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侯爵家の次女は姿を隠す。(書籍化&コミカライズ化)  作者: 中村 猫(旧:猫の名は。)
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次女と幻月の花⑤

読んでいただいてありがとうございます。幻月の花の設定などはゆるい感じで見守って下さい。

 幻月の花の群生地に入ってからだいぶ陽が落ちてきてそろそろ夜になろうかという時間になってきた。

 2人は、簡単な夕食を済ませると、月が昇る頃まで幻月の花の観察をしたり、セレスが持ってきた小さな鉢で少し外側の花をすり潰してみたりしていた。


「うーん、潰すともっと匂いが強くなりました…、これだと紅茶に入れるのは花弁だけの方がいいのかな」


 あまり匂いが強すぎても紅茶として飲みにくくなってしまう。ちょっと香るくらいがいいのならあまり潰さない方がいいだろう。


「確かに濃い匂いがするな。ずっと嗅いでいるとおかしくなりそうだ」


 セレスが自分の指で鉢の中からすり潰した花弁をすくって匂いを嗅いでいたら、横からリドがセレスの指の先についた花弁の匂いを嗅いだ。


「リドさんのお好きな匂いですか?」

「ちょっと香るだけなら。でもここまで強いと嫌いになりそうだ」

「そうですね。ここまで強いと厳しいですね」


 そんな光景をしっかり見ていたヨシュアは、「え?何?あの光景。ほのぼのしてていいねって言うべきなのか青春だね!ってからかうべきかどっちだと思う!?」という質問を同僚にして無言で頭をはたかれていた。


 やがて上空に満月が昇った頃、幻月の花がゆっくりとその花弁を広げ始めた。外側の厚めの花弁が思いっきり下に垂れ下がり、幾重にも重なった花弁が大輪の花を咲かす。それがほぼ同時刻に始まり、全ての花が開ききったのはちょうど月が真上に来る時刻だった。


「……綺麗…」

「ああ、そうだな。これを見に来るだけでもその価値は十分にある」


 月の光の中で黄色の花の絨毯が地上に広がっている。上空の月と地上の月とも言うべき光景が目の前に広がっていた。

 花の中から少し花粉が出始めたのか、空中まで少し黄色に染まっている光景は絶景だった。今日は風もないので、三方向を崖に挟まれ、出入り口とも言うべき場所に木々があるこの場所では花粉がそのままその場に留まって漂っている。


「甘い香りが強くなってきてる気がします」


 先ほどよりも甘い香りが強く匂う。すり潰した時とはまたちょっと違う匂いだ。恐らく、外側の厚い花弁と内側の薄い花弁では匂いが少し違うのだ。

 やがて花が満開になってから一刻ほど経った時、花が急に今までより最も多い最大級の量の花粉を一斉に飛ばし始めた。ぶわっという音が聞こえそうなくらい一斉に吐き出された花粉はセレスとリドの背丈よりも高く舞い上がり、周囲を遮ってさらにその視界さえも奪った。むせかえる強い匂いの中、2人は黄色い花粉の霧の中に閉じ込められる形となった。


「ッツ!くそ!セレス!!セレスティーナ!!」


 息を吸う度に黄色い霧が入ってくるので少しむせながら、リドはセレスの名を呼んだ。すぐ近くにいたはずの少女の気配が掴めない。


「チッ!!」


 舌打ちしたリドが前方に目を向けると、そこにいたのはセレスではなく、豪華な衣装を身に纏った青年が静かに佇んでいた。


「……なるほど、文句を言いたい相手だ」


 不本意ながらヨシュアの説が正解だったようだ。個人的にものすごく文句を言いたい相手なので、確かに思いは残している。だが、特別会いたかった相手でもない。とっくの昔に死んだはずの青年は何か言うわけでもなくうっすらと微笑みながらただ佇んでこちらを見ていた。

 改めてこうして見てみると、青年の容貌はルークによく似ていた。ルークがもっと大人になったらこんな感じになるだろう。というよりルークが青年にそっくりなのだ。さすがは父と息子といったところか。


「……こんな風に会いたかったわけじゃないんだがな。でも文句は言いたい。あんたのおかげでものすっごく大変だったんだからな……クソ兄貴」


 青年は年の離れたリドの兄。

 そして、ルーク達兄弟の実の父親。

 リドは彼らを兄に代わって育てているに過ぎない。


「やれやれ、噂だけだと思ってたんだがなぁ」


 現実に死者に会えるとは思ってもいなかったのだが、こうして目の前に現れると冷静さを失う者は多いだろう。

 よく見ればちゃんと違和感はある。

 まず、そこにただ立っているだけで何かをしゃべるとか動くとかいうのがない。

 死者だろうが目の前にいるのに何の気配も感じない。

 服装だって、彼が死んだ時はそんな服は着ていなかった。あれは自分の記憶の中にある兄の生前の姿の一つだ。

 何より、その目が虚ろで何もうつしていない。


「…セレスが、この匂いが精神に作用するって言ってたな。一度に大量に吸いこむと幻覚を見る、ってところか…」


 この程度で乱れる精神など持ち合わせていないので、目の前の死者が本人じゃないことはすぐにわかった。それでもせっかく出てきてくれたのだから、文句の一つも言ってやりたい。


「あんたが死んでからのあんたの扱いについては文句を言わないでくれよ。こっちはあれで精一杯だったんだからな。それと、自分の奥さんとその家族くらいは何とかしといて欲しかったよ」


 おかげで未婚なのに表向きは奥さんと息子が出来てしまった。いらないのに。


「だけど、もう放り出すからな。義務は果たした。……じゃあな、兄さん」


 黄色い霧を払おうと腰に差していた剣に伸ばしたその手に、不意に小さくて温かな手が触れた。


「え??」

「リドさん!!大丈夫ですか!?」


 いつの間にか隣に現れた少女がリドのその手に自分の手を重ねていた。


「剣なんて抜いてどうするつもりですか?ここには幻月の花以外には何もないのに??」

「…そうだな、何もないな。だけど、この黄色い霧で一度、セレスを見失ったんだ。安全の為にも霧を払うよ」


 心配そうにこちらを見つめる深い青の瞳は感情に満ちている。そこにいる兄もどきとは全く違う。


「霧を払うことなんて出来るんですか?」

「この剣は特別製でね。ここに魔石を付けることで様々な効果を発揮できるんだ。今は風の魔石を付けてあるからこの霧を吹き飛ばすくらいの風は起こせるよ」


 柄の部分に魔石をはめ込んで使えば風や炎などの効果を付けることができる特別製の剣を持ってきているので、これくらいの範囲ならば風を起こして視界をスッキリさせることが出来る。それで現れた兄ともおさらばだ。

 セレスには見えていないであろう幻影の兄の方を向いて、リドは剣を振るった。

 たったそれだけの動作だったのだが、剣から風が起こり辺り一面を覆っていた黄色の霧がざっと動いて散って行き、後に残ったのは満開の幻月の花だけとなった。


「うわっ、すごい風が出ましたね」


 風で髪が乱れたのか、少しぼさっとした頭をしたセレスがそこには立っていた。


「悪いな。少し乱れたな」


 そう言って剣を収めた手でリドはセレスの頭を優しく撫でたのだった。



 

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