お父様と大人たち
読んでいただいた皆様、ありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。
目の前の机に置かれたのは、先日回収された魅了の香水だった。
アヤトとユーフェミアが屋敷に来てから数日後、オースティが「お土産だよー」と言って持ってきてくれたのだ。
小さな瓶に入れられたそれは無色透明で、言われなければ危険な香水だと全く分からないだろう。
「いやー、やっぱりこういう特殊な物は、何の変哲もない見た目が一番だねぇ。とても使いやすそうだよ」
はっはっはっとオースティが楽しそうに笑っているが、使う方前提なのは、やっぱり黒幕属性だからだろうか。
たしかにこういう物は、見た目に特徴があったら使いづらい。
強力だが見た目が普通という物は、使う側からしてみれば一番良くて、防ぐ側としては見た目で判別がつかないのでとても困る。
毒などは無味無臭が理想だろう。最近は、あらかじめ飲んでおくタイプの解毒薬があるので、有名どころの毒はだいたい防げる。ちょっと怪しい人と食事などをする際は、飲んでおくのが貴族の常識だ。
「お父様、少し瓶を開けますので、離れていてくれますか?」
「ああ、大丈夫だよ。僕も銀の飴をもらったからね」
今、この部屋にはオースティとセレスしかいない。他の人間には、しばらくの間はこの部屋に近付かないように言ってある。
「僕はアヤトたちと一緒の日にもらったわけではないけれど、雪月花に関わる人間としてもらえたみたいだよ」
ある日、先王に呼び出され、「アリスからだ」と言われて飴を渡され、今、目の前で食べろと強制されたので、仕方なく食べた。
先王曰く、「ナーシェルお姉様が愛された方の血を引く方を危険にさらせない」、とアリス嬢は言っていたらしい。
アリスに気にかけられていたのが気に食わん、と先王の顔にはっきり書いてあった。
「天上におられるアリス嬢が、ご自身の大切な方が嫉妬で子供をいじめている姿を見たら、何と思われるんでしょうかねぇ?それに僕はナーシェル様に縁のある子供ですよ」としっかり煽ったのはいい思い出だ。
「じゃあ、ちょっとだけ付けますね」
セレスは香水の瓶を開けて、持っていた布にほんの少しだけ付けた。
布から匂うのは、甘い香り。
ほんの少ししか付けていないのに、近くにいると強く匂う。人によっては強すぎる匂いでむせてしまうだろう。
「花の甘い匂いですね。たしかにこれは私が作った幻月の花の匂いに似ています。でも、こっちの方がちょっとねっとり感がありますね」
「これだけ強い匂いの香水だと、確実に一緒にいる者にも匂いが移る。まるで自分の物だと主張しているみたいだね」
「自分の物……そうですね」
「聞いた話だと、リリーベルはこれを毎日付けて、取り巻きたちと一緒にいたそうだよ」
「香水ですが、まるで蜘蛛の巣みたいですね。香水という網に引っかかった者は、全て彼女の獲物だったんでしょうか」
「大きな網だったねぇ。罠をしかけた場所もよかった。大物が何人か引っかかっていたおかげで後始末は大変だったよ」
気が付いた時にはすでに虜になっていた王太子や取り巻きたちは諦めていたが、もう少し保つだろうと思われていた国王が急死したのは痛かった。
せめて息子の後始末くらいつけてからアリス様のもとへいけ、と正直思ったが、文句を言ったところで生き返るわけでもないので、仕方なくオースティも不眠不休で働いた。
ジークフリードの補佐をしつつ、ちょっと手が空くとすぐにユーフェミアを探しに行こうとしていたアヤトを仕事漬けにして、リヒトにはエルローズが見ているぞと囁き、父と共謀してノクス公爵家を出し抜くのは、まぁそれなりに楽しかった。
いくら頭が良かろうと、まだ学生だった手のかかる弟のような存在たちに面倒事を全て押しつけるのはよくないよね、と思い、じじい共の相手は率先して引き受けた。
とはいえ、こちらもまだ爵位を継いだばかりの若造だ。当然、周囲の大人たちも動いた。
生まれつきちょっと悪人面なだけだと言い張る、笑顔がどうしても何か企んでいるかのようにしか見えない父は外交官として各国巡りの旅に出て、成長過程で表情筋が発達しなかっただけだと無表情で言い切ったアヤトとリヒトの父である当時のティターニア公爵は、貴族たちとそれぞれ話し合いの場を設けて各個撃破していた。
能力が文官よりじゃなくて武に特化してただけだもん、と言っていたジークフリードの祖父であるシュレーデン公爵は、たるんでいた王都の騎士団に殴り込み……ではなく指導にいった。
シュレーデンのジジイが働いてるのに貴方は何もしないのかって妻に怒られたよぉう、と嘆きながら王都に出てきてアヤトたちの仕事を手伝ったのは、隠居して趣味の古代遺跡の研究をしていたアヤトたちの祖父だった。ちなみに怒った奥方は、久しぶりに王都に来たから、と言って情報収集を兼ねたご婦人方とのお茶会を開いていた。情報操作はまかせてね、と穏やかに微笑んでいたのが大変参考になった。
母は若い頃、太陽神に仕える巫女だったので、ジークフリードの姿絵片手に、ちょっと神殿に行ってきます、と笑顔で出て行った。帰ってきた母は、太陽王と謳われる彼の王そっくりのジークフリード様の王位継承には反対しないそうよ、と成果を告げてくれた。
……なかなか個性的な方々が揃っていたと思う。もちろん、最終的な決断は全てジークフリードがしていたが、そのジークフリードにしても、たった一人でノクス公爵のもとに乗り込んでいき、とりあえず動かないようにしてきた。
今思えば、我が身を顧みずに色々と無茶をしていたものだ。無茶をせざるを得なかった状況ではあったのだが、もうちょっと色々とやりようはあったのだと年を経てから大いに反省をしたものだ。
そもそも王太子がそれなりに育ったからといってちょっと目を離し、学園内のことだからと積極的に関わらなかったこちらも悪かった、と大人たちも反省をして本領を発揮してくれたおかげで、大きな混乱が起きなかったのが救いだった。
「お父様?」
昔のことを思い出していると、セレスがこちらを見つめていた。
「すまない、なんでもないよ」
ラウールもいずれ学園に通うようになる。ラウールと同世代の王族はいないので、他国の王族でも留学してこない限り、学園で一番身分が高いのはラウールになるだろう。リリーベルのような女性に狙われるのならラウールだ。
もし次に同じようなことが起きたら、オースティは迷うことなく介入する。
「子供たちに、もうあんな思いはさせたくないからねぇ」
同じ学園に通う者たちが連行され、罰せられる姿を見せられたあの世代の子供たちは、一足先に大人になった。誰もがオースティたちが味わった、友人と馬鹿騒ぎが出来るような学生生活を送れなかった。
あの世代の子供たちは知ってしまった。
今日、同じ教室で笑っていた友人が、翌日にはどこかに行ってしまい、二度と会うことが出来なくなってしまうこともあるのだということを。