王と王太后②
読んでいただいてありがとうございます。
アリスからぽつりぽつりと語られた最初の月の巫女と王の話。
それは、意図的に歪められたのかそれとも自然に変わっていったのかはわからないが、今まで聞いていた話とはずいぶんと違う物語だった。
不文律が作られたのはそれから数代後の『ウィンダリアの雪月花』が亡くなった後だ。
約束通りディオン・ウィンダリアは自分の妻の素性について詳しくは誰にも言わず、ただ月の神殿の巫女だったとだけ周囲には伝えた。そして、生まれてすぐに母を亡くし、母と同じように感情というものを持っていなかった娘を可愛がり、彼女が産んだ孫に看取られてその生涯を閉じた。
ディオン・ウィンダリアが何も語らずに死んだこと、そして彼の娘の後の月の巫女が間隔を空けて生まれたことにより『ウィンダリアの雪月花』は、父母の色合いを持たず、感情さえも持たぬ美しいだけの人形のような存在として不遇の時を過ごすことになった。
ディオン・ウィンダリアが残した遺言である「銀の髪と深い青の瞳を持つ娘が生まれた時は、何よりも彼女を優先せよ」という言葉も時とともに言葉が抜け落ち、いつの間にか「銀の髪と深い青の瞳を持つ娘が生まれる」とだけ一族に伝わっていった。
そしてアレクサンドロスの約束通り、王家の人間は彼女たちを愛したのだが、愛しながらも一切動くことも応えることもない彼女たちの感情の無さを憎み、時には監禁し、また時にはその憎しみをぶつけたりもした。愛しながらも憎むという真反対の感情に翻弄され、女神の罰を幾度か受けた後、当時の『ウィンダリアの雪月花』を愛した王が出した結論があの不文律だった。
『ウィンダリアの雪月花』を束縛してはならない、虐げてはいけない、何事も望むままに。
何を言っても、何をしても応えてくれない彼女たちを憎み、だがそれでも愛おしくて手に入れたくて狂ってしまいそうになる。過去の王族たちがそうやって『ウィンダリアの雪月花』たちを愛し同時に憎む気持ちは十分に理解できたが、不文律を作った王は、その全てを飲み込んだ。
当時の雪月花との間にほどよい距離を置き、たとえ何も返してくれなくても構わないから兄のように親友のように接した。常に手をぐっと握りしめ、手の平に爪が食い込み血が滲み、消えない傷跡が生涯残っても堪えてみせた。
内心でどれほどドロドロとした恋情が渦巻いていてもその全てを自制して隠し、ただ彼女に向けて穏やかで優しく微笑みかけた。彼女を閉じ込めていたウィンダリア一族から引き離し、彼女のやりたい事、行きたい場所、淡々と語られる小さな日常の望みを叶えて、彼女に自分が出来る中で最大限の自由を与えた。
王命によって無理矢理後宮に入れて監禁したと言われようが、他の人間の言葉など一切聞かず、ただ彼女を世間の目から隠し続けた。
そのおかげで得た穏やかな日々に、全ての感情を持たぬ人形と言われていた『ウィンダリアの雪月花』が血の滲んだ手の平を握りしめて小さく微笑みかけてくれた時、王は涙を流した。自分は間違っていなかったのだ、と。そして、彼女が亡くなった後に、これ以上、王家の人間が迷わないようにあの不文律を作ったのだ。
不文律は『ウィンダリアの雪月花』を守るもの。そして同時に王家の人間に対する戒めであり指標だ。
己の感情を自制して、たとえ一度でも良いから自分に向けて微笑んでもらう為のもの。
成功し、一度でも微笑まれるとその笑みが脳裏から消えることは生涯ないが、それでも人形のような表情しか思い出に残らないよりは全然ましだ。
残念ながら、その後も失敗する王族は現れるのだが、それでも不文律が出来る前と後では『ウィンダリアの雪月花』に対する扱いはあからさまに変わった。
そして、目の前の息子はアリスが言っていた最後の『ウィンダリアの雪月花』のことを楽しそうに語っている。今までの雪月花とは違う、真の月の巫女。
「母上、そのアリス嬢に囚われた王族はいなかったのですか?」
「いたわ」
「どなたです?」
「わたくしと貴方のお父様よ」
王太后の言葉にジークフリードがびっくりした顔をした。
「…母上と父上、ですか?」
「そうよ。おかしなことではないでしょう?わたくしも陛下も王家の血を引いていたのですから」
シュレーデン公爵家には過去に王家の血が何度か入っている。だからおかしなことではないのだが、父はともかく、母は同性なのだが。
「おかしな恋情ではなくてよ?わたくしと陛下は幼い頃からアリスと共に育ったゆえに、彼女に対しては過度な妹愛を持っていたのよ」
世に言うシスコン、というやつだ。
生まれた時から婚約者であった自分たちは、アリスという大切な妹を守る為に共闘した。お互いが相手に対して変なコンプレックスを持つこともなく、どちらかというと良き競争相手になれたのは、アリスが小さな声で褒めてくれたからだ。一生懸命感情というものを理解し表情を崩そうとがんばるアリスに、どちらが先に笑ってもらえるか競っていた。可愛い妹に良いところを見せる為に兄と姉は一生懸命かっこつけていた日々だった。アリスが幼くして亡くなっても、下手なことをすればアリスがあの世で悲しむと思い必死でやってきたのだ。
こちらはそうやって頑張ってきたのに、息子はあっさりとセレスティーナに微笑みかけられている。
何か、むかつく。
確かにアリスや今までの『ウィンダリアの雪月花』たちと違い、セレスティーナはちゃんと己の感情というものを持っている。幼い頃は無の表情だったが、成長するにつれて自然と出てきた感情に王太后は嬉しくて仕方なかった。だからと言ってその全てを息子に取られるのは悔しい気がしてならない。
「わたくし、貴方に思いっきり嫉妬しているわね。セレスが特別な『ウィンダリアの雪月花』だということも分かっているけれど、貴方に持っていかれるのがとっても嫌よ」
「母上…」
子供のように少し頬を膨らませて嫌がる母は、一応、この国の王太后のはずだ。母に嫌がられたとしても今更セレスを手放す気は一切無いが、確かに自分は過去の王族に比べると出会いからして恵まれている。
「ねぇ、知っていて?『ウィンダリアの雪月花』たちは、ここ数代はウィンダリア侯爵家の本家に産まれていないの。王家にウィンダリア侯爵家の血は入っていないけれど、ウィンダリア侯爵家の本家には王家の血が入っているわ。王女の降嫁があったからなのだけれど、それ以降、本家より遠い血の中に雪月花たちは生まれてきているの。アリスなんかその究極の例よね。本家からより遠くへ遠くへ血が移動していっているのよ」
ウィンダリア侯爵家の本家を、その血に混じった王家の血を忌避するように王家の血を持たない分家に彼女たちは産まれるようになった。忌避しているのは、最初の月の巫女を愛した王の血か、月の巫女を憎んだ王妃の血なのか、それとも太陽神の巫女の血なのか……真相はわからないが、本家より遠くの血筋に生まれることにより、雪月花たちは徐々にウィンダリア侯爵家と距離を置いてきたのだ。
「何にせよ、わたくしはアリスとの約束を守ったわ。セレスは今までの雪月花たちと違って過去の雪月花たちの記憶を一切持たない娘よ。ジークフリード、セレスをお願いね。セレスが幸せでいること、それがアリスたちの願いよ」
セレスティーナだけではなく、アリスにも生きて幸せになって貰いたかった。なぜ、アリスではだめだったのか、と思った時もあったが、答えはわからないし、アリスがセレスティーナの幸せを願うのならばその願いを叶えてあげたいとも思う。
「全力で頑張りますよ。母上、アリス嬢からの贈り物については感謝していますが、そもそもどうしてアリス嬢は、いえ、過去の『ウィンダリアの雪月花』は我々に贈り物をくれたのですか?リリーベル・ソレイユのことを知っていたのでしょうか?」
「…そうねぇ、アリス曰く、『過去は繰り返される』のだそうよ」
「……母上、もう少し具体的に聞いておいてほしかったです」
肝心なことは一切教えてくれていない。予言とは得てしてそういう曖昧なものが多いが、アリスの言葉が足り無さすぎる気もする。
「『過去は繰り返される』、か。どれくらいまで遡るんだか…。母上、母上は10年前の事件についてはどう思っていますか?」
自分はアリスによって救われたが、兄は見事に罠に落ちた。あの時、母は特に騒ぐことも動くことも無かったが、実際はどう思っていたのだろう。
「王妃としては、王太子が簡単に落ちる人間だと早い段階でわかって良かった、というところね。あのまま王になっていたとしても寵姫の意のままになる王などいらないのよ。母としては…哀れな子だと思っているわ」
次男であったジークフリードと違い、長男は生まれた時より父王の後を継ぐべく日々多くの勉強をしていた。幼い頃から王宮で王妃教育を受け、王とともに勉強をしてきた王太后はその大変さを十分に分かっていた。その全てがあの娘と出会ったことで吹き飛んだ。哀れだと思うのはこちらの勝手で、本人は満足して逝ったのかもしれないが、出来れば良き王となって欲しかった。
窮地にこそ人の本質がよく分かる、とは言うが、まさか王太子としての勉強は一切してこなくて、ごく普通の王族としての勉強しかしていなかったはずの次男が王としての資質をここまで持っているとは思わなかった。恐らくもしあのまま長男が王となっていたら、次男であるジークフリードはその才能の全てを隠して臣下として兄王を支えただろう。それを思うと結果的に国としては良き王を得たのだ。
「あの時、多くの疑問は残ったわ。どうやってリリーベル・ソレイユが魅了の薬の作り方を知ったのか、実際に作っていたのは誰なのか、一番の疑問はリリーベル・ソレイユはそんな薬を使ってまで何をしたかったのか、よ。貴方はあの時、リリーベル・ソレイユから何か聞いたの?」
実の兄とリリーベルを手にかけたのはジークフリードだ。最後の時、あの場所にいた人間は今となってはジークフリードとエルローズしかいない。
「…あの時、リリーベルは女王のようでした。兄さんや他の取り巻きたちに傅かれて満足している感じで、それが当たり前なのだ、という雰囲気でした。自分を崇めないのはおかしい、そう言っていましたね」
それもおかしな話だ。なぜ誰もがリリーベルを崇めると信じていたのか。リリーベル・ソレイユという少女は話の通じない、自分のことだけを考えている少女だった。あの時だって自分は悪くない、という言葉をひたすら言っていたくらいだ。私は悪くない、私を好きになった人たちが勝手にやったことだ、どうして私に罪をなすりつけるのか、そんな言葉をずっと言っていた。兄や取り巻きたちは、そんなリリーベルを宥めて彼女が望む言葉だけを紡ぎ、一種の異様な空間を演出していた。
「リリーベルは自分を正当化するだけで正確な話は語ってはくれませんでしたが、先に兄さんが死んだ時に一言だけ、話が違う、と言っていましたね。それが誰のどういう話か分かりませんがリリーベル自身も他の誰かから都合の良い話を聞かされていたのかもしれませんね」
今更本人たちには聞けないし、調べてもそんな裏の話は出てこなかったが、今思い返せば色々と辻褄の合わない話をしていた。もう少し真面目に関わればよかったのかもしれないが、当時は傍によられただけで気持ち悪かった。兄や取り巻きたちはよく平気だな、と感心したものだった。
「ジークフリード、焦ってはいけないわよ。貴方がセレスに「旦那様」って呼びかけられる夢があるように、わたくしだってセレスに「お義母様」って呼ばれたいのよ」
そんな夢を語ったこともなければ見たこともない。母の暴走からの妄想だが、ちょっと心惹かれたことを否定はしない。
「……いつかその夢は叶いますよ」
母と息子の夢(?)が珍しく一致した瞬間だった。