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炯目の刺繍鳥  作者: 夕霧湖畔
前編
12/27

呪いの末路2

  ◇◆◇◆◇◆◇◆


 禁呪とは様々な邪法を一括りに表現した言葉で、実は特定の効能に限った言葉では無い。単純に区分出来る程研究がされないからだ。


 これが余所の国なら事情も違うだろう。

 時には不老不死に対する研究の方が一般的かも知れない。

 だがオークレイル王国において禁呪と言えば、殆どの場合で精霊を悪用する術を指す。それ以外に対しては話題にすら殆ど上らない。


 何故ならオークレイルでは日常に根差さない技術が好まれなかったからだ。

 守るに容易く攻めるに厳しい山地に根差し。食糧生産は切実ながら、劇的に枯れる程の小さな土地では無かったが故に。

 戦火の引き金となり得る技術は基本後回しにされがちだった。


 ドワーフと縁が深い故に、外との繋がりが薄くても何とかなったのも大きい。

 自給自足は理想的なバランスで成り立ち、一方で交易により他国に負けないそこそこの製品も用意出来た。

 但し生産力は低く、他国と並び立つには国力が足りない。


 野心家に攻め込まれた事もあったが、欲を満たすには益が小さ過ぎる。

 故に、袋小路と感じた者はこの国から旅立てば良い。下準備さえすればそこそこの財をなせる。大成するには他国で学ぶしか無いが。


 平穏を望むならここに根を下ろせば良い。旅立つ若者も程々に多く、いざとなれば鉱山に家を持てば良い。土地は無いなら作れるから困窮は先ず無い。


 総じて国民性は、無理をせずに身近なものを大切にする。

 故に精霊とも縁深く、気質は穏やかに。

 嫉妬深い者も過激な者も、野心を満たすには大地の財が狭過ぎる。

 故に、精霊は皆に望まれ、愛される。精霊無き土地に実りは期待出来ないから。

 故に、精霊が見える者は祝福され、恵まれる。

 この国が望むものは、常に精霊と共にあった。




 が。見えない触れないものを悪用するためには、先ず対象を認識し発見する必要があるという点を、精霊の恩恵を受けている人々は見落し易い。


 魔術と精霊は実の所、然程相性が良くは無い。魔術は言わば無駄を弾き、精霊はむしろ溢れた自然という性質上、無駄の方が近い。


 この矛盾を埋める方法が禁呪であり、故に禁呪は、如何に精霊を捕らえるかにかかっている。魔術で叶うなら、元より精霊など不要。

 精霊に親しまれるなら、元より禁呪など不要。

 精霊は己を糧と見る者を魂で認識する。


 だから、精霊を捕らえるには罠が必須で。

 罠を作ろうとする者には近付かなくて。

 道具にも魔力という悪意の匂いが移って。


 結局の所結論は、禁呪には人である限り届かないのだ。

 精霊を糧とするには、精霊を糧に出来る存在が、先に必要なのだ。


  ◇◆◇◆◇◆◇◆


 幸いにも何とか魔力を抜けたので、報告は後日にした数日後。


 裁縫工房の見学準備が整ったので、アストリットと馬車に乗って生まれて初めての街の景色を驚きの目で見回す。窓から顔を出せないのがとても残念だ。


 けれど馬車に張られた硝子は宝石にも負けず劣らぬ高級品なので、外に出ずに外を見て回れるだけ幸運だと思わねばならない。

 何せ街を歩く人々の一部は、多くないとはいえ次々と目を見張って馬車を見つけると、驚きの顔で眺めている。


 それもその筈。

 マリオン達の乗る馬車は人工物とは思えないほど精霊が集まっている。

 町中で精霊を見かけたら、その日は一日幸運が訪れると言われているのだ。

 きっと彼らの中には、今日初めて精霊を見た者もいるだろう。


「まるで精霊眼の発見器ですわね。

 まさかここまでお忍びに向かないとは思いませんでしたわ。」


「せ、精霊を隠す魔導具に心当たりは?」


「あり得ませんね。精霊は多ければ多いほど良いのが一般常識です。

 人の多い場所ほど精霊は少なくなる傾向があるので、精霊を隠すような動機など犯罪絡みしか在り得ません。

 王国は発見次第破壊するでしょうね。」


 精霊は本来人懐っこくありませんよ、と自分にも群がる精霊を放置しながら注意するアストリット。精霊は触らせて貰えるのであって、触れる相手では無い。

 気が向かないと精霊眼の有無関係無く、人の体をすり抜ける。

 精霊を捕縛する手段は禁呪しかないのだ。


「着きましたわね。」


 馬車の戸が開くと階段と手すりが出て来て、車を降りるのがとても楽だ。

 目の前に広がる建物は煉瓦で出来ていて、清潔感溢れる二階建ての邸宅だった。


 騒音に配慮したか周囲は塀で囲まれ、中は中庭のある四角形。四面毎に担当している作業内容が独立していた。

 正面事務所は客対応、二階は其々の部署の受注と生産を管理する書類資料を扱うのだとか。今回の目的地では無いのでさらりと流す。


「二階側はあなたの夫が担当するのでしょうが、まあ今は下の階を管理する部署と覚えておいて下さい。

 ただ上が分からないと下の仕事が出来ない事もあります。」


 そちらは後日と、先に下の階を回ると告げるアストリットは、とてもシンプルな服装でロングスカートとは思えない軽快な足取りを見せる。

 服装に限って言えばマリオンも近いものがあるが、布地に膨らみや余裕を持たせているマリオンと違い。アストリットは細身を強調するかの様に平らな一枚布を束ねた様な服を着ており、周囲の人々からそれが平民に近い装いなのだと察する。


 多くが汚れた服を纏い、皆が袖口を絞った服か袖の無い一枚生地の服を着ている者達が多い中、全員が昔のマリオンよりも整った服を着ている。

 今更ながらに昔の扱いの悪さを思い知り、彼の家の非常識振りを理解する。


「貴女は糸の大部分を自分で用意しているそうですが、色はどうしていますか?」


「染料がある時は壺に糸を通して、無い時は土か花の精霊にお願いします。」


「そう。じゃあ糸を乾かす時間とか、貴女は知らないのね……。」


 無言で天井を見上げる時のアストリットは、常識のズレを呑み込もうとしているのだとマリオンは学習している。


「一般的に染物は、糸を染める先染め、生地を染める後染めがあるわ。

 けれど私達付与魔術師は、後染め生地には関わらない方が多い。」


 何故か判るかと問われ、マリオンは少し生地染めという作業を想像する。


「術式を編み上げた後に、色を染めるのが難しいから?」


「ええ、正解よ。

 浄化術式を成立させた際に、色を汚れとして認識してしまう時があるの。

 裏生地に術式を編み、表生地に後染め布を使う時もあるけど、一体化に失敗すれば同じ理由で色が落ちてしまうわ。

 でも糸自体が術式の一部と化す先染めなら、その心配は無い。」


 よって貴族用は先染めが主流となるが、庶民は逆に後染めの方が圧倒的に多いらしい。染色だけなら柄布は圧倒的に後染めの方が楽だそうだ。

 勿論染料の種類は大きく影響する。精霊にお願いする時とはそこが違う。


「後染めの利点はこっちの服を見ると分かり易いわ。

 こんな感じで一枚布に絵を描ける。一々糸の組み換えを意識しないで複雑な模様が描けるのが一番の利点ね。

 手間が少ないという事は、費用が安く済むという事よ。」


 見せられた布地は正に絵画と呼ぶしかない複雑さで、今迄のマリオンのやり方では到底再現出来ないだろうと確信出来る。

 こんなに凄い布が安いと言われても、全く見当が付かなくて首を捻るのだが。

 それは後染めの中でも特に高い生地よと苦笑され、顔を朱に染める羽目になる。


「で。この建物は染色房、織物房、縫製房に分かれているわ。」


 順番に巡っていき、染色房は先程言った糸染め用の一角で。染料と糸の種類や、実際の染め方等の説明を受ける。

 後染め生地は技法も色々あるが、こちらは他を覚えてからの話だと簡単に済ませて次に進んだ。因みに部屋を広く沢山使っていたのは後染めの方だった。

 貴族向けの工房だけあって、高級品が所狭しと並んでいる。


「で。あなたが全部手作業でやっているけど、原理が分かった上で普通の付与魔術師が使うのがこれ、織機よ。

 一般的な付与魔術師は、これ使って出来ない生地を使う事は無いわ。

 服飾付与魔術師なら大抵は自分用の織機を持っているくらい、一般的な道具。私も自分用の機織りを持っているわ。」


「四角い生地以外は出来なそうに見えるけど……。」


 何か不便そうというマリオンの感想に、作業中の人全員が振り返る程驚かれた。


「その辺は技よ。ちゃんと専用の技法もあるし、織機にも種類があるわ。

 それはさて置き。貴女の感じた不便さは大体、魔力を流さない糸を使い慣れていないからよ。普通は服を完成させてから魔力を流すの。

 魔力の通りは最初から計算するけど、布地の段階では魔力が通っていない方が多いの。だから最初から魔力の宿った生地は扱い方も変わる。

 これ後で重要だから、覚えておきなさい。」


 アストリットが立体の欠点、分かって来たわと小さく呟き次に促す。

「最後は縫製房ね。ここで布地を裁断したり縫い合わせる、服を完成させる縫製作業全般を行うの。魔力を流すのはこの段階で初めて行うわ。

 魔力を通す部分だけ完成させて流す方が多いわね。

 完成させてから魔力を流して、服全体に循環したら成功。

 普通の服飾付与ならこの程度で良いの。」


 これが基本的な手順ね、とアスリは笑顔で一旦区切り。防音室へ入る。


「貴女最後の縫製作業、普段どの程度やってるのかしら?」


 ハサミ使ってる?と例の無表情を両立させた笑顔で訪ねるアストリット。今回は怒りの感情を隠している訳じゃないのは一応安心して良いと思いたい。


「あ、あまり……。魔力で縫えば普通に切れるし、編む段階で形を思い浮かべているから最初から織る形が円形だったり、三角だったりしてます。」


「それ、本当に貴女しか真似も再現も出来ねぇから。

 ぶっちゃけ貴女の脳味噌スペックが変態的よ?と言うか、それをさせてた某家の連中、貴女に成功させる気あったかが既に怪しい。

 失敗させる気でさせたら成功した所為で、後々も全部省かれたんじゃない?」


「ま、真似するための服は見せて貰ってたし……。」


 顔近い顔近い。と言うか某家の話するアスリって背筋がチリチリするの。


「あ~。ひょっとして貴女、型紙で夫の服に使った生地と近い形状を選べって言われたら出来なかったりするのかしら。

 カーブを意識した型紙が選べなかったり?」


 棚から取り出した見本用の型紙を並べられるが、成程確かに平面にされると良く分からない。


「そっか貴女のやり方って、最初から立体しかイメージして無いのね。」


 平面の布を扱う知識も技術もある。けれどあくまで連想するのはどう使うかで、形状に合わせた布を使うという発想が無いのだと言う。

 某家の頃に糸を創造する真似は命に係わるので避けていたが、寸法を踏まえた服を作るより随所で寸法を調節する工夫をした服を作っていた方が多い。


(そっか元々ある生地を調整して使うより、同じ形の生地を沢山用意した方が同じ物を作り易いんだ。)


 不揃いの生地を調整して使うより、最初から揃えた生地を使う方が早い。

 それが型紙を使う意義なのだと漸く気付く。


「そう言えば、糸ってここで作って無いんですよね。

 糸にも何か作り方のコツが?」


 ふと気付いた質問をすると、何故かアスリが派手に仰け反る。


「も、盲点だったわ。

 まさか貴女、糸が何で出来ているか知らなかったりするの?」


「?いえ、虫の蛹とか、植物の一部とかですよね。

 あ、動物の毛もあるんでしたっけ。」


(もしかして感覚が精霊視点?!)


「糸は外注で構わないから、現地で原料を紡がせて、糸にした方が運び易いのよ。

 畑や牧場と契約しているけど、都の中で作ったりはしないわ。」


(蚕とか製法自体が秘密になっているってこの娘にも教えとかないとね~。)


 そもそも糸の複製は本来、指輪程度ではあっても魔道具無しに出来ない。

 マリオン視点では糸の性質を掴んで初めて複製が可能となるので、複製に成功した段階で何素材か分からないという事態が在り得ないのだが。


 互いの魔法技術に対する理解力不足もあって、魔道具無しの糸複製自体がアストリットの想像の外にあった。


 デスグレイ宰相も魔道具無しで術式を再現出来るから可能な技術であり、自身も若干は出来る技術であるが故に。術理が違うとまで気付くには至っていない。


「糸については別の許可が必要だから次回以降よ。

 けれど大抵の付与魔術師は、糸を購入する事は有っても糸の製法を知っている訳じゃないわ。

 後製法が秘密になっている糸もあるから、その辺知らない内は誰彼構わず聞かない様に気を付けて。」


 聞くなら場所を選んで、私みたいに分かる相手に、ね?と念押しするアスリ。


 一方でアストリットは決意した。マリオンに質問する場所は特に注意しよう。

 彼女は部外秘の情報を自分が知っていると、理解していないかも知れないのだ。




 一通りの見学が終わると、アストリット視点でもある程度マリオンが分かっていない点が把握出来たらしい。

 アストリット用の執務室から幾つかの資料を選び出し、今後はこの教材を中心に教えていくと予習用に何冊かを手渡された。


 馬車に乗り込み宮殿に戻るため馬を走らせ、アスリが再び口を開く。


「で、今日は先ず一般的な作業手順を、覚えている範囲で全て記しておきなさい。

 時間があったら自分の作業手順も比較出来る様にノートにまとめておくのが次回までの課題ね。」


 別々の課題だから両方一遍に進めようとしたら駄目よ、と念押しされる。

 ええ。と頷いたマリオンが外での騒ぎに気付き、次いでアスリが窓の外へ視線を向けた辺りで、不可視化していたヴェールヌイがマリオンの肩で姿を現す。


「ヴ、ヴェールヌイ様?」


『母よ、敵が来た。奴は此方を狙っている。』


 ヴェールヌイの出現に驚くアスリだったが、敵という断定にそれどころでは無いと判断したマリオンは、ヴェールヌイに分かる範囲で状況を口に出すよう頼む。

 多分それが一番早い筈だ。


『呪いの塊が精霊を食らうために近付いている。

 奴は既に生き物の枠を逸脱し、最も精霊が集まり最も力を増すだろう母を喰らうためにこちらに狙いを定めた。この箱の中では身を守る事もままならん。』


 人目にヴェールヌイを曝す事になるので、アスリに視線で確認を求める。


「そうね、マリオンはこの帽子で顔だけ隠すようにしておいて。」


 手渡されたベール付きの帽子を被る間に、アストリットはテキパキと籠手を着け盾を構え騒ぎの方角から外に出る。


 扉を開けた途端、むせ返る様な激しい気配に怖気が走る。まるで悪意が黒い霧となって吹き付けたかの様だと、外を伺う身が竦む。

 だがマリオン以外は誰も気付かない様子で、ヴェールヌイだけがそう言うものだと感覚の違いを仕草で応える。


『案ずるな。この程度の相手ならどうと言う事も無い。』


 アスリが護衛達に指示を出して集結させる間に、マリオンも階段梯子を降りる。

 護衛達が円筒を割ったような盾を構えて周囲を警戒しているが、人垣を遮るだけで何が起きているかは把握出来ていないらしい。


「ああもう!避難誘導は出来そうに無いの?」


「無理です!一ヶ所に留まっていないようで、人手も足りません!」


 精霊達も今は普段より少なく怯えているのが良く分かる。けれど力は貸してくれるので何とかなりそうだ。


「ねぇ、避難誘導が出来るなら何とかなりそう?」


「ええ……って、何か出来るの?」


「突風を!」


 頷いて魔力糸を風の精霊に手渡し、妖気の溢れる方角へと突風を巻き起こす。

 人々が何事かと突風の方角を向くと、虫の様に手足を曲げて壁に張り付いた人影を皆が揃って目の当たりにする。


 人影がマリオン達を発見して路上に飛び降り、走り出すと人々は一斉に突風が突き抜けた方角から外れた方向に散っていく。

 思わずアストリットが成程、手っ取り早いわと呟き我に返る。


「総員、迎え撃つわよ!」

「「「ははッ!!」」」


 一方で四つん這いのまま瞬く間に距離を縮める人影に護衛達が矢を放つが、影は住宅の壁に引き寄せられるように張り付いて無傷で躱す。


(今!)

「火を!」


 こちらに向かって飛び跳ねた瞬間を狙い、全身に魔力糸を絡めて精霊の力で火の帯へと変えて謎の人影を燃やす。

 道路に倒れ込んだ人影は、火を嫌がる様に糸を振り払った。


「弱っ!《ファイアランス》!!」


 思わず叫んだアストリットが、しかしそうかと短杖を取り出して。盾の上から放たれた火の渦が貫く。

 炎に包まれた人影はしかし、悲鳴の様な咆哮を上げて妖気を撒き散らして炎を掻き消すと、今迄碌に形の分からなかった人影の姿がはっきりと見えた。


「く、蜘蛛ぉ?!」


 それは囚人服を纏った男の姿をしていた。しかし誰もが人と見間違う事は無い。


 その頭は、蜘蛛の顔と八本足同然に動く髪があった。後頭部からは蜘蛛の腹部が首筋に刺さる様に同化しているのがはっきりと見えてしまう。

 その鋏角は忙しなく動き、複数の瞳全てがマリオンを見ているのが分かる。


「あれは一体何……?」


『あれはかつて母の父と呼ばれていた者の末路だ。』


「なっ!そんな、あれが元人なの?!」


 目の前の怪物が元ストラード宮廷子爵だと聞かされ、信じられないと繰り返し頭を振るアスリに、ヴェールヌイはそうだと肯定する。


『禁呪とは精霊を捕らえられる魔物の力を我が身に宿す術だ。

 必然的に人と異形の境界が揺らぎ、やがて精霊を喰らう異形そのものになる。』


 悍ましさすら感じる醜悪な姿に、その場の全員が身を竦ませる。

 狙い澄ましたかのように吐き出す糸を、咄嗟に魔力糸が叩き落す。護衛達も弓矢では効果が薄いと悟り、全員が槍か剣に持ち替えている。

 けれど、ここで逃がしてしまうのも拙いのだろう。

 父と聞いても実感が沸かないが、間違いなく危険な存在なのは肌で感じている。


 が、硬直状態は長く続かない。護衛の一人が周りと図って槍を投げたからだ。

 飛び退いた瞬間を狙い槍が繰り出され、しかし強引に振るった腕が伸びて近付いた護衛を弾き飛ばす。伸びた腕が砕けて千切れる。


「ぐぁ!」


 弾き飛ばされた護衛を突風でしりもちに済ませ、直後距離を詰めた蜘蛛男の突進は盾で弾かれるが、次の瞬間口から瘴気の渦が弾け飛ぶ。


『無駄だ。』


 ヴェールヌイの羽ばたきが瘴気を一蹴するが、至近距離で放たれた瘴気に宿る悪意は、マリオンに常軌を逸した食欲を叩き付けた。

 自分が生きたまま食われたかのような錯覚を受けたマリオンは、恐怖に足が強張り膝が崩れ落ちる。

 直後マリオンに襲い掛かった蜘蛛男の間に護衛の一人が割って入る。


 護衛の頭を噛み砕こうとした蜘蛛男の鋏角を咄嗟に掴んで阻止するが、手袋越しの手を容易く引き裂きマリオンの手に傷を付ける。

 膨らむ霧の様な瘴気が弾けると同時に手の中の鋏角が消え、背中から倒れ込む蜘蛛男はヴェールヌイの尾羽によって短冊の様に縦に断ち切られていた。


『無茶をするな。』


 異形の父から溢れ出す血と思しき体液は緑混じりの黒で、既に人のものとは似ても似つかない。

 ヴェールヌイの尾羽は刃の様に薄く鋭く変化していたが、血の跡と思しき陰りは欠片も見いだせない。

 瘴気か毒が付着しているかと思ったが、どうやら一切心配要らない様だ。


「マリオン!なんて無茶を!!」


 慌てたアストリットがマリオンの手袋を取り、布を巻いて止血する中、マリオンは先程蜘蛛男越しに感じた別の蜘蛛の気配から意識を逸らせないでいた。

 今のは一匹じゃなかった。蜘蛛男に繋がる糸の先、子蜘蛛の群れを糸で従えた親蜘蛛、屍を苗床にした、子蜘蛛達で築かれた蜘蛛糸と屍の砦。

 そこに、親蜘蛛がいた。


(……あの屍だ。そうだ、屍に巣食う親蜘蛛の糸だ。)


 あれが呪いの発生源。

 当然だ、どれだけ注いだところで啜り続けるものがいる限り治らない。


「マリオン!聞いてるの、ねぇ!大丈夫なの!」


 鼓動が落ち着くと身体を揺さぶるアストリットの声も徐々に耳に届いてくる。


(ああ、また心配かけてしまった。)

「ええ、大丈夫。少し、動じてしまって。」


『何を見ていた。』


 怪訝な顔をするアスリを余所に、ヴェールヌイが何を感じ取ったのかと訊ねる。

『親蜘蛛がいたわ。子蜘蛛と繋がっていて、多分今回の禁呪の源で、ミスティカ妃様にも繋がる呪いと同じ源。』


「え?ちょ、ちょっとどういう事?」


 アスリの顔を正面から見つめ返し、肩を掴んではっきりと断言する。


「ミスティカ様の婚約者の屍に巣食う親蜘蛛。それが呪いの源なの。」

※次回、文章量の都合により7/14日の金曜投稿をします。

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