長と彼女
読んでいただいてありがとうございます。書籍も無事に1巻が出ました。本当に皆様のおかげです。ありがとうございました。
セレスとルークを乗せた馬車が王宮の方へ向かって行くのをユーフェミアは黙って見ていた。一緒にいた侯爵家の執事も静かに見ていたが、侯爵家の人間は誰1人として出て来なかった。この時間だとディーンはまだ学園に行っているので仕方がないが、屋敷にいるはずの侯爵夫妻と姉の姿は全く見えない。心配そうな顔をして見ていたのは使用人たちだけだった。
「……こんな騒ぎになっていてもセレスちゃんのご両親は出て来ないのね」
「はい。お嬢様が関わるといつもこのような感じになります。騒ぎが起きてもその中心にいるのがお嬢様ならば、その騒動ごとあの方たちには見えなくなるようなのです」
月の女神様はよほどあの両親に関わってもらいたくないようだ。両親がセレスのことを娘として認めていないというよりは、月の女神がセレスの親としてあの夫婦を認めていないのだろう。必要なのはウィンダリア侯爵家の血のみ。いっそう清々しいくらいだ。
「女神様の思し召しとなれば私たちには何も出来ないわね」
「そうだね。あまり侯爵夫妻に関わる必要はないと思うよ」
今までどこにいたのかいつの間にかユーフェミアの傍らにアヤトが出現していた。
「あら、アヤト。遅いわよ、おかげでセレスちゃんは行ってしまったわ」
「ああ、見ていたからわかってるよ。セレスが嫌がったり無理矢理連れて行こうとしたのなら止めるつもりだったんだけど、本人の意思だからね。それにセレスも言っていたが、薬師として魅了の薬は放っておけない。危険かも知れないが、本物を手に入れられるのなら手に入れたい」
どうやらアヤトは隠れて様子を見ていたようだ。ルークの護衛の中にはアヤトの素性を知っている者もいたであろうから、下手に会って余計な勘ぐりをされたくなかったのだろう。第二王子はセレスのことを知っているようだが、世間一般的にはまだ新しい『ウィンダリアの雪月花』は出現していないことになっている。
だが、王家の人間が執着し、ティターニア公爵家の人間が守るウィンダリア侯爵家の令嬢がいる。それだけでセレスのことがバレる。王宮内での安全確保の最終手段が身バレなので今更感はあるが、本人的にギリギリまで粘りたいようなので出来る限りはその希望に沿ってあげたい。
「リヒトに連絡は出しておいたから下手なことにはならないよ。万が一の場合はリドが出るだろうしね。それで身分とかがバレてもまぁそれは仕方がないってことで」
「……ねぇ、アヤト、セレスちゃんにリド様の身分がバレて、周囲の人間にセレスちゃんに対するリド様の執着心がバレた場合、貴族院のじー様たちはどうするのかしら?」
「あのじーさんたちではどうにも出来ないよ。リドは貴族院が操れる王ではないし、月の女神の愛娘である『ウィンダリアの雪月花』に手出しは出来ない。あそこのじーさんたちは古い家柄ゆえに月の女神の罰のせいで受けた被害についてよく知っているはずだ。何せご先祖たちが加害者であり被害者でもある家もあるからね。それにティターニア公爵家とリドを同時に敵に回す、なんて愚行はしないよ」
その辺りは変な信頼関係が出来上がっている。たちの悪いじー様たちは、通常スタイルが若者を煽っていくスタイルなので、軽いノリでちょっとした嫌みっぽいことは言われるかもしれないがその程度なら別に何ともない。ジークフリードがその気ならセレスティーナがいかに可愛らしいかということを延々と語ってじー様たちに砂を吐かせるという報復に出る。もちろん不文律がある以上、セレス自身には何の手出しも出来ない。
「すごい光景になりそうだけど……若者というか良い歳した男の年下の女性に対するのろけを延々と聞かされるのはさすがにご老体には苦痛よねぇ」
「しかも相手はあのリドだから。気絶する人間の1人や2人は出るんじゃないかな?」
自分たちが出来ること、やるべきことを心得ている2人はセレスが連れていかれても慌てることなく平然としていた。今この場で打てる手は全て打った。ここで騒いだところで何も変わらない。
それまで黙って見ていた執事が2人の会話が途切れた時に口を開いた。
「アヤト様、ユーフェミア様、お嬢様のことはお任せしてもよろしいでしょうか?」
さすがに王宮内のことになるとうかつに手出しは出来ない。
「そうだね、こっちに任せてくれてかまわない。その代わりソニア嬢を見張っていて欲しい」
「ソニア様をですか?そういえばお嬢様はどうして屋敷にお戻りになったのですか?」
今更ながらだが、なぜセレスがこのタイミングで屋敷に戻ってきたのか。それもユーフェミアを連れて戻ってくるなんて一体何があったというのか。
「セレスちゃんのお姉さんらしき方を追って来たのよ」
ユーフェミアが執事に先ほどの出来事を話すと執事は驚いた顔をした。ずっとこの侯爵家に仕えている身だが、今までソニアのことは気が付かなかった。それだけ上手くソニアの中の人が隠れていたのか、それともソニアのことも『ウィンダリアの雪月花』に付随する出来事として意識に残らないように何者かに秘匿されていたのか。
「さようでございましたか……ソニア様については私の方で見張っておきます。もしその方が表に出てきた時には接触を図ってみます」
「よろしくお願いします。セレスちゃん、気にしてましたから」
「はい、お任せ下さい」
執事とユーフェミアが会話している間にアヤトは後から来たティターニア公爵家の者に指示を出していた。ウィンダリア侯爵家に乗り込む事態になる可能性もあったので、ティターニア公爵家の方に連絡をして荒事が出来そうな人間を寄こしてもらっていたのだ。
「ユーフェ、とりあえず一度屋敷に帰ろう」
「待ってアヤト。公爵家の人を1人、貸してもらえない?手紙を持って行ってもらいたいの」
「手紙?」
「そう。少し知り合いの方で高位貴族の方がいるからその方にセレスちゃんのことをお願いしておきたいの」
その言葉にアヤトの眉がぴくりと動いて不機嫌そうなオーラが出てきた。
「そいつは、ユーフェの何?」
「…………10年前の時から手を貸して下さっている方なの」
少し気まずそうになってしまったのは、10年前の時にアヤトではなくその人を頼ったせいだろうか。
アヤトはアヤトで10年前のことを言われると少しイラッとする。
分かってはいるのだ。あの時はお互い意地を張って何も言わなくて、信頼なんてほど遠かった。後悔しかない。
「王宮内でも比較的自由に動ける方だからセレスちゃんのことをお願いするには最適だと思うの。誰が相手でも切り抜けられる方だし」
その相手に対するユーフェミアの信頼も何か嫌だ。
思いっきり心の狭いことを考えたがここで下手なことをしてまたユーフェミアの信頼を失うのも嫌だ。
「普通の手紙ならお店の子に持って行ってもらうところだけれど、今回は緊急事態だしすぐに手紙を見てもらいたいの。ティターニア公爵家からの手紙なら最優先事項だわ」
その通りなのでアヤトはため息を吐いて了承した。
「で、相手は誰?」
「……怒らないでね。オースティ様なの」
「……まさかの人間が出てきたんだけど……あぁ、そうか、10年前に私を王宮に缶詰にしたのもあの人か。こっちの行動を制限したな」
10年前、全部放り出してユーフェミアを探しに行こうとした自分を仕事漬けにしてくれた相手の1人だ。もちろん色々と手伝ってくれていたし、彼自身の思惑もあったのだろうが、その理由の1つがまさかのユーフェミアの雲隠れの為だとは思わなかった。
「どこでどうやって知り合ったのかは後でじっくり聞くけど、取りあえず手紙をすぐに書いてくれ。うちの人間に届けさせるよ」
「ありがとう」
にっこり笑ったユーフェミアにこれも惚れた弱みか、とアヤトは再度ため息を吐いた。