DAYDREAMER
いらっしゃい、あなたが新任の侍従の方ね。
こんなおばあちゃんのお世話で手間がかかると思うけれど、よろしくね。
いいのよ、恐縮しなくって。わたくし、女王を引退してずいぶん経つもの。もうただのおばあちゃんと思っていただいて結構よ。まだ十分に威厳がおありです、ですって? まあありがとう。
この保養地はとてもいいところね。四季が穏やかに巡って、民の気性も穏やかで。わたくし、この大きな窓から見えるきれいな海が大好きよ。日差しもよく入るし。
ここで景色を眺めながら、来し方をゆっくり振り返るのが今のわたくしの仕事のようなものよ。
え? 来し方っていうのはね、昔のことよ。これまでの人生をどう歩んできたか、その道のり。まあ、教養があるだなんて。ただ古い人間なだけよ。そうねえ、どんな人生かというと……一言で言ったら「波乱万丈」、かしらね。それとも「激動」かしら? でも当時のことなんて知らないわよね、あなたがまだ生まれてなさそうな頃のことだもの。
伝記はいくつか出てたと思うわ。ちょっと題名を思い出せないけど……新聞社や出版社から出てるし、歴史の教科書にも載ってるはずよ……あらあなた歴史の授業を取らなかったの? 自国のことなのにそれはよろしくないわね。
自叙伝? それはないわね。伝記は王室が監修して、国威発揚に繋がるよう適切に事実をまとめているものよ。客観的であるべきで、わたくしが本当はその時どう感じていたかは語られるべきじゃないわ。そんなもの書いている時間もなかったしね。
今? そうねえ、今なら都合がいいかもしれないわね。でもこの手をご覧になって。もうペンを握る力はないわ。口述筆記? それなら構わないわ。
あら、あなた呼ばれてるわね。お忙しいのね、引き止めてごめんなさい。では後で右筆官のどなたかを寄越してくださる?
* * *
こんにちは、あなたが伝記作家の方かしら? わたくしの自叙伝を書いてくださるという。なあに、首を傾げたりして。わたくし確かにそのように聞いているわよ。
さあ、隣にいらして。あら、お掛けにならないの? わたくしとっくに女王は辞めたのよ、姪に譲って……だから、身分なんてお気になさらず。よろしいの? それに手ぶらね。録音する? ああ、魔導具ね。まあ、今はずいぶん小型になったのね。XX商会の開発陣は優秀ね。あらそうよ、この手の魔導具はみんなわたくしが発案して開発させたの。おかげでこの国は世界に誇る発展を遂げたわ。
じゃあ本題に入りましょうか。どこからお話したらよろしいかしら。そうねえ、この国がまだ隣国の一部だった頃からかしら。わたくしの娘時代。
わたくしは、今では隣国となったその国のとある伯爵家に生まれついたわ。でも幼い頃のことはあまり覚えていないの。きっと、取り立てて波風のない暮らしだったのね。
わたくしの人生最初の波乱は、女学校時代に起きたわ。わたくしは母方の血筋がよろしくてね、それで当時の王子殿下の婚約者候補とみなされていましたの。いえ、候補のご令嬢は他にも何人かいらしたわ。わたくしはその中でも最有力だったの。同じ学校にライバルの方がいらしてね、まーあずいぶんやり合ったわ、勉学でも人気でも。わたくしは正々堂々と争いたいのに、その方はすぐに泣かれるから困ったわ。
あら、もうお時間? ちょっと席を外すだけだから構わず魔道具に吹き込んでおいてくれって……? まあ仕方ありませんわね。わたくしの方は予定がないですものね。どうぞ行ってらして。
……さて、何を話してたかしら。そうそう、あの馬鹿王子の婚約者の座を巡る争いね。わたくし、将来王妃として国を支える責任の方が重要で、愛情なんて結婚すれば後から付いてくるからどうでもよろしいと思ってましたの。
でも馬鹿王子とライバルさんは考えが違ったみたいね。ライバルさんが画策したのか知りませんけど、わたくしは彼女をいじめたかどで王子から厳しく断罪されましたの。実際はわたくしの方が嫌がらせを受けていたのですけど、王子はすっかり彼女の話を信じ込んでいて、大変興醒めでしたわ。
元より素行も微妙な方でしたし、ライバルさんが真面目に手綱を取られるようにも思えませんでしたから、もうその機に見限ることにしましたの。ええ、諸々の画策の証拠を突きつけて宰相様や国王陛下に直談判させていただきました。馬鹿王子はお灸をすえられましたけど、その後もあれこれありましたから……ご存知でしょう? 今あの国の王位は別の家が受け継いで新しい王朝となってますわ。
ふう。これ、ちゃんと録音されてるのかしら。……操作がよく分からないわね。ねえ、そこのあなた! あなた、メイドよね? ズボン履いてるけど。ねえ、この魔道具だけど。ええそう、あの新人の方の。え、違うの、忘れたんじゃなくて置いていったのよ。あっ、持っていかなくても……。
もう、最近のメイドは皆せわしないわね。全然わたくしの話を聞こうとしないんだから。感じがいいのはあの新人の彼だけね。
* * *
はいはい、起きてますよ。どうぞ……あら、あなたね。いいえ、昼間のことは気にしていないわ。わたくしの侍従といっても新人だから、教わらなきゃいけないことがたくさんあるのでしょう?
恐縮しなくていいのよ、わたくし女王でしたもの。つまりね、民がわたくしを支えてくださるのよ、だからわたくしもあなた方にはいつも感謝し最大限配慮するわ。
魔道具は手元にちゃんと戻ったかしら? ならいいの。でもねえ、あれは少し疲れるわ。いいえ、口述はいいの。久しぶりに色々思い出せたから。でも、あなたが聞いててくれないと張り合いがないわ。そうよ。とってもにこにこしながら頷いてくれるんだもの。まあ、明日はちゃんと時間を取ってくれるの? ありがとう。
ああ、寝る前のお薬を持ってきてくれたのね。大丈夫、ひとりで飲めます。……はい、お水はもういいわ。じゃあおやすみなさい。
* * *
まあ、こんな雨の日でも来てくれるなんて。気が滅入りそうだったから嬉しいわ。あなたは、ええと……待ってね、思い出すわ。大丈夫、ちゃんと覚えてますよ。ええ……XXX国の大使でしたかしら? 当たりね。あの国の民は肌がちょっと濃い目の色なのよね。あなたも。
ちょうどあなたの国から来た方のことを思い出していたのよ。あなた方が仕えていた御方。そう、先代の国王、XXXX陛下ね。
あの方がまだ即位する前、こちらの大学院に留学されていたの。わたくしは女学校を卒業したばかりで、その大学院の司書のお手伝いをしながら、聴講生としていくつかの講義にも通っていたの。それで、本を借りに来るあの方と顔見知りになったわ。わたくしとは年が離れていたけど、涼やかな目をした青年だったわね。
それで――もう時効だから言ってしまうけれど、わたくしたちは秘かに恋に落ちたの。あの涼やかな目が、わたくしを見るときだけは急に熱を帯びるの。図書館の裏手で、いつも時間と合言葉を決めて待ち合わせてた。あの方と過ごすひと時はどれだけ幸せだったか……!
ときどき、将来受け継ぐ王冠が重たいと弱音を吐いていたわ。いっそただの人になって君と歩んでいけたら、なんて夢みたいなことを言って。心を許しているからこそ、そんな弱さも見せられるのだとわたくしは信じていたわ。
そのうち、かの国のテロリストが出没するようになって、あの方は自由に動けなくなった。渋々帰国すると言うので、勇気を出してわたくしも連れて行ってとねだってみたわ。そうしたらあの方は顔を曇らせ――言われたわ。それはできないと。妻子がいるからと。そんなの初耳だったわ。当然よね、その妻という方とは正式な夫婦じゃなかったもの。ええ、王妃陛下ではないわよ。愛妾のXXX夫人ね。経緯は知ったことではないけど、最後まで責任は取ってたみたいね。
あの方は諸々の責任から逃げたかった、それだけだったのよね。帰国なんかせずにいっそ王位継承権を捨てよう、なんて血迷ったことを言い出すものだからびっくりしたわ。テロリストが跋扈してるのにかえって危ないじゃない。わたくし、すっかり呆れてしまって。もうのしをつけてお帰りいただいたわ。
帰国したあの方は、急逝された父王を継いで即位するとテロリスト根絶に取り組んだわ。苛烈なほど。恐怖政治を行う者は、自分自身が恐怖に怯えているからかもしれないわね。息子がクーデターを起こしたことで、かの国は多少落ち着いたわね。わたくしは旅行先に選ぼうとは思いませんけど。
どうしたの、ぽかんとして。あなた、大使なのに初めて聞くような顔をしないで。
あら、食事の時間ですって。あなたもご一緒にどうぞ。よろしいの? これから仕事がある? そう。ではまた近くにいらした時は寄ってちょうだいね。いつでも歓迎よ。
* * *
今日もいい天気ねえ。わたくし、この窓から見える景色が大好きよ。ほら、いつの間にか一気に紅葉したわね。もうそんな季節ね。この離宮はいつも快適だから忘れちゃうわ。暑すぎず寒すぎず、魔導回路のおかげね。ええそう、この国では何でも魔導回路で動くの。だから非常に発展しているわ。この立派な建物も、大きな窓ガラスも、厨房の設備も、下の駐車場に並んでる魔導車もね。本当に開発させてよかったわ。
まあ、大げさに感心するのね。じゃあ今日はあなたに、この国の歴史をお話ししようかしら。どうしてこれほど豊かなのか。
あなた、勉強不足なんですもの。それじゃわたくしの侍従は務まらないわ。直々に教わるなんて光栄ですって? まあお上手ね。
さて。ひと世代前までここは隣国の一部だった、それは話したわね。元は辺境伯領だったのよ。わたくし、王都近辺の貴族社会にすっかり疲れてしまって、この地へ越してきたの。XXXX殿下とはお別れしたのに、かの国のテロリストのターゲットにもされかけていましたからねえ……。
でもここも田舎なものだから、不便さには辟易したわ。スローライフに憧れてはいたけれど、やっぱり街育ちの令嬢には無理よね。それでわたくしは、魔道具の改良や開発に取り組むことにしましたの。XX商会とのお付き合いもその頃からよ。辺境伯にも製品の売り込みをして、農工の事業や事務方の現場に取り入れさせて、効果を実感していただいたわ。
いち早く評価してくれたのはXXXXX様ね。辺境伯のご令息だった彼は優れた統率力や先見の明があり、この地を愛していた。彼を通じて、改良した製品を国内に展開すると優秀な技術者が集まってきたわ。わたくしはいつも皆さんにアイデアやヒントを出しては、様々なものの開発をどんどん進めさせたの。楽しかったわ。わたくしの言葉が形になるのが嬉しくて、夢中だった。
とても幸せなことに、XXXXX様はそんなわたくしに惚れ込んでくださったわ。彼とは常に尊敬し合う関係だった。だからあの方に嫁いで、嘘偽りのない愛を育んだわ。
でも平和はそこまで。その頃本国は大変な時期で、内政が荒れているのに近隣国と戦争したりしてたのよ。ここの国境も脅かされていたのに、支援はないし重税はかかるしでひどいものだったわ。辺境伯として代替わりしたばかりのXXXXX様は、よーく考えられた末に本国から独立することにしたの。魔導具は武器にも取引材料にもなったわ。それを使って各国と素早く講和を結び、本国とも刃を交えずに承認を取り付けさせたわね。それ以来、XXXXX様は辺境王、わたくしはその王妃よ。
残念ながら、XXXXX様はそれから何年もしないうちに亡くなられたわ。子どもたちはまだ小さかったから、わたくしが女王となって国の地盤固めに邁進したのよ。
とにかく技術や文化の進歩に力を入れたの。噂を聞きつけて各国から技術者が集まってきたから更に開発をさせ……結果はご覧のとおり。間違いなく豊かと言えるわ。
中でもとりわけ優秀な技術者の方がいらしてね、その方と……ああ、あと専属の護衛騎士もいたわ。みんな、ええ、みんなわたくしを公私ともに支えてくれたわ。でもわたくし王配は持たなかった。何しろ――
はあい、お昼寝のお時間ですって。メイドさんたちはお忙しいから、待たせちゃいけないわ。あら、あなたが連れて行ってくれるの? ありがとう。
ね、この車椅子もいいでしょう? 半世紀で魔導具もとっても進歩したわよね。こう言ったらなんですけどわたくし、自分の成したことを誇りに思ってるのよ。
* * *
ここから見える海は本当にきれいね。きらきらしてる。なんだか切なくなるくらい。きれいなものって切ないわ。
そう言えば、右筆官の方はいらっしゃらないの? あなた、伝え忘れてるんじゃない? 伝記作家? いいえ、そんな覚えはないわ。わたくし、毎日ここであなたとお茶を飲みながら歴史のおさらいをしていたじゃない。あなた、とってもいい生徒さんでしてよ。
……あら……どうしてその名で呼ぶの……「モモカ」? ……聞き覚えのある名前ね……待って……、……しっ! あなた、どうしてその名前を知ってるの!? わたくしの秘密ですのに! 誰にも話したことは――いえ、そうだわ……ずっとずっと昔、神官様に打ち明けたことがあったわ。
あなた、神殿から何か言付かってきているの? そうなの、じゃあお話しするわ。「モモカ」は、わたくしの本当の名前ですの。本当というか、前世の名前ね。わたくし、この世界に転生したの。それを思い出したのは娘時代の頃ですけど……戸惑い悩んで神殿の神官様にご相談したことがあったわ。
神官様は、そんな空想は捨てて生きなさいっておっしゃったの。生きてるのはこの世界なんだから、って。確かにわたくしの前世なんて、覚えててもしょうがないものだった。だからわたくし、境遇を受け入れることにして、もう神殿へも行かなかったわ。
でも、前世の知識で魔導具の開発ができたのは良かったわ。ね、おかげで今って、現代と全く区別がつかないくらい世の中発展してるでしょ。電気もあるし。魔法って電気のことよね結局。
わたくし、この世界がとても好きよ。
わたくしの居場所があるから。
誰にも、わたくしのこの人生を否定させたりしないわ。
* * *
「ただいま戻りました」
「おお、斉藤か。お疲れさん。いいお葬式だったか?」
「ええまあ……。中抜けさせていただきありがとうございました」
「お前、今日で退職すんだろ? そのまま上がってもよかったのに」
「一応ご報告をと思いまして」
「そうか。喪主は、モモカさんの遠縁だっけ?」
「いとこの娘さんだとか」
「入居のとき保証人になってた人だな。生涯独身のまま九十一歳で大往生の大叔母か。その人もこれで肩の荷が下りたってとこだろうな」
「そういう言い方は……」
「いやあ、粍羽百望叶さんなあ……かなりお騒がせな利用者さんで、いくつもの介護施設を転々としてたんだ」
「そんな方は珍しくないでしょう」
「妄想が独特過ぎてなあ。施設を女学校だと思いこんで他の利用者さんと掴み合いの喧嘩になったり、かと思えば技能実習生のベトナム人職員に熱を上げたり、そうそう、男性の利用者さんと妙に話が合うとかで勝手に結婚してた設定になってたこともあったらしい」
「……なるほど」
「うちでは『女王様』だったか。ムチでビシバシの方じゃなくて、A国王室ぽく振る舞ってたからまだマシだったかな」
「おれはけっこう好きでしたよ。威厳があるけどチャーミング、って感じでした」
「向こうもお前を気に入ってたようだし、ほぼ専属みたいにさせて悪かったな」
「いやあ、日替わりで色んな役を振られて面白かったです」
「よく話を合わせられたな」
「ネットにそういう小説いっぱいあるんで」
「あ〜、何か漫画もアニメもそればっかだよな。あの齢でそういうの読みすぎてごっちゃになったのか?」
「ひょっとしたら書き手さんだったかもしれませんね」
「どっちにしても、人生の最後でそういう逃避をするってのも何だかなあ」
「……どうですかね。おれは有りだと思いますよ」
「ん?」
「モモカさんの現実の人生がどうだったかは知りませんけど、最後に自分にとって納得がいく幸せな思い出に包まれて終われるんなら、いいんじゃないですか? どうせ過去なんて記憶の中にしかないんだから、本当かどうかわからないのは同じですよ。思い出すなら良いことを思い出したいでしょ」
「ん、んー? まあ、そうか……?」
「思い出話をしてるモモカさんは生き生きして楽しそうでした。おれは、モモカさんが創り上げた人生を否定しないでおいてやりたいですよ」
「ああ、まあそれがいい供養になるだろうな」
「じゃあ、あとは事務室に挨拶して帰ります」
「おお、お疲れ。元気でな、斉藤!」
「はい、お世話になりました」
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