次女と幻月の花④
朝食を終えたセレスとリドはきちんと片付けを済ませると、再び森の道を歩き出した。とはいえ、今度の道は今までの道とは違ってずいぶんと狭くなっている。周りに茂っている草花もセレスの腰くらいまで育っている種類のものもある。あまり人が通る道ではないようだ。
「気をつけろよ、セレス。蛇なんかが潜んでいるかもしれないからな」
「そうですね。蛇、蛇か…生きてるものはちょっと苦手です…」
薬師である以上、蛇なども取り扱うが、それはあくまで処理されたものであって、生きているものの捕獲経験はさすがにない。ただ、一般的な女子の感覚としてあのにゅるっとした感じが苦手なのだ。
「まあ、得意な女性は少ないな。虫やカエル系統も苦手な女性は多い」
「それ、人によっては男性も苦手ですよね」
「冒険者や騎士、兵士なんかは討伐対象になってる時もあるから苦手だ何だのとは言ってられないが、肉体派じゃない者は苦手かもしれないな」
討伐していけば自然と慣れるしかないが、たまにしか出会わないとなるとさすがに苦手にしている者もいるだろう。リド自身はそれほど苦手とはしていないが、言葉に出さないだけで苦手な者は多いのかもしれない。
しばらく歩くと、少し開けた場所に出た。セレスとリドの気配に驚いたようで、その辺りにいた小動物が一斉に姿を消した。
「今、あっちに行った動物、多分黒いうさぎです。鹿っぽい子もいましたよ」
セレスは野生の動物を見られたことに対しての喜びが隠しきれていない。うさぎや鹿などは特に害はないからいいが、驚いてこちらに向かってくる攻撃的な動物や魔獣もいるので、森での出会い頭は案外危険だ。
「セレス、気をつけてくれよ」
「あ、それなんですけど、多分、私はこの森にいる限り大丈夫です」
「どういう意味だ?」
妙に自信満々にセレスは言い切った。初めて来たはずの森の中で大丈夫と言われても意味がわからない。
「えっと、何というか、その…うまく伝えられるかな…。多分、私のご先祖様に当たる女性がこの森に来てると思うんですが…その方とこの森との間で何があったのかはわかりませんが、この森は多分、ご先祖様と一緒の存在である私に対して妙に過保護になっているようでして……」
言いながらセレスの声がどんどん小さくなっていった。
セリフだけ聞くと、私って不思議ちゃんになってないだろうか、でも不思議ちゃんだろうが何だろうがそれ以外に説明のしようがないし、そもそもこの世界は知識の中の世界とは違って魔石もあるし、魔獣もいるし、神様という存在ももっと近いし、ウィンダリアの雪月花という存在もいるし、これで納得してくれないだろうか、そんな風に思いながらチラッとリドを見ると、ちょっと考え込むような素振りを見せていた。
一方、リドはリドでセレスの説明から、恐らくこの場所に来たことがある女性は、過去にティターニア公爵家が王家から救い出した『ウィンダリアの雪月花』の女性だったのだろうと当りを付けていた。
不思議なことだと言えばそうなのだが、『ウィンダリアの雪月花』が月の女神セレーネ様に属する存在である以上、ただの人であるこちらの考えなど超越してきてもおかしくはない。そんなことを言い出したら、セレスの存在を一切忘れるように出来ているウィンダリア一族など説明が付かない。何かしらの力が働いているとしか思えない今の状況で、森がセレスに優しいくらいで驚いていたら、これから先、セレスの傍にはいられないだろう。
「そうか、セレスがそう感じるのならそうなんだろう。世の中には色々とあるんだ。だが、念のため用心だけはしておいてくれ。ちょっと油断してセレスに傷でも付いたら俺がアヤトに怒られるからな」
「はい。私もお姉様に怒られるのは嫌ですから」
リドが何故か納得してくれたことに少しほっとしながらも、確かにセレスに何かあった場合、アヤトのお怒りは頂点に達して大変良い笑顔になるだろうことには気が付いた。薬師ギルドの長は、心の底からの笑顔が美しいほど妙に迫力があって怖い。セレスは知らないが、ティターニア公爵家の兄弟は同じ性質を持っている。切れると笑顔になり、もしその笑顔が全開だった場合は即逃げた方が良い、というのを古い付き合いの者たちは知っていた。
「ついでにローズも怒ってくるぞ。ま、あっちの怒りは可愛いものだがな」
ぷりぷりと怒ってくるのだろうが、あの兄弟のように、ヤバイ逃げろ、ではなくて心配しているのが丸わかりな感じで怒ってくるので正直ほっとする。ブリザード2つに比べれば可愛いものだ。
「そうですね、ローズ様にも怒られますね」
セレスもくすくすと笑っているので、一度くらいはエルローズの心配してるのが丸わかりなお怒りモードにあったことがあるのかもしれない。ただ、エルローズがもし万が一、泣いたりしたらポンコツが持ち得る全ての能力を駆使して報復に出る可能性がある。そうなった場合、報復する前に堂々とエルローズの元に行って抱きしめて慰めてこい、という助言をしたのだが、ポンコツにはまだ無理そうな話だった。
「……とっとと布を渡して来いっての、あのポンコツめ」
「布?」
「あ、っとすまない、こちらの話だ」
エルローズの話から思考がポンコツの元へと飛んでいた。そういえば、渡した観劇のチケットの日にちがそろそろだった覚えがある。
いいか、まずは観劇で久々の再会に喜び、そして何よりちゃんと会話をするんだ。後日、布を持って会いに行け。そこでプロポーズ、とまではいかなくてもせめて結婚前提のお付き合いの話までして来い。
……なぜ、切れ者のはずの宰相の恋愛にここまで首を突っ込まなくてはいけないんだろうか、と思わないでもないのだが、見てるこっちがもう手助けするしかない、と思わせる状況なので仕方がない。
「…恋愛って難しいな…」
いきなりそう言ったリドをセレスはきょとんとした顔で見た。
「え?恋愛ですか??そうですね、きっと難しいんでしょうね。私にはまだわかりませんが、いつか誰かを想える時がきたら、少しは大人になれるんでしょうか」
「……そうだな…」
こちらもこちらでルークの想いに応えるつもりは一切ないようだった。
ただ、セレスが誰かに恋をして、その笑顔や想いをたった1人の男に向けるのかと思うとそれはそれで少しもやっとした嫌な気分にはなった。
「娘を取られる父親のようなもんか」
「娘さん?リドさんには娘さんがいらっしゃるんですか?」
「ん?いや、いないよ。俺自身に子供はいないよ」
血が繋がっている子供はいるが、自分の子供ではない。あくまでも一番近い血縁者なだけだ。兄の方はそれを覚えているが、弟の方は幼かったせいもあって覚えていないかもしれないが。
「あ、リドさん、ありました。あそこが幻月の花の群生地です!」
いつの間にか着いていたようで、セレスが指さした場所には、村で見た幻月の花と同じ花があった。
三方を崖に挟まれた窪地に今にも咲きそうな幻月の花の蕾がぎっしり詰まっている。唯一の出入り口には木々が生い茂っていて、まるで花をそこに閉じ込めているかのような感じを受けた。
「すごいな。村と違って間隔もなくぎっしりだな」
「それに今日は風もないせいか、花の香りが強いですね。村だとここまで匂わなかったんですが」
辺り一面に少し甘い香りが漂っている。甘いのだが匂いを嗅いでいると、頭がすっきりと冴えてくる感じも受ける。
「んー、幻月の花って食用でもいけるのかな?」
「食べるのか?これを」
「ちょっと違います。紅茶に入れたらどうなるのかな、と思いまして」
こちらでは飲み物は紅茶がメインなのだが、よく考えたら紅茶と緑茶などは同じ茶葉から出来ているので、うまくいけば色々なお茶の種類を作り出すことが出来るかもしれない。その茶葉に花で香り付けしたり、身体に良い薬草を混ぜたりと薬茶とも言うべきお茶を作り出せないかな、と思ったのだ。もちろん体調不良だけでなく、美容にも良いお茶を作り出してお店で販売したら喜ばれるだろう。匂った感じだと幻月の花の香りは精神に作用するようなので、問題ないのならば一度調合してみたい。
「紅茶に入れるのか?花を?」
「はい。花茶と言います。ですが、幻月の花に毒性があるとさすがにダメですから」
「そうか。村の花よりこちらの花の方が匂いが強いのなら、少し持って帰って研究してみたらどうだ?」
「5株ほど根ごと分けていただこうと思います。うちの裏庭に植えさせてもらいます」
『ガーデン』に幻月の花はない。王都近くで栽培されているし、必要な根っこの部分も王都内に出回っているのでそれほど珍しい薬草ではない。なので先代も栽培はしていなかった。
「うまくいったらリドさんにも飲んでいただきたいです」
「試飲するなら必ずアヤトがいる場所でするんだぞ」
何かあった場合、薬師ギルドの長がいるといないとでは大違いだ。好きなことを好きなようにやればいいと思うが、それと安全かどうかは別問題だ。何というか、セレスも好きな研究に一途なところがありそうなので、リドは予め釘を刺して置くことを忘れなかった。