第七章 浄化改め破邪の儀式
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王宮に戻ったマリオンの部屋で、今回の襲撃の話を聞き付けたマリオンの秘密を知る者達がジグラードを中心に勢揃いしていた。
「元ストラード宮廷子爵だが、つい数刻前に人間とは思えぬ怪力で牢を破壊して脱走したと報告が入った。大体二人が見学に向かった後の話だったがな。」
状況説明はアストリットが済ませ、ジグラードがその怪物が間違いなく元宮廷子爵だと断定する。死体の方も検めたので間違い無いという。
「それで……、間違いないのか。その、親蜘蛛の存在は。」
マリオンは力強く頷き、自分が確信している旨を伝える。
「では問題の親蜘蛛をどうにかしない限り、呪いは晴れない訳か。」
「いえ、部屋ごと蜘蛛糸を遮った状態で呪いを消せば問題無く。
呪いを辿れば直接親蜘蛛を狙う事も出来ると思います。」
コルネリアに視線で許可を得て、手の包帯を解く。
「ふむ。この手に呪いが残っていないのが証明になる、という訳か。」
先程全員が揃う間に散々説教されたのは伊達ではない。
無論マリオンとしても呪われると分かっていてやった訳では無いが、護衛は専門家なのだから信用するのも役割だと懇々と諭された。
「では、必要なのは結界と破邪の術式ですか。
魔導具の準備は出来そうですか?」
「あ~、実は難航しておる。
属性に応じた宝石を揃えるのは流石に容易ではないわ。」
何せ使い捨てだしの、とデスグレイ先生が顎を撫でると、ふと報告が終わっていないのを思い出したマリオンがギクリと身を竦ませる。
「……おい、何故お主が動揺する。」
「え、えっと。実はジグラード様が気付いたら最初に見せて欲しいと言っていた件がありますよね。
それで急ぎでは無かったので次にジグラード様と会った時に報告する予定だったものがありまして。先にジグラード様だけにお見せするべきでしょうか……?」
何とはなしにマリオン以外の間で視線が交錯する。
「今は気にしなくて良いぞ!この場の全員は一蓮托生だからな!」
「あ、ズルい!」
誰かの叫びを無視して分かりましたと答え、マリオンは急ぎ隣の自室から例の指輪を持って来る。正直下手に黙っているのも逆に不安が過る。
指輪をテーブルに置き、横で砂金をイメージして徐々に固めて指輪を創る。
「それじゃ、ちょっと力を貸してね。」
土の精霊にお願いし、金剛石の結晶を形成する。
「確認をお願いします。オリハルコンの解毒指輪とダイヤ原石です。」
「「「オリハルコン?!」」」
多様な表情で驚愕していた一同が揃って叫ぶ。
「私、実在する金属であれば大体精製出来るみたいです。
精霊の力を借りれば宝石も同様ですね。私が知らない素材でも、イメージさえ出来れば可能の様です。」
深呼吸して一息に報告し切ると、確認していた一同が思い思いに呻き声や小さな悲鳴を上げて頭を抱える。
「ま、待って。ちょっと本気で色々一杯一杯なの。」
「というかオリハルコン?未知の金属でも精製出来るのか?」
「あの、そもそも私必要でしたか?」
順にアストリット、ジグラード、コルネリア。
「そもそも待て。何か?お主は金属の大精霊か何かなのか?
それとも地の大精霊に属するとか、大精霊になると金属が精製出来るのか?
精霊に対する解釈が大分変り過ぎるんだが?」
デスグレイ先生が矢継ぎ早に訪ねて来るが、その辺の認識や知識は誰かに補完して貰わないと分からない。
マリオンの方はあくまで感覚で行っている事で、原理までは理解していない。
全員が等しく混乱して何を言えばいいのか判らなくなったのを見かねて、ヴェールヌイが姿を見せてマリオンの肩に乗る。
『人の理解は精霊とは別物だが、多少は我にも説明出来る様になった。
先ず精霊と大精霊は同じで、相違は無い。
精霊には各々得意分野がある。火の御霊、風の御霊、地の御霊、水の御霊、等の差異の事だが、これは何処で産まれたか次第だ。
汝ら人は、地の精霊の中に希少種として金属の精霊がいると思っている様だが、これは違う。
多くの同じ精霊の御霊が集まった時、一つの高位の御霊になるのだ。それが汝達の呼ぶ大精霊、若しくは精霊王等の事だ。
但し余程一ヶ所に集中する環境が無いと大精霊になるほど一体化はしない。』
環境によって大精霊化するが、割と偶然が絡むという意味だろうか。
『母の解釈であっている。精霊にとっては何となくだが、人には違うだろう。』
「成程、精霊的には大精霊も精霊王も感覚的な違いは無いのですね?」
そうなる、と肯定。あ、じゃあ精霊も大精霊も体格差程度の話だったんだ。
『より高濃度となった土が鉱石で、更に凝縮された土が金属だ。どちらも土の変異であり金属の別形態が土だ。
少量の地の精霊では扱えないだけで、契約者の補助があれば理屈の上では全ての地の精霊が金属を使える。』
「え?私も土を産み出せるの?」
『母は無理だ。土は一つの性質に寄らない。母は安定させないと形に出来ず、性質を一つに絞らないと安定させられない。
だから金属しか出来ないし、他の精霊の力を借りても石止まりだ。』
「せ、精霊的には砂や土の方が難しいのかね?」
『難しいは違う。安定には環境が必要だ。大精霊は動く環境だ。』
(精霊的には棲み分けが違う、かな?上流に棲むか下流に棲むか、みたいな。)
どちらにせよこれ以上は説明も難しいようだ。
精霊的には人の疑問点全てを感覚、と言ってしまう程度の話なのだろう。
「ま、待ってくれ。そっちはもう良いからこっちに応えてくれ。
マリオンは、ミスリルとオリハルコン以外にも未知の金属を創れるのか?知っている知らないに関わらず。
後オリハルコンの性質は詳しく説明をお願いする。」
ジグラード様の反応を見る限り、オリハルコンはやっぱり危険らしい。
『未知も既知も無い。感覚、目分量だ。
名前で呼び分けているのは人の側の都合だから、未知かどうかは精霊とは全くの無関係だ。』
「材質の性質を想像出来るなら、多分作れます。
ただオリハルコンやミスリルはちょっと普通の金属と感覚が違う気がします。」
マリオンが補足すると、今度はヴェールヌイが首を捻る。
『母はそれを区別するのか?
では、オリハルコンは精霊を弾くほど魔力に満ちた金、となるのでは無いか?』
「ああ、成程。だから魔力が抜けると性質が変わったんだ。
魔力が目一杯貯まってると固くなって軽くなったけど、精霊が入り辛くなってたよね。あれどっちも金だったんだね。」
「も、もしかして精霊的にはオリハルコンと金は区別付かないんですか?」
『付く事は付く。ミスリルと同じで、金属は魔力を溜め込むと性質が変異する。
変異前と変異後の違いは分かるが、名前を認識出来るのが我位だ。
我は人間風に言うのなら、ヒヒイロカネの鳥。肉体という名の半身が日緋色金と化した高位精霊だ。』
「「「 」」」「「??」」
ん?金属が精霊?いや、違うか?
精霊の肉体が日緋色金製なのかな?え、あるの?
「え?オリハルコンの事では無いんですか?ヒヒイロカネって。」
「違う!!段違いで違う!!!
簡単に言えば、神がもたらしたと言われる製法どころか実在も不明の金属だ!
日緋色金製と謳われている秘宝や未知の材質をそう呼んでいるに過ぎない。正確な区分すら不明で、事実かどうかも分からない!
オリハルコンは実在が証明されていて製法が不明なだけだ!
例えるなら国が買える金額と国が亡びる金額ぐらい意味合いが違う!」
思わず絶叫しながら防音結界に感謝するジグラードに対し、あっさりとヴェールヌイは否定する。
『我は神話とは無関係だぞ。
実態は昔、日緋色金と名付けられた金属で出来ている、と言うだけだ。
神云々や伝説は誇張されたり誤ったものもある。』
オリハルコン以上の性能を誇る金属、と言う意味で金属の頂点ではあるらしい。
精霊感覚では思った以上に神話が身近なのかも知れない。
「もしかして、神の解釈も昔と今では違ってたりする?」
『我も神と呼ばれるくらい違う。』
「だ、大精霊や精霊王も神と同じ扱いにされるくらい歴史的に曖昧だったり?」
『そうだ。大精霊と精霊王も我にとっては母が居ないと区別が付かない。
だが人にとっては明確に違いがあると分かる。』
(何となく分かってきましたわ。人にとっては重要な知識も、精霊にとっては液体の泡に近い、上辺だけの情報なのですね。)
理解が追い付かず数式とメモを繰り返すラッセル宰相や、技術的経済的影響力への懸念で半ばパニックに陥り掛けているジグラード王子と違い。
周囲への影響を後回しと割り切って情報を整理しているアストリットや基礎知識の足らない侍女長コルネリアの方が情報を分析出来ている様に思える。
マリオンが精霊的な感性だから理解し易いのかと最初は思ったが、何となく単純な話を複雑に考えているのだと思い至る。
「……もしかして、金属だけのマリオンの方が精霊的には半端なんですか?
例えば地の精霊と契約していれば、理論上は私達にもオリハルコンやヒヒイロカネでも精製出来るのが普通、みたいな。」
『日緋色金以外なら、だ。
他は変化度合いを人が理解出来ないから、精霊には要望が伝わらない。
勿論要望を伝えられても、魔力不足なら失敗する。』
「「「ッッッ!!!」」」
(やっぱり!思考が精霊的なだけで、生物としてのマリオンは完全に人なんだ!)
精霊の感覚が実感出来る。それだけがマリオンの異才であり、本質だ。
「ん?日緋色金は、地の精霊でも出来ないのか?」
『出来ない。あれだけは人の手が必要だ。』
ジグラードはふとその一言で、別の可能性に気付く。
「ヴェールヌイ様、ヒヒイロカネやマリオンに関わる話で、彼女の安全の為に今後偽りを口にして頂く事は可能であろうか。」
『不可能だ。』
「ジグラード様?」
不可能。そうか。今迄何故これ程色々教えて貰えるのかと思ったが。
(精霊は独立して初めて人格を有する。
詰まる所、言葉を理解しているのでは無く、識別しているのか!)
ヴェールヌイは口が軽いのではなく、マリオンが必要とする情報を選択しているだけで理解している、という解釈が既に違う。
「では、マリオンの安全の為に、日緋色金に関する情報は口を噤んで下さい。」
マリオンに意図を訊ねたのか、ヴェールヌイは首を捻る。
「我々以外あなたが何の精霊であるかも口を噤んで欲しいのです。
無論金属の精霊であると、土の精霊の一種である、までは構いません。ですが御身の体の材質について、精霊である以上の発言は控えて欲しいのです。」
『沈黙か。なら可能だ。』
「感謝します。」
問題の一つは解決したので、残る問題を順に検討する。
「では、不足している素材は全てマリオンに揃えられるか確認しよう。
使い捨てならばむしろ都合が良い。元々揃わなかった事にすれば、後々出所不明の大金が残る事も無いからな。」
「そ、そうじゃな。今全部書き出すから待ってくれ。」
慌ててデスグレイ先生が記載したメモを確認し、マリオンも頷く。
「数日あれば全部精製出来ると思います。
流石に衣装と同時進行では辛いものがありますが……。」
「この際だ、挙式は呪いを解いた後に変更しよう。今回の事は多かれ少なかれ漏れるだろう。成功すれば隠す方が問題になる。
怪我をした事にして、衣装作成が遅れる旨を公表すればいい。」
君もその方が安心して式に望めるだろう、とジグラードが開き直る。
「では折角ですから、ミスティカ妃のドレスも用意しますね。」
マリオンの返事に、全員がきょとんとした後、一斉に笑い出す。
「そうねそうしましょう。それが一番良いわ。」
「全くだ。そもそも治療の内容は全部秘密にしてしまえば良い。
どれだけ豪華であっても後始末出来るなら問題無いわい。」
痕跡が無ければどれだけ豪華な魔導具を創っても問題無いと、太鼓判を押すデスグレイに皆も笑って同意する。
「防護効果のあるドレスは繰り返し使うのが前提ですので、そちらさえ自重して戴ければ問題無いと思われます。」
「「「それは大事。」」」
ドレスに宝石を使うのは当然駄目、と。うん覚えた。
基本方針がまとまり、表向きドレスのデザインや下準備をアストリットが引き継ぐ形で偽装工作を担当し、その間に儀式を終えてしまう事に決まった。
解散後、今日は休む様に言われて急に人が居なくなった夜半。
早めに寝るために侍女達が下がると、マリオンは急に心細くなり顔を枕に埋めて不安を紛らわす。今日は夜の帳が妙に寂しい。
「マリオン、もう眠っているか?」
「ジグラード様?」
先程いらっしゃいましたので、まだ間に合うかと思いましてと侍女のお姉さんが笑顔で立ち去る様を、複雑な表情で見送るジグラード。
本来であれば客がいる間は何人か残る筈だが、何故か今日に限って全員下がる旨を告げて戸を閉じた。
「あ~。何だ、何か君は、気がかりがあるのかと思ってな。」
起きる必要は無いと告げ、ベットの傍らに座り頭を撫でる。
「……私は、余計な事をしているのでしょうか?」
ジグラードは意味が分からないと首を捻るが、ふと思い至る。
「ああ、そうじゃない。君は皆が驚く程貢献しているよ。
だが多くの場合、皆がずっとどうにも出来なかった事なんだ。」
「ですが、皆大変で余計な苦労だと思っている様に思えます。」
苦笑する。実際間違ってはいないのだから。
「その通りだな。だが後回しにして困るのは自分だとも分かっている。
何せ別の手段は多分無い。下手をしたら次の機会も無い。それくらい稀な幸運なのだと我々は経験で知っている。
だからどれだけ大変でも、逃す訳には行かないんだ。」
諦めて楽になれるなら最初から悩まなかった。
「君が居なければチャンスすら無かったんだ。
だから加減して欲しいとは思っていても君を当てにするしかない。少なくとも兄さんが奥方を救う手段は他に無いだろう。
だから必死さ。辛いけれど絶対に逃したくない辛さなんだ。」
上手くいけば全てが叶うかも知れない最後のチャンスだ。
呪いが解けるまで、ミスティカ妃が健康を取り戻せるかも全くの未知数。
「失敗、出来ませんね。」
「私は君に、命と引き換えにして欲しくはない。
多分それは、君と関わりを持った皆が同意見だ。」
それだけは忘れるな、とジグラードが念を押して肩を抱き抱える。
マリオンははい、と頷き肩の力を抜いた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
ミスティカ妃の契約精霊が花の糸を使い切ったと報告が届いた時、既に必要な品はほぼ揃っていた。
花弁が消えた途端に呪いが活性化したというが、即座に持ち込まれた大量の絹の浄化布を使い潰す形でミスティカ妃は現在も小康状態を保っていた。
一通り機材を運び込んだ後、事情を知るジグラード、サミュエル両殿下に加え、実の妹アストリット。補佐としてコルネリアとデスグレイ先生が準備を進める。
部外秘の秘宝もあるとして、ミスティカ妃の侍女達は一時的に部屋の外で待機する事になった。尤も彼女達も手伝える事が無いのは前回で十分理解している。
治療が終わるまで術式を崩す恐れがあるため、完全に入室禁止措置が取られた。
――よって、今回は前回以上に一切の自重は無い。
先ずは床に巨大な破邪の儀式陣が描かれたミスリル布を敷き、天幕にも同様の布が設置されたベットを置く。
更に壁一面を囲む形でミスリル製浄化布を張り付け、結界用の簡易支柱に結ぶ。
八本の支柱はオリハルコン製の短剣となっており、柄に魔力供給用の宝玉が据えられている。
「 。」
この時点で国家予算が破綻する品々が並んだ。ミスティカ妃が白目を剥く。
「上衣だけですが、此方を着て下さいなお姉様。」
「ねぇ待って。コレミスリル混じってない?」
「残念、オリハルコン糸で意匠された障壁衣です。今回の為の使い捨てですよ?」
証拠隠滅も意識した妹の発言に、ミスティカ妃は恐怖を覚える。
「待って。オリハルコンとか加工出来るの?どうやって?」
「証拠隠滅が必要な量を確保する手段など、一つしか無いでしょう?」
妹の本気が心臓に悪い。作業を進める全員が視線を逸らす姿が真実だと告げる。
「この数の魔石を使い潰すなど壮観だな。
儂は今日この日の為に生きて来たのかも知れん。」
非常時でありながら喜色満面にケタケタ嗤う御老体も今日は主役の一人だ。
話の間にもミスティカ妃には破邪の首飾りを付けられ、ベットに治癒効果のある術式布が被せられて、準備万端とベットの上に戻される。
壁の浄化布が苦痛を和らげてこそいるが、妃殿下の呪いは排除する力に反応して活性化しており、その影響は現在進行形で生じている。
本格的な解呪の際は相当の負担がミスティカ妃にかかると予想されており、その為の対策であり配慮だ。
今回彼女も含めた参加者の全員に、簡単な障壁を張れる短杖が配られた。
肝心の解呪手段そのものはマリオンの手に委ねられているが、その前段階。
床に敷かれた破邪の儀式陣はサミュエル殿下、デスグレイ先生、コルネリア達三人の魔力で発動させる。
残る二人は非常時の為の予備戦力だ。
開戦の狼煙は、マリオンと妃殿下の守護者である水精霊によって上がった。
マリオンがオリハルコンを魔力を蓄える電池代わりに用いて金に戻す傍ら、抜き出した魔力糸で三つの花々と浄化布の盾を作って水精霊に差し出す。
水精霊が承諾の意思と共に花々の魔力を総動員して、自身にまとわりつく呪いを引き剥がしにかかる。
と同時に床から破邪の術式が浮き上がり、魔導具としての真価を発揮する。
「く、くぅぅうっ!」
苦痛に呻くミスティカ妃には、破邪布と繋がる魔力糸を顔の硬質化した傷跡に突き立て浅く砕きながら浄化し続ける。
表面とは言え変質し切っていない肌には痛覚が残っているが、一旦患部を引き剥がした後なら即座に傷を塞げる。
繊細な肌の表面には浄化布を添えつつ、薄皮に通す様に魔力糸を通す。
呪いの破片は前回と違い、肌に戻る前に床下の結界により消失し続ける。
部屋全体が結界で覆われ、限りなく聖域に近付いた浄化空間の中では、呪いの浸食速度よりも浄化速度の方が遥かに早い。
(いける!前と違って私自身の負担もかなり少ない!)
前回の回復成果もあり花一つを使い切り、遂に水精霊が自身を侵食し続けた呪いを引き剥がす事に成功する。
『落ち着け。矛先を変えられたら意味が無いぞ。』
水精霊は契約者たるミスティカ妃の呪いへ介入したがったが、ヴェールヌイが忠告して現状を維持してくれる。
が。全てが順調だったのも此処までだった。
「きゃあッ!!」
呪いから突如放電が弾け、始めての直接的な衝撃に皆が弾かれる。
動けないマリオンはヴェールヌイが庇い、皆も障壁の杖のお陰で実際に倒れたのは荒事慣れしていないコルネリアだけだ。
「狼狽えるな!魔導具と我が身を守れ!」
「な、何だと!」
咄嗟にジグラードが一同に檄を飛ばすが、目を逸らさなかったサミュエル殿下が最初に呪いの変貌に気付く。
最も呪いが進んだ右手の甲に亀裂が走り、割れ目が生じてマリオンを睨む瞳の様な傷跡が拡がる。徐々に感覚が蘇りつつあったミスティカ妃の額に脂汗が滲む。
(これは!)
妃殿下の腕全体に浄化布ならぬ破邪布を巻き付けて浸食に対抗する。
大部分が絹とはいえミスリル混じりなので汚染速度は大分遅い。
だが完全にミスリルの布地を用いると汚染が布地に広がらない分、ミスティカ妃の方を侵食してしまう。
(けれど布地への汚染分、ミスティカ様への浸食が弱まる!)
マリオンの魔力にも現状随分と余裕がある。
今用いている浄化布や破邪布の殆どが事前用意した品を操るだけで済み、現状は水精霊用の魔力華に二割近い魔力を費やしただけ。
感覚的な消耗は、総じて三割にも届いていないだろう。
順調を確信したマリオンは脇の箱から取り出したミスリル糸に、魔力糸を繋げて包帯の様に手の甲へと、破邪布を編み上げながら巻き付ける。
当然呪いは布地を引き裂こうと反発するが、ミスリル程の金属が簡単に排除出来る筈も無く、激しい放電が弾け飛ぶ。
(今なら!)
魔力糸を黒目部分に刺して、直接呪いの奥へと破邪の性質に染まった魔力を叩き込むと魔力は奥へと何処までも流れつくような感覚に襲われる。
瞬きの間ながら脳裏には終着点として、真黒く炭化した様な人型と蝕む様に拡がる胞子のような白い何か。そして群がる百や千では届かぬ子蜘蛛の数々。
何よりも、人型の胴から生える様に体を起こしていたのは大きな黒蜘蛛の姿で。
八つの瞳が人の眼球の様にマリオンを怒りの眼差しで凝視した。
(見つけた!!)
腰後ろに差した杭の様に細い短剣を引き抜き、剣身に雷を纏わせてミスリル糸に突き立てる。
紫電がミスティカ妃を超えて蜘蛛糸を伝い、黒蜘蛛に放電を届かせた。
(『ッッッッっ!!!!!!!!!』)
蜘蛛を脅かした激痛が逆流し、室内の浄化布にも火を付けるが、ヴェールヌイが即座に羽ばたき炎を掻き消す。
「強化を!」
声を張り上げながら再び短剣を振り上げ、部屋中に高まる破邪の力を肌身に感じながら、避雷針の如き短剣を再びミスリル糸に叩き付ける。
(『ギィィィィイイイイイイイ!!!!!!!!!』)
再度黒蜘蛛を紫電が襲い、先程以上の放電が洞窟内に弾けると蜘蛛糸ごと黒蜘蛛を焼き焦がす。
先程とは違い、マリオンは止める事無く魔力を注ぎ続け、発火する蜘蛛糸を通して洞窟中の蜘蛛に紫電を撒き散らす。
親蜘蛛の絶叫が洞窟に響き渡り、瘴気を蜘蛛糸に注ぎ込んで圧し返そうとする。
だが激痛に苛まれて勢いが足らず、洞窟全体の蜘蛛糸に火の手が広がる。
「ッ!!」
燃え盛る炎が呪いを構成する蜘蛛糸を断ち切り、最後の反発と共に洞窟から届く繋がりが途絶える。
「切れました!」
即座に破邪布を操りミスティカ妃の呪い全てを包み込むマリオン。
「おお!やったか!」
「よし!余力のある者は儀式陣に魔力を注ぎ込め!」
直前の衝撃で魔力が尽きたデスグレイ先生が歓声を上げ、ジグラードの声に応じた皆が魔石に魔力を注ぎ込む。
マリオンは妃殿下の神経に繋がる形で魔力糸を走らせ、内側から呪いを引き剥がしにかかる傍ら、傷口に直接治癒効果を送り込む。
事此処に至っては水精霊も遠慮などしない。全ての華を費やして呪いの干渉を打ち払う為に総力を挙げる。
パチリ。と小さな衝撃を最後に、全ての呪いが砕け散る。
ボロボロになった諸々の布地を丁寧に払うと、既に傷一つ残らない白い肌が姿を現す。それは数年振りの呪われる前のミスティカ妃の素顔だった。
「お、終わりました……。
改めて呪い直さない限り、再び呪いが活性化する事は無いでしょう。」
念のためヴェールヌイにも確認して貰い、治療が完了した事を宣言する。
「ほ、本当に?……これで私は、助かったの?」
「そうとも!……もう、もう!これで……。」
信じられないという想いで自分の頬を撫で、呪いの感触が無い肌に涙を零すミスティカ妃に、感極まったサミュエル殿下が妃を抱きしめて咽び泣く。
汗に濡れた体から力を抜き、マリオンも安堵の息を吐いて床に腰を落とす。
「有り難うマリオン……。本当に、有り難う……!」
泣きながら手を握るアストリットに続き、皆が次々と感謝の言葉を述べる。
告げられる言葉に確かな手応えを感じながら、一緒に喜びを分かち合った。
妃殿下に掬び付けられていた呪いの蜘蛛糸は今回で全て失われた。
再び呪いを繋ぐには以前と同じくらい強い衝動が必要となるが、呪い主たる貴族青年は当の昔に力尽きていた。
呪いによって繋がった黒蜘蛛が捕食対象として呪いの核を担っていた様なので、今回の一件で黒蜘蛛はミスティカ妃を完全に見失った筈である。
というより、多分黒蜘蛛は人の見分けすら付いていなかった。
再び呪われる事が無い様に、今度彼女にちょっとした破邪の指輪か何かを作って贈るとしよう。
(それくらいなら、誰にも迷惑はかけないよね…………。)
心地良い疲労に肩の力が抜け。
意識を手放したと気付いたのは翌日、自室のベットで目覚めた時だ。
※続きは明日、7/15日投稿です。2話投稿予定ですのでご注意を。




