次女と弟
ディーン・ウィンダリアはセレスの弟で、今のセレスと同じ黒い髪と青い瞳の持ち主だった。瞳の色は同じ青といってもセレスは深い青色で、ディーンの瞳はもう少し明るい青色だ。顔立ちもよく似ているので2人が並べば一目で血が繋がっているのだとわかる。
ディーンはウィンダリア侯爵家の家族の中で、唯一、セレスをきちんと家族として認識出来ている存在だった。
幼い頃は父や母、そしてもう1人の姉がどうしてセレスを家族として認識出来ていないのか不思議でしょうがなかったが、この年齢までくると、もうそういうものだと納得している。むしろこの姉に家族として接することが唯一出来る弟としてその特権を存分にいかして甘えまくっている。姉も姉で「姉様」と言って慕ってくれる弟にはものすごく甘くなってしまうらしく、こうして抱きついても文句は言われない。
セレスが1歳になった頃に生まれた弟なのだが、待望の男子ということで大切にはされていたが、セレス同様それほど手のかかる赤ん坊ではなかったせいか、どうしても両親の比重はソニアに向いていた。
もちろんセレスと違い、赤ん坊の頃から家族の集まりには必ず参加していたし、他の貴族からその様子を聞かれてもきちんと答えていたようだが、屋敷内では主に乳母に世話を任せてばかりで自ら世話をすることはあまりなかった。
セレスにとって弟は、初めて自分より年下の血の繋がった家族という存在だった。弟が赤ん坊の頃は、両親がいない隙を見計らって一緒にお昼寝したり、日向ぼっこをしたりして楽しんでいた。
セレスの中にある知識によれば「弟とは、どれだけ身体が大きくなっても姉ちゃんには逆らえない」存在らしいので、ようやく物事をうまく言葉にして伝えられるようになってきた頃にどういう意味か執事に聞いてみたところ、
「お嬢様、確かに一部そういった事例は見受けられますが、それはその姉弟がどのような力関係で一緒に育ったかによると思われます。お嬢様はお嬢様なりに愛情を込めてお坊ちゃまと接すればよいのですよ。その結果、将来的にお嬢様に逆らえなくてもそれはそれでよろしいかと」
「でも、じぃ、わたし、まだうまくわらえないの。このこはいやがらないかな?きらいっていわないかな?」
「もしもそんな事態になりましたらこのじぃがお坊ちゃまとよく『オハナシアイ』を致します。ええ、それはもうしっかり話し合いますので心配はご無用です」
「まだ、だっこもしてあげられないの…」
「抱きしめてあげたり、頭を撫でてさしあげるだけでもよろしいのですよ。そうですね、絵本などの読み聞かせなどいかがでしょう?」
「それでいいの?それならできるわ」
基本、乳母任せの子育ては、世話をする人間からしたら2人を会わす時間の調節がとてもつけやすい。他の家族がいなくなる時間はいつもセレスは弟のところに行っていた。
幼い姉が舌っ足らずな言葉で弟に絵本を読み聞かせている姿を見て、侍女たちが「尊い…!!」と言いながら口元に手を当てて涙を流していたのを執事はいつも見て見ぬふりをしていた。中には鼻血を出している者もいたがこちらも見なかったことにした。気持ちはわからなくもないのだが、と思いふと隣を見るとディーンの乳母が同じようにもだえて泣いているのを見て、ハンカチを差し出しつつ、せめて自分だけは理性を保とうと心に誓っていた。
「本当に心配しましたよ、姉様。突然帰って来なくなるなんて、姉様に何かあったらあのクソ王子をどうしてやろうかと思いました」
セレスの愛情を込めた弟育ての結果、確かに「姉に逆らわない弟」に育ったのだが、「方向性が少し違う」と執事に言わしめた弟は、セレスの意向で外では会話をしないようにしている分、家の中やセレスとの本当の関係性を知っている親しい人の前では遠慮無く甘えてくるようになった。
自分のことが貴族間でも話題になっているらしいことを知ったセレスが「私と仲良くしてたら、ディに迷惑かけちゃうかも…お願い、外では私に話しかけないで」なんて泣きそうな声で言ってきたので、ディーンも仕方なく屋敷の外では仲良くするのを諦めた。まあ距離を置いていると思われていた分、セレスが逃げ出しても第二王子がセレスの居場所を探りに来ることもなかったので、ディーンはすぐにセレスに会いに来ることが出来たのだが。
セレスは弟に詳しい説明をしていなかったのだが、弟はちゃんとセレスの失踪が第二王子絡みであると推測していたようだ。間違ってはいないのだが、第二王子をクソ王子と呼ぶのはさすがに不敬になってしまうのであまり言うのはやめて欲しい。普段からそう呼んでいるとうっかり公共の場でも出そうで怖いのだが、しっかり者の弟なのでその辺はきちんとしている、と信じている。
「僕は姉様がこうして薬師ギルドに出入りしているのを知っていたのですぐに会いに来ましたが、クソ王子…じゃなくて殿下が我が家に来て姉様を探す、と息巻いていましたよ」
ちゃっかり姉の隣の席を確保して、第二王子が侯爵に会いに来た時の様子を教えてくれた。
「ソニアが大変でしたよ。殿下は私に会いに来たのよ!やっぱり殿下は私が忘れられないのね!とか言って、殿下に拒否されたら部屋の中で大暴れしてました。でも最後、殿下が帰られる時にはちゃんと玄関まで出てきて、またいらして下さい、って言ってた姿はブレないなーと感心しました」
ディーンはもう1人の姉であるソニアのことは名前で呼んでいて決して姉とは呼ばない。小さい頃に理由を聞いたのだが、「何か気持ち悪くて姉と呼びたくない」と言って嫌悪感を示していた。父や母にも若干の嫌悪感はあるらしいのだがさすがにそこは対外的にも「父上、母上」と呼んではいる。父と母の方は嫡男ということもありそれなりに接しているのだが、ディーンはセレスの傍にいることを好んでいたので、父母のいない時にはいつもセレスと一緒にいた。
「でも驚きました。あの父が殿下に言われたとはいえ、姉様の存在を思い出して落ちこむとは思いませんでしたよ。一生思い出さないか、思い出しても無視すると思ってたんですけどね」
ディーンの知る父は、たまに何かの機会でセレスのことを思い出してもその後すぐに忘れてしまうし、社交場でセレスのことを聞かれてもなぜかそれをソニアのことだと変換する謎の思考回路の持ち主だった。執事に聞いてみてもセレスが生まれた時からそういう思考回路だったという証言しか得られなかった。
「姉様を探そうにも探すあてなんてないし、探し出したところで『ウィンダリアの雪月花』である姉様をどうするつもりなんだか。姉様を一番に気にかけたりしたらあのソニアが癇癪を起こして大変だと思うけど」
ディーンは姉であるセレスが『ウィンダリアの雪月花』であることを知っていた。おとぎ話のようなその存在が姉という最も身近にいることを知っていたので、父や母がセレスを無視するのが信じられなかった。いくらソニアが癇癪を起こすとは言え、母にしてみれば自分が産んだ2人目の娘なのにどうして忘れていられるのか、そのことを本人たちに聞いたことがあったのだが、笑いながら、娘のことは一時たりとも忘れてはいないよ、と言ってソニアを可愛がるだけだった。
もう無理だと判断したのはいつの頃だったのだろう。成人したらとっとと爵位を譲ってもらい、父と母とソニアを領地に引っ込めるのが最善だと思っている。侯爵家の屋敷で堂々と姉と暮らすにはそれが一番手っ取り早い。そのための下準備をしていた段階だったのに、第二王子の暴走でセレスは侯爵家から出て行ってしまった。
「まったく、僕が成人したらあの屋敷で姉様とまったり暮らすつもりだったのに」
「ディ、あまり無茶はしちゃダメよ?」
「でも、姉様、あの屋敷、欲しくないですか?正確には姉様の大切な薬草が植えられてる庭。あの貴重な薬草たちを姉様はずっと大切に育ててきたじゃないですか。もちろん、今でも庭師たちが大切に育てているので欲しい薬草があったらすぐに言って下さい。僕がちゃんと姉様に届けに来ますから」
「……庭…」
「そうです、姉様。残念ながらあの庭と屋敷はセットで侯爵家の物ですからね。僕が爵位を継いで姉様と屋敷で一緒に暮らすのが一番良い方法なんですよ」
セレスが大切に育ててきた薬草たち。王太后様や目の前にいるお姉様から貰った貴重な薬草もあるし、薬師たちが普段使いするような薬草も庭のあちこちに植えてある。それぞれの薬草に最適な場所に植えて育てて増やして、時には失敗だってしたが、いつの間にか侯爵家の庭は、見る人が見たら薬草の宝庫だと一発でわかる庭と化していた。
確かに、あの庭とおさらばするのは嫌だ。
「ディ…」
「任せて下さい、姉様」
考え込んだセレスが顔を上げてディーンを見ると、何も言っていないのにディーンは心得たとばかりに大きく頷いた。
「こーら、弟くん、せっかく侯爵家から脱出してきたのに、セレスちゃんを誘惑するんじゃないわよ。まったく、セレスちゃんに育てられたわりには誰に似たのよ」
黙って姉弟のやり取りを聞いていたアヤトが呆れて止めに入った。
けっこう素直なセレスと違って、この弟はわりと腹黒い方だ。何より幼い頃から一緒に育っているだけあって、ディーンはセレスが何を欲しているのかよくわかっている。侯爵位と庭がセットならセレスの為にも確実に早い段階で爵位を継承するだろう。それだけの能力もある。きっと近い将来、侯爵と呼ばれているのは彼の方だ。
「一応、貴方はまだ成人前なんだからまだ爵位は継げないわよ、もう少し待ちなさいな。セレスちゃんも薬草欲しさに弟くんの話にのるんじゃありません」
「でもお姉様、あの庭にある薬草は貴重な種も多いんです」
「大丈夫ですよ。姉様は僕の専任の薬師ということでお招きしますから」
「ちゃっかり専任とか言わないの」
どこまでも暴走しそうな弟を止めるのはいつも苦労する。
いつも不思議に思っているのだが、どうして凡庸、お花畑と評されるあの両親からこの姉と弟が生まれたのだろう。両親の血ってどこにいったの?との疑問には誰も答えてくれなかった。