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侯爵家の次女は姿を隠す。(書籍化&コミカライズ化)  作者: 中村 猫(旧:猫の名は。)
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過去と無かったこと①

読んでいただいてありがとうございます。アヤトとユーフェミアの大人組のお話です。なので、それっぽい表現もあります。

「行ってくるわ」


 セレスが作った香水を持っていつもの余裕たっぷりな感じの顔ではなくて、ものすごく真剣な顔をして出かけようとしている友人にパメラはにこやかな笑顔で声をかけた。


「もうちょっとにこやかにした方がいいわよ。まぁ、気をつけてね。2、3日って言ったけど、10日くらいならがんばれるからね」

「ちゃんと今日帰ってくるわよ。ええ、絶対に帰ってくるんだから!」


 そんなことを言っているが、仕度にいつも以上の時間をかけたことは知っている。服装だっていつものラフな格好じゃなくて、ちゃんとお出かけ用だ。


「はいはい。そう願ってますよ」

「……もう、いいわよ。じゃあ、後はお願いね」

「ええ」


 歩き出した姿はいつもと変わらないが、その後ろ姿は何となくいつもの凛とした雰囲気とは違う雰囲気を醸し出している。


「ユーフェミアは出かけたのか?」


 何の気配も無くすっと現れたのは初老の男性だった。この花街の上役の纏めをしている人物で、ユーフェミアやパメラに花街での生き方を教えてくれた血こそ繋がっていないが父親とも言える人だ。


「薬師ギルドの長のところにお出かけです」

「ほう、それはそれは。…覚悟を決めたのかい?」

「どうでしょう。今回は別件でどうしてもアヤト様と話さなくてはいけないことがあるのですが…不在が長引くようなら苦情の1つも入れておきますわ」

「はっはっは。まあそうそう厄介なことは起こるまいて。起こったらワシに知らせるがよかろう。厄介事の対処くらいはいつでもしてやるさ」

「……それ、帰って来ない前提ですわよね?」

「お預け期間が長いからなぁ。あの男が素直に帰してくれるとは思えん。あれは必要とあらば外面も人当たりも完璧なまでに仕上げてくる嫌な男で裏に回れば冷酷非情で有名だが、ユーフェミアに一途だったところは認めてやろう。初手はしくじったがな。一応、今まではユーフェミアの意思を尊重してくれていたようだが、自ら会いに来てくれたとなるとどうだろうなぁ。まあ、好いた女を二度も逃がすほどの愚か者でもあるまいよ。泣かせたら許さんが、ユーフェミアがいつ帰ってくるのかはあの男次第だろうな」


 物騒な台詞をはっはっはと上機嫌で笑いながら言ってから男は去っていった。残されたパメラは、ユーフェミアに向かって言った台詞は半分くらい冗談のつもりだったのだが、言われてみれば確かにそうかも、と思い、友人が向かった薬師ギルドの方に向かって合掌をした。


「ごめんなさいね、ユーフェ。冗談にならなそうだわ」




 いつも通り、書類とにらめっこして決裁の印を付けて各部署に手配などをしていたアヤトは、凝った肩を少し回していた。今日はもう来客の予定はないので、机の書類だけは終わらせて帰ろうかしら、と思い新しい書類に手を出したところで扉がノックされて受付け嬢の1人が入ってきた。


「長、お客様がいらっしゃってるんですが」

「…今日はもう来客の予定は入ってなかったわよね?」

「はい、入ってないです。ですが、急用だそうです」

「急用ね、で、誰なの?」

「吉祥楼のオーナーのユーフェミアさんです」


 受付嬢からその名を聞いてアヤトは全ての動きを止めた。

 今、告げられた名前は本当だろうか。彼女が自分からここに来るなんて有り得ない。けれど、吉祥楼のオーナーでユーフェミアという名前を持つ女性なんてこの世に1人しかいない。


「…本当に彼女なの?」

「はい。個人的に何度かお見かけしたことがあるのでご本人で間違いないと思いますよ。同じ女性から見ても色気のある方ですよね」

「え、えぇ、そうね。会うわ。それからしばらくは誰も部屋に近づかないようにして」

「では、こちらへお連れします」


 受付嬢が出て行くと、アヤトはイスに座りながらゆっくり深呼吸をした。


「本当にユーフェミアなの?貴女、ずっと私を避けてきたじゃない。夢じゃないわよね…」


 セレスが知り合ったと言っていたし、ジークフリードも温泉で再会したと言っていたのでいずれは自分も…とは思っていたが、まさかこんなに早く再会する日が来るとは思わなかった。

 急用、と言っていたからまず話を…否、その前に10年前のことを謝ってからだ。それから話を聞いて…。

 アヤトの頭の中で机の上にある書類のことは綺麗さっぱり消え去り、代わりにユーフェミアに再会してからどうするのかということばかり浮かんできたのだが、彼女に関して自分の思った通りに事態が進まないのは10年前に経験済みだ。いくら考えたっていざとなれば頭の中の作戦は案外役に立たない。


「お連れしました」


 案内されて部屋に入ってきたのは間違いなくユーフェミア・ソレイルだった。

 あの頃よりもずっと大人になっている。当たり前だ、あれからすでに10年は経っているのだ。お互いもう学生なんかじゃなくて、それぞれに立場ある人間として色々と経験を積んできている。ただ、変わらないこともある。

 学生の頃、彼女を見かける度にどこか落ち着かなくてイライラした。誰かとしゃべっている姿を見かけるだけで、その相手が自分じゃないことになぜか苛立たしくてむかついた。今、思えば自分勝手なただの嫉妬だった。

 ユーフェミアは覚えていないだろうが、初めて会ったのは裏庭で落としたリボンを拾ってくれた時で、その時は笑顔で対応してくれたのに、次に会った時に言われた言葉は「初めまして」だ。自意識過剰、と言われるかもしれないが、他人の記憶には残りやすいタイプのはずなのに、彼女の記憶から自分という存在がすっぽり抜けてしまっているのが許せなかった。こっちはずっと忘れられなかったというのに。

 彼女の義妹がジークフリードを狙って纏わり付き始めた頃、会う度に話をしたが、全くなんの感情も表に出すことなくしゃべる彼女のその無表情を壊したいと思い嫌みの1つや2つや…数え切れないくらい言ったと思う。

 けれど、結果は惨敗だった。

 彼女は一度だって自分の方を見てくれなかった。そのくせ、いつも違う男の手を引っ張っていた。

 後から聞いた話では、あの男性たちは義妹の被害者で、正気に戻すために連れ出していただけだったらしい。言ってみれば彼女とは直接関わりの無かった人たちだ。放っておけばいいのに、ユーフェミアは少しでも被害を減らそうと努力をしていた。なのにこちらは見当違いをして、さらにつまらない嫉妬も入った結果、彼女に対してだけとげとげしい態度で接してしまった。尤もどんな態度を取ろうともユーフェミアが自分を見てくれることなどなかっただろう。義妹の被害を減らすのに必死だった彼女がようやく自分を真正面から見てくれたのは、皮肉にも娼館に売られると聞いて部屋に押しかけたあの夜だった。

 初めて彼女が全ての意識を自分だけに向けてくれたあの時の歓喜は、今でも忘れられない。

 その想いは今もずっと引きずっている。

 彼女がようやく自分だけを見てくれて嬉しかったのに、若かった自分はその想いを持て余して暴走した。

 結果、あっさりとユーフェミアは姿を隠し、まさか再び向き合えるまでに10年の時を要するとは思わなかった。

 

 隣で寝ていたはずの彼女の姿が消えていたことに対して、どうせすぐに見つかる、とか思った当時の自分をぜひともぶん殴りたい。

 

 彼女がいなくなった後、すぐにジークフリードに捕まって文字通り弟と2人、王城から一歩も出られずに仕事をこなした日々の中でユーフェミアの行方を追いかけられなくなり、最後に足取りを追えた花街の上役からは「まだまだだぜ、坊ちゃん」という有難くない言葉を貰った。当時の花街は今よりもっと特殊な場所で、王侯貴族が介入しづらい場所だったのだ。

 今度は絶対に自分の想いを否定したりしない。

 否定どころか全肯定して……言葉を尽くして口説こう。彼女の望みを叶える為の努力は惜しまずいこう。

 彼女に関してはどうせ色々考えたってムダなので、もう出たとこ勝負だ。


「…お久しぶりね、ユーフェミア」


 言葉を尽くして口説くはずが、そんなありきたりな言葉しか出てこない。


「お久しぶりでございます、アヤト様。セレスちゃんにはいつもお世話になっています」


 対してユーフェミアもありきたりな挨拶しか返してこなかった。

 しばらく誰も来ないように伝えてあるので、ここには自分とユーフェミアの2人しかいない。あの夜と同じだが、同じ過ちを犯すわけにはいかない。


「座って。今、紅茶を淹れるわ。好きな銘柄はある?」

「…特にありませんので、何でもかまいません」


 穏やかにしゃべる彼女に自分はきちんと映っているのだろうか。あの時はしっかり目を合わせてしゃべった…というか言い合いをしたのだが、10年経ったユーフェミアの目に映る自分はどんな風になっているのだろう。


「はい、どうぞ」


 自分とユーフェミアの前にカップを置き、心を落ち着かせる為にも一口飲んだ。チラリとユーフェミアを見れば好きな紅茶だったのかうっすらと口元に笑みが浮かんでいる。


「ユーフェミア…色々と言いたいことはあると思うけれど、先に謝らせて。あの時はごめんなさい」


 カップを置き、深々と頭を下げたアヤトにユーフェミアは少し驚いた顔をした。


「……済んだことです、アヤト様。あの時は私も言い過ぎましたし…それにアヤト様の頬を叩きましたもの」

「…!それ以上に私は貴女に…」

「それこそ済んだことです、アヤト様」


 笑みを浮かべるユーフェミアにアヤトは、済んだこと=思い出したくも無い過去、なのだろうか、ユーフェミアにとって自分はもやはその他大勢に分類されるのだろうか、などと内心で葛藤していた。


「アヤト様、本日は少しご相談があって来たのです。あの時のことはもう無かったことに致しましょう」


 10年の間、自分はずっと覚えていた。たった一度だけだったが、好きになった人に触れたその日のことを忘れるなんて出来なかった。思い出したくない、と言われるのならまだしもそれを無かったことにする?今の今まではユーフェミアの願いならどんなことでも叶えようと思っていた。けれど、実際に声に出して言われた瞬間にユーフェミアの記憶から消える自分の姿が思い浮かび、それは嫌だと全ての感情が否定して、先ほどまで考えていたユーフェミアに再会したらどうするか、なんて考えは一切放棄した。

 貼り付いた能面のような接客用の笑顔でそう言ったユーフェミアの感情を揺さぶるべくアヤトは彼女の提案を却下した。


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