第四章 婚約発表1
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「済まん。あの後陛下にジグラード・ライズ・ストラードとマリオン・ストラードになれば解決だと言われた。」
王族とのお茶会を終えた数日後。
ジグラードはマリオンの客室を訪れて深々と頭を下げた。
「えっと。何が問題なのでしょうか?」
マリオンは今一理由が分からなかったので首を傾げると、後ろで手を合わせていた侍女達がジグラードと揃って姿勢を崩した。
「そ、そうだな。先ずは言い回しの意味が解ってない事だ。」
「結婚、ですよね?」
ジグラードがストラード家の養子になる事は無い筈。お家取り潰し後、マリオンが当主になるだけならジグラードの家名は同じ。
オルズは王位継承権を意味するから、当主はマリオンのまま。
ライズは継承権を放棄した当主の意味になる筈。
養女ならマリオン・ライズの筈。
「ジグラード様がストラード家当主。私マリオンが妻。
だからライズ・ストラード。」
合ってますよね?と確認を求めると。
脱力したままジグラードが合ってると答えた。
ただし、両手で顔を隠してはいたが。
「で、では妻となる場合。私の子を産むなどの重要事項があるが、その辺も理解した上で同意をしているのか?」
真っ直ぐ指摘されて懸念を察し、思わず顔を伏せて赤くなった顔を隠す。
「じ、侍女達から、説明を。」
「わ、分かった!詳細は言うな!
理解している前提で話を進める!」
一瞬勝ち誇る侍女達に舌打ちし、咳払いをして仕切り直すジグラード。
「私としては、君の未来をこちらの都合で縛る真似はしたくなかった。
だが君を養女にしただけでは、正当性のある婚姻までは阻止出来ぬと言われた。
婚姻相手を先に用意せねば、他国の王族だろうと君を強引に手に入れようとするだろうとな。」
「だからジグラード様が当主になり、矢面に立つと?」
「まあ実はストラード家は断絶させて、別の家名になる予定だったりする。」
「……愛着無いから構いませんが。」
割とジョークが好きですよねジグラード様。
「だがまあ、はっきりと問おう。
私は君なら不満は無い。君はどうだ?」
ジグラードの言葉は本心ではあるが、全てでは無い。と言うより、王としては他国に嫁がせるどころか、国内貴族相手でも以ての外だと断言された。
王家外に嫁がせるのは不可能だ、と。
父の立場も解る。ヴェールヌイ程の大精霊であれば最悪嫁ぎ先が玉座への正統性を主張出来るほどの権威がある。故に保護しないという選択は有り得ない。
養女にして他国に嫁がせるなら権威の上では問題無いが、その場合マリオンの技術権威が丸々敵に回る恐れもある。
それに単純にミスリルが他国で量産されるだけでも危い。
ミスリルの製法は戦争の火種となるので、時機を見ての公開も必須。この時他国にマリオンが居た場合、独占するために侵略対象にされる恐れもある。
それら全てが、婚姻による保護で裏返るのだ。
マリオンに自由を保障するのは、余りにも危険過ぎる。
(父の理屈も解る!だが利用するだけなどストラードの連中と変わらん!)
尤もオークレイル王からすれば、政治的都合で婚約が成立しなかった息子に背後が白い婚約者候補が現れたのだ。正直理屈は要らない。孫が見たい。
しかも相性悪く無さそうで権威理由も十分。
(もうお前が幸せにすれば万事解決だぞ?)
という本音は本人が認めないから、敢えて建前で論破しただけだったりする。
どっちの思惑も知らないマリオンからすれば、単純に食事の保証をして健康を気遣ってくれるだけでも十分嬉しいし、立場だけで見ず知らずの相手と男女の関係になれと言われるのも辛い。
(他の殿方と会った事が無いからだとは思いますが、正直今選べる中で一番納得出来る方に自分で良いのかと言われてしまいました……。)
マリオンからすれば、他の誰かと言われる方が余程怖い。
「不満では無く、私にとっては一番です。」
愛があるかと言われれば、正直分からない。でもジグラードと離れるのは嫌だとだけは言える。それが精一杯だ。
「そうか。私は君に、幸福に生きて欲しいと思っている。
だが王族とは法を保証する者であり、王家の力は法の力に直結する。それは王が裁けぬ罪は、誰も裁く者が居ないからだ。
正義に縛られた情の無い法は不幸を招く。故に王が法で動けぬ部分を補うのが私の役目だと思っている。
だから君に幸せを望むのは、君が特別だからではない。」
「王子?!」
「はい。」
コルネリアの叫びを押し止める形でマリオンが頷く。
分かっていた。ジグラードがあくまでマリオンを庇護者の一人として、今迄接し続けて来た事を。
ジグラードが接し方を変える時はマリオンの価値が変わった時であり、感情的な接し方をする時は、いつだって立場の範囲内で許される時に限った。
「君が妻になるのなら、私は君を必ずしも大事に扱えるとは限らない。
私の家族になるのなら、相応の義務と責任が生じるからだ。」
場合によっては他に妻を娶る事も視野に入れねばならない立場だ、と告げる。
「それらを全て受け入れてくれるのであれば、私から君にお願いしよう。
君に、私の特別になって欲しい。」
本音を言えば、妻でなくても構わない。けれど。
「受け入れます。私をあなたの家族にして下さい。」
「有り難う。私に許される限り、君を幸せにすると誓おう。」
未だ愛が分からぬ私には、これが一番誠実な答えだろう。
そして何時かは、与えられるだけではなく、返せる側に。物では無く、心で応えられるようになりたい。それが今のマリオンの本心だ。
この日、私マリオンはジグラード様から婚約指輪を戴いた。
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婚約が決まったマリオンが侍女達に早くも奥様と呼ばれるようになり、今までの授業を控えめにして花嫁修業が始まった。
方向性が定まった分広く浅くだった授業方針から取捨選択がなされ、大変な反面期待されるというのは従うだけの命令と違って凄く迷う。
それまではどうなるか分からなかったため教われていた料理作りは、王族の嫁と方針が定まったため一度は取り止めになりかけた。
けれど既に手料理の魅力に嵌っていたマリオンは、お菓子に限る事で続行を妥協して貰えた。
我が侭と贅沢、趣味と意見。自己主張は本当に難しい。
とは言え元々結婚自体は想定されていたので削られた授業が幾つか出た程度の話でしかない。種類より回数が増え、より詳しくなった程度の違いしかない。
王族入りするための礼儀作法が追加された以外、新しい授業も増えなかった。
因みにジグラードの役職は宮廷魔術師長、王国魔術部門のトップで国内魔法具の管理、裁判や魔術研究の統括――利権や技術保護――等を担当している。
デスグレイ先生は先代の宮廷魔術師長で、詰まり順当に進めばジグラード様が跡を引き継ぐことになる。と言うより、今既に見習い宰相だったりする。
尚、この国では侍女メイド達を王家貴族が手付きにすると犯罪となる。
侍女達は行儀見習いも含まれており、言わば保護者が子供に手を出すに等しいというのがその理由だ。逆に言えば、婚姻対象になる相手を侍女には出来ない。
故に優秀な侍女は主が結婚の斡旋をするか仲を取り持ち、成人後に改めて囲い込むのが一般的だ。結婚後に仕える者達は陪臣、つまり家臣筋の家に限られる。
時々結婚より仕事を選び、神殿に生涯独身を誓って家臣入りする場合もある。身近ではコルネリアが該当している。この場合元の身分は関係無くなる。
マリオンもジグラード家臣団の名前を大体覚えているが、指示や用事を頼む時はマリオンの直属となったコルネリアを通す事が望ましい。
仕事を割り振るのは侍女長の領分だ。今後は命令する事にも慣れねばならない。
正直一番慣れるのに時間がかかったのはこれだった。
マリオンの役目は家中の把握と方針決定、確認が該当する。
勉強が無くなると大分時間が余るが、空いた時間で夜会の準備や美容に励むのが奥方の義務になるのだとか。
ただ自主的に勉強する分には構わないとの事。
「でも、化粧人任せ?」
「取り寄せるのと方向性を決めるのはマリオン様になりますね。
完全に任せて下さっても構いませんが、要望はどんどん出して下さいね。」
善処します、と玉虫色に応えておく。他家の奥方を褒めるためにも、ある程度化粧品は把握しておかないと駄目らしい。
「特産品として、覚える。」
人前に出る時は化粧が必須で、それは授業を受ける際にも同様だ。
常に自室で授業を受けられる訳では無く、歴史授業などは図書室に向かう。
教師役の先生は教わる内容次第で変わるので、顔を覚えるのが難しい。授業以外の内容は中々記憶に残らなかった。
尚、特産品は兎も角、普通領地外の情報は殆ど出回らない。
これは地図全般が軍事物資に相当するためで、王家と貴族の間柄は絶対的なものでは無いという。貴族を何処まで信用するのかも役を差配する時の難しい点だ。
厳密には王家と貴族の関係は、大王国と属国化した小王国が正しい。
かつて貴族は豪族と呼ばれ、今の領主貴族だけが対象だった。が、当地の都合上王直轄領の要職の人間も貴族位を与えられ、領主貴族と対等になる。
これが宮廷位、宮廷貴族の誕生だ。宮廷位と領主爵位を揃える事で、王直属が領主貴族に命令を出せる立場を確保した。これが今の貴族制度に繋がる訳だ。
領主貴族は朝貢と言う形で税を納め、領地と法を保証して貰う。
だが同時に、領主貴族は王の承認も必要とは言え、彼らの家臣=陪臣達の任命権も保有している。
だから勝手に地図を作ったり測量した場合、王と言えど直訴は免れない。大貴族達には例外無く王への直訴権を有しているからだ。
尤もその直訴は諸侯の眼にも曝されるため、正当な理由や後ろ盾抜きに行えば、ある意味で王族と言う国内最強の貴族に喧嘩を売るも同然になるのだが。
更に言えば、宮廷爵位は事実上の王家の直臣だ。領主貴族と対等なだけで給金は王家払い、直轄領を管理する代官以外はそれほど高い収入も無い。
故に宮廷位の中では、技術系、商業系貴族が特に力を持つ。
ストラード宮廷子爵家が没落していく原因は、最大の収益源を手放しているに等しいからだ。国としても、宮廷貴族の財力は領主貴族への対抗戦力になる。
故に、ストラード宮廷子爵家を断絶し、他の稼げる職人を貴族に昇格させたいというのは王家にとって切実な願いだ。
はっきり言ってストラード家に支払う給金は極めて勿体無い。
純魔力による付与装備に限らず、確実に精霊を宿せる上に職人として価値の高いマリオンとは真逆の存在になっているのが現状だという。
(後ミスリル、原石が既に黄金の数倍。)
大国が国外流出を犯罪認定する、最高の軍事物質。大半が天然鉱石を加工した物で銀を加工出来るのは大国が抱える天才職人かドワーフのみ。
ドワーフでもミスリルを精製出来れば名工の太鼓判を得られる。
オークレイル王国はドワーフと交易のある、数少ない人工ミスリルが入手出来る希少国だったりする。ミスリルを防具に使えるレア国家。
ミスリルと言えば武器、魔導具。それが常識。
尚、マリオン。防具オンリーだけど、素材大量。加工すれば武器転用化。
加工出来る人材は人工ミスリルを作れる人材に等しいので採算は厳しい筈だが、本人が溶解までは出来ます。精霊が友達なので、劣化無し。
「マリオン様の場合、精霊と意思疎通出来る方が貴重まであります。」
ばらしたら誘拐か戦争、脅迫は穏便な方まであるんですね。
(私、この国の王族以外に拾われていたら監禁確実だよ!)
そりゃあ王族と結婚以外、陛下としては有り得ないよ。納得した。
というか力に訴えないジグラード様超絶紳士。選択権与えない方が常識的。
尚、マリオンは基本最低限の舞踏会に出席する他は病弱を理由に可能な限り表舞台には出さない方針になっている。当然ですね、凄く分かる。
「だがまあ、王都内なら護衛付きでお忍びは有りだぞ。」
(剛毅だよジグラード様!私の方が心臓に悪いまであります!)
「まあ練習でミスリルを出すのは仕方ないが、小物に限ってくれ。
結婚式のドレスも銀までは構わないが、ミスリルの使用は無しだ。」
「分かりました。」
今、マリオンは自分の結婚式用ドレスを一から縫い上げていた。
何せ絹なら使いたい放題、糸が足りなければ自分で精製すればいい。
糸に限れば絹や木綿も自由自在だ。葛布はちょっと難易度が高かったりするが。
地味に最大の障害は染色だったりするが、染料さえ揃えれば糸を直接染め上げれば良いと判明し、今一番のお金の使い処は染料代になっている。
尚、王族の下着を揃えた対価も今は手元にある。以前は加減が分かるまでと取り置いて貯蓄に回されていたが、既に金銭感覚は十分と正式に受け取った物だ。
今はキャンベル伯爵家が製作を引き継ぎ、同時に莫大な技術料が支払われた。
キャンベル伯爵家は元々王都で成功した服飾職人の商家と城塞都市一つの領主貴族が婚姻により結ばれた、今や王都一を誇る服飾付与師系貴族の家柄だとか。
商人色が強いため王家とも繋がりが深く、平民を軽んじる傾向も無い。
マリオンに下着作りをさせ続けられない王家にとっても、安定供給して貰える様になり先ず一安心といった所か。
(でも全然減りませんね、この貯金。)
染色費と言えど所詮原料、布地も少々。発生した権益には到底及ばない。
しかも結婚式用のドレスにも一時ヴェールヌイの羽根帯を外して用いる予定。貨幣の死蔵は国益を損なうのでは無いかと思うが、今は心配してもしょうがない。
既に金属糸は銅、鉄、銀の精製に成功した。結婚指輪だけはミスリル製で、これは完全にマリオンのお手製だ。
後、半月。冬が過ぎ、マリオンが城に落下して約一年。婚約発表が行われる。
※続きは明日、6/24日投稿です。