ、そうじゃ。段々おぬしを見ていくうちに考え直したわい。」
不服じゃがな、と老人は付け加える。それを見ながらやっぱりいつもの彼であることをミツルは認識した。
「儂は過去の自分とおぬしを重ねておった。だから、おぬしには変な道に進んでほしくなかった。」
「うん」
「だが、そもそも儂とおぬしは違うものじゃった。」
老人はミツルの目をまっすぐに見る。見極めるように、判断が間違っていないと最後に確認するように。
「おぬしはまだ目に夢を宿しておる。」
まただ。
ミツルは目の前の老人を見つめる。夢を宿している。前にも言われた言葉だった。
「それは老いぼれには眩しすぎるものじゃ。とっくのとうに霞んでおる目には見たくても見れぬものじゃ。若者というのは、それを追いかける権利を持っておる。」
ロブの口角がほんの少しだけ上がる。ここまで穏やかな彼の表情を、ミツルは見たことがなかった。
「なら、それを儂の判断でなくさせてしまうこと自体間違っているのじゃろう。」
それが、老人がミツルを送り出す理由だった。ミツルがその言葉をなんとか咀嚼している間に、ロブは小包をミツルに押し付ける。
「なにこれ」
「ルーゲル地方までの金と、なにかあったときのための連絡先と地図が入っておる。困ったときはそこに頼るといい。儂の顔見知りと言えば、多少の融通は利かせてくれるじゃろう。」
「金って…さすがにそれは」
「もともとおぬしの給金から引いておった年齢差額分じゃ。好きに使えばいい」
その言葉に少年は目を輝かせる。しかしそれは一瞬にして落胆に変わった。
「ただし、これを渡すのには条件がある。」
「条件?」
「夢を叶えるまで、儂には会いに来るな。これは儂からお前さんへの餞別じゃ。」
少年が目を丸くしながら小包を受け取ると、老人はそれ以上なにも喋ることはなかった。その代わり、老人は少年を強く抱きしめた。
その抱擁には、老人と少年の数年間が詰まっていた。
ふとこの記憶を思い出したのは、まだ自分に未練があるからだろうか。
そんなことをミツルは思いながら、出発地点であるカルスード駅に着く。目指すはルーゲル地方の都市、エッセである。
『まもなく、ゲルエ経由エッセ行きの汽車が到着します。』
駅員の声が響く。ミツルは深呼吸をすると、目の前に汽車がくるのを待つ。
ミツルの機体を巡る冒険は、こうして幕を開けるのだった。




