オルドラン公爵家と雪月花①
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「やあ、今、帰ったよ。僕の愛しい妻と娘と息子たち。息子が一人増えているようだけど、どうだい、君も正式にうちの子になるかい?」
帰ってきたオースティ・オルドラン公爵の一言目はそれだった。ものすごく自然にディーンも養子にしようとしている。
「初めまして、オルドラン公爵。ディーン・ウィンダリアです」
「オースティ・オルドランだ。で、うちの子になる?」
オースティに迷いはないようだ。
「素敵です、お父様。お兄様が本当のお兄様になってくれたら嬉しいです」
「おや、ラウはすでにお兄様と呼んでいるんだね。なら、問題はないね」
大ありです。問題だらけです。
「一応、これでもウィンダリア侯爵家の嫡男なので……」
「ウィンダリア侯爵家には一番上の姉がいるだろう?あの溺愛されている娘が婿を取ればいい。それに、君たち姉弟は侯爵家から外に出た方がいい。ウィンダリア侯爵家にもう雪月花が生まれることはないだろうが、君たちの血筋になら生まれることがあるかもしれないよ」
「それは、どういうことですか?」
オースティの言っていることは矛盾している。ウィンダリア侯爵家に雪月花は生まれないと言っておきながら、ウィンダリア侯爵家の次女と嫡男である二人の血筋になら生まれるなんてどういうことだろう。
「そのままの意味だよ。続きは夕食後にしよう。今日は、二人ともここに泊まっていけばいい。何なら、ずっといてもいいからね」
疑問だらけのセレスとディーンに、オースティはそう言ってラウールを抱っこした。
オースティが言ったことが気になって、はっきりいって、夕食の味は全く分からなかった。堅苦しい貴族の晩餐ではなくて、あくまでも家族の夕食という形をとっていて、ラウールがセレスとディーンの間に座って嬉しそうにしているのを、真正面から両親が見守っている夕食会だった。
夕食の後、居間に移動してソファーに座った。セレスとディーンが横並びで座り、正面にオースティとクリスティーン、それにラウールが座った。
「ラウも同席するんですか?」
「もちろんだとも。これは家族会議だからね」
さすがにまだ幼いラウールはいなくてもいいのでは、と思いディーンは聞いたのだが、オルドラン公爵家の家族会議と言われればラウールも関係者ではある。
「お兄様、僕も聞きます」
「そうそう、ラウも聞いておきなさい。幼いとはいえ、君はオルドラン公爵家の一員なのだからね」
「はい、お父様」
ラウール本人が聞く気でいるので、それ以上は何も言えなかった。
「あの、それでオースティ様」
「お父様だよ」
「……お父様、クリスティーン様……お母様から、オルドラン公爵家が『ウィンダリアの雪月花』に対して大きな借りがあって、私を助けてくれたのは、その感謝と贖罪のためだと伺ったのですが」
公爵夫妻をお父様とお母様と呼ばないと、訂正されてしまうらしい。一応、養女になったのだがら、そう呼んでもおかしくはないのだが。
「そうだよ。順を追って話そうか。セレス、君は今までの雪月花たちのことは、どこまで知っている?」
「申し訳ないのですが、ほとんど知らないです。私は、過去の雪月花たちの記憶を受け継いでいないんです」
『ウィンダリアの雪月花』たちは、記憶の一部が共有されている。だが、セレスにはそれがない。
それにウィンダリア侯爵家で調べようにもその資料がほとんどなくて、過去の雪月花たちの名前すら分からなかった。家系図も見たが、雪月花らしき女性のところは、ただ娘と書かれていただけで名前が消されていた。
「なるほど、伝えられていた通りだね。セレス、我が家が関わった雪月花は先々代の方だ。先々代は今の国王陛下の曾祖父王が夢中になった方。名前は、ナーシェル様。彼女は、我が家が関わらなければその存在を王家に知られなかったはずの方だった」
ナーシェル・ウィンダリア。
ウィンダリア侯爵家の本家から遠い分家に生まれた雪月花だったが、両親は彼女のことを他の一族にも知らせることなく秘匿した。当時、本家に雪月花が生まれなくなってきていたことから、その求心力は衰えていて、どちらかというと雪月花が生まれたことのある分家の方が力を持ち始めていた。そんな中で生まれたナーシェルを政治の道具にすることを嫌った両親が、彼女のことを隠して育てていたのだ。
「ナーシェル様は幼い頃からウィンダリア領から遠く離れた場所で普通の子供と一緒のように育てられた。彼女がいたのが、オルドラン公爵領の小さな町でね。彼女の父親は、そこで医師として働いていたんだ。腕が良いと評判の方で、遠く離れた町からもわざわざ患者が来ていたほどだったらしい。そしてナーシェル様が15歳の時に、その町に一人の少年が療養に来た。それが僕の曾祖父に当たる方だよ」
曾祖父、ヴィクトール・オルドランは生まれつき身体の弱い人だった。オルドラン公爵家のたった一人の直系の息子であった彼は、空気が良く、評判の良い医師がいると噂の町に療養に来たのだ。当時はまだ10歳くらいだったらしいが、ヴィクトールが医師のもとを訪れた時に、たまたまやって来たナーシェルに一目惚れをして、すぐその場でプロポーズをした。
ナーシェル自身は、雪月花特有の無の表情で断ったのだが、ヴィクトールは諦めなかった。
毎日毎日、一輪の花を持ってナーシェルに会いに行き、プロポーズをし続けた。
贈られた花が花束に出来るほどになった頃、根負けしたナーシェルが少しずつヴィクトールと会話をするようになった。さすがにそこまで二人の仲が進むと、隠しておけないと悟ったナーシェルの両親が、当時のオルドラン公爵にナーシェルが『ウィンダリアの雪月花』であることを話した。
さすがに公爵も驚いたらしいが、オルドラン公爵家も王家の血が入っている以上、当代の雪月花の相手は息子かと諦めた。それに過去の者たちと違って、ナーシェルもヴィクトールを受入れ始めているようだったので、ひょっとしたらうまくいくのではないのかという期待もあった。
「曾祖父がナーシェル様と出会って1年ほど経った頃、恐れていたことが起こった。曾祖父の体調が急に悪化し、謎の病に罹ったんだ」
ヴィクトールは原因不明の発熱と身体が石化するという症状に襲われ、誰がどうみてもその命が消えゆこうとしているのは明白だった。そして、ヴィクトールの命が消えゆく寸前に、ナーシェルが青い花を持って現れた。
月の女神の贈り物、幻の花『雪月花』。
ありとあらゆる症状を治すと言われているそれを、ナーシェルはヴィクトールの為に摘んできたのだ。
満月の夜、たった一人で雪山に入って行き、今まで存在するとされながらも、誰も見たことがないゆえに本当にあるのかどうか疑われていたその伝説の花を、彼女はヴィクトールの為に摘んできた。
「雪月花が咲いているのは、ウィンダリア侯爵家の領地。ナーシェル様は当然ながらそこに行って花を摘んできたのだが、彼の地の入り口は、山の麓にある月の女神の神殿だ。ナーシェル様の存在はまずその神殿にバレて、そしてどういう経緯があったのかは分からないが、戻ってきたナーシェル様の傍らにはすでに国王の姿があった」
町に戻ってきたナーシェルはセレスと同じ様に黒く染めていた髪が銀色に戻っていて、大勢の兵士に囲まれていた。そして、常に国王がナーシェルと一緒にいた。まるで目を離したらナーシェルがいなくなるのではないかと思っているかのようだった。実際、ナーシェルはヴィクトールがこの様な状況になっていなければ国王に見つかることはなかった。王家の血を引く者の中で、真っ先にナーシェルに求婚したのがヴィクトールだった事実を国王は恐れていた。
オルドラン公爵家がどれほど抗議しようとも、国王はナーシェルの傍から離れなかった。それどころか小さな町に国王軍が入り込み、まるで町全体を侵略したような雰囲気になっていた。
「もしそこでナーシェル様が曾祖父のもとに戻ると言っていたら、王家とオルドラン公爵家は全面対決になっていただろうね。そこに他の三家も加わり、国は大きく割れて荒れただろう。だが、ナーシェル様は自分の意志で国王と共に行くと言ったんだ。……これは、後で知らされたことだったのだが、元々寿命が短い雪月花たちの中でも、ナーシェル様は特に短い命だったらしい。二十歳まで生きられるかどうか、それくらいの寿命だったのにナーシェル様はその命を削って雪月花を咲かせた」
その言葉にセレスとディーンは、驚いた表情をした。雪月花が『ウィンダリアの雪月花』の寿命を削って花を咲かせるものだなんて、聞いたことがない。女神様の贈り物なのに、その娘の命を削って咲くとは思ってもいなかった。
「普通ならそんなことはないらしい。伝承通り、年に一度、咲いた花があったのなら問題はなかったが、時期が悪かった。すでに花の開花時期が過ぎてしまっていたんだ。だからナーシェル様は、雪月花を無理矢理咲かせた。その寿命と引き換えに」
後悔はしていない。残り少ない命しかないこの身でよければ持って帰ればいい。
そうナーシェルは言い、それでも、と国王は彼女を連れ去った。
オルドラン公爵家が徹底的に調べ上げた結果、ヴィクトールには毒が盛られていて、犯人はオルドラン公爵家の身内だった。ヴィクトールが死ねば次の公爵になれる、そんな妄想を抱いた者たちの仕業だった。当然、その家は潰し、加担した者たちは全て処分した。彼らがそんなことをしなければ、ナーシェルは国王に見つかることもその命を短くすることもなかった。
「曾祖父の後悔は凄まじかったそうだが、ナーシェル様からその血を次代へと繋ぎ、生まれ来る最後の雪月花を守ってほしい、そう頼まれて曾祖父はこの家を継いだんだ。感謝は、オルドラン公爵家の直系の血を守ってくれたことに、そしてその為に命を減らし、最後の瞬間まで国王のもとから取り戻せなかった、ナーシェル様の願いを叶えることが僕たち一族の贖罪だよ」
『ヴィクトール、貴方に会ったことで私の運命は変わったの。隠れたまま死ぬはずだったのに、女神の娘として貴方の役に立つことが出来たわ。私が王都に行くことは気にしないで。王と共に行くことで、次の娘が王家に近い場所に生まれる道筋を付けることが出来るの。縁が薄れていた王都に強い地縁が出来るのよ。そしてさらにその次の子が最後の子。その子の次は、もうウィンダリア侯爵家に生まれない。『ウィンダリアの雪月花』は最後の子でお終い。だけど、もし新しい月の女神の娘が生まれるとしたら、最後の子の血かあの子が愛した者の血に宿るわ。だから、守って。最後の子と彼女が愛する者たちを』
それは、ヴィクトールに伝えられた言葉。雪月花の予言ともいえる言葉。ナーシェルの願いを叶えるためにヴィクトールはそれ以降、王国内で力を強めていった。彼女たちを守るために、王家にもティターニア公爵家にも負けない力を。いざとなれば彼女たちを隠し、逃がすための力を付けるために。
先代の『ウィンダリアの雪月花』であるアリスのことも、祖父や父は密かに見守っていた。
もし彼女が少しでも嫌がるようならすぐに助け出せるように、と。
アリスは自分の意志で、先王と王妃のもとにいることを選んでいたので何もしなかった。
けれど最後の子であるセレスティーナが選んだのは、己の足で立つことだ。
ならばその願いを叶えるためにも、名を与え、彼女の安全を確保しよう。彼女の愛する弟を守ろう。彼女が選んだ相手に嫁いでいけるように、最高の身分を用意しよう。オルドラン公爵家の公女ならば、たとえ他国の王であろうとも嫁ぐのに支障はない。
雪月花であるという事実を隠すためにも、オルドランの名はちょうど良い。ティターニアではすぐにバレるが、ヴィクトールとナーシェルのことは一般的にほとんど知られていないので、オルドランの名と雪月花は結びつきにくい。
「だから、セレスティーナ。君は僕たちにいくらでも我が儘を言っていいんだよ。オルドラン公爵家は雪月花のものだからね」