次女とガーデン
そこはセレスにとって心躍る場所だった。
『ガーデン』、先代の薬師ギルドの長の趣味が爆発したお庭は、セレスにとって楽園そのものだった。
「見て見て、ディ、この薬草、前にうちのお庭で育てようとして失敗した薬草よ。これどうやって定着させたのかしら?あ、こっちのは図鑑でしか見たことのないやつだわ」
「本当ですね。へぇー、さすがに薬師ギルドの長の作った庭ですね。我が家なんかここに比べたらまだまだ全然ですね。姉様、これって隣国の薬草じゃないですか?」
ディーンはセレスと一緒にいたせいか、薬草についてはそこら辺の薬師より詳しい。初めはセレスが覚えるなら一緒に、と思って勉強していたのだが、調べ始めたらけっこう面白くなってきたので片っ端から文献を漁って読んだ。王都の近くに生えている薬草は、セレスが取りに行くときに護衛も兼ねて一緒に行っている。セレスもそれなりに剣を使うことはできるが、ディーンの方が剣術の才能はあるのだ。
ちなみに剣の師匠は目の前のギルド長と侯爵家の執事だ。
見た目に反してけっこうスパルタな2人の剣の修行は幼い姉弟にも容赦はなく、疲れ果てて倒れたセレスは、「これがスポ根…!?」と知識の中にあった言葉を実体験して納得しかけたのだが、ディーンがストップをかけた。
「姉様、スポ根って何ですか?」
「スポーツは根性?的な感じ?」
「なら違います。これはスポ根ではなくて脳筋の方です」
「…確かにそうかも」
剣の稽古中の大人2人は、教えるのはそんなにうまくなくて、本人たちの感覚でやっているっぽいので、「こんな感じでひゅっとする」というような感じで教えられても言いたいことが伝わってこない。
最終的には「習うより慣れろ」といって実践に放り出された。
お貴族様のお子様にしては使える方だ、と評価してくれた桁違いの実力を持つ冒険者ギルドの上位陣も師匠があの2人だと知ると、いつもそっとお菓子をくれて優しくなった。
「おっきくなれよー」と言って冒険者たちはセレスとディーンにいつもミルクをおごってくれたのだが、残念ながらセレスの方にその効果はあまり見られず、同年代の中でも少し小柄な部類に入る。効果が出たのはディーンの方で、同世代の中でも少し背の高い部類に入る。鍛えてもいるのでひょろ長という印象は受けないが、そこまでがっしりした体型でもないので、ディーンにしっかり筋肉が付いていることを周囲の学友たちはあまり知らない。
「ちょっと、セレスちゃんもディくんも部屋の中を案内するから戻ってきなさい。これからここに住むんだから奥の庭にはいつでも行けるでしょ?」
一直線に奥の庭に向かったセレスと、それを止めようと思ったくせに一緒になって夢中になっているディーンをアヤトは部屋の中から手招きして呼んだ。
「ほらほら2人とも、一通り案内するから。戻っていらっしゃい」
「はーい」
返事をしながらも庭に未練タラタラのセレスはしばらく使い物にならないと判断して、アヤトはディーンの方を見た。
「いいわね、ディくん。セレスちゃんはダメかも知れないけど、せめて貴方はしっかりしてちょうだいね」
アヤトの中ではディーンが入り浸るだろうことは決定している。というよりこの弟が姉から離れるとは思えない。対外的にはセレスと交流がほとんどないと思われているし、家のこともあるので基本は侯爵家には帰らなくてはならないだろうが、時間ができればすぐにでもこちらに来る気だろう。
「一応、ちゃんと説明しておくわね。ここにある家具や調剤の道具は好きに使ってくれていいわ。先代が使ってた道具だから多少傷みは有るかも知れないけど、物は良い物よ。壊れても問題はない物ばかりよ」
使っていなかった道具や家具にかけられていた布を取ってみたが、全て問題なく使える物ばかりだった。家具に特にこだわりがないセレスとしてはある物を使わせてもらえるのなら有難い。寝具や服などを揃えれば寝泊まりはすぐにできる。
「こっちが台所やお風呂ね。個別の部屋は3階よ」
2階は居間や台所、お風呂場などがあり、小さいながらも浴槽があるのが嬉しい。3階には個別の部屋が3部屋あった。
「姉様は奥の庭の方を使って下さい。こっちの表通りに面した部屋は僕が使いますから」
「え?ディもここに住むの?」
「もちろん、と言いたいところですが、基本的には侯爵家の方に行きますよ。でも、ここに帰ってきてもいいでしょう?」
「無理はしないでね。でも、ディが一緒にいてくれるなら心強いわ」
ディーンの中ではセレスのいる場所が自分の帰る場所だ。おそらく、というより絶対、セレスのことをようやく認識した父はディーンがセレス限定のシスコンに育ったことを知らない。ディーンも父母やもう1人の姉の前でセレスの話題はしなかったし、普段一緒にいる姿も見せたことがない。ディーンのことは嫡男だし大切にしているつもりなのだろうが、乳母と家庭教師を付けておけば良いと思っているふしがある。
「姉様、念のため、こっちの部屋にはあまり近づかないで下さいね。いつどこで誰がどう見ているのかわからないので。安全な奥の部屋でゆっくりして下さい」
「わかったわ。じゃあ、私、少しあっちの部屋を見てくるわね」
「はい。必要な物があったら後で買いに行きましょう」
セレスが自分の部屋となる奥の庭に面した部屋の方へ行くと、アヤトがくすくすと笑った。
「いつどこで誰がどう見ているかわからない、ねぇ。確かにそうだわ。おほほほほ」
「護衛、付くんでしょう?姉様の寝姿とか影の方々でも見せたくはないですから」
「そうねぇ、そろそろ手配が終わって何名かこの辺りに張り付き始めたかしら。陛下も大変ね、ご自分の時代に『ウィンダリアの雪月花』が現れるなんて。手は出せない、でも守らなくてはいけない。ついでに第二王子殿下の想い人。叶わない可能性の方が高いけど」
アヤトは完全に他人事だ。大声で笑いたいところをぐっと堪えて小さく笑っている。
「あら、やだ。私ったらそんな陛下に愉快な伝言をしてしまったわ。今度会ったらシメられるかしら」
あちらがアヤトの様子を想像できるようにこちらも伝言を聞いた陛下の言動が手に取るようにわかる。影の人に声まねもよろしく、と言ってしまったので、余計にあおってしまったかもしれない。
「アヤトさんは一度シメられた方がいいと思いますよ。陛下が殿下を止めてくれればいいんですが、その辺はどうですか?」
ディーンは公の場で何度か国王陛下に会ってはいるが、簡単な社交辞令や挨拶くらいしか交わしたことがないので、その人柄をよく知らない。一般的には物事を荒げることのない隙のない賢王だと言われている。
「全部禁止すると第二王子殿下が暴走するから、セレスちゃんを探せくらいは言うかも知れないわね。でも手は貸さないと思うわ。殿下が自分でセレスちゃんを探すのを黙って見ているでしょうね」
あの不文律のおかげでセレスに手は出せない。でもセレスを放置して事件に巻き込まれたり、最悪、別の国に誘拐されました、なんて事態になったりしないようにしなくてはならない。セレスは、この国で彼女の望むまま幸せに生きてもらわなくては王としては困るのだ。
「今のところセレスちゃんは他国に移住する気なんてないわ。おおっぴらに警護を付けることもできないから、影たちがセレスちゃんの護衛に駆り出されてバタバタしてるところかしら」
わりと正確に物事を推測しながらアヤトは国王の顔を思い浮かべた。
今頃きっと苦虫をかみつぶしたような顔をしているに違いない。
そう思うとさらに笑いがこみ上げてきたのだった。