姉と弟の語らい
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カタリ、という音が聞こえてきてディーンは目を覚ました。
窓の外から入るうっすらとした明かりが、部屋の中を照らしていた。
見覚えのない部屋に、昨日はオルドラン公爵家に泊まり、気を失った姉を守るため同じ部屋のソファーで寝たのを思い出した。
「姉様?」
ソファーから身を起こすと、セレスがサイドテーブルに用意されていた水を飲んでいた。
「あ、おはよう、ディ。ごめんね、起こしちゃった?」
「姉様、大丈夫ですか?」
「うん。迷惑かけちゃったね」
「いえ、それは構わないのですが……」
ソファーから起き上がって姉に近寄ると、顔色をチェックした。
昨日、倒れた時は少し青白かったが、今はいつも通りに戻っている。
けれど、どこか雰囲気が昨日までとは違う。
髪色が元の銀に戻ったから、とかではなくて、根本的なもの、それこそ魂の輝きが違うというレベルの話だ。
「あの、姉様」
「どうかした?」
怪訝な顔をしたディーンに対して、セレスは不思議そうな顔をした
「昨日とは、何か雰囲気が違う気がするのですが」
「雰囲気……そっか、それは多分、お姉様に会ったから、かな」
「お姉様?ソニアですか?」
セレスとディーンの姉。あのよく分からない姉っぽい人とセレスは昨日、遭遇したらしい。本当にソニアなのかどうかは分からないが、恐らくそうだろう、と言っていた。だが、ソニアに会ったところで、セレスの雰囲気がこうも違うものになるのだろうか。それも寝ている間に変化するなんて、有り得るのだろうか。
「いいえ、違うわ。ソニアお姉様じゃなくて、アリスお姉様。雪月花のお姉様の方よ」
「雪月花の?ひょっとして夢の中で会った、とかですか?」
「うん」
夢の中という言葉にセレスは素直に頷いた。セレスが気絶してからずっと一緒にいたので、部屋の中に誰も入って来ていないのは分かっている。会ったとなると夢の中くらいしか考えられなかったので聞いたのだが、まさか本当に夢で会ったとは思わなかった。
『ウィンダリアの雪月花』、女神の娘だけあって、人の手が及ばぬ方法を取ってくる。
夢は神々の領域の一つなのだと言われている。
普段、人が寝ている間に見る夢ではなくて、神夢と呼ばれる夢は、神々が気まぐれに現れては何かしらの言葉を伝えたり、予知夢を見せたり、亡き人に会わせてくれたり、と用途は様々だが、大げさな儀式不要の神々との交信の場と言われている。
「ふぅ、分かりました。それで、姉様の夢の中に現れたアリス様は、何とおっしゃったんですか?」
今更ながら、姉が神の娘だということを思い知らされた。
人としての血の繋がりはたしかに姉弟なのだが、魂が違う。セレスの魂は、あくまでも神に属する存在。セレスの様子が、あまりにも今までの雪月花たちと違っていたのですっかり忘れていたが、姉は今の世ではたった一人の神の娘なのだ。
恐らく、同じ雪月花の姉に会ったことで、セレスは本当の意味で雪月花として目覚め始めたのだろう。
「あんまり詳しくは覚えてないけど、アリスお姉様は、私のこの感情は本物だと言ってくれたの。それと……」
「それと?」
これはディーンに言っていいものなのかどうか迷ったが、セレスの相手というのが誰なのか分からないので、姉たちの期待に応えることが出来るのはまだまだ先の話だ。なので、今、伝えておいても大丈夫だろう。シスコン、ブラコンなのはお互い承知しているので、卒業もまだまだ先のことになる気がする。
「えっと、私のいちゃいちゃが見たい、って」
「誰との?」
セレスの言葉に、すかさずディーンは相手を聞いた。
神の娘としてのイメージが崩れそうになっているんだが。いちゃいちゃ?いちゃいちゃでいいの?
「お姉様曰く、私の相手は最初のお姉様の相手の方にそっくりなんだそうよ。でも、それが誰なのか分からないのよね。名前も教えてくれなかったし」
「そうですか。なら、これから出会う方かも知れませんね」
にっこり笑ってさりげなくセレスに「これから出会う人間」という認識を植え付けたが、もちろん歴代の国王の絵姿を見たことがあるディーンは、アリスの言うセレスの相手に心当りがありすぎた。
今の国王が彼の王にそっくりだったから、兄王子との間に変な亀裂が入ったのだ。
それにあちらはすでに、セレスの傍にいる気満々だ。
ディーンとしては、どう邪魔してやろうかと考えている最中だ。セレスが鈍くてブラコンでよかった。時間はそれなりに稼げそうな気がする。
「これからの出会い……でも、もう会ってる気がするんだよね。第二王子殿下とかだったら嫌かも」
「姉様の相手が第二王子殿下だったら、姉様だってとっくの昔に応えていますよ。姉様のお相手の方は、第二王子殿下じゃないですよ」
自信満々で言ってのけたディーンの言葉に、セレスは「そうだね」と笑って答えた。
第二王子だった場合、セレスがその想いに応えればいいだけだ。それだけで終わる。
でもそうじゃないから、セレスは困っているのだ。
「姉様はオルドラン公爵の娘になったので、相手がどこの誰であろうと大丈夫ですよ。他国の王家にだって嫁げます」
自分で言っておいて何だが、セレスが他国に行くとかものすごく嫌だ。もしそうなった場合、自分も一緒に行く。ウィンダリア侯爵家は、ソニアが婿でも取って継げばいい。
「興味はないかな。私、この国から出る気はないよ」
「よかったです。じゃあ、僕も出ません」
「ディ、ちょっと心配になってきたんだけど……私以外の女の子に興味はあるの?」
セレスが他国に行くなら自分も一緒に出て行こうとしていた弟に、ちょっとだけ不安を覚えた。もしこのままシスコンを拗らせて、他の女性に興味なしの子に育ってしまったらどうしよう。侯爵家の跡取りでもあるし、いつかは結婚をしないといけないと思うので、いつまでも姉一筋ではだめな気がする。
「安心してください、姉様。僕だってちゃんと他の女性の方に、興味はありますよ」
ただ、比較対象がこの姉なので、姉と正反対の性格の女性の方がいい気がしている。同じタイプだと、ちょっとした違いが目に付きそうだ。
「そう、よかった」
心からほっとしている様子のセレスに、ディーンもほっとしていた。
確かにセレスは、その魂の輝きが変わった気がする。でも、セレスはセレスだ。弟に甘くて、心配性な姉のままだ。
「そろそろ、夜明けですね」
窓の外に綺麗な朝焼けが見える。セレスの銀色の髪が、光を受けて輝いていた。
「あーあ、僕も姉様とお揃いの銀の髪がよかった」
「そう?私はディの黒い髪も好きよ。それに瞳の色は、お揃いだよ」
厳密には同じ青色でも薄い深いはあるのだが、セレスと姉弟の証のように思えてディーンは嬉しくなった。
「そうですね、お揃いですね。青色は姉様と僕の色です」
なので、どっかの誰かさんが青色の物を身につけていたら、僕の瞳の色と同じですね、とか言ってみよう。
その内、紫色の宝石を身に付けるであろう姉を持つ将来の義弟からの、ちょっとした嫌がらせだ。
「姉様がどこの家にいこうとも、僕の姉様であることに変わりはありません」
「ディ、私ね、ディが一緒にいてくれて、すごく救われていると思うの。貴方がいてくれたから、私、孤独だとか感じなかった。ありがとう」
「姉様……、お礼を言うのは僕の方です。姉様が僕を一生懸命、育ててくれたから、僕は姉様が自慢に思える弟でいようと努力出来るんです。あの両親の子供として生まれても、家族を知ることが出来ました」
「ふふ、私たち、けっこうお互いに依存してるね」
「いいじゃないですか。どうせその内、姉様をかっさらわれるんです。それまで、もう少し仲の良い姉弟でいましょうよ」
不本意だが、非常に不本意だが、姉だってきっとあの方を特別に想っている。まだ、本人に自覚はないだろうけど、ずっと一緒に育ってきた分、それくらいの心の変化は分かる。
こうして『ウィンダリアの雪月花』として目覚め始めた以上、これから先、きっとどこかで自分でも気付くだろう。それまでの間は、多少、邪魔しても許される。天から見ているであろうお姉様方とやらにも、弟という高い壁を乗り越える試練を受けるあの方を見て、楽しんでもらえるはずだと信じている。
なぜなら、乗り越えた時のいちゃつき方は、お姉様方が望んだ通りの、見ているこっちが恥ずかしくなるくらいだろうから。