残骸と希望 3
夢を見た。
降りしきる雨の中で、母親は泣いていて。横にいた男はそれを慰めることもせず、ただただ目の前にある墓標を眺めていた。
信じればきっと報われる、なんて。願い続ければ叶う、なんて。
そんなことあるわけがない。
ミツルは男を見て、母親を見た。男が優しそうな顔つきで、母親を誑かすのを黙って見ていた。止めようとも、男に乗じることも、母親を助けることもしなかった。
ただずっとそれを見ていた。見ることしかできなかった。
気付いたらすべてが終わっていて、ミツルには養父ができていた。
顔も、名前も、まともに知らない新しい父親は、いつも墓標の前に立っていた。ミツルに背を向けて立っていた。
泣いていたのかもしれない。呆れていたのかもしれない。
ミツルは、男と父親の関係を知らなかった。父親のことを、人格を、顔立ちを、友人を知らなかった。
知らないから、ミツルは全部押し付けた。自分の事情を、都合を、彼らのせいにした。
知らなければ悪にできて、その分自分が生きやすくなるから。
父を見る。母を見る。男を見る。
最後に06を見て。どうしようもなく壊れてしまった彼を見て。
ミツルはようやく自分の罪を自覚した。
全部お前のせいだ、なんて誰かが言った。
いつまで知らないふりをするのか、なんて声が聞こえた。
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「…ルくん、ミツルくん!」
その大きな声でミツルは目を覚ました。
「…大丈夫ですか?魘されていましたが…」
ルナが心配そうに様子を窺っているのを見て、ミツルは自身が異様に汗をかいていることに気付いた。
タオルでルナは汗を拭う。彼女の焦りようからするに、ミツルのことを本気で心配しているようだった。
「…うん、だいじょうぶ。」
脈打つ心臓を抑えるためにミツルは呼吸を整える。めいっぱい息を吸い込んで、ゆっくりと吐いた。
「ほら、大丈夫になった」
心配させまいとミツルは笑いかける。ルナはそれに首を傾げつつ、眉を下げて笑い返す。
「…一応、今日は街の案内をしようと思っているんですが…いけそうですか?」
「うん、いけるよ。ちょうど教えてほしいこともあったし」
「そうですか。では、朝ごはんを食べたら出かけましょう」
もう準備しているので、と微笑む彼女に、ミツルは昨日のことを話すべきか悩んだ。
家柄については、この街に住んでいる以上あまり深堀りするべきではない。しかし、ラジオに関しては、街全体に被害が及ぶ可能性も考慮すると「話さない」というのは悪手だ。
死ぬ可能性があるのだから、言っておくに越したことはないだろうとミツルは口を開く。
「ねえ、ルナ。」
「?なんですか?」
「『エドワード・ミュンヘン万歳』って言葉、知ってるかな」
その言葉にルナはミツルが気付かない程度に、目を見開いた。
「…昨日、ラジオを使ってさ。そしたら、ある局でその言葉が繰り返し流れ続けたんだ。」
「…ラジオ、使ったんですね」
ぼそりとルナが呟く。ミツルはその言葉にバツが悪そうな顔をしながらも、話を続ける。
「その言葉自体にそこまで意味があるのかはわからない。ボクはエドワード・ミュンヘンていう人を知らないし、興味もない。」
ミツルはルナを真っ直ぐ見据える。ルナの表情が少し強張ったような気がした。
「でも、少なくともあの放送は危険だ。ボクはなんとか正気に戻れたけど、他の人もそうとは限らない。局に行って放送を中止してもらうか、街の人に聞かないように注意した方がいいと思うんだ。」
人間は信用できない。しかしミツルはこの街でしばらく暮らしていかなければならない。そんな中で自分のせいで街の誰かが死ぬのは後味が悪かった。
ルナはミツルをじっと見つめる。それが事実なのか見極めていた。しばらくすると目を逸らし、ほんの少し黙った。
「どうして危険なんです?たかだかラジオの放送でしょう?」
ルナはこれまでとは違い、冷たい笑みで言葉を発する。あなたのことは微塵だって信用していないと訴えかけるように。
「…あれはそんなものじゃない。あの放送を聞いた後、ボクは自殺しようとしていた。もともとそんな願望は持ち合わせていないのに、だ。」
「…」
「あれは人を殺すんだ。原理はわからないけど、ボクらに危険を齎すのは確かなことなんだよ。」
ルナとは対照的にミツルは熱をもって訴える。わかってもらいたい、信用してもらいたい、そんな思いを抱えながら。
「…でも、国営放送ですよ?」
その言葉に今度はミツルが顔を強張らせる。
「国営…?」
「はい。国が運営してる真っ当な放送です。」
ミツルの動きが固まる。開こうとしていた口は、完全に行き場を失っていた。
そんなはずがあるか、とミツルは思った。あんな放送を国がしていいわけがなかった。人を殺す、それだけならまだ理解もできる。他国で使うことで無差別的に殺す。非人道的だが、使い方としては正しい。
しかし自国でそれを使うなど、正気の沙汰とはとても思えない。
自殺を装った他殺。そんなことを自分たちの国民でやってどうするというのか。
「そもそも、キミはなんで知ってるの?それを流すのが国営放送だって。」
ミツルができた抵抗はこの程度だった。人を死に追い込む放送なのだ。一度聞くことすら困難なはずなのに。
「聞いたことがあるからです。」
彼女は、なんでもないことのようにあっさりと言い放つ。ミツルは目を見開く。
「ボクと同じように正気に戻れたってこと?」
そう言ったミツルの声は震えていた。どうやら自分が彼女にとっての地雷を踏んでしまったということはもう十分理解していた。
「いいえ?そもそも正気を失うことも、自殺しようとすることもなかったですよ。」
ルナが口を開く度に、ミツルは追い詰められていく。それを見ながらルナは、可哀想だなんて他人事のように思っていた。
「ああ、もしかしたら」
ルナは言葉を続ける。子ども相手にどうしてこんなムキになっているのか、そんなことを思いながらも理由自体は既にわかっていた。
「…裏切り者限定なのかもしれませんよ?」
妖艶に笑う彼女が、ミツルはひどく恐ろしかった。
ずっと彼女はミツルを信用していない。ミツルは彼女が信用たるにあたる一つ目のミッションを、「おるすばんを完璧に遂行する」というミッションを、失敗してしまったのだ。
「裏切り者限定…」
「裏切り者だけが正気を失って死のうとする。ありえないことではないと思いますけど。」
「裏切り者、ていうのは?」
「簡単ですよ、国に仇なす人のことです。」
「…っ、ボクはそんなんじゃ!」
「実際どうなのかはどうだっていいんですよ。よそ者の時点で怪しいのは当たり前ですから。」
息を呑む。それに言い返せるほど、自分の立場を弁えない精神をミツルは持ち合わせていなかった。
「____『疑わしきは罰せよ』。…いい言葉ですよね?」
生憎ミツルはその言葉を知らなかった。どこか遠くを見てそんなことを言う彼女は、ミツルに言っているように見えて、自身にも言い聞かせているように感じられた。
怯えた様子のミツルに対して、ルナはふふっと笑う。それが嘲笑なのか、心の底から笑っていたのか判断することはできなかった。
「…まったく。冗談ですよ」
冗談、とはどこまでが冗談なのだろうか。その言葉を本当に信用していいのだろうか。
ルナの言葉を信じる様子がないミツルに、彼女は肩を竦めていつも通り困ったように笑う。
「怖がらせてしまいましたね、でも本当に放送の停止も注意もしなくていいんですよ。」
「…どうして?」
「あの放送は聞けないようにされているので」
ミツルは首を傾げる。色々言いたげな彼に、彼女はひとつ情報を与えた。
「…わたしのラジオでは聞けるんです。わたし、聞いてもなんともないですから。」
「そっか…」
「でも、これでわかっていただけましたよね?」
ルナは普段より少しきつい口調で、ミツルに問いかける。
ミツルは彼女の顔と床を交互に見ながら、言葉を紡いだ。
「…ごめんなさい、勝手に触って」
それを聞くと、彼女は答えに満足したようで嬉しそうに笑う。
「はい、きちんと謝れる子は好きですよ」
ルナはミツルの頭を優しく撫でる。彼女なりに、ミツルのことをきっと心配していたのだと思う。
信用を得たいなら、信頼してもらいたいなら、まずは相手を尊重しなければならない。
ミツルはもう奴隷ではなく、ひとりの人間なのだから。
(…彼女が信用できる人間になろう、ボクも彼女を信用しよう。恩返しはそれからじゃないと。)
今後の方針を立てなおす。内容としてはあまり変化はないが、ミツルの心境としては大きな分岐点となっていた。