次女と温泉宿①
読んでいただいてありがとうございます。この時点くらいまでの設定のまとめ的なものを作っていますので、少々お待ち下さい。
王都から歩いて半日くらいの場所にあるこの宿場街は温泉が湧き出ているので、郊外の保養地として人気の場所だ。お手軽な値段の宿から高級な宿まで様々な宿が軒を連ねている。
このまま王都に帰っても良かったのだが、ジークフリードの提案で旅の疲れを癒やすためにここで一泊してから帰ることにした。ジークフリードが選んだ宿は、中心街から少し離れた場所にある隠れ家的な宿屋で、基本的に少人数の顔見知りしか受け入れない宿なのだが、ここの支配人がジークフリードの知り合いで以前にも何度か泊まったことがある為、急な宿泊にも対応してくれた。
「いらっしゃいませ」
宿屋に入ると、物腰の柔らかい穏やかそうなお爺さんが出迎えてくれた。
「お久しぶりでございます、リド様。ようこそいらっしゃいました、お可愛らしいお嬢様」
突然訪ねてきたにも関わらず、嫌な顔一つせず、笑顔で支配人は2人を歓迎してくれた。
「突然、悪いな。彼女と2人、部屋は別々で頼む」
「かしこまりました。ちょうど並びのお部屋が空いておりますので、こちらへどうぞ」
美しく整えられた庭園が見える部屋の中は居間と寝室が分かれていて、ちょっと高級そうなお宿だ。セレスの部屋は隣なのだが、まずはジークフリードの部屋の居間で支配人から簡単な宿の説明を聞いた。
「温泉はいつでも入浴可能ですので夜中でも早朝でも、お好きな時間にお入り下さい。夕食はどうなさいますか?」
「せっかくだからここの名物でも食べに外へ行ってくる。朝は頼む」
「かしこまりました。では、ごゆっくりおくつろぎ下さいませ」
支配人が一礼して部屋から出て行くと、セレスは小さく息を吐いた。
「どうした?セレス」
居間に置かれたソファーでくつろぐジークフリードはお部屋の雰囲気とマッチしていて大変良くお似合いだが、庶民感覚が抜けない自分はこの雰囲気に負けそうだ。場違いっぽい感じがしてならない。
「こういう場所は初めてなので、どうしていいのか戸惑っています」
「まあ、別に変な緊張をすることはないよ。自分の家だと思ってくつろげばいいんだ」
きょろきょろと辺りを見回しては恐る恐る高級そうな家具を触るセレスの姿は、小動物みたいで可愛いらしい。
別に壊したところで問題はないのだが、本当に侯爵家の娘だったのかと思うほどセレスの感覚は庶民のそれに近い。もちろん学園で貴族としてのマナーは学んでいるし、侯爵家、というより王太后と離宮の侍女たちによるマナー講座のおかげでセレスのマナーに問題はない。感覚だけが妙に庶民的なのだ。
セレス的には、異世界の知識に引っ張られている部分があるのでこの知識の元になっている人物(ひょっとしたら前世の自分)は間違いなく庶民なのだと思っている。その知識のおかげで今、普通に暮らしていけているので有難いのだが、感覚がそっちに引きずられ過ぎているので貴族の家にある高級そうな物が少々怖い。いつ壊してしまうのかと案外ハラハラドキドキものだ。侯爵家にいる時もあまり高級そうな物には近づかなかったくらいだ。
「隣のセレスの部屋も似たような造りだし、置いてある物だってそう変わらないよ」
「あ…今からでも普通のお部屋に…」
「却下。気にするな。今日はゆっくりくつろいで、明日になったらのんびり帰ろう」
薬草や毒草は平気なくせに、同じようなお値段はするけれど、自分の管轄外の高級品になると触れないというのはどういうことだろう。貴重な薬草の中には、ここにある物よりよほど値段が高い物だってある。ギルド長の部屋にはそういった薬草も普通に置いてあるし、セレスが世話をしている『ガーデン』にだってそういう高価で貴重な薬草はある。
「セレスの持っている薬草の方がよっぽど価値があるよ」
「薬草は落としても割れたりしません。それに薬草なら扱い方が解るので別にいいんですよ。でも、ガラス製品を落としたら割れるじゃないですか。そう思うとちょっと怖いんです」
少し困ったような顔をしているセレスには悪いが、ジークフリードはそんなセレスの様子に癒やされた。帰ったら待っているであろう大量の書類や厄介事などを片っ端から片付けてさっさとセレスティーナの傍に行こう、と改めて決意したくらいだ。
「さて、少し町に出て美味しい物でも食べようか。ここの名物の串焼きはけっこう美味しいよ」
「はい」
当たり前のようにジークフリードはセレスに手を差し出してきた。セレスは最初こそ恥ずかしがって戸惑っていたのだが、あまりにも当たり前に手が差し出されるようになったので、だんだんと慣れてきてしまい、こちらも当たり前のようにジークフリードの手に自分の手を重ねた。
当然ながらちょっとした触れ合いからを目論んでいたジークフリードは、思惑通りにいったので内心は喜んでいた。これが当たり前のことだとセレスに無意識に覚えてもらう為に、必死で顔に出さないようにしているだけだった。
ジークフリードと一緒に行った食事処は大変美味しかった。また来たいな、と小さく呟いたら、ジークフリードが嬉しそうに「また一緒に来よう」と言ってくれたので、今度は別のメニューに挑戦しようと思っている。
宿に帰ってきたセレスは、今は露天風呂に入っていた。
元々、泊まっている人数が少ないせいもあってかお風呂には誰も入っていなかったので、そこそこの大きさのある浴場はセレスの独り占め状態だ。歩いて旅をしてきたせいか足が張っていたのでお湯の中でマッサージをしていると、露天風呂に誰かが入ってくる気配がした。
「あら?ひょっとしてお嬢ちゃんじゃないの?」
聞き覚えのある声に振り向くと、そこにいたのは吉祥楼のオーナーの女性だった。
「ユーフェミアさん?」
「ふふ、こんなところで遇うなんてすごい偶然ね」
ユーフェミアはセレスの隣に座って一緒にお湯に浸かり始めた。セレスは、ユーフェミアがお湯に入る時にタオルを取ったのでそのお身体を見てしまった。別に女性同士なので何も恥ずかしくはないのだが、セレスとしては将来的にはこうなりたいな、と思うバランスの良いお身体をしていたのでついついうらやましくて見てしまったのだ。そんな視線をユーフェミアは感じたのか、ころころと笑い出した。
「大丈夫よ。お嬢ちゃんだって将来的には、ちゃんと出るとこは出てくるわよ」
「……ホントウデスカ…??」
ついつい片コトの言葉使いになってしまうのは、年齢の割に自分がちょっと幼い感じなのかもしれない、と思っているからだ。同級生のお嬢さん方の中には、すでにドレスが似合う体型の人が何人もいた。その子たちに比べると、自分はまだまだだ。
「本当よ。私だってお嬢ちゃんくらいの頃はもっと細かったわよ。お嬢ちゃんくらいの年齢って色々と変わるからもう後2、3年もしたらちゃんとドレスが似合う体型になってるわよ」
貴族ではなくなったのでドレスを着る機会はそんなにないだろうが、それでもやはり憧れはある。
「ユーフェさんみたいな感じがいいです、憧れます」
「あら、ありがとう。憧れるなんて言ってくれて嬉しいわ。ところでお嬢ちゃんは1人旅なの?」
このお風呂に入っているのはセレス1人なので心配になって聞いてみた。もし1人旅で王都に帰る途中なら、帰りは一緒に帰った方が良い。
「あ、大丈夫です。冒険者の方と一緒です」
「冒険者?お嬢ちゃんの知り合いなの?」
もし変な冒険者ならセレスが危険だ。あのアヤトが保護しているのだから大丈夫だとは思うのだが、もし監視の目を外れてここにいるのなら問題だ。
「はい。元々はお姉様のお知り合いの方です。ジークさんはお姉様のお友達です」
「……え?ジーク、さん?」
「はい、ジークフリードさんという方です。上級の冒険者の方なので、ユーフェさんもご存じですか?」
うん、知ってる。知ってるけど、けっこうヤバめの名前が出てきた。ってゆーか、今この場で絶対に出てきちゃダメな名前だろう。なんでここにいるのか意味が分からない。アヤトのお友達のジークフリードさんなんて1人しか知らないし、ここにいるのを知った時点で影に消されそうな気がする。いや、ここはセレスの知り合いということで見逃してもらおう。言いふらす気もないし、何ならしばらく監視されることも受け入れよう。最大の疑問は、どうしてお嬢ちゃんと一緒に来ているのか、だ。でもそれは聞いたらお終いな気がするのでスルーしよう。
「…そう、ジークフリード様が一緒なのね…」
色んな思考が巡った後に、かろうじて出てきた言葉がこれだった。
「はい。幻月の花を見に行っていたんです。ジークさんが一緒に来てくれたので助かりました」
「そう、良かったわね」
セレスは何も知らないのだろう。まだ知らなくて良いことだから誰も何も伝えていないのだろう。ならば自分だって余計な事は何も言わない。いつかセレスが真実を知った時に、ジークフリードがセレスから距離を置かれようがグーでパンチを貰おうが知ったことではないのだから。