10年間の出来事~アヤトとセレス①
読んでいただいてありがとうございます。10年前の出来事はちょっとゆっくり書きたいと思いますので、少し投稿が遅れますがよろしくお願いします。
セレスがアヤトに会えたのは、薬師ギルドの使いの人が来てから8日経った後だった。前と同じ人が使いで来てくれたのだが、その人曰く、長が10日も休暇を取ったのは就任してから初めてのことだったらしい。事務方が色々と大変だったそうで、昨日1日はアヤトも溜まった書類の片付けで忙しくしていたらしい。そして今、薬師ギルド全体での一番の悩みは長の呼び方だそうだ。
セレスが首を傾げると、会えば分かる、と言って帰っていった。
「セレスちゃん、この前は悪かったね。急な休暇に入ったからしばらくギルドにも顔を出していなかったんだ」
そう言ったその人は、確かに顔だけ見ればよく見知った顔だし、薬師ギルドの長のイスに座っている以上、間違いなく薬師ギルドの長をしている師匠なのだが、本当に同じ人?という疑問を抱いても仕方のない姿をしていた。
なにせ、今まで絶世の美女だった薬師ギルドの長が妙な色気を纏った美貌の青年になっているのだ。
長かったゴージャスな金の髪は、頬にかかるくらいまで短く整えられていて当然化粧なんかもしていない。服装も今までは体型を隠すように男女どちらとも言えない感じの服を着ていたのだが、今着ているのは完全なる男性の服だ。もちろんきっちり着ていてとても良く似合っているのだが、今までのアヤトしか見たことが無い身としては違和感しかない。言葉使いも男性寄りになっているので、そんな人に「セレスちゃん」とか言われても、どちら様でしょうか?という言葉しか浮かばなかった。
「……えーっと、お姉様??じゃなくてお兄様??もう、面倒くさいので師匠でいいですか??」
何があったのか知らないが、確かに”お姉様”が”お兄様”になっていた。
「うん?ま、そうだよね、この格好でお姉様とか言われてもちょっと違うかな。師匠あたりが妥当か。ってゆーか、私の扱い雑じゃない?」
心なしか声のトーンも少し低くなっている気がする。今までは外見に似合うように多少高めの声を出していたのかもしれない。外見が男性になってもたまにお姉様の言葉使いになるのはご愛敬だ。
「じゃあ、師匠で。私のことも呼び捨てでお願いします。その姿の方にちゃん付けで呼ばれても違和感しかなくって…でも、何の心境の変化ですか?」
「そういうもんかな?セレスがそれでいいならこれからは呼び捨てにするよ。心境…というか、ずっとあの姿でいたのは、一目惚れした人が初めてしゃべった時にあの姿が似合うって褒めてくれたからだったんだよ。さすがの私も学生時代に一度、女装を止めようかどうしようか悩んだんだけど、彼女が似合うって言ってくれたからそのまま貫いてきたんだ」
「えーっと、では止めた理由は…」
「ようやく恋人になってくれた彼女が長い髪の男は嫌いだって言ったから」
あれ?学生時代に出会ったのに今ようやくお付き合い開始…??ひょっとして師匠はヘタレだったのかな…??
セレスはアヤトの年齢を思い出し、最低でも10年は片想いしてたんだ…それに長い髪嫌いって言われたらすっぱり切るって何か凄い、と妙な感心をしてしまった。
「師匠って意外と一途な人だったんですね」
「自分でもこんなに長くかかるとは思わなかった。彼女がまだ結婚してなかったのが奇跡かな」
「…師匠、まさか妙な手を使ったりは…?」
「してないから。ちゃんと告白しました」
今回は順序を間違えていない。ちゃんと口説いて告白して返事をもらってからだから問題はない。
アヤトがセレスに力説しているちょうどその時、吉祥楼ではユーフェミアがパメラ相手に愚痴っていた。
「長い髪が嫌いって言ったらすぐに切って、あの綺麗な顔で聞いてる方が恥ずかしい言葉を惜しげもなくがんがん言ってくる相手に陥落するな、とか言う方が無理。なんでアヤトってあんなに流れるように色んな言葉が出てくるのよ。目をそらそうとしても許してくれないし、顎クイなんて生まれて初めてされたわ」
「…それはノロケなの?アヤト様、すごいわねー。花街っていう場所柄色んな口説き文句に慣れてるはずのユーフェが恥ずかしいとか言っちゃうくらいの言葉の数々が出てくるのね。恋愛初心者のユーフェじゃすぐに落ちるわよ。それで、10日間も何してたの?」
「…教えない」
「今現在、ベッドの上の住人のくせに教えないも何もないでしょう。うふふふふ」
「なら聞かないで!」
へろへろの状態で帰ってきてからベッドの上の住民と化しているユーフェミアは、パメラの言葉、というよりもアヤトとのあれこれを思い出しては顔を赤くしていた。そんなユーフェミアは同性のパメラから見ても可愛かったので、あれだけ長い間ユーフェミアのことを想っていたアヤトの理性などきっと簡単に吹き飛んだと思われる。
今までは「アヤト様」と呼んでいたのに帰ってきてからは「アヤト」と呼んでいるのだが、ものすごく自然に淀みなく呼んでいるので呼び捨てに慣れるまで呼ばされ続けたんだろうなぁ、とか顔をにやつかせながらパメラは想像を膨らませていた。
「セレスも好きな人に何か言われたら叶えてあげたいと思うだろう?」
「好きな人、ですか…」
「セレスにはいない?好きな人」
アヤトの好きな人の話からそう聞かれて、セレスは真剣に自分の好きな人って誰だろう?と悩み始めた。
「ディは弟だから好きだし、師匠もローズ様もお兄ちゃんやお姉ちゃんみたいで好きだし、じいたちウィンダリア侯爵家の使用人の皆も大好きだし…」
セレスがぶつぶつと呟いている名前に肝心のジークフリードの名前が出てこない。
この国、というか世界の平和の為にもセレスにはぜひともジークフリードの名前を呼んで欲しい。セレスに名前を呼ばれた瞬間にどこからともなく現れそうで怖いが気にするな。
「身内は却下。他に誰かいない?」
「他、ですか…あ、ジークさん……って私の何でしょう??」
ようやく名前が出てきたのに、思いっきり疑問形で首を傾げたセレスを見てアヤトはため息をついた。
思春期未満の超恋愛初心者、というかお子様のセレスでは、まだまだジークフリードの想いなんか理解出来ないだろう。まあ、そこはそれ。幼い感情を自分の手で育てる楽しみもあるのだろう、多分。
それと同時にまだまだお子様なセレスティーナに正直、少しほっとした。可愛い弟子の相手として色んな意味でジークフリードは申し分ないのだが、ぽっと出の友人にすぐに連れていかれるのはちょっと嫌だ。セレスは自分のやりたいことを始めたばかりなので、ジークフリードを思う存分振り回せばいい。惚れた弱みでジークフリードも付き合ってくれるだろう。
「リド…ジークフリードがセレスにとってどんな存在になるかはこれから次第のようだね。師匠として言わせてもらえば、可愛い弟子に変な男が近寄るよりは全然いいんだけど、だからといってリドに独占されるのは嫌だな。ま、セレスが我慢することは一切ないけどジークフリードのことはゆっくり考えてやってほしい」
「……はい。少し、考えてみます」
「うん。今はその程度でいいんじゃないかな」
ジークフリードは、指先1本分くらいはセレスの中の特別枠に入り込めているだろう。
「それでユーフェから聞いたんだけど、この香水、セレスが作った物だって?」
アヤトの前に置かれているのは間違いなくセレスが作った物でユーフェミアに渡したものだ。
あれ?何でユーフェさんに渡した物をずっと休暇に入っていたはずの師匠が持ってるんだろう?しかも愛称呼びしてなかったはずなのにユーフェって呼んでるし…そう言えばパメラさんからしばらくユーフェさんに会えないって言われたっけ…、と次々に疑問がいっぱい溢れてきたがセレスは何も気付かなかったことにした。
「あ、はい。そうです。ユーフェさんがちょっと気になったそうで預からせて欲しいって」
「うん。ユーフェからも聞いてる。結論から言うと、この香水は10年前にとある女性が使っていた匂いによく似ている。セレスは詳しくは知らないと思うけど、10年前、この国で魅了の薬を使った大規模な事件が起こったことがあってね。魅了の薬はその事件の主犯である少女が香水として使用していた。これはその匂いに良く似ているんだよ」
「10年前、ですか?」
「そう。セレスに教えるかどうか迷ったんだけど、こうして偶然でも同じ匂いの香水を作ったようにいつか偶然、魅了の薬とかも作ってしまいそうだから、事件の事を教えておいた方がいいと判断したんだ」
本当はまだ教えるつもりは無かったのだが、セレスは『ウィンダリアの雪月花』、薬草の女神でもある月の女神の愛娘だ。魅了の薬を作り出すこともきっと簡単に出来てしまう。セレス自身はそれを悪用したりする子では無いが、偶然でも作り出した物には作った者としての責任が生じる。その薬を悪用されたらどうなるかというのは教えておいた方がいい。
「長くなるからそっちに座ってくれ」
ソファーにセレスが座るとアヤトは自ら紅茶を淹れて向かい側に座った。
「10年前、学園に通っていた私たちの2つ下に1人の少女がいた。少女の名前は、リリーベル・ソレイユ。ユーフェの義妹に当たる少女だったが、色々あって曾祖父の元にいたユーフェとは家を出て以来、全く交流がなかったそうだよ。最初、リリーベルは当時、生徒会の役員だった私たちの前に現れたんだ。彼女が主に狙っていたのはリドだったんだが、リドが全く相手にしていなくてね、それでもしつこくリドに付きまとっていた彼女からはこの香水に良く似た匂いがしていた。どうやらそれが魅了の薬を香水にした物だったらしいんだが、私たちには全く効かなかった」
アヤトは当時を思い出したのかどこか遠い目をしていた。
「リリーベルは、生徒会の面々、特にリドが自分の思い通りに動いてくれなくて戸惑っているようだった。ユーフェに聞いたが、彼女の願いは何でも父親や周囲の男たちが叶えてくれていたそうだから彼女にとって自分を特別扱いしない生徒会の面々は、いつの間にかどうしても手に入れたい存在になっていたようなんだ」
「…何か、子供みたいな方ですね」
「そう、実際、リリーベルはわがままな子供だったよ。外見は儚い美少女だったんだが、所々に現れる言動や欲望丸出しの目は自己中心的な性格をよく表してたかな。それを隠すのが上手くて、彼女がいいって男たちがよく言っていたのは、『あれほど優しい性格をしているリリを信じないなんて』だったかな。ユーフェの方が優しくて美人なのに」
…一度、考えるのを止めていたが、どう考えても師匠の最愛の女性はユーフェミアだ。10年前、その義妹の事件が起こった時にユーフェミアは師匠の元からいなくなったのだろう。それが偶然なのか何なのかセレスと知り合ってその師匠であるアヤトと再会して見事に復縁(?)したようだ。
そしてきっと師匠はもうユーフェミアを離す気はないだろう。
「…師匠」
「何?」
「花嫁のブーケはぜひ私に作らせて下さい」
「花嫁のブーケ?何それ?」
唐突に言い出したセレスに思わず返事を返したが、花嫁のブーケって何?そんな言葉は聞いたことがない。普通の結婚式では、花嫁は花束は持たずにおめかしした子供たちが花を周りに播くのだ。その花を手に入れると幸運が訪れると言われている。それも貴族たちや裕福な庶民の結婚式だけで、大抵の人は神殿に行って司祭の前でお互いに誓い合って終了だ。
一方、セレスも内心で「あれ?これってひょっとして異世界の習慣でこっちの方ではないのかな?」と思ったのだが、言葉に出した以上、説明は必要だし、今までなかったのならこれからやればいいだけの話だと割り切った。こっちの住人であるセレスにその知識があるのならそれはこっちでも使って良い知識なのだ、と最近は思うようにしている。
「花嫁さんが結婚式の時に持つ花束です。白の花を基調にしたものが多いんですが、好きな花や色、思い出、それに花言葉などから選ぶ人がいるそうです。それで式の最後に後ろ向きでその花束を来てくれたまだ独身の女性の方に向かって投げるんです。それを取った人が次の花嫁になれるという言い伝えがあるんですよ」
「へぇ、面白い言い伝えだね。いいね、ユーフェのドレスはローズに頼むつもりだから、ドレスに合わせて作って欲しいな」
「はい。ユーフェさんの好きな花とか聞いておきますね」
もはや何の違和感もなくセレスはアヤトの恋人の名前をはっきりと呼んだのだった。