次女と魅了の薬の効果
読んでいただいてありがとうございます。たまには、お昼に投稿です。寒いし、雪も降ったので、お気を付けください。
ゆっくりと目を開けると、主の新しいお嬢様が心配そうな顔で覗き込んでいた。
「大丈夫ですか?意識はきちんとしていますか?」
「……はい、お嬢様。大丈夫ですよ」
「よかったです」
セレスがほっとした顔をしたので、どうやら万が一ということは免れたようだ。
「やぁ、起きたようだね。気分はどうだい?」
いつの間にいたのか、オースティがひょいっと顔を出した。
「オースティ様」
「起き上がらなくていいよ」
「はい。申し訳ありません」
「志願してくれたとはいえ、とんでもないことを頼んだのはこっちだ。以前の記録からすると、しばらく身体がだるいそうだから、無理せずに休んでいなさい」
十年前、ほんの数人だが何とか正気に戻った者たちがいた。リリーベルと関わりが薄かったせいで、薬の影響下にいながら自我を取り戻せたものの、後遺症でしばらく身体が上手く動かせなかったという記録が残っている。
今回の魅了の香水は薄くしてあったとはいえ、多少なりとも影響があってもおかしくはない。
「正直に申しますと、しばらくは指一本動かせそうにありません」
「そうか」
「はい。何というか、意識して身体を動かそうと思っても、身体の方が未だに己の支配下にないような感じです。主導権を意識の方が握りきれていないんです」
「なるほど。魅了の香水の支配下にある時はどんな感じだったのだ」
「そうですね、もっとひどかったです。最初の方は、命令されたことに対して拒否しようと思っても今回だけだから、というような気持ちになりました。深くなってくると、だめだと思っていても身体は従順に従いました。その身体に意識が引きずられたのでしょうか、従うのが正しいと思う自分とそれを見ていることしか出来ない自分がいました」
あんな感覚は初めてだった。今まで自分にしかないと思っていた身体の主導権が、別の誰かに握られているかのようだった。
「まるで二重人格者になった気分でしたよ。おそらく最終的には身体と意識、二つが揃って従順になっていたのでしょうね。今回は薄い匂いだったので徐々に支配されていきましたが、あれの濃い匂いを一気に嗅がされたらどうなっていたのか、自分でも分かりません」
確かにあれは抗えない。従うのが、気持ち良かった。そしてそれが唯一の正しいことだと信じられた。
予め実験のことを伝えられて志願してこれだ。知らずにあの香水の匂いを嗅いでいたら、何の疑問も思わずに従うだろう。
「お嬢様、魅了の薬は危険です」
「はい。ですが、たとえ作り方を封印したとしても、今回、私が作れたようにいつか誰かが作ってしまうでしょう。私はもう少しこれの研究をしたいと思います。それこそ最初から無効に出来るような物を作りたいです」
今、この場に実物が存在している。過去の人間が作って、セレスが作れた。同じようにいつか誰かが作れてしまう。
ならば、それがあるのが当り前にするしかない。
怪我をしたら傷口に塗る薬があるように、魅了の薬を使われたらすぐに正気に戻す薬や、あらかじめ服用しておけば無効に出来る薬を作っておけば、魅了の薬そのものが意味のない物になる。
「なるほど、確かに効かないんだったら使う意味がない。魅了の薬を使われたところで、いちいち騒ぐ必要もなくなるね」
「はい。魅了の薬は、重ねて使うことが重要です。最初から効かなかったり、一回毎に無効化されていたら意味はありませんから」
どれだけ匂いを濃くしたところで、完全に狂うまでにはそれなりに時間がかかる。
それまでは、命令に従っていても、無効化されれば正気に戻れる可能性を残している状態だ。
今の魅了の薬では、錠剤だろうと香水だろうと、どんな状態であれ長期間の使用が必要となっている。
「お嬢様、一度の使用で完全に支配下に置ける薬というのは作れるものなのでしょうか?」
「難しいと思います。人の意志はそう簡単に失われませんから。それに、もしそんな薬があったとしたら、それはもう魅了の薬ではなく、人格をなくさせる、いわば生きた人形を作る薬です」
「生きた人形ですか」
「はい。命令したところできちんと動けるのかどうかも分かりませんし、生命活動そのものを継続出来るのかも分かりません」
魅了の薬に支配されていても、食べたり寝たりということは普通の感覚でしている。だが、生きた人形になってしまえば、そういったことも自分で出来るのか分からない。
「そうだねぇ、いちいちご飯を食べろ、とか命令しないといけないんだもんね。手間がかかるだけだ。生活は自分で出来て、何でも言うことを聞いてくれる人間というのが理想だね」
「それが作れてしまうから、魅了の薬は禁薬なんです」
「しかしそれは、何とも面白味のない世界だね」
「支配者にとっては理想なのでは?」
「だが、自分以外の意志が全くなくて、周りはただ称えるだけなんだよ。たとえば、セレスは新しい薬を作れるが僕には作れない。作れない僕が考えること止めてただ賞賛だけをくれるセレスに新しい薬を作れと命令したところで、作ることなんて出来ないだろう。つまり、その時点で世界全体が詰む。現状維持が出来ればまだマシといったところか」
一人の意志だけの世界では、その一人が失敗したら文字通り全て終わりになる。そして、その人が考えること以外の発展が何もない。
いつかどこかで誰かが思いついたり考えたりするから何かが生み出されるのだ。それを望めない世界というのは、果たして何のために存在していることになるのだろう。
「それに、こうして会話を楽しむことも出来ないのだろう?こうしたい、あれをやりたい、とかいう話は一切なくて、オースティ様は素晴らしい、を繰り返す会話に何の楽しみがあるんだろうねぇ?」
それが楽しめるのは、せいぜい小さな集団の中でくらいだろう。その中で称えられ、自分の箱庭から出て行ったら他の人間に叩きのめされる。そしてまた箱庭に戻って称えられて気持ち良くなる、くらいなら他と比較出来る分、楽しめるのかもしれない。
どちらにせよオースティには不要のモノだ。
「お父様みたいに世界全体のことを考える方はそういないと思いますよ?どちらかというと、魅了の薬は異性に対して振り向いてほしい、とか、その、えっとハーレム的なものを作りたいとか、そういう理由の方が多いそうです」
「確かにそうだね。リリーベルもそうだったと聞いているし、あんまり表には出せない過去の記録にも、そういったことに使用されたと書かれてあったね」
禁薬だが、過去に使われた記録は残っている。というか、そういう理由で使われたから禁薬になったというべきか。どちらにせよ残っている記録を確認すると、そういう理由で使用された記録しかない。
そして、オルドラン公爵家に残されている記録によれば、過去に『ウィンダリアの雪月花』に関連して使用されたこともあったようだ。もっとも、彼女たちにこの薬は効かない。狙われたのは、雪月花の近くにいた者たち。誰かを籠絡して、雪月花に危害が加わればいいと思って使用されたようだ。
時の王の徹底的な排除によって表から消えては裏で受け継がれて、ということを繰り返してきたようだった。
「リリーベルの時は、どこの誰が復活させたんだろうね」
オースティが知っている限り、あの時の薬は過去に記録されている薬よりも強力なものだった。