次女と香水②
読んでいただいてありがとうございます。すいません、最初に投稿した時に変な終わり方してました。
セレスとディーンは花街の中を吉祥楼に向かって歩いていた。ディーンは花街を歩くのは初めてだが、セレスはユーフェミアに連れられて何度か来ていたので、色っぽいお姉さんやいかつい顔のお兄さんたちにも慣れたものだった。
本人は知らないが、いかつい顔の用心棒たちには、花街の上役たちから何が何でもお嬢ちゃんを守れという命令が出ているのでどこかしらの店の人間が常に見守っている状態だ。
とはいえ、通っている内にそれなりに話をしたり薬について相談されたり、という関係になっている人たちもいるので、姿を見かけたら声をかけてくれる人は多くなってきていた。昼間に限ってはセレスは1人で花街の中を歩いていようとも危険は無い。下手をしたら外よりも安全なくらいだ。ただし、夜はよっぽどのことが無い限り出入り禁止にはなっている。もし何らかの事情でどうしても花街に逃げ込まなければならない場合は、一番近くの店に逃げ込むこと。花街で病人や怪我人が出て来て欲しい、という場合は必ず吉祥楼の男が迎えに行くのでそれ以外の人間が来たら絶対付いていかないこと。等々、細かくルールが定められている。
薬師としてのセレスは必要だが背後が怖い、という上役たちの苦肉の策だ。誰も新作の薬の被験者にはなりたくない。お互い、手出し出来ない領域で生きているとはいえ、無駄な争いをする必要は無い。ついでにセレスに何かあったら最悪、あの方が出てくるよ、という怖いお達しもあったので、何が何でもセレスの安全第一を上役たちは掲げた。
「おや、お嬢ちゃん、今日は男の子と一緒なんだねぇ。良く似てるね、お兄さん?」
「違います。弟です」
「…逆じゃなくて?弟くんの方が大人っぽいけど」
顔見知りのお姉さんがくすくす笑いながらからかってきた。セレスは一生懸命否定するのだが、その様子がまた面白かったのか、周りのお姉さんたちも微笑ましい感じで見守っている。
「弟くんかぁ、大人になったらいい男になりそうだね、女性たちが放っておかなさそう」
姉弟を見る目はとても優しいのだが、どこか切なそうな感じを受ける。
「大人になったらご贔屓にね」
「お姉さんたち、いつも姉様を守って下さっていてありがとうございます。このお礼は僕が大人になったら必ずいたします」
花街のお姉さんたちに向かって優雅に礼をしたディーンにお姉さんたちは一瞬あっけにとられた後、きゃーという声とともに騒ぎ始めた。
「やだ、聞いた?姉様だって」
「美少年の口から出る姉様って言葉の威力はすごいわねぇ」
「絶対、お姉さん大好き弟ね」
好き勝手に言い始めたお姉さんたちに向かって手を振ってからセレスとディーンは吉祥楼に向かって歩き始めた。
「申し訳ないのですが、花街ってこう…もう少し違う雰囲気だと思っていました」
「そうね、私も最初はそう思ってたんだけど、王都の花街は上がしっかりしているからルールも厳格だし下手な場所よりは治安がいいんですって。少しでもおかしなことが起こると国が介入してくる可能性が高いからそうならないように厳しいそうよ」
国や軍が介入してこないように上の者たちが厳しく治安維持に努めているので、ここで暴れるのは酒を飲んだ者かよそ者だけだ。それもすぐに花街内で収まるように各店に腕自慢たちが揃っている。ケガをして遠出が出来なくなった者や何らかの理由で冒険者を辞めた者たちの良い再就職先にもなっているそうだ。治安維持に手を抜いたらすぐに問題が起こる可能性が高いので、人選も慎重に選んでいるらしい。
セレスとディーンがお姉さんやお兄さんたちと挨拶を交わしながら吉祥楼に向かって歩いていると背後から急に呼び止められた。
「おい!そこの子供2人」
子供2人、と言った時点でセレスとディーンのことに間違いはなかったので、用心棒たちが2人を守る為に動こうとしたのだが、呼んだ相手を見てどうしていいのか戸惑った。呼び止めた相手は、男たちも良く知っている相手だった。
「姉様、下がっていて下さい。僕たちに何か用ですか?」
すっとセレスを背中にかばうように前に出たディーンは険しい表情で男を見た。
「お前だろう?裏通りに薬屋を開く予定のガキってのは。いいか、ここは大人の場所だ。ガキが好き勝手していい場所じゃねぇ!!」
「失礼な人ですね。人の前に急に出てきたと思ったら名乗りも一切しないで自分の都合の良いことだけを言う。そんな常識のない者たちとは付き合うな、というのが我が家の家訓です」
もちろん嘘だ。だが、嘘でも何でもいいからこんな面倒な男とセレスを関わらせたくはない。
「俺は花街の薬屋だ!だからここの人間に勝手に薬を売るなよな!!」
その言葉で、あ、この人が花街の婆の孫っていう男性か、ということに思い至ったのでセレスはディーンの背後から一歩前に出た。
「薬師ギルドのような大きなところでない限り、どの薬師が信頼出来てどの薬師が作った薬を飲みたいのかは、薬を必要とする方が決めることです。薬と毒は表裏一体。信頼出来る薬師からでなくては、毒を渡される可能性だってあるんです。それにその日の体調やその方の体質によっても違います。患者さんの命を守る為に私たち薬師は、話を聞くことだって大切なことなんです。貴方が花街の薬師だと言うのならば、どうして最初からお姉さんたちの相談にきちんと乗らなかったんですか?お姉さんたちの悩みを聞いてちゃんとした薬を処方すれば信頼は得られたはずです。それをせずに適当に話を聞いて効きもしない薬を渡していたから敬遠されたんですよ?確かに最初は男性ということで少し遠巻きにされたかもしれませんが、それでも真摯に向き合えば信頼は得られたはずです。現に先代のギルド長は花街のお姉さんたちの信頼を得ていました」
言葉の最後には本来なら「ちょっと変態ですが」という言葉が付くのだが、それは言わずに、先代が女性からの信頼も大きかった男性薬師だということだけを伝えた。
だが、いかにも年下の少女にそう言われて男は、カッとなってセレスの左手を掴んだ。
「姉様!!」
「その手を離せ!」
ディーンの言葉と同時に用心棒の1人が男の手を取ってセレスから引き離そうとした。
「うっせぇ!これ見よがしに薬の入ってそうな籠なんて持ちやがって!!……え…?この匂いは…」
セレスに文句を言おうとしていた男が急に戸惑ったような表情になった。力が緩んだスキをついて用心棒がセレスの捕まれた左手を引き離し、背後にかばった。
男は呆然とした感じで今、セレスを掴んでいた右手を眺めた。
「コルヒオ、お前、これ以上、お嬢ちゃんに危害を加えようもんなら、花街から出て行ってもらうことになるぞ!?聞いてるのか?」
用心棒の言葉など一切耳に入ってない感じでひたすらに自分の右手を見ているコルヒオに用心棒が不審な目で見た。
「おい、ガキ、この匂いは何だ?香水か?だとしたら何から出来てるんだ!?」
幾分焦ったような顔でコルヒオはセレスに聞いてきたのだが、セレス本人に全く心当たりが無かった。
「何の匂いですか?」
「それをこっちが聞いてるんだよ!何から出来てるんだ、この香水は?知ってる限りの情報を吐け、ガキ!!」
「ガキはあんたの方でしょう?お嬢ちゃんたちを一緒にするんじゃないわよ。それとお嬢ちゃんも言っていた通り、信頼出来る薬師は自分たちで選ぶわ。残念だけど、貴方は全く信頼なんてないのよ」
騒ぎを聞きつけて急いで来たのは、温泉に入ってきたおかげかいつもより血色が良く艶やかさが倍増ししたユーフェミアだった。
「ユーフェさん」
「コルヒオ、貴方は花街の婆とは違うわ。私たちは婆を信頼していたわ。婆の店を継いだからといって貴方自身は私たちとは初めて関わる人間よ。だからこそ最初が肝心だったというのに、貴方は最初にあまりにも私たち花街の女性陣を下に見すぎていた。そんな人間の元になんか行きたくないに決まっているでしょう?お嬢ちゃんは違うわ。私たちに真摯に向き合ってくれている。まだお店こそ開いてないけれど、必要とあらば調剤をしてくれるし、時には別の薬師を紹介もしてくれる。適当に見下してくる人間ときちんと対応してくれる人間、どちらが信頼出来るかなんて分かりきったことよ」
花街でも有名な吉祥楼のオーナーであるユーフェミアの言葉にコルヒオは、顔をゆがめた。だが、それよりも気になるのは、セレスの付けている香水だった。
「そんなんどうでもいい!それよりも、ガキ、お前の付けている香水だ!!それをどこで手に入れた!?」
「香水?お嬢ちゃん、香水なんて付けてるの?」
「いえ、でも今日は皆さんにちょっと試して欲しくていくつか持ってきているので、それのどれかの匂いが付いちゃったのかもしれません」
コルヒオを無視してユーフェミアとセレスが会話したので、コルヒオが余計にかっとなったのだが、用心棒がコルヒオを抑えた。
「いい加減にしろや。これ以上、騒動を起こすようなら花街から叩き出すぞ。お前は花街の中に薬屋を開いてはいるが、俺たちが絶対信頼してる人間じゃねぇ。お前が今、目こぼしされてるのは、世話になった婆の孫だからだ。そうじゃなければ、誰もお前をかばったりしない。家に帰って自分の振る舞いを考えろ」
「な、なにを!!」
言い返そうとしたが、他の店から出てきた用心棒たちも険しい顔でコルヒオを見ていたので、コルヒオは舌打ちをすると憎々しげな目をセレスに向けた後、反対方向へと去っていった。
「ありがとうございました」
助けてくれた用心棒にぺこりと頭を下げると、険しかった顔が少し和んだ。
「こっちこそ悪かったな。同じ薬師だから、と思って油断しちまった。腕は大丈夫か?」
「はい。少し、握られただけなので大丈夫です」
「そうか。だが、気をつけてくれ。あいつ、変にお嬢ちゃんに恨みを持ったみたいだからな。店に客がいかないのは自分のせいなのにな」
「自分が悪いのに姉様に恨みを持つなんて…!姉様、しばらくの間は1人でここには来ないで下さいね」
「うん、分かったわ。でも、香水って何だろう??」
そんなにおかしな匂いは残ってなかったはずだけど、何かの匂いが残ってたっけ?と思いながら左手の辺りの匂いを嗅いだのだが、セレスは首を傾げた。
「ちょっとごめんね?」
ユーフェミアがセレスの左手首を取って匂いをそっと嗅いだ。微かに匂ってきたのは、甘い花の匂い。ほんの微かだが、これに似た匂いをユーフェミアは昔、嗅いだことがあった。
思い出したのは、もっと濃いむせかえるような匂いをまき散らしていた少女。
「……お嬢ちゃん、香水を持って来ているって言ってたわね。お店で少し見せてもらえる?」
「はい、もちろんです」
もし、セレスの持ってきている香水にアレと同じ匂いの物があるのならば、薬師ギルドの長に至急相談しなくてはいけない、そう思ったのだが、それは同時に避け続けて来たアヤトとの再会をも意味しているので少しだけユーフェミアは心の中で葛藤をしていた。