次女とアリスお姉様①
目が覚めたら、見知らぬ場所で寝ていた。
「……ここ、どこ?」
どこかの屋敷、とかではない。セレスがいたのは、人の気配のない静寂に満ちた神殿。壁がなく、太い柱で屋根を支える構造の神殿に柔らかい光が差し込んでいる。その中心に置かれた祭壇のような場所に柔らかい布団が敷かれていて、そこに寝かされていた。着ている服もいつもの服ではなくて、真っ白な布で出来た古代の巫女さんのような服だった。
ゆっくりと床に降り、用意されていたサンダルを履いて外が見える場所まで移動する。見える限り、神殿の外には色とりどりの花が咲いていて、中には見覚えのある薬草もあった。ただ、季節がバラバラだ。本来なら同じ季節に咲かない花が一緒に咲いている。
「現実?」
「ちょっと違うかな」
誰もいないと思っていたのに答えが返ってきて驚いたセレスが振り返ると、そこにいたのは十歳くらいの少女だった。
「おはよう、セレスティーナ」
「……おはようございます」
顔立ちはあまり似ていないと思う。でも、セレスと同じ銀の髪に深い青の瞳を持つ、セレスと同じ存在である少女。
「アリスお姉様?」
「うん」
ぎこちない笑顔でアリスが頷いた。
「ごめんね、セレスティーナ。私、まだうまく笑えないの。下にいた時間が短かったし、ジョセフだけだとまだダメなのよ。だって私は、二人とも好きだから、どっちも大切なんだもの」
ジョセフって誰だろう?もう一人って誰?と思ったが、アリスが二人揃わないとダメだと言うのなら、しょうがない気がする。
「お気になさらず、アリスお姉様。お姉様がそのお二人が大切だとおっしゃるのなら、それでいいと思います」
「うん、ありがとう。でも、セレスティーナには会いたかったから、じゃんけんで権利を勝ち取ったのよ。最後はナーシェルお姉様と一騎打ちだったわ」
どうやら姉たちはセレスに会うためのじゃんけん大会を開催したらしい。そこで勝利したのが、アリスだった、と。
「本当は皆、会いたがっていたけど、セレスティーナはまだ生きてるから、あんまり大勢で押しかけられないし、それに起きたらここでの出来事をどれだけ覚えていられるかも分からないし」
その言葉でやはりここは現実ではなくて、夢の世界ともいうべき場所なのだと悟った。
「一番上のお姉様は、だいぶ力とかを取り戻されてるから下にも多少は干渉できるけど、私たちではせいぜい夢の中までね。それだって、セレスティーナが自覚を持ってくれなくちゃ出来なかったわ」
「一番上、というと最初の『ウィンダリアの雪月花』?」
「エレノアお姉様よ。お姉様の大切な方は、貴女の相手にそっくりなの。性格はだいぶ違うけれど、血筋と太陽神の加護のおかげかしら」
私の相手って誰のこと?さっきから謎の人物がちょいちょい出てくる。頭の中がはてなマークで一杯になったが、アリスは至って真剣な様子だ。最初の『ウィンダリアの雪月花』の名前も初めて知った。エレノアお姉様。小さく言葉に出して言ってみると、何かしっくりきた。
「あの、アリスお姉様、私の相手って?」
「あれ?あ、そうか。まだだったわね。うーん、一度、違う世界に生まれているせいか、お母様の封印が変な風に作用しちゃってる感じ?」
セレスをじっと見つめてから、アリスがそう言った。薄々そうかな、とは思っていたけれど、やはりセレスの中にある異世界の知識は、前世の自分が生きた世界の知識。こことは文明もエネルギーも、何もかもが違う世界。
「お姉様たちは、別の世界に生まれたりはしてないんですか?」
「してないわ。セレスティーナだけが特別だったのよ。おかげで、貴女はこの世界との縁が薄くなっちゃって……。ナーシェルお姉様と二人で無理矢理、王都との地縁を繋いだのよ」
「それは何というか、お世話をおかけしました」
セレスにはどうしようもなかったことだけれど、姉たちが地縁を繋いでくれなければ、セレス自身がこちらの世界に生まれることが出来なかったと思うので、素直に頭を下げた。
「いいのよ。元はといえば、お母様が貴女をうっかり落としたのが悪かったんだから」
ひどい事実が発覚した。セレスはどうやら月の女神セレーネが落としてしまったがゆえに、全く縁もゆかりもない世界に生まれて死んで戻ってきたようだった。
「お母様って……」
「すごく落ち込んでいたから許してあげて」
一生懸命頑張ってくれた姉にそう言われれば、セレスとしては許すしかない。母女神には一度も会ったことがないので、会った時には少しだけ文句を言おう。
「お母様の封印って何ですか?」
「便宜上、封印とは呼んでいるけれど、どちらかというと呪いに近いわ。私たちが生まれた時、お母様はちょっと精神的に参っていたせいで、感情なんていらない、って自分で自分を呪ってしまったのよね。おかげで私たちも、感情というものが抜け落ちた状態だったの。私たちが下に降りた最大の理由は、多くの思いと触れ合って感情を取り戻すため。だから、本来は私たちはウィンダリア侯爵家だけに生まれる存在じゃなくて、各地にバラバラに生まれるはずだったの」
「じゃあ、どうしてウィンダリア侯爵家に固定されたんですか?」
「エレノアお姉様が、ウィンダリア家の者との間に子をなしたから。お姉様の血を道標として、私たちは生まれたの。道標がなければ、相性の良い血を選べたんだろうけど、お姉様の血に私たちは縛られてしまったの」
何か、すごく振り回されてないだろうか。生まれた時から母に感情を取り上げられ、下に降りたら降りたで、今度は血に縛られて。姉は妹の為に必死で色々と画策し、末っ子の自分は母のうっかりのおかげで、一度は別の世界で生きて死んだ身だ。
「まあ、そのおかげで皆、それぞれの大切な人を見つけだすことも出来たのよね。皮肉といえば皮肉かな」
「見つからない可能性もあったんですか?」
「世界は、それなりに広いからね」
同じ一族に生まれ続けた特別な存在であったからこそ、出会えた人たちもいる。アリスもその一人だ。他国に生まれていたら、あの二人に出会えなかった。
「セレスティーナだってそうでしょう?弟くんや薬師の坊やに出会えたのは、ウィンダリア侯爵家に生まれたから」
十歳くらいの少女の姿であるアリスが、アヤトのことを「薬師の坊や」と呼ぶのは違和感があるが、実年齢的にはその表現の仕方で間違いはない。
「そうですね。あの家に生まれてなかったら、きっと出会えませんでした」
弟だから気軽に呼べるし、師匠だから色々と相談も出来る。
「貴女は確かにウィンダリア侯爵家の娘だけど、どちらかというと『ウィンダリアの雪月花』という生き物だと思っておいてね。あの家に縛られることもなく、ただ自由に生きてほしいの。それと……」
アリスは真剣な顔をしてセレスを見た。
「姉様たちは、貴女のドキドキいちゃいちゃが見たいです!」
ものすごく真剣な顔をしたので何事かと思ったら、まさかの言葉を言われた。
「……えぇ?ドキドキといちゃいちゃ、ですか……?」
「そうよ。私たちの相手は、その、えっと、大切な人には手を出せない、とかいうタイプのへタレが多くて、こっちに来てもまだ悩んでたりするのよ?その点、セレスティーナの相手は迷いなく突き進んでいるようだし、貴女たちなら私たちが見たかった姿を見せてくれると信じてる」
すみません、お姉様方。それを見せるには、少々、私の気持ちが足りないと思います。
心の中で、セレスは全ての姉たちに対して謝った。
正直、恋愛とかいまいち分かっていない。セレスの中では今のところ、好きな人とそれ以外、という二択の選択肢しかない。好きな人は一律そのカテゴリーに入れてしまっているので、その中が細かく分けられていないのだ。恋愛的な意味で好き、という気持ちにはなれない。
アリスにそう言うと、うんうん、と頷いていた。
「それは仕方のないことよ。セレスティーナだって、お母様の呪いを受けているんだもの。そこをいかに突破するか、ね。大丈夫、貴女たちならきっと出来るわ。心の底から泣いて、笑って、怒って、好きになって……貴女の感情を爆発させなさい」
「……あ……」
言われて、気が付いた。
実の両親に忘れられていても、特に悲しくも何ともなかった。姉と明確な差がつけられていた育て方にも何も思わなかった。弟に慕われて嬉しいという思いも、師匠たちや育ててくれた人たちに対する感謝の思いも、それは本当に心の底からそう思っていただろうか。
前世で周りを見て、こういう時はこういう表情をして、こういう風な思いを持っています、と装えばいいと学習していただけじゃないだろうか。
「わ、私……」
どこまでが本当の自分の感情で、どこからがただまねをしているだけなのだろう。
「違うわ、セレスティーナ。大丈夫、貴女の思いは本当よ。ただ、貴女は負の感情が薄いの。だから好きという感情も飛び抜けないの。一律なのよ」
私の言い方が悪かったわね。そう言ってアリスはセレスの手をぎゅっと握りしめてくれた。