次女と幻月の花⑥
読んでいただいてありがとうございます。タグに年の差を追加しました。
黄色の霧がなくなりその場にあるのは幻月の花だけとなっていた。
リドは花と森の間の空き地にあぐらをかいて座った。セレスも何となくその隣に座り込んだ。
「リドさん、何を見たんですか?」
「一応、死者ってやつかな?俺の言葉、聞こえた?」
「少しだけ。私もリドさんを見失って…ようやく会えたと思ったらリドさんが剣に手をかけたんでびっくりしたんです。その時に、兄さん、という言葉だけ聞いてしまいました」
ちょっと申し訳なさそうにセレスは言ったが、別に隠すことでもない。
「兄を見たよ。でもあれは恐らく幻月の花が見せた幻だ。セレスがあの花の匂いは精神に作用すると言っていただろう?少しくらいならいいが、一度にあそこまで大量に吸うと幻覚を見せるんだと思う」
「……そうですね。精神を楽にさせてくれる効果の匂いなどは過ぎれば幻覚を見せるものもあります。どうして死者限定なのかはわかりませんが、幻月の花はそういった花の一種なのでしょうね」
「ああ、だから平地で開けた場所にある村では幻覚を見た者がいなかった。ここは崖と木に挟まれて逃げ場がないある意味閉じた場所で、今日は無風だ。さらに俺たちはずっとここにいて匂いを嗅ぎ続けていたから、あの大量の放出で一気に幻覚を見る量を超えたんだろう」
村で花を育てている場所は、開けた場所だったので花粉が大量に放出されても霧になるほどその場に留まることもないし、風が吹けばすぐにあちらこちらに散って行く。時刻も夜遅いのでセレスたちのようにその時間まで傍に居続けて、匂いを嗅ぎ続けている状態の人はまずいない。
大量に幻月の花がある閉ざされた場所に風のない花の咲く満月の夜に行き、開花する前からずっとその場に留まり続けて匂いを嗅いでおいて、開花して大量に花粉が放出された時にその黄色い霧の中に入っていること。
わりと条件としては知らないと厳しいんじゃないかと思う。そんな偶然って有るの?くらいの条件だ。
知っていれば後は風と天候の問題なのだが、知らずに今まで死者に会ったことがある人たちは、この花の前でよほど落ち込んでいたとしか思えない。だからこそ思いを残した人間の幻覚を見たのだろう。
リドが兄の幻覚を見たのは、ここで出会うのが死者であるという情報があったこと、ヨシュアとの会話の中で出た文句の言いたい相手と言われて兄を思い浮かべていたこと、その2つが重なって文句の言いたい死者が出てきたのだと思う。
「お兄さんがいらしたんですね」
「ああ」
「…リドさん、私はお兄さんを直接知らないので、肯定も非難もしません。でも、お話を聞くことは出来ます。どのような方だったのですか?」
幻覚で出てきたということはリドの兄はすでに亡くなっているはずだ。だが、出てきたということは、それがどんな思いであれリドが彼に思いを残しているということになる。直接、関わりを持った者には言えないことでも、全く関わりを持ったことのないセレスに話すことで少しでも思いの整理になってほしいと思い、セレスはリドに聞いた。
リドはあぐらの上に片肘を付いて頬杖を突きながら、セレスの方を見た。
「…兄とは少し、年齢が離れていてね。あの人は家業を継ぐのに一生懸命勉強していた。小さい頃の俺は、机に向かっていた兄とは対照的に家中を走り回ってよく怒られていたよ。もちろん兄を支えていくつもりだったけれど、家も責任も兄が全て背負ってくれるもんだと思っていたから気楽なもんだった。兄が結婚して甥っ子たちが生まれて、何もかも順調にいってたんだ。でも、兄は……あの女に捕まった」
リドのアメジストの瞳が小さく揺れたので、セレスはリドの手にそっと触れた。
「……詳しいことは省くけど、兄はたちの悪い女に捕まって墜ちていったんだ。気がついた時にはもうどうしようもないくらいだった。後で聞いたんだが、その女は最初は俺に目を付けていたらしい。でも一向に俺が靡かないからターゲットを兄に替えたらしい。兄は見事に捕まって、奥さんも息子たちも放り出して彼女に夢中になった。他の人の声なんか一切、届かなかったよ。それだけならともかく、兄とその女の行動や言動が周囲に大混乱を生み出して、罪の無い人たちまで被害に遭いだしたんだ。そこに乗っかる人間たちも出てきて家業の方にも影響が出始めた頃に、ちょうど父も具合を悪くしてね。もうどうしようもなかった。だから、俺は兄を排除するしかなかった…」
明言こそしていないが、兄を手にかけたのは自分だとリドは告白をした。排除=殺害にはならないが、この場合はその意味であっているのだろう。
「ま、うちはちょっと上流階級でも特殊な家でね。すぐに立て直さないと国やら何やらへの影響が半端なくあるから、実家が権力者の兄嫁さんのお父さんに直談判して、うちにちょっかいかけない代わりに兄嫁さんをそのまま当主夫人の地位に置いて、次は甥っ子に譲るっていう契約をしたんだ。当主は俺で、結婚もしてないのに当主夫人とその跡取り息子がいるっていう変則的な家庭になっちゃってるんだよね。甥っ子たちはそれなりに可愛がってるんだけどね、兄が兄嫁さんの実家に対してもうちょっと何かしといてくれたら楽だったんだけど…、でも結果的には兄の浮気になるからダメか」
ははは、と笑うリドに対してセレスの方は何とも言えない顔をした。
お兄さんのことを聞いたつもりだったのだが、謎のリドさん一家の話まで付いてきた。
上流階級の特殊な家って何だろう?一応、貴族の家に生まれているので一通りの貴族のことは勉強したつもりだったのだが、全く思い当たる家がない。しかも兄嫁さんの実家がちょっかいをかけようとしてきたってことは、リドさんて結構な大貴族だったりするんだろうか。特殊の意味が理解不能なのでどの家なのかがわからない。
「えっと、リドさんって一応、独身になるんですか…?」
あと気になったのはそこだ。兄嫁さんとは当主と当主夫人の間柄だが、結婚していないことになるんだろうか。そんなケースは初めて聞いたので気になって仕方が無い。
「一応ね。戸籍は綺麗なもんだし、教会にも届けはしてない。結婚の誓いとやらも結婚式もやったことは無いな。ちなみに兄嫁さんとはそれはもう清い関係だよ」
「あ……はい」
セレスもお年頃なので、そう言われれば理解は出来る。
「あの頃は、アヤトにもすごい世話になったな。アヤトのおかげでちょっかいかけて来た連中もだいぶ減って楽になったし、仕事もやりやすくなった」
ちょっかいかけてきた連中には国外の者たちも多く含まれているのだが、今現在、矢面に立つ弟のリヒトはちょいちょい外交の時にその辺のネタを引っ張り出してこちらに有利に働くように調整しているらしい。
「兄に対しては正直、複雑な思いはあるよ。あまり気にしてはいなかったけど、引っかかってたんだな。だから、変な幻影が見えたんだと思う」
「…お兄さんのこと、お好きだったんですね」
「うん。嫌いじゃなかった。今でもたまに思う時があるよ。あの時、あの女を無視せずに相手をしてやれば良かったのかな、とか、もっと兄ときちんと話をすれば良かった、とか。こう考えると後悔だらけだな」
時が戻らないのはわかっているが、それでも時々、そういう思いがよぎる時がある。忙しすぎる時には思わないが、ちょっとした時に心のどこかから湧いて出てくる。
「亡くなったお兄さんや大変だった当時の方々には申し訳ないのですが、今こうしてリドさんと一緒にいられるのは、その時があったからこそ、なんですね」
触れているだけだったリドの手をそっと力を入れて握りながら微笑んで言ったセレスの言葉が、リドの心の中にすとん、と落ちてきた。
心のどこかで、あの時を認めたくなかったのかもしれない、仕事で忙しくして誤魔化しながらも、あの時を無かったことにしたいという思いがきっとどこかにあったのだ。周囲の人間も、あのアヤトでさえも気を遣って兄の話は一切しない。でも、セレスはあの時があったからこそ今があるのだと、あの時が無かったらこうして会えなかったかもしれない、と教えてくれた。
愛しいな、という想いが自然と出てきた。
「……あー、ヤバイなぁ」
本当にヤバイ。完全に落ちた。今、自覚した。
セレスに会えなかったかもしれない可能性があった?それは許せないことだ。
それに年齢差もある。兄が生きていたら、もっと早い時期に自分の政略結婚があったかもしれない。ゴタゴタ続きで兄嫁を横に置いて甥っ子に家督譲るって言ってあるからこそ、誰も自分に結婚しろとか言えない今の状況が出来上がっているのだ。
「そうだな、あの時があったからこそ、こうしてセレスと一緒にいられるんだな」
「はい!」
かつて社交の場で誰でも落とせると言われた極上の笑顔を向けたのだが、向けられた当の本人は、その笑顔に幼い無邪気な笑顔で返事をした。
完全に恋愛対象としてこちらは見られていない。こっちはこっちでつい先ほど自覚したばかりだ。だが、自覚した以上、全力で口説きにかかろう。
とは言え、身辺を綺麗にしてからじゃないとさすがに保護者たちがうるさい。
アヤトを敵に回せば、リヒトも敵に回る。いや、リヒトにはエルローズで回避をするか。だが、肝心のエルローズが可愛がっているセレスがらみだと敵に回る。やはりここはアヤトから攻略していくしかない。
そういえば、ルークにも狙われていたな。きっちり阻止しよう。
セレスティーナは『ウィンダリアの雪月花』でもあるので、そっちも手を回そう。セレスはセレスだから良いのであって、『ウィンダリアの雪月花』という存在であることは全く関係ない。王家の呪いとも言うべき一目惚れの恋情ではなくて、セレス本人と接して生まれた想いだ。
久しぶりに全力で取りかからなければならない事案が出来た。
「セレスティーナ、少し待っていてくれるか?」
「?はい??、よくわかりませんが、待てというのなら待ちますよ」
「うん、今はそれでいいよ」
リドの久しぶりの全開の笑顔を見て固まって、聞こえて来たその言葉に隠れていたヨシュアが「ヤバイ!!あの人、何かお嬢ちゃんに待ってって言ってる。これ、ひょっとしてオレってばものすっっっごくこき使われるんじゃない?死んじゃうかも!」と騒ぎ始めたのだが、やはり同僚に頭をはたかれた。
「黙れ。あの方にようやく訪れた春だぞ。こちらも全力で応援するに決まっているだろう」
同僚は完全にリドの味方だった。ヨシュアがぶっ倒れていようが、敬愛する上司の初恋の為に全力でサポートする構えだ。
先ほどまで黄色い霧のせいで2人を一瞬見失って焦っていたのに、霧が消えたら何故かリド先輩が年下の少女をロックオンしていた。意味がわからない。
「……あれ?これひょっとして、リド先輩よりも先にアヤト先輩にやられる案件??」
お嬢ちゃんには、師匠で実質的な保護者の先輩がもれなく付いている。もうすでに帰った時の笑顔が怖い。
「そうだ、リヒトに泣きつこう」
「バカ言え。閣下に泣きついたところで相手が相手だ、諦めろと言って突き放されるだけだ。しかも、敵側にエルローズ様がいるんだぞ」
色んな意味でリヒトが逆らえないメンバーが向こうに揃っている。
「リド先輩の命の危機?それともオレの命の危機?」
「どちらかと言うとお前の方だな。あの方にやられるか、アヤト様にやられるか、だ」
「嫌な二択!」
セレスティーナには、ぜひ早くリド先輩の良さを知って、彼に恋してもらいたい。でもよく考えたら、先輩ってまだ身分とか明かしてないよーな…??
チラっと同僚を見ると、同じことに思い至ったのか、力強く頷いていた。
「……警護、増やす?」
「その方が良さそうだな」
ただでさえ『ウィンダリアの雪月花』という特殊すぎる存在なのに、リド先輩の想い人だってバレたらどうなるかわかったもんじゃない。早急に警備体制の見直しを図るか、とついため息が出た。