第三章 赤錆連峰王国
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長老達の話をジグラード越しに聞いたマリオンも、概ね他の王族達の意見と同じものとなった。
即ち。ミスティカ妃を蝕んでいた呪いの本体こそが、ドワーフ達の国を荒らしていた蜘蛛と同一の化け物では無いか、と。
元々マリオンは大蜘蛛とミスティカ妃の繋がりを遮断して浄化しただけであり、止めを刺そうとした訳でも無い。そういう意味で呪いに関してはもう問題無い。
だが証言による洞窟内の解決時期も一致しており、ミスリルに弱いという特徴も同様。となれば安易に無視を決め込む事も出来ない。
『確認したいのだが、蜘蛛の本体はどの程度離れていたのか分かるかね?』
『大雑把に王宮程近くでも、一山超えるほど遠くも無かったと思います。
ご懸念通り、洞窟が地下で彼の国と繋がっているので間違いないかと。』
恐らく術者が森か山を彷徨う内に倒れ、呪いが蜘蛛に宿ったのか。
王家内での身内協議の結果、表向きサミュエル王太子を正式に即位させる下準備という名目で、ジグラードが使節団を率いてドワーフ達の国を訪れる事になった。
そして今回の使節団は簡易で事足りる。なので非公式且つ秘密裏に、マリオンもお忍びという形で同行している。
理由は、ミスリルの生産技術を長老達を通して伝えて貰うためだ。
元々一部ドワーフ達にはカモフラージュも兼ねて、ミスリルの製法を条件付きで譲渡する予定だった。
なので説明が必要なドワーフ達は兎も角、関係者を減らしたい自国内で実演するのは色々と不味い。
更に言えば今回は即位準備の際に起きた連絡の齟齬を理由に、長年の慣例化していた条約を改めて整理するための使節団だ。
魔物退治の援軍を送る訳では無いし、国内のミスリル量は増やしたくない。
今迄は兎も角、今のドワーフ達の混乱を他国に付け込まれる訳にはいかない。
少数とは言え、他国の顧客の目はあるのだから。
「さあ見えて来たぞ。
あの中央にある最も高い山の中腹が我らの故郷、赤錆連峰王国だ。」
デボーディン老が駕籠から顔を上げ、峰の中央辺りを指差す。
山肌の階段風の石畳を下るオークレイルの一同が、曲がり角の先から覗いた景色に足を止めずに次々と感嘆の声を上げる。
ドワーフ達は狭い山道に向かない馬車を、普段使いする事は無い。
精々が人力車の馬版というべき代物で、まさに今マリオン達が用いている駕籠付二輪車の事だ。勿論普通の人力車も使っている。
簡易な寝所代わりになり、姿を隠す意味もある。これが安全面に配慮した、王侯貴族としての妥協点になるらしい。
本来であれば荷物運びは殆どの場合人力で行い、護衛も少なく列が間延びし易い少人数用の荷車など却下されるという。
逆にドワーフ達は荷駄のみを用いるだけで、駕籠も基本はドワーフの人が直接肩に担いでいる。車を使う者自体が一人もいない。
長老方も余所行きだから駕籠を使うだけで、駕籠は基本足腰の弱った老ドワーフの為の代物だ。健康な者が望んで使う様な文化は無い。
なので使節団としては必須の駕籠自体が、彼らの本音では好ましくなかった。
(こんな物に頼っていては足腰が弱って、坑道に入れなくなってしまうわい。)
彼らの文化では鉱石の目利きも重要なので、坑道の拡大等は長老が率先して調査に赴く事も珍しくない。
製作専門のドワーフなど、足の動かなくなった者だけだ。
それとこれは今回の道中で初めて行う試みだが、強固な同盟関係をアピールするために、敢えて長老達と並んだ隊列を組んでいる。
これはオークレイル王国の都合というより、彼らドワーフ達に同胞とそれ以外という、種族的な垣根で物事を判断しない癖を付けるための案だ。
「うわぁ……。山頂に森の無い山って初めて見ました。
本当に粘土みたいに赤いんですね。」
赤錆連峰の名に相応しく。波打つ様に連なる山脈の稜線、そして尾根。
木々から露出した山頂部分が悉く剥き出しにそそり立ち、全てが鉄分を帯びた粘土質の岩壁で構成された、見る者を圧倒する巨大山脈。その一端が聳えていた。
「あの山頂付近はかなり寒いのだがな。山肌が鉄を帯びている所為で日中の日の光を蓄えて熱を帯びてしまうのだよ。
結果として植物には、大分過酷な環境が出来上がっておる。」
成程と相槌を打ちながら、生涯初の巨大な山と山麓の広さに、首だけ突き出した様に山を覆い尽くす木々に。何よりも山脈という巨大な大地に圧倒される。
そして国に近付くにつれ、彼らの王国、その独特な影が姿を現す。
そこは谷間に広がる石と洞窟の街だった。
全てが城砦に相応しく、山肌を削り、穴を空けた家々が広がる。
家々の間には道路よりも階段が多く、積み木の様に家自体が道の土台と化し。
国を包む城壁は無く、只平地側の登山路を塞ぐような関所のみ。
天然の要害と山中の人工洞窟。それこそがドワーフ達の王国の真髄だった。
大洞窟に入れば、通気口を兼ねた採光口はその光を反射して洞窟内を照らす。
夜目など聞かずとも灯りに苦労しない、ドワーフ達の技術の結晶が内部都市を明るく、輝かしいものに変えている。
「外の町も変わっていましたが、国の中心は洞窟内だったんですね。」
「その通り。ドワーフは人生の殆どを地下で生きる種族だからの。
実の所、外の町は防衛網と狩猟のための前線基地程度の役目しかない。」
通りでやたら高低差が激しく、駕籠にも苦労しそうな構造だった訳だ。
外の町は、山を最短で昇り降りするための役目の方が重要そうだ。
そこかしこで鎚を叩く音が響き、一際大きな建物に案内される。
「ここは客人用、会談用の宮殿だ。
儂等長老衆は自分の鍛冶場と弟子達がいるからな。」
彼らドワーフは大洞窟を削った穴を住居にして暮らしており、家自体が作品の一つでもあるらしい。
なので人間の様に使用人を持つ事も家族や弟子以外と暮らす事も無い。
成長すれば独立するのが普通なので、長老と言えども身内で管理出来ない程の家には住まないという。
「成程。長老方だから大きめの倉庫を確保しているのだと思っていましたが、作品は人に譲ったり売り捌いているのでしょうか。」
感心するマリオンだが、長老達は揃ってついと視線を反らす。
「という訳で、この館は貴人用だ。君達の滞在中は自由に使ってくれていい。
一階は取引所も兼ねているので食材を買うのもここで行うと良い。」
ドワーフ達には基本客人を持て成すのは短期滞在や入居直後だけと聞いている。
これはドワーフ側に長期滞在する側の生活が分からないからでもある。
彼らにとって同じ洞窟の部族全体が家族の様な関係な反面、常にある程度独立した関係を築いているのだ。生計を立てる術の無い成人などいない。
故に食料の確保も場所は教えて貰えるが基本は自分達で、となる。
まあ交易や持ち込みは長期滞在を見越しているので、然程問題は無いのだが。
「けれど、この人垣は予想外でしたね……。」
「「「うぉおおおお~~~~!しゃ、喋った!精霊の塊が喋ったぞ!」」」
ヴェールヌイの事では無い。勿論今もマリオンの肩にいるが、姿は隠している。
問題は、マリオンが溢れんばかりの精霊に囲まれ、精霊眼の持ち主には光源の塊にしか見えないと言う点だ。
ドワーフという種族は他種族からは半精霊などと噂されており、言わば種族全体が妖精眼を持っているも同然だったりする。
つまり、マリオンは出歩かなくても目立つのだ。
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予想外の注目度に当初のお忍び計画は頓挫したが、開き直って歓迎の宴では顔をフードで隠し、最初だけの出席でお茶を濁したマリオンだった。
因みに町では既に精霊姫が滞在しているとそこら中で噂になっており、創作意欲の沸いたドワーフ達は其処彼処で金鎚の音を響かせている。
「まあ、これ以上ない友好アピールにはなった訳だし。」
精霊達にはもう少し控えてくれる様に頼んで、簡単な銀糸の遊び場でお茶を濁しているのだが、ドワーフ相手には誤差だ。
気を取り直して今後の指針を相談し、もう下手に取り繕わず用件だけに専念する方向で話が纏まった。よって今日は改めて厳選された長老のみが集っている。
というより、先日来訪した四長老だけだ。
今回明かされる秘密は他の長老達と話す前に、彼らと相談の上でどの程度広めるか決める手筈になった。
「さて。騙し討ちにならない様に最初に明かそう。
こちらの言い分が信じて貰えるか分からなかったので黙っていたが、実は君達が送って来たミスリル糸には我々が作る糸には無い、殆どの精霊達が興味を惹かれるという特徴がある。
その理由、そちらのマリオン妃殿下とは無縁では無いのだろう?」
トロルズ大老が口を開くと、ただそれだけで威厳が溢れ、身が引き締まる。
さしものジグラードとて、緊張抜きに話せる相手では無かった。
だが怯んでいる余裕も、情報を全面開示出来ない事情も此方には揃っている。
何せドワーフ達には諜報に対する理解が薄く、彼らが些事と錯覚した事柄はどれ程口が軽くなっても違和感が無いのだと、先日思い知らされたばかりだ。
「流石はドワーフの長老方だ。確かに我が妃マリオンは精霊の知己により鉱物に対し一方ならぬ知識を得ている。」
「儂は完全な精霊眼を得ておる。」
「?それはどう言う?」
トロルズが差し挟んだ言葉に、ジグラードが惚けた振りをして首を捻る。
「精霊殿が完全な形で見える、という事だ。
実の所、ここに居る四人は普通のドワーフ達がさほど重視しない、精霊との対話が可能な者という視点で厳選された長老でもある。
故に、絶対に在り得んと言わせて貰おう。
精霊と言葉を交わし、契約抜きに対話など、出来ん。」
儂等はそれを知っておると強調され、ジグラードは冷や汗と共に口を噤む。
(詰まりマリオンが、只の精霊の寵愛程度では無いと理解しているというのか。)
オークレイル王国での最近の変事には概ねマリオンが関わっているから、多少の見当は付いているというのが事前の判断だった。
だが精霊との対話が特別と言い切れる彼らがミスリルと精霊の親和性に気付いていないとは考え難い。
であれば先程の手紙の糸の話も、別の意味に聞こえて来る。
「……成程。あなたはヴェールヌイでは無く、私だと言いたいのですね?」
「その通りだよ、精霊の姫よ。他の者達なら兎も角、儂等の眼には、君も人かと疑いたくなるほどには精霊に近い。近過ぎる。
他の者や、精霊に見慣れていない者達なら只の寵愛に見えるかも知れんがな。」
「なっ!!」
ジグラードが自身の勘違いに気付き、隣のマリオンを振り向く。
だが同じく精霊眼を持つ筈のジグラードには、精霊の姿形は見えてもマリオンの異常性までは見て判らない。
「儂等ドワーフは、精霊の恩寵と呼んでおる。
稀にいるのだ。精霊の治療を受けた結果、肉体が精霊に近付く者がな。だが少しなら兎も角、精霊に近付き過ぎて自我を保てる者は居ない。と、思っていた。」
精霊に愛されるという事は、決して利点ばかりでは無いと三角髭のラフレイ老が語る。度の過ぎた寵愛は、時として悲劇を招くと。
そしてトロルズだけが、視線を不可視の筈のヴェールヌイに移す。
『隠す意味は無い様だな。確かに私はここに居る。』
姿を見せたヴェールヌイに、他の長老達は驚いて目を丸くする。
「そうか。トロルズ老も精霊の恩寵を受けていたのですね。」
得心が云ったとジグラードが溜息を吐く。であれば他のドワーフ達が気付かないマリオンの特性や、ヴェールヌイが見えていたのも納得出来る。
「子供の頃に、落盤事故に巻き込まれた事が合ってな。
契約しない精霊は意思が希薄だから、人の言葉が届かんのだよ。精霊に意思を届かせるには契約で意識を繋げるか、言葉を精霊に近付けねばならん。
当然、儂にも無理だ。」
それは恐らく全ての精霊の寵愛を受けたドワーフ達にも不可能という意味で。
「君達のミスリル、そちらのマリオン妃殿下以外にも精製可能な代物であるのか。
先ずは其処から確認したい。」
妃殿下に精製出来る量も踏まえてな、と厳かに告げる。
ミスリルの量産は容易では無い。それはドワーフ達自身が理解している事だ。
防具などと贅沢は言わない。穂先が複数作れるだけでも十分だと、切実な期待がその目には宿っていた。
ジグラードは無表情で立ち上がり、目の前のテーブルにギリギリ載る大きな宝箱を何とか一人で乗せて、箱の鍵を開ける。
「こちら、我々が秘密裏の管理に困っているミスリルになります。」
「…………いや、ちょっと、流石に多くない?」
デボーディン老が割りと引き気味に口を開き、マリオンは溢れる冷や汗に耐え切れず顔を背けた。
※続きは明日、8/5日投稿です。




