王都の師匠と弟
「アヤトさん、姉様はまだ帰って来ないんですか?」
しとしとと降る雨がディーンの今の心情を良く表している。
第二王子がようやくディーンの存在を思い出して訪ねてきたので、念のため少しの間、王都から姉が姿を消した。第二王子は相変わらず姉を探してはいるようだが完全に手詰まり状態のようだ。そろそろ王家の影を使いたいようだが、それには国王か宰相、もしくは兄の王太子の許可がいるらしいが、誰もその許可を出してくれないそうだ。
「僕は今現在、大変な姉様不足に陥っています」
薬師ギルドのアヤトの執務室で雨が降る様を窓越しに眺めながらディーンは、切なそうな顔をした。並のお姉様なら、きゅんっとなってすぐに慰めたくなるのだろうが、生憎ここにいるのは薬師ギルドの長(女装男子)のみだ。
「あのね、私相手にそんな顔したところでなんの感情も浮かばないわよ。相変わらず姉様大好き人間ね。貴方がいるとセレスちゃん、恋愛なんて出来そうにないじゃない」
顔良し、家柄良し、性格……はシスコンだが悪くはない。まだ大人の男性には負けるとはいえ、剣の扱いだって上手い。ただ、ちょっと姉のことになると暴走しがちなだけで、端から見れば超優良物件だ。
そんな弟が傍にいると、セレスが自らの恋人に選ぶ基準が無意識にでも高くなってしまう気がする。
「姉様が結婚するなんて考えたくもないです。それに結婚しなくても別にかまいませんよ。ずっと僕が面倒を見ますから心配はご無用です」
割と真剣に弟は宣言をした。
「…ちなみに、貴方から見てセレスちゃんに相応しい男ってどんな人なの?」
「考えたくもありません」
「一応、考えなさいよ。下手な男に取られたくないでしょう?」
「……仕方ありませんね」
アヤトにそう言われて、本当に不本意そうにディーンはちょっとだけ考え込んだ。
「本当は姉様が『ウィンダリアの雪月花』であることを隠し通せるのが一番良いのですが、恐らくそれは無理な話です。いつかどこかでバレます。ってゆーか、何故今までバレてないのかがむしろ不思議でしかありません」
王家の第二王子が執着してる時点で誰かが気付いてもよさそうなものだが、今のところ、誰もセレスが『ウィンダリアの雪月花』だという事実に何故か気付いていない。両親を含めたウィンダリア一族が騒いでいないのと、弟の自分が同じような青色の瞳を持っていることでうまいことフィルターがかかって、セレスの深い青の瞳はスルーされている状態だ。髪の毛は毎回、綺麗に染めてくれる侍女たちの腕のおかげで黒色だと認識されている。
「姉様が好きになった人なら誰でも、と言いたいところですが、現実問題、姉様のことを知った貴族たちがどう動くのかはわかりません。不文律があるとはいえ、最近の若い者たちや四大公爵家以外の貴族たちは不文律を軽んじているように思えますから。僕が実際に言われた言葉は「お前の姉が雪月花なら妻にしてやってもいい」でしたからね」
もちろん言った相手にはちゃんと自分の仕業だとわからないように報復はしてある。ただ、その時にその男や仲間たちの気持ち悪い笑い声を聞きながら、『ウィンダリアの雪月花』そのものが軽んじられているのだということは感じられた。四大公爵家や王家はともかく、それ以外の貴族たちは、雪月花に手を出したらどうなるのか、なんて考えもしない。どうせおとぎ話で実際には何の害もないのだろうと思っているようだ。歴史を勉強しないやつらはこれだから困る。
確かにここ何代かの雪月花は不文律のおかげで不幸な死を迎えずに済んでいるし、基本、表にも出てきていないので仕方ないのかもしれないが。
「姉様が『ウィンダリアの雪月花』であることを考慮するとそれなりの家、できれば四大公爵家の本家の血を引く方がいい。貴族から逃げ出したい姉様には悪いですが、僕は下らない貴族の足の引っ張り合いとかプライドで姉様が傷ついたりすることの方が嫌ですから。四大公爵家なら他の貴族、それに王族の執着心から姉様を守ることが出来るでしょう。ただし、姉様の自由を奪うのはもちろんダメですし、姉様ですから、はっきり言って貴族同士の社交は諦めてもらいますが」
かつて目の前の薬師ギルドの長の先祖は、王家を敵に回してでも当時の雪月花を助け出して守った。その結果、今、ティターニア公爵家の領地は薬草に困ることはない。それはティターニア公爵家が王家相手に喧嘩を売っても負けない強さを持っていたからだ。広大な領地と潤沢な資金。それによって商人たちを味方に付け、騎士や兵士たちの充実を図り、彼女が亡くなるまでの数年間、見事に守り抜いた。
セレス自身は、普通の少女だ。怒ったからといって天変地異を起こせる能力を持っているわけではない。セレスを不幸にした場合の女神の怒りはセレスが死んだ後にしか起こらないので、結婚相手にはどうしても彼女を守る力が必要になってくる。
四大公爵家と言われている家でも、王妃の実家であるノクス公爵家は今は少し斜陽なので厳しい。
シュレーデン公爵家は、跡取り息子が亡くなってから老公爵が頑張っているが、近々、親戚筋から後継者を決めると聞いている。その後継者の力量も性格も不明なのでこちらも除外だ。
オルドラン公爵家の現当主は30歳を過ぎたばかりの働き盛りでその跡取り息子は未だ幼子で学園にも入っていない。
そしてティターニア公爵家。今の当主は宰相の地位にある方で、その兄がセレスの師匠であるアヤト。
どっちも却下だ。
「うーん、中々難しいわね。王家に対抗できて、セレスちゃんに自由を与えてくれる四大公爵家の当主筋の男。そんな都合の良い男なんて残っていたかしら?」
幼い内から婚約者が決まっていることだって珍しくないのが公爵家だ。売れ残っているのはよっぽど性格に難有りの問題児ばかりだろう。さすがのアヤトも自分がちょっと公爵家の中では、特殊な部類に入る問題児だった自覚はある。弟・リヒトはエルローズに対してだけポンコツなだけなので性格に難があるわけではない、ハズだ。だが、あの弟が今更エルローズ以外に目を向けるとは考えにくい。あれでも純情で一途な男なのだ。
「あら??そう言えば…」
よく考えたら、そんな都合の良い男が今現在セレスの傍にいるではないか。
リドことジークフリードは、母親がシュレーデン公爵家の出身で、自身もセレスを守る為には十分過ぎる権力と手駒をしっかり持っている。今のところ、奥さんじゃない兄嫁さんを奥さんっぽく扱わなければいけない立場で、甥っ子2人を実の父親以上にしっかり育てているが、正確には1人身の気ままな独身貴族のはずだ。
問題はセレスと年齢差がありすぎることだが、そこは本人の強い意思があれば大丈夫だろう。
「あら?あらあら」
ほほほほほ、と笑い声が漏れた。ディーンにはうさんくさい目で見られたが、ちゃんと考えると案外いけるんじゃないかと思う。ジークフリード本人もセレスのことは気に入っていたようだし、ジークフリードがその気になれば、初なセレスなんてすぐに落とせそうだ。
「あ、でもそっち系は鈍いかも」
セレスは自分に向けられた感情には気付くが、それが恋愛感情を含んだものだと見事に気付かない。
本気で落としにかかったジークフリードにセレスが違う方向の返事をしている姿が目に浮かぶ。
「ねぇ、ディくん。心当たりがあるんだけど…って言ったらどうする?」
「…どうするも何も、アヤトさんがそう言ってる時点で、本当に心当たりがあるんでしょう?せめて姉様に紹介する前に僕に紹介して下さい」
「あ、ゴメン。もう遅いかも」
何せジークフリードは勝手にやってきてセレスと知り合いになって、今現在は一緒に旅をしている仲だ。ディーンに紹介する前にもう婚前旅行(?)中だ。
「……ひょっとして、姉様の傍に今、いたりしますか?」
弟の勘は鋭い。
「うん。腕は確かな冒険者だから」
「で、その正体は?」
「あー、そうだねぇ、ディくんなら一度くらいは見かけたことはあると思うよ」
王宮とか王宮とか王宮で。とはアヤトは言えなかった。
それにジークフリードが「娘みたいなもんだ」と言っていたセレスに本当のところどういった感情を持っているのかわからないし、ジークフリードの周りの状況もまだ複雑なままだ。
「僕が見かけたことがある、となるとそれなりの地位にいる方ですね」
一応、これでもウィンダリア侯爵家という高位貴族に属する身なので、下手な場所には行かない。それにディーンはまだ未成年の身なので、公式の式典に出ているわけでもない。それなのに見かけたことくらいはあると言うのなら、誰もが見られるような大規模な式典で発言する地位にいる人間ということになる。だが、そうなると…
「姉様とは年齢差がありませんか?」
「ちょっとあるわね。ってゆーか、私と同じ年齢よ」
この年齢不詳な長と同じ年齢と言われてもピンとこない。
「すみません。アヤトさんと同じ年と言われても想像がつきません。外見もアヤトさんみたいに年齢不詳な感じですか?」
「褒めてるのよね?それ。そうね、ちょっと年齢不詳な感じはあるわ」
ディーンが見かけたことがあってもギャップが有り過ぎて気が付かない可能性が出てきた。公式の場と友人の前で見せる姿との差が有り過ぎることに、アヤトは今更ながらに気が付いたのだった。