次女と温泉宿③
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宿の部屋でセレスは1人、ベッドの上に寝転んでのんびりとくつろいでいた。
さすがにお値段が高いだけあって、お布団が柔らかくて気持ち良い。歩き疲れていた足も温泉でゆっくりほぐして来たので気持ちがいい。後は睡眠をしっかりと取って明日、王都に向かって帰るだけだ。
ただ、こうして寝転がっていてもまだ眠れる気がしない。妙に目が冴えてしまった。
まさかここでユーフェミアに会えるとは思ってもいなかった。花街の吉祥楼のオーナーは相変わらず艶があってお綺麗な女性だった。アヤトやエルローズは圧倒的な美貌の持ち主なので初見では近寄りがたい雰囲気を醸しだしているが、ユーフェミアは綺麗なのだが柔らかい雰囲気の持ち主なので気軽に話せる。お客相手の商売をするのに最適な人材だと思う。聞き上手だし、選ぶ言葉も上手い。セレスもこれから薬屋でお客相手の商売をしていくので、ユーフェミアは非常に良いお手本だ。あんな色っぽさは出せないが。
「お姉様やジークさんとどういう関係なんだろう…?」
花街のお店のオーナーなのでその関係でアヤトと知り合いなのかと思っていたが、どうも違う気がする。
アヤトにユーフェミアと知り合った事を伝えた時も変な感じだったし、温泉でユーフェミアにジークとここに来ている事を告げた時、ユーフェミアも何となく変な感じだった。
似たような年齢だとは思うし、ユーフェミアが昔、貴族だった事を考えると学園で知り合いだったのかも知れない。
「10年前に没落したって言ってたから、その頃の知り合いなのかな…?」
10年前に何か事件が起こって、多くの貴族たちが処分されたと聞いた。ユーフェミアの家もその内の1つだ、と。ジークフリードは上の方の貴族の当主だと言っていたから、ひょっとしたらその事件に関わっていたのかも知れない。ジークフリードが関わっていたのなら、アヤトも関わっていた可能性が高い。
「何だろう?10年前の事件って…」
当時、セレスは5歳くらいでまだアヤトとも知り合っていなかった。家でディーンの世話を焼いて、侍女たちに色々と教えてもらっていた年頃なので外の事を気にした事もなかったし、侍女たちがそう言った事を教えてくれた事もない。いくつもの貴族が没落したという事は相当な大きな事件だったはずなので、あえて教えてくれなかったのだろう。執事の配慮かもしれない。
「図書館とかで調べられるのかな??」
多くの貴族が没落した事件なら記録にも残っているはずだ。10年前の貴族名鑑なども残っているだろうから、そこから消された家もわかる。
……妙に気になるのだ。
10年前に何があったのか。ユーフェミアは確実に関わっているとして、ジークフリードやアヤトも関わっているのかもしれないその事件が何故か気にかかる。
10年前の事件なのでセレスティーナは関わっていないのだが、気になってしょうがない。気になるのなら調べるしかない。それがジークフリードやアヤトからしてみたら不本意な事でも、セレスは10年前の事件の詳細を知りたいと思ったのだ。
「ユーフェさんなら少しは教えてくれるかな…?」
アヤトやジークフリードはセレスが関わる事を良しとしないだろうから、聞くならユーフェミアだ。
王都に戻って調べられるだけ調べたら、ユーフェミアに聞きに行こう。それで少しは気になる理由もわかるかもしれない。
ベッドの上で横になりながら、セレスは10年前の事件の事を調べる方法を考えていた。
「おはよう、お嬢ちゃん。お嬢ちゃんたちは今日帰るの?気をつけてね」
翌朝、朝ご飯をジークフリードと食べていたら、ユーフェミアが挨拶に来てくれた。ユーフェミアはもう少しだけこちらに滞在してから帰るそうだ。打撲した部分も昨日、温泉で見せて貰ったが痛そうだった青あざになっていた部分も綺麗に治っていたので薬等の必要もない。休暇を取るのが久しぶりとの事で、せっかくだからもう少しこちらに滞在してのんびりするとのことだった。
「おはようございます、ユーフェさん。先に王都に帰っていますね」
「私も王都に帰ったらお店に寄るわね。その時にまた美肌セットが欲しいわ」
「わかりました。用意しておきます」
「えぇ、よろしくね。それと、もし花街に逃げ込むような事があったらいつでも吉祥楼に来てね。私がいなくてもお嬢ちゃんを保護するように店の子たちには言ってあるから遠慮なくいらっしゃい」
「はい、ありがとうございます」
ユーフェミアとしてはセレスがこの先、薬師として花街に顔を出すようになった時、万が一誰かがセレスに危険を及ぼすような事をした場合の報復がものすごく怖い気がしてならなかった。
アヤトは当然ながら、ジークフリードまで出てきた日には花街が本気で崩壊しかねない。
そんな事態を防ぐ為には、セレスの安全確保が最優先だ。
幸い吉祥楼は花街の看板店の一つで、オーナーである自分は花街の上役の1人に名を連ねている。吉祥楼に逃げ込めば相手が誰であろうともそう簡単には手を出せない。
権力ってこういう時の為には握っておいた方がいい。
最悪、現在の国王陛下が相手でもある程度までならば時間稼ぎくらいは出来る。と言っても国王陛下相手だとセレスが逃げ切れる気はしないし、相手も逃がす気は無さそうだ。
「……お嬢ちゃんも大変ね」
「え??いきなり何ですか?」
唐突に告げられた言葉にセレスの戸惑いが隠せない。ユーフェミアの脳内で繰り広げられた逃走劇が非常に大変そうだったので思わず言葉に出してしまった。
「いいえ、何でもないわ。リド様も気をつけて下さいね。貴方に何かあったら色々と困りますから」
今、王国が落ち着いているのは、ジークフリードの存在が大きい。一国民としても安定した国家の方が安心して暮らせるというものだ。
「ああ、君も気をつけて。もし、何か困った事が出来たならアヤトにでも相談をしてくれ。俺が出来る事なら力を貸すから」
「心強いけれど強力すぎる気がするわ。うふふ、でもありがとうございます」
彼女に対する自己満足的な詫びの一種だと分かっているのだが、こちらとしては本気だ。だが、ユーフェミアはよほどの事態にならないと来ないだろう。ユーフェミアは、人の話を聞くことは上手くても誰かに甘えるという事が案外苦手な女性だ。恐らく、家族から顧みられる事の無かった幼少期の体験が彼女の根本にあり、あまり他人を自分の心の中に入れてくれない。
「まぁ、いいさ。強力なお守りが手に入ったとでも思っていてくれ」
ユーフェミアがいつか誰かに心の底から甘えられる日がくればいい。そしてそれはきっとそんな遠くない未来の話だろう。