次女と第一王子①
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「さて、セレス、君が使った花のことだが」
「すみません、お父様。せっかく綺麗に飾ってあったのに勝手に使ってしまって」
いくら疲れていたとはいえ、一言、父か母に言うべきだったのかもしれない。
ひょっとしたら誰かの大切な花だったのかもしれないのに。
「いやいやいーよ、そんなの。この屋敷にあるものは好きに使ってくれてかまわないんだ。侍女だって止めなかっただろう?」
「はい」
本当に大切なものなら侍女だって理由を説明して止めてくれる。あの時、セレスが使ってもいいか尋ねた侍女は、他の場所からも集めて持って来てくれた。
「黄色の花は名はネイ、白い花の名はカルシュというんだ。あの二種類の花は、ナーシェル様が必ずこの屋敷に飾っておいてほしいと言っていた花なんだ」
「ナーシェルお姉様が?」
「そうだ。後宮に行かれる前に、ナーシェル様はいくつかの言葉を残された。そのうちの一つが、あの花々のことだ。いつか必要になる。ナーシェル様がそうおっしゃったから我が家は研究を重ね、グレドという町に専用の温室を作って年中花を咲かせているんだ」
「年中ですか?すごい」
「ああ。種をまく時期を少しずつずらして、温度管理もしっかりやっている。他にも肥料の改良とか色々とやっているんだが、クレドではそれを他の草花にも応用して出荷している。おかげで最近は、本来の季節ではない時でも色とりどりの花を手に入れることが出来る。まあ、うちも儲けさせてもらっているんだよ」
花の出荷というのもオルドラン公爵家が手がける産業の一つらしい。
「その町だが、ナーシェル様が育った場所なんだ。僕の曾祖父と出会った場所だよ。ここにいても暇だろうから、よければ行ってみるかい?」
「ナーシェルお姉様の?ぜひ、行かせてください」
セレスと王都との地縁を結ぶために、あえて国王とともに行ったというナーシェルの思い出の場所。
行ってみたい。
「あそこにはナーシェル様のお墓もある。亡骸は取り戻せなかったけれど、ナーシェル様と曾祖父の思い出の品を納めてあるお墓があるんだ。隣には曾祖父の墓もあるんだよ」
せめて亡骸は彼女の生まれた育った場所にかえしてあげたい、ナーシェルの死後、そう国王に訴えたが髪の一房でさえも返してもらえなかった。だが、思い出はある。曾祖父はその思い出の全てを墓にしまい込んだ。
「セレス、二人のお墓参りに行ってくれるかい?」
「もちろんです」
可愛い妹がお墓参りに来てくれたのなら、ナーシェルも喜ぶだろう。
「じゃあ、父様はちょっと護衛を雇いに行ってくるよ」
「護衛ですか?」
「もちろんうちからも付けるけど、ちょっと心当りがあるから確保してくるねー。そろそろ会わせてあげないと暴走されても困るし」
オースティが最後の方に言った言葉は、声が小さくてセレスには聞こえなかった。
「お父様?」
「なんでもないよ。じゃあ、出かけてくるね」
「はい。いってらっしゃいませ」
笑顔の娘に見送られて、父は足取り軽く出かけて行った。
オースティが出かけ、クリスティーンとラウールも親類の家に行ったので、オルドラン公爵家にはセレス一人だけが残っていた。
薬作りも一段落ついたので、休憩も兼ねてセレスは庭を散策していた。
「なるほど、君がそうか」
聞き慣れない声に振り向くと、一人の青年が立っていた。
「……ジーク、さん?」
一瞬、ジークフリードかと思った。それくらいよく似ている。
ただ、ジークフリードの瞳がアメジストなのに対して、青年の瞳はエメラルドグリーンだった。
よく見ればジークフリードよりも若いし、よく似てはいるが別人だ。
「違うな。私の名はアルブレヒト。君に謝りに来たんだ。母と弟が迷惑をかけた。特に弟は君を無理矢理連れていったそうだな。すまなかった」
アルブレヒトと名乗った青年は、セレスに向かって頭を下げた。
「あの、頭を上げてください。それに貴方のお母様と弟さんって?」
「私の弟はルークだ」
ルークはこの国の第二王子。ならば兄だと名乗ったこの青年は……
「王太子殿下?」
「そうだ」
アルブレヒトの言葉にセレスは驚愕して慌てて礼をとった。
「申し訳ございません、王太子殿下。セレスティーナ・オルドランでございます」
「君こそ楽にしてくれ『ウィンダリアの雪月花』、我が国でもっとも大切な姫君」
アルブレヒトは微笑むと、セレスの手を優しく取った。
「君と少し話がしたい。あちらにテーブルとイスがある。そこまでエスコートさせてくれ」
「はい」
あまりにスムーズにエスコートされたので、セレスは断る隙もなくそのまま連れて行かれた。
庭の一角に置かれていたテーブルの上には、すでに紅茶やお菓子が用意されていて、セレスはアルブレヒトと向かいあって座った。
これだけの用意がすでにされているということは、王太子がここに来ることを父も承知しているということだ。
「君がここにいてくれて助かったよ」
「どうしてですか?」
「以前から君に会いたかったのだが、さすがに王太子が気軽に君の家に行くわけにもいかないからね。私が出掛けるとなると、護衛たちの手配がいる。その他にも色々と対策をしてからじゃないといけないからね。オルドラン公爵家なら最小限で済む」
王太子としての自覚を持って生きてきたアルブレヒトは、それが当り前だと思っていた。だが、その上の身分である国王がものすごく気軽にこの少女に会いに行っていると知って、軽く悩んだ。相手が『ウィンダリアの雪月花』ならば仕方がないのかな、と思ったが、ヨシュアから「先輩は昔からあんな感じッスよ」と言われて、尊敬していた王のイメージが少しだけ崩れた。
「母と弟には大人しくするように言ってあるが、どんな行動に出るか分からない。全く、振られたのなら大人しく君の幸せを願っていればいいものを。君も十分に注意してくれ」
「はい。ありがとうございます」
柔らかく微笑む、銀色の髪と深い青の瞳を持つ少女。これが当代の『ウィンダリアの雪月花』。
叔父である王が夢中になり、弟が何としても手に入れたいと願っている少女。
アルブレヒトは、自分がセレスに会った時はどうなるのだろうかと不安に思っていた。
弟のように彼女がほしくなり、国王と対立することになるのだろうか。それとも国を乱す魔女だと忌避するのだろうか。
結果は、そのどちらでもなかった。
確かに、セレスに対して庇護欲は感じる。
彼女を守らなければという気持ちにはなるが、手に入れたいという強烈な想いはない。例えるならば、妹を守りたいというような感じだ。
「セレスティーナ嬢、私が君に感じるのは、家族のような思いだ。兄として妹を守る、私が今感じているのはそんな思いだ」
「家族ですか?」
「あぁ、ルークのように絶対、君に傍にいてほしい等という気持ちではなく、君が幸せなら遠くにいてもかまわないと思っている。ルークが持っているような強烈な想いはないな。どちらかというと穏やかな気分だ。もちろん、君に何かあれば全力で守るが、君に対して邪な気持ちを抱かないと約束しよう」
生真面目そうなアルブレヒトの言葉に、セレスはくすくすと笑ってしまった。
「ご兄弟でずいぶんと違うのですね」
「そうだな。だが、過去を紐解いても、恐らくだが私と同じ気持ちを持っていた者は多いと思う。君はティターニア公爵家に逃れたという雪月花のことは知っているか?」
「少しだけ師匠に聞きました」
「彼女を逃がしたのは、当時の王妃だ。ティターニア公爵の姉だった王妃は、当然ながら王族の血を引いていた。『ウィンダリアの雪月花』を憎むのではなく、その身を案じた王妃が王と対立してまでも守ったのだ。今の私なら、彼女の気持ちが理解出来る」
余命幾ばくもない雪月花が外に出たいと願ったのならば、叶えてあげたかったのだろう。
「これは、私の私見なのだが、長い年月の間に王家の血が広がった結果、薄くなった血が、私のように強烈な想いを持つのではなくふわっとした思いを持つ者を多く生み出したのではないのかな。そして、より強い想いを持つ者を同時期に複数生み出すこととなった。ナーシェル嬢の時、当時の王とこのオルドラン公爵家の子息がいたように」
そしてそれは目の前の雪月花も同じことだ。彼女には、叔父と弟がいる。
出来れば可愛い弟と想いを交わしてほしかったが、彼女はルークを拒んだ。残念だという気持ちはあるが、選ぶのはセレスなのだから、それは仕方のないことだ。
もっとも叔父にしても、まだ彼女を手に入れていないので、ルークのこれからのがんばり次第では可能性もなくはない。髪の毛一本分くらいだが。
今現在、叔父はさっさとこっちに国王の座を渡すべく、ものすごい勢いで仕事を回してくる。
貴族院も国王の、約束を果たすためだ、という言葉で何も言えなくなっている。
アルブレヒトは、誰だ、そんな約束をしたやつは!と正直殴りに行きたくなったくらいだ。
それもこれも、全てはこの少女の傍にいるため。
「君にもいるだろう?」
「え?……はい」
セレスはジークフリードの素性を、何となくだが分かっているつもりだった。
高位貴族の当主だと言っていたが具体的な家名を聞いていなかったので、気が付かないふりをしていた。
ジークフリードは、王家の血を引いている。
そうでなければ、目の前の王太子と似ている理由が付かない。
心のどこかでそれを認めたくなかった。
ようやく自覚したジークフリードへの想いは、王家の血を引く男とウィンダリアの雪月花だからこそのものなのだろうか。
この気持ちは、自分がジークフリードと過ごした中で生まれたもののはずだ。
血によって縛られたものではない。
そう信じたいが、ジークフリードがセレスに優しくしてくれる理由が、セレスが雪月花だからという一点だけだった場合、彼から離れなければいけないと思った。
ジークフリードを、雪月花の犠牲にすることは出来ない。
「セレスティーナ嬢」
「はい」
黙り込んでしまったセレスに、アルブレヒトは少し考えてから声をかけた。
「すまない。私の言葉が君に迷いをもたらしたようだな。いいか、血というのはきっかけの一つに過ぎない。ルークもあの方も、君と一緒に過ごすうちに君への想いを持ったのだろう。だから、否定はしないであげてほしい。不安になったのならば、気が済むまで話し合いをすることだ」
心配そうな目で見ているアルブレヒトの言葉に、セレスは小さく頷いたのだった。