大洞窟に牙剥く複頭の3
※本日投稿分、後編です。前編も投稿されているのでそちらからご覧下さい。
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最初に異変に気付いたのはドワーフ達で、次に頭上から見下ろすマリオンだ。
「おい、何か膨らんでねぇかコイツ!」
足元にピッケルを突き刺しながら叫んだドワーフの声に、旋回して様子見に徹していたヴェールヌイ共々顔を覗き込む。
よく見るとヒドラの全身に、ヒビ割れの様な無数の傷跡が走っていた。
「ねぇ。あの跡、刃物じゃないよね?」
『……そうだな。それに傷跡と違って、瘴気も漏れてない。』
ヴェールヌイの返答にもしやと思ったマリオンの見る前で、今度は露骨にヒドラの全身が心臓の様に収縮して一回り巨大化する。
「っ!全員一旦降りろ!」
ジグラードが叫ぶと同時にヒドラの身体の上部が真っ二つに割れ。
三つの鎚の様な棘が伸びて近場のドワーフ達を弾き飛ばす。
更に身体が首の根まで中に沈み込むと、そのままもう一度胴体が膨れ上がる。
全ての首の瞳が光を失い、背中を突き破る様に二つの塊が飛び出し、二股に割れて巨大な鋏となって腕の様に降ろす。
突き出した三つの棘が尻尾だと気付いた時、体のヒビは背中を両断する様に一直線に広がって。
「っ!あそこッ!中に目が!」
マリオンが指差したヒビ割れの中には、巨大な二つの硬質な瞳。
ギチギチギギギギギギギギッッッ!!!!
洞窟中に動物的な不協和音が響き。赤黒く光が灯ったヒビの中から、長槍の様な棘が伸びて折れ曲がり。
血飛沫の様な瘴気を飛び散らせる。
それが地面に突き立ちヒビの中から這い出せば、八本の足である事が誰の目にも明らかとなる。硬質な身体に覆われて、三本の棘の様な尻尾を折り曲げて。
「こ、これは虫、いや蠍なのか……?」
ヒドラの背中から現れた巨大な怪物は、三つの尾を持つ蠍の形をしていた。
まるで蛹の様にヒドラの身体から這い出した三尾蠍は、皆が戸惑う中で床に転がる己の残骸に噛り付くと、まるで空腹を満たす様に食い荒らし始める。
「っ!いけない!」
「っ!狼狽えるな!我々のやるべき事は変わっていないぞ!」
それが瘴気を取り込む作業だと気付いたマリオンが再び鐘を鳴らし始め、最初に我に返ったジグラードが一同に檄を飛ばす。
「「「う、うおおおおおおっ!!!」」」
雄叫びを上げて走り出す中、槍持ちの騎士が最も早く武器を突き立てる。
「か、硬い!」
渾身の力を込めた一撃も、硬い外殻に傷を付けただけで弾かれる。
追撃や後続が後に続く前に、体当たりの様に振り回された大鋏が槍持ちの騎士達を容易く弾き飛ばす。
三つの尾が足場のドワーフ達に牙を剥き、一人が棘に貫かれる。
「ど、毒だ!この蠍の尻尾は、毒持ちだ!」
膝から崩れ落ちながら叫ぶ仲間に駆け寄る者と共に、再び数人が飛び降りて斧を外殻に叩き付けると、今度は流石にヒビが入った。
けれどそれは掠り傷。肉に辛うじて届いても塞がる程度。
顎を鳴らす三尾蠍は、その程度で動きは止めずに再び交互に大鋏を振り回す。
「くそ!盾じゃ防げねぇ!」
軽い武器では傷付かず、重い武器では近付けない。
戦士達が打開策を求めながら必死で挑むが、先程までの様に大怪我を与える機会は目に見えて減っている。
むしろ強引に挑んで負傷する兵達の方が多いくらいだ。
「……ヴェールヌイ。」
『ああ。今飛び回ったところで、左程奴の邪魔にはならん。
むしろあ奴は天井付近の方が自在に歩けるだろうな。
今はこっちに引き付けた方が邪魔になる。』
その解答はマリオンが考えたものと全く同じで、それは今出来る事が極めて限られているという証だった。
唇を噛み締め乍ら鐘を握り締め、マリオンを落ち着かせるためか、ヴェールヌイが天井近くの足場の上に着地しマリオンを降ろす。
深呼吸して気持ちを落ち着かせる。
違う。元々戦える、皆の盾になれる訳じゃない。元々自分に出来る事は少なかったのだと言い聞かせる。
そうじゃない。出来る事を少しでも。そう、少しでも役に立つ。
戦う事で役に立てないなら、他の事で役に立つために此処に来た。
下では今もジグラード様が、彼らが戦っているのだから。
「うるせぇ!どうせ毒で死ぬなら少しでも戦って死んだ方がマシだ!」
「待って!」
下から聞こえた飛び出すドワーフの怒号に慌てて、咄嗟に浄化布を伸ばして吊り上げる。勿論彼の身体を痛める様な絡め方はしない。
「妖精姫?!」
彼自身驚いてはいたが、抵抗まではしなかったお陰で何とか襲われる前に引き上げ終わる。櫓に座り込んだ頃には落ち着きこそ取り戻していたが、顔色は悪い。
「諦めないで。その治療、私にさせて下さい。」
「し、しかし姫様。」
そうだ、狼狽えてる場合じゃない。やるべき事は前に出る事じゃない。
マリオンは抵抗されない間に手を伸ばして傷口を調べる。
傷口に染み込んだ毒は浄化布から放たれる光では殆ど届かず、間に合わない。
単純な毒と違い、瘴気の毒なので簡単に出て来る事も無い。
(いえ。これだけ瘴気から離れていれば、精霊の皆の力も借りられる。)
魔力糸を浄化石だらけの湖に伸ばせば、石に惹かれて来た水精霊達がいる。
マリオンはいつもの様に精霊達に心で訴えかけ、糸を通して水球ごと精霊達を天井まで運んで来る。幾人かが見守る中で、傷口の上に水球を置く。
精霊の力を借りて溶け込んだ血を彼の体内と循環させ、同時に魔力糸を体内に伸ばしながら毒だけを水球まで吸い上げる。
(いける。これなら、毒を取り出せる……!)
分厚い血管と心臓付近を循環させるだけの流れだが、大部分の毒素は水球の中で浄化されて消え失せる。治療中のドワーフの呼吸も目に見えて落ち着いた。
後は包帯の浄化だけで大丈夫だろうと、止血してヴェールヌイの同意を得る。
「後は包帯に任せて大丈夫です。傷が塞がるまで無理はしないで。」
「お、おぅ。分かりやした。」
一息吐いた隙に、あっさりと先程の苦しみが嘘の様に立ち上がり、声をかける間も無く礼を言って階下に降りてしまう。
再び足場から階下を除けば、既に幾人もの毒に侵された怪我人達が居た。
「毒の治療はこちらで引き受けます!毒を受けた方々はこちらへ!」
そうだ、嘆いている暇なんて無い。
出来る事をやらないと助けられる人も助からない。
頭上から届いたマリオンの声は、徐々に追い詰められていた皆の心に響いた。
そうだ、彼女は未だ諦めていない。この場で一番か弱い少女が諦めていないのに自分達が先に膝を折るなど情けないにも程がある。
「全く。本当に彼女がいると簡単に悩みが解決してしまう。」
士気の低下を肌身に実感していたジグラードは、思わず苦笑して肩の力を抜く。
勿論マリオンの覚悟や努力を軽く見る心算は無いが、自分達が困った時には必ず彼女の手が届く。つい頼り過ぎてしまいそうだと口元がにやける。
「無理に止めようとするな!かち上げるか叩き落せ!」
「同時に行くぞ!タイミング合わせろ!」
周囲では皆が冷静さを取り戻し、個別に対処していた一同が自主的に息を揃え出す姿が其処彼処で見かけられる。
こうなれば手数で劣る三尾蠍は全てに対処する余裕も、先程の様に手数を増やし続ける様な手段も無い。
(だが消耗戦になれば流石に被害が大きいな!)
三尾蠍も劣勢を感じ取り始めた様だ。鋏角を震わせた蠍が不意に視線を上に向けたのに気付き、ジグラードははっとして焔の剣では無いもう一つの剣を抜く。
「総員下がれ!大技を仕掛けるぞ!」
黄金色に輝くオリハルコンの剣身に描かれているのは、剣の刻印を保護し術式の破損を防ぐための雷竜の模様。
落雷に等しき雷が剣戟と共に荒れ狂い、気付いて振るわれた大鋏ごと砕き、胴体に深々と傷を与えながら蠍の巨体を弾き飛ばす。
「「「「「ななななな、何ぃぃぃいいいい~~~~~~!!!!」」」」」
騎士達が歓声を上げるより早く、ドワーフ達が一斉に驚愕して揃ってマリオンが治療を続ける天井に視線が集まる。
軽く悲鳴を漏らしたのは悪くないと思う。
「ままま、マリオン殿!アレ!あれはオリハルコンの魔剣ですね?!」
怪我人を運んで来たラフレイ老が他の全てを忘れた顔で問い質すが、流石にこんな大勢が聞き耳を立てている場所で全てを明かす事は出来ない。
というよりここで自分が用意した魔剣だと教えたら死ぬほど後が怖い。
まさかここまでドワーフ達が反応するとは思わなかった。
三尾蠍は未だ健在なのに、彼らの頭からは既に忘れ去られている様な態度だ。
「わわ、私じゃないですよ?!」
「あれ程の秘宝が隣国に有って我々が無関心だったとお思いか!」
「わ、私は単に見つけただけです!
精霊達が不自然に集まっている場所が、城の地下室にあっただけです!」
下下と訴えながら事前に用意されていた脚本通りの説明を叫ぶマリオン。
実のところ、あれは剣というより鈍器、武器というより魔法の杖だ。
そもそもオリハルコンとは。伝説に謳われる不壊金属であり、太陽を宿した神々の溶鉱炉によって漸く溶かせ、大地を揺るがす山創りの鎚を用いて鍛えたと伝わる神話の金属だ。
実物があるから加工出来ると証明されているだけの、遺失技術で造られた神具の素材。鉱石という形では、発見されたという記録すら残っていない。
それがオリハルコンと呼ばれる金属の“一般”常識。
当然オークレイル王国にそんな溶鉱炉も鎚も存在しない。オリハルコンを加工する手段は愚か、魔剣を完成させる技術も存在しない。
ので。黄金の状態で成型し、術式部分は魔力糸で穴埋めした。
マリオンを通してオークレイルだけが把握している情報。即ちオリハルコンが極限まで魔力を溜め込んだ純金だという事実。
つまり金の状態で加工し、オリハルコンに変えれば良いという裏技が成立する。
加工後に魔力糸だけ吸収し金に魔力を満たせば、空洞という名の溝付き黄金剣が容易くオリハルコンの魔剣に変貌する。
文字通り後出しで金属の性質を変化させられる、マリオンならではの荒技だ。
(う、うん。必要性は認める。正直、敵があの時の呪いの本体なら既にミスリル糸を破壊しているからな。ミスリル武器が破壊される可能性は十分にある。
だが絶対に作って良いのは、絶対に許可した分だけだからな?)
魔剣の作製を提案した当時のジグラードの言葉が、まざまざとマリオンの脳裏にフラッシュバックする。
「後にしろ!全ては敵を打ち倒してからだッ!!」
即座に全員の視線がジグラードに戻った事にぞわっと恐怖を感じながら。
傷口から瘴気が吹き出す三尾蠍への攻撃を指示していたジグラードは、口以上に雄弁なドワーフ達の圧に負けじと声を張り上げる。
だがドワーフ達は甘くは無かった。
「言質だ!剣を見たい者は、敵を打ち倒して生き残れ!」
「「「「ぅおおおおオオオオオオオオオォッッッッッッッ!!!!!!」」」」」
咆哮の様な雄叫びが洞窟を揺らし。
瞳に炎が宿った全てのドワーフ達が一斉に牙を剥き、獰猛な表情で襲い掛かる。
振動が洞窟を揺らし続け、五人が弾き飛ばされる間に八人が武器を振るう。
硬質な外殻が絶え間無く殴打され、歪んだ傷口に限らず全身に叩き付けられる。
ギギギギッ!と不快な音に載せた呪詛が蠍の口から放たれ、近場の騎士達が耳を塞いで膝を屈する間も、雄叫びを挙げ続けるドワーフ達は突撃を止めない。
「足一本貰ったァ!!」
「その目も弱点だよなぁ!」
「この殻素材に使えんじゃねぇかぁ?!」
「止せ止せ全部砕け!所詮オリハルコン以下のガラクタじゃぞ!」
「そうだな!」
毒に侵された者達も気にせず突撃するので、マリオンは止むを得ず直接糸で患者達を吊り上げる。流石に抵抗はされないし、気付けば大人しくはしてくれる。
だが正直人間側は隣人達の狂気染みた盛り上がりにドン引きしている。
彼らに同調しているのは同じく研究材料を歓迎する魔術師達だけだ。彼らは隙を見ては魔法を蠍に投げ込み、時に負傷者を抱えて突撃と離脱を繰り返している。
序でにこっそり蠍の破片をこの場ならと、研究し始める奴等を蹴飛ばした。
指揮官は何をやっているのかとジグラードが視線を巡らせれば、今デスグレイが戻って来たので思わず顔面を殴り倒す。
「指揮に戻れや!」
「ウッス!」
マリオンは見なかった事にして治療に専念する。
強引に攻めている分、負傷者は増えているのだ。予備戦力と呼べる者達は既に無く、今いる戦闘員が全員戦えなくなったらもうお終いだ。
けど。けれど既に。
「――流れが変わったな。」
両目が砕かれ、脱皮するように頭部が落ちる。いや両目が復活しているあたり、本当に脱皮したのだろう。
先程より一回り小さくなった頭部に、再び斧が叩き込まれる。
三つの毒尾の一本が切り落とされ、歓声が上がる。
全身を振り乱して暴れても、体当たりするように突っ込む小さな生き物達は絶え間なく襲いかかってくる。
細長い生き物達も同様に、小さい生き物の隙間を埋めるように牙を剥き続ける。
黒い怪物は肌を焼く光にジリジリと炙られながら、己という自我が滅ぼされようとしている事態に必死であらがい続けていた。
黒い怪物は恐怖に苛まれながら、己に襲い掛かる生き物たち全てに怒りと憎しみを抱いていた。何故かなど分からないし、興味も無い。
ただ目の前にいる全ての生き物達は、己にとって既に餌でしかない筈だった。
小さな生き物はより大きくなれば襲われる側では無くなり、獲物になる。
それがこの体を得てから理解したこの世の真理の筈だった。
ありとあらゆるモノを食らい尽くしたい。そのために自分の一部を分け、獲物をかき集めて更に多くの餌を得て。ただひたすらに成長を繰り返した。
己に牙を剥いた生き物は全て余す事無く獲物にし続けた。それ以外は何も必要とせず、強いていうならありとあらゆる生き物達が邪魔に感じた。
気に入らぬ者達で腹を満たし続ける間だけ、怪物は多少なりとも満たされた。
なのに最も大きい獲物はどれだけ食べても餌に出来ず、最も旨そうな獲物は最も大きな獲物にずっと庇われ続けていた。許せない。納得がいかない。
お前達は己の餌になるべきだ。
なのに、いつの間にか自分はずっと蓄え続けた分身達を滅ぼされ続け、小さな生き物達に囲まれて奪われ続けている。
もう駄目だ。この群れは食べられない。このままでは己は全て砕かれてしまう。
脱出しようにも群がるこの生き物達が邪魔で、そこら中で己を炙り続ける光が小さな己を滅ぼしてしまう。このままでは駄目だ。塊で逃げなければ。
黒い怪物は使い物にならない頭を捨て、必死で逃げ易い隙間を探す。
――いや。隙を突くだけなら今でも出来る。
一瞬であの最も旨そうな獲物を食らい切ればいい。
直ぐに最も大きな獲物が襲ってくるだろうが、その前に奴が入れない近くの穴に逃げ込めばいい。
炙る光は穴にもあるが、最も旨そうな獲物を食べた後なら耐えられる筈だ。
機会は一度しかないと、黒い怪物は己の腹に殆どの力を移して造り変える。
喉と腹が膨らんだと気付いたジグラードは即座に指示を飛ばした。
「全員下がれ!炎で炙る!」
やや後方で二刀を構えるジグラードは、即座に散開した一同の隙を埋める形で、ミスリルの剣に集めた魔力を解き放つ。
今までであれば正しい指示だった。先程までなら確実に正解だった。
けれど今だけは。
異形の口から天井目掛けて吐き出された、一直線に昇る巨大な蟒蛇を止める事は出来ず。
『させぬとも。』
刺繍鳥ヴェールヌイが広げた翼でマリオンを包み、大口を開けた黒い蟒蛇を櫓の外で受け止める。
焦る黒い怪物の下では凡そ殆どの力を失った蠍の抜け殻が崩れ落ち。構うものかと強引に丸呑みにしようと、衝突の勢いそのままに肉体を歪めて更に拡げて。
マリオンが魔力糸越しに魔力を送り、ヴェールヌイを後押しする。
膨大な魔力に下支えされたヴェールヌイの身体からは、虹色の輝きが一際明るく揺らめいて辺りを照らす。
虹色の輝きを浴びた蟒蛇は全身が燃え盛り、焔を上げて全身を焼き焦がし。
『止めを刺せ、人の子よ。』
翼を押し広げて、地面へと蹴り飛ばす。
「望む、ところだぁぁぁああああッ!!!」
放電を滾らせたジグラードが、弾き落とされた蟒蛇を蠍の抜け殻ごと両断し、荒れ狂う雷を叩き付ける。
断末魔の咆哮が辺りに木魂し、響き渡り。
弾ける雷に打ち砕かれた瘴気の塊が幾度と無く弾け散り。
やがて目に付く全ての黒い怪物達が、悉く弾けて燃え尽きる。
「……やったか?」
皆が恐々と辺りを慎重に見回し、洞窟内に影が無いかと視線を巡らせ合う。
「大丈夫、だよな?」
「どうだ、マリオン。」
ジグラードが此方を見上げて、マリオンはしっかりと頷いて返す。
「この洞窟にはもう、瘴気の怪物は影も形もありません。」
その言葉にジグラードは高々と剣を掲げる。
「この戦い、我々の勝利だっ!!」
戦士達の、勝利の雄叫びが響き渡った。
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