次女と宿場街の薬師
ジークフリードの目の前で、彼の愛しい少女は目を輝かせて薬草に興味津々な様子だ。とはいえ、それは大量に摂取すると毒になるタイプの薬草で、さらに言えば買い求めるお客の大半が花街の方々なのでまだ未成年のセレスにはあまり関わってもらいたくないタイプの薬草である。
行きとは違う道の途中にある宿場町に到着したので、町中を散策していたところ、裏路地にひっそりと看板が出されていた小さな薬屋を発見した。見つけた瞬間に迷うことなく中に入っていったセレスにもう少し危機感を持つように言うべきかどうか迷ったが、嬉しそうに薬を手に取るセレスにジークフリードの心は和んだので説教はなしだ。ただ、ジークフリードがぱっと見た限り、どうにもそっち系の薬や薬草が多い気がする。
セレスは今、ここの店主だと思われる女性と話し込んでいた。
「ここにある薬や薬草って、夜のお姉さんたちに需要が多いものですよね」
「そうよ。お嬢ちゃん、よく知ってるじゃない。見ない顔だけど王都の薬師かい?」
「はい。薬師ギルドの長の弟子です。今度、王都にある花街の近くで薬屋を開くことにしたので、夜の薬の勉強をしている最中なんですが、ここまで種類が揃っている薬屋は珍しいです」
「ああ、何年か前にあのオネエな長が子供を弟子に取ったって噂は聞いてたんだけど、あんたがそうなんだね。王都の花街って、中にあった薬屋はどうなったんだい?」
「代替わりしてお孫さんの男性の方になったそうです。なので、花街のお姉さんたちが相談しづらくなったらしくて…、たまたま私が薬屋を開く場所が花街の裏通りから抜けるとすぐ近くなんです。普通の薬だけじゃなくて、お姉さんたちの要望に沿った薬も置きたくて。気軽に入れる薬屋を目指す予定です」
「確かに、あたしが教えてもらったころでもまあまあな年齢だったからねぇ」
中年くらいの女性店主は若い頃に王都で修行をしていたそうだ。その修業先が花街にある薬屋で、当時の店主だったお婆に色々と教えてもらったそうだ。
「誰もが一度は思い浮かべる魔女を体現したような婆さんだったけど、腕は確かだったし、あの当時のギルド長の暴走を止められる貴重な人材だったんだよ。物理で」
物理、なんだ。魔女らしく人心を惑わす言葉、とかじゃなくて、物理で当時の薬師ギルドの長(おそらく変態と呼ばれている先代)を止められる人材、それはもう重宝しただろうと思われる。
「お姉さんでは止められませんでしたか?」
「あたしが?無理だね。逃げ足がすっごい速かったんだよ、あの人。花街の婆は容赦なく軽い麻痺薬とか使って足止めした後に縄をかけてイスに縛り付けて仕事させてたから。イスもさぁ、すっごく上等なイスが執務室にあったのにわざわざそこら辺にある事務イスに縛り付けてたから、あれは完全に嫌がらせだったね。長時間縛り付けられてたせいでお尻がって嘆いてたんだけど、そっちの薬も渡してたっけ。…でも、一番やばかったのは、婆のヤバめの薬を身をもって体験できた、とか言って喜んでたあの人だよ。婆も新作出来る度に長で試すのは、止めて欲しかったかな。見てるこっちがハラハラしたし、実験体(=長)の様子を観察して報告書を提出しないといけなかったんだよね。面倒くさかったわ」
もう先代で間違いないだろう。あと物理というか薬師らしく薬物の力だ。そして実験台になれたことを喜ばないでほしい。薬師ギルドの長、という文字にフィルターがかかりすぎているだけで実際には、マッドでサイコな方でしかない。花街の婆の弟子だったというこの女性も豪快に笑い飛ばしているが、この店の品揃えを見る限り、先代の長と花街の婆の影響を十分に受けていそうだ。
「宿場町の品揃えとしてはすごいと思うんですが…。夜のお薬の需要はあるんですか?」
「あはははは、お嬢ちゃん、まだまだウブだね。一応、ここにも小さな花街っていうか、それぞれのお店だね、はあるし、王都じゃ知り合いに会うかも知れないって思ってる人たちって、ちょっと離れた宿場町だと妙に安心してはめを外す人が多いんだよ。それに旅行気分で舞い上がってる人たちもね。表通りにある薬屋は一般的な薬が多いけど、ちょっと裏のこういう通りにある薬屋に来る人たちは訳ありが多い。あと、王都じゃ気恥ずかしくて買えないって人たちもここで買って帰るのさ」
需要はちゃんとあるらしい。しかも王都に持ち帰る秘密のお土産も兼ねているようだ。
「…つかぬことをお伺いしますが、魅了の薬とかもありますか?」
話に聞いただけで実際に見た事もなければ、作り方も知らない魅了の薬。アヤトなら知っていそうだが、教えてくれるかどうかもわからない。先代は作り方を知っていたという噂があるので、交流があったこのお店の店主なら知っているかも、知ってたら材料とかだけでも教えてもらいたい、と思って聞いてみた。
「魅了の薬?ああ、あの薬の作り方は知らないねぇ。当時でも、知ってたのって長と婆くらいじゃないのかな?でも禁止されてる薬だから、あたしたちには教えてもらえなかったね。今は…オネエな長は知ってるかもしれないけど、基本的には禁止薬だから、お嬢ちゃんが関わるものじゃないよ」
「やっぱりそうなんですね。でも、もし魅了の薬が使用された時に解毒剤を作れるように材料だけでも知っておきたかったんです」
「そうだね、使われないとは限らないよね。実際、あの時も使われたっていう疑惑があったし…お嬢ちゃんはオネエな長の弟子なんだろう?ちゃんと聞いてみたらどうだい?まあ、知ってしまったら出回った時に疑惑は持たれるかもしれないけどね」
作り方を知っている人間が限定的なら、万が一、魅了の薬が出回った時に疑惑の目を向けられる可能性は大きい。そんなリスクを背負ってまで知りたいかどうかの問題なのだが、セレスは知らずに悔しい思いをするくらいなら、知っていたい派だ。その方が万が一の時の対処がすぐに出来る。
「…少し聞きたいんだが、あの時っていうのは10年ほど前のことか?」
何気なく言った店主の言葉に疑問を持ったのは、ジークフリードの方だった。
「あんたは?」
「この子の護衛の冒険者だ。アヤトとは昔からの知り合いで、10年前の関係者でもある」
「オネエな長の…?ふーん、10年前の関係者ってことは、あんたいいとこのお坊ちゃんだったんかい?」
「そうなるな。否定はしない」
「ま、いいけどね。あたしだって詳しいことは知らないし、噂で聞いただけだったから。あん時の女の様子から、魅了の薬でも使ってなくちゃおかしいって薬師仲間の間で噂になってたんだよ」
「そうか…、ありがとう」
あの時、薬師たちは特に何か動きを見せていたわけではないが、関係者でもない薬師たちの間でそんな噂が広まる程度には、あの時、見られていたということだ。
帰ったらもう一度、あの時のことをきちんと調べ直した方がいいのかもしれない。
あまりにこの10年間は忙しすぎたので、正直、あの事件は解決済みとして掘り返していない。あの女の単独の事件だったと言われてはいるが、追い切れなかった背後関係があるのならそれの始末をするのは自分の役目だろう。
セレスに話をしたので少しスッキリはしているが、落ち着いた今だからこそ、あの時の異常性がよくわかる。
「ジークさん」
心配そうな顔で名前を呼んだセレスに「大丈夫だよ」と言って微笑んだジークフリードは、王都に帰ってからリヒトやヨシュアにあの時の再調査をさせようと決めていた。