次女を想う②
再び湖で一泊してから幻月の花を栽培している村に戻ると、出発した時より妙に兵士の数が多いような気がした。
「リ…じゃなくてジークさん、何か兵士の数が増えていませんか?」
ジーク、という名前に言い慣れないセレスが「リド」と言いかけては直すのを微笑ましい気持ちでジークフリードは見ていた。
「そうだな。きっとこの村にある宝物を守る為じゃないのか?」
のんびりとした村に似つかわしくない数の兵士に驚いたセレスが疑問に思って聞いたのだが、ジークフリードから返ってきたのは冗談のような答えだった。
「宝物、ですか?ここに何かあるようには見えないんですが…?」
「はは、そうかもな。でもセレス、彼らの宝物は必ずしも俺たちが想像しているような金銀財宝ではないのかもしれないよ」
「そう言われれば、貴重な薬草も宝物になりますね」
「ああ」
金銀財宝より貴重な薬草の方に興味を持つセレスはわかっていないが、もちろんジークフリードは彼らの宝物が何かわかっている。彼らの守るべき宝物は、今、目の前にいる少女だ。
僅か数日でリヒトはこの辺りの大掃除を終えたらしい。指揮系統の再編や分家の統制などをきっちりしたらしく、今この場にいる兵士たちに緩んでいる様子はない。よく見ると、一般人に交じって目つきや気配が普通の人とちょっと違う人間が何人かいる。本家かリヒトに近い人間から派遣されてきた者たちなのかもしれないと思っていたら、その内の1人と目が合って小さく頷かれた。何度かリヒトの傍で見たことがある顔なので、間違いなく今この場にいる兵士たちはセレスを守る為に派遣されてきた者たちなのだろう。
「まあ心配することはない。兵士たちがいるってことは俺たちの安全にも繋がるからな」
「そうですね。しっかりジークさんを守ってもらわないと!」
「ん?俺を守ってもらうの?」
「そうですよ。だってジークさん、上の方のおうちの当主様ですよね。…ちょっと気軽に会話しちゃってますけど、本当は私なんかと関わることのない方ですよね?」
セレスが真剣な顔でそう言った。当たり前のことだが、自分が護衛対象だとは考えてもいないようだ。
確かに彼らの護衛対象にジーク本人も入ってはいるだろうが、今現在、彼らが最も守るべき人は、アヤト直筆の身分証を持つセレスだ。本人は一切知らなくても、ティターニア公爵家の者たちにとっては守るべき人だ。
「確かに俺は上の人間で、非常に面倒くさいが当主だ。ま、ぶっちゃけるとここの領主を良く知ってるくらいには上の方だな。でも気軽に話をしてほしいかな。セレスに距離を置かれたら、マジでへこんじゃうよ」
もし本当にセレスに距離を置かれたら、へこんだ挙げ句の果てに何をしでかすか自分でもわかったものじゃない。『ウィンダリアの雪月花』に執着したご先祖の気持ちが理解出来そうで怖い。幸いなことにセレスはジークフリードに恋愛の情とまではいかなくても親愛の情は持ってくれているし、未だ未成年の身なのでこちらも我慢が出来ている状態だ。
セレスが本来なら貴族の成人の証ともいえる社交界デビューする予定だったのは次の春だ。それまでに周囲をある程度綺麗に片付けて、出来れば甥っ子に家督を譲って自由の身になっておきたい。さすがに完全に貴族社会から身を引くことは出来なかったので、母方の祖父から爵位と領地を相続することにはなっているが、それは『ウィンダリアの雪月花』であるセレスを守る盾になるはずだ。面倒くさいが、継承することにしておいて良かった。
万が一、セレスにそれなりの身分を持った人間が妙な圧力をかけ始めた場合、この子はあっさりと国を出て行きかねない。貴族の娘として生まれたはずなのに、その辺の行動基準がよくわからないので、突拍子もない行動に貴族側の人間の方があたふたしてしまうだろう。だが、ジークフリードが傍にいればそういった貴族たちの行動は抑えられる。向こうもジークフリードを敵に回してまでセレスにちょっかいをかけることはないだろう。
いろいろな意味でセレスティーナを国の外に出すわけにはいかなくなったので、国内の守りはしっかりしておきたいところだ。帰ったら、影たちの再編成とそれからウィンダリア侯爵領の方に何人か人を入れよう。セレスティーナの存在をどれだけの人間が知っているのか、それとも忘れているのか。その辺もきちんと見極めなくては。やることが多い。
「さて、セレス、帰りは行きとは違う街道を通ってみるか?違う景色や薬草、それに分岐にある像も違う形をしているしな」
「いいんですか?嬉しいです」
行きは最短ルートで来たのだが、帰りは少し遠回りして帰るルートを提案してみた。
王都に帰ってしまえば、しばらくは忙しくてセレスに会いに行くことも出来なくなるだろうから、今の間に出来るだけ多くの時間を一緒に過ごしたいというちょっとしたわがままだ。リヒト辺りはすぐに帰って来い、とか思っていそうだが、もうしばらくは初恋を堪能したい。
村長へ取りあえずの注意事項だけ伝えてから村を出ると、確かに行きよりは街道に出ている兵士の数が増えている。それに変装しているつもりらしい怪しい商人や農民があちこちに見られた。
「……まぁまぁ下手くそだな」
「何がですか?」
「何でも無いよ」
王都からあまり出たことが無いというセレスは、この怪しさ全開に気が付かない。というよりも、セレスの興味を引くのはそこら辺にいる人間ではなくて薬草の方だ。少々、怪しかろうが何だろうが人間は気にしていない。そういえばセレスは薬師で、今度お店を出す予定だったな、ということを思い出した。
「セレスは今度、お店を開くんだってな」
「ええ、お姉様から聞きましたか?」
「そんなもんだ。それでどういったお店を出すんだ?」
アヤトからの情報プラス王家の影がえっちらおっちら集めてきた情報によれば普通の薬屋とは少し違うお店を開くらしい。
「場所は、先代の薬師ギルドの長のお店なんですが、知っていますか?」
「もちろん知っている。俺も世話になった方だが、ちょっと変わった方だった、かな」
何となく濁して伝えてみたが、先代薬師ギルドの長は、患者が薬で治っていく様子をのぞき見ては遠くでうっとりとし、自分で生み出した毒を死なない程度で自ら試してはぞくぞくして楽しいとおっしゃる変態だった。花街の裏近くに店を構えていたせいか、花街のお姉さんたちが病やケガをした時には真っ先に駆け込む場所となっていた。本人は、真夜中だろうと何だろうと病人の元に駆けつけてくれるので緊急事態になった時などには大変好評だったのだが、その治る様を興奮して見ては他人に見せるのは憚られる顔をしていたので、最高だけど最低、という正反対の評価を受けている人物だった。
「セレスは会ったことはあるのか?」
「いいえ、まだ一度もお会いしていないのですが、その……えっと、その、大変個性的な方だった、とは聞いています」
教えてくれたのは、ついこの間、仲良くなった吉祥楼のオーナーの女性だ。
基本的に花街で必要と思われる薬は全部おいてあった。緊急事態用の薬なんかも常備していたので大変重宝していたとのことだったが、ただし『薬は最初だけは自分の目の前で飲むこと、じゃないと売らない』という張り紙をしていた人だったらしい。実際、その張り紙を関係ないとばかりに無視しようとしたおバカさんたちには一切薬を売らない人だった。
なぜ最初だけ目の前で飲めという指示があったのかというと、建前上は、用法を間違えるといけないから、とのことだったが、実際は、先代が薬を飲み込むときの仕草や喉が動く様子が何よりも好き、という方だったそうだ。世の中には色々なフェチの方がいるし、目の前で見せるだけだから害は無いといえば害は無い。家から出られない人や緊急事態の人はともかく、普通に買いに来た人たちには薬を売る代わりに自分の欲求を満たしてもらっていた、とのことだった。中には何でもない薬を目の前で飲んでは誘っていたお姉さんもいたらしいが、全員、見事に撃沈していたそうだ。先代はそういった意味で花街に行ったことのない方だったらしい。
「……そうだな、まあ、アヤトの師匠だし」
「…お姉様に、私は孫弟子だって言われました…」
そう言われて、今更ながら薬師ギルドの長っていつからあんな個性的な人たちが受け継ぐ役職になったんだろう、という疑問が湧いて出てきた。
もちろんジークフリードは薬師ギルドの長が代々師弟関係で、弟子が継ぐ主な理由は面倒くさいからだと言うことを知っていた。それに貴族や富裕層の相手をしないといけないので、個性的な人間でないと押し切られて薬師ギルド全体が良いように使われるかも知れないという危機感からのことなのかもしれないが、歴代の個性が強すぎる気がしてならなかった。