次女と幻月の花②
読んで下さってありがとうございます。
湖までの道は脇道などない一本道だったので迷うことも無く、夕方には2人は湖までたどり着いていた。
テントを張り、買ってきた食材で夕飯を食べる頃にはすっかり周りも暗くなっていて、見上げた星空は思った以上に綺麗だった。こちらの世界は知識の中にある世界とは違い、普段住んでいる場所でもそれなりに綺麗な星空を見ることは出来るのだが、やはり空気が澄んだ場所では全く違う星空が見える。
「すごいです…圧倒されます」
「そうだな。ここはそれほど標高の高い場所でもないのに星が綺麗に見えるな」
「空気に澱みがなくて、とても綺麗なんですね」
「ああ、綺麗だな。だが、お子様はもうそろそろおねむの時間だ」
ご飯を食べて星空を見ながらお喋りをしていたので、それなりの時間になっている。明日も歩くのでリドはセレスにテントで寝るように言った。
「途中で交代しますから起こしてください」
リドがこのまま夜番をすると言ったので、セレスが交代を申し出たのだが、当然ながら却下された。
「大丈夫だ。これでも一応、冒険者だからな。一日くらいは寝なくても保つ。それに完全に起きているわけじゃなくて、少し仮眠をとるつもりではいる」
仕事が立て込んでいるときなどは二日だろうが三日だろうが徹夜するし、自然の中で徹夜する方が書類に囲まれた閉ざされた空間で徹夜するよりもよほど精神的には楽だ。それに、影たちが見張っているのもわかっているので、木にもたれながら仮眠する予定だ。
「ですが…!」
それを知らないセレスが純粋な好意でそう言ってくれているのはわかるが、未成年の少女1人に夜番させるのは大人の矜持が許さない。
「セレスはゆっくり寝て、明日に備えてくれ。って言っても納得してない顔だな。じゃあ、明日の朝ご飯を作ってくれるか?セレスが作っている間に少し休むから」
正直、万が一、夜の間に何かがあったとしても、未成年の少女1人に対処出来ることなど少ない。陽が昇れば危険度は減るので、食事を作っている間に少し身体を休めると言っておけばセレスの罪悪感も少なくて済む。
「いいんですか??」
「むしろ、セレスが1人で夜番をしている方が気になって仕方なくて、結局、眠れないままだろう」
「確かにそうかもしれないです…」
生憎、魔法チートとか戦闘チート的なスキルは付いていないので、何かあれば今のままのセレスで対応するしかない。そうなると確かに何も出来ないだろう。
「わかりました。では、お休みなさい」
「はい、おやすみ。良い夢を」
子供の寝かしつけに定番の言葉を投げかけると、セレスはこくりと頷いてテントの中へと入っていった。
しばらくするとテントの中で動いている気配がなくなったので、ちゃんと眠れたようだ。今までは宿を使っていたので、慣れないテントで寝れるのかと思っていたが杞憂だったようだ。
「リドせんぱーい。見てきましたよー」
木の陰からひょこっと顔を出したヨシュアが小声でしゃべりつつもしっかり気配は消して近づいてきた。
「……近い…」
小声でしゃべっているので、リドに聞こえるように近づいてきたヨシュアが思った以上に近くに来た。
「しょうがないッス。お嬢ちゃんを起こすわけにもいかないッス」
ヨシュアなりの配慮だったようだ。
「それで、どうだった?」
「村長の言ってることに間違いはないッス。この先に幻月の群生地がありました。三方をちょっとした崖に囲まれた場所でまあまあな巨木もありましたッス」
「危険は?」
「今のところ無いッスね。幻月の花しかない場所なんで、お嬢ちゃんみたいに自然の幻月の花に興味がなければ誰も近づかない場所ッスよ」
森の中とはいえティターニア公爵家の警備は行き届いているので盗賊などはいないようだ。危険な魔獣もいなさそうなので、明日は順調に進むことが出来るだろう。
「お嬢ちゃんの足でも休憩しながら歩いて夕方頃には着けると思うッス。一応、あっちにも見張りは立ててきましたから、何か危険なことがあったらすぐに連絡が来る手はずッス」
こんな感じでもちゃんと仕事はこなすので、少々おかしな言動と言葉使いは見逃している。
「ヨシュアは誰か会いたいと思う相手はいるのか?」
「そうッスねー、死んでんのに会いたいと思うような相手はいないッスね。仮に会えたとしてもめっちゃ文句言って終わりそうッス」
へらっと笑ってヨシュアが言った言葉が目からうろこだった。
「…そうか、好きだからもう一度会いたい、とかじゃなくて、くっそ文句言いたいから会いたいっていうのも有りか」
死者に会える、という言葉で大切な、とか愛する、とかいう言葉が最初に付くのかと思い込んでいたが、文句を言いたいからという理由も確かにある。会いたい理由が愛情なのか憎悪なのかはその人次第だ。
「関わりのある人間が出てくることに違いはないが、必要なのは愛情ってわけでもないのか」
「そうッスね。思いを残してるだけなら愛情じゃなくてもいいと思うッス。文句を言いたい相手ならちょー頭に思い浮かぶんですが…純粋に、ただもう一度会いたい、と思う人は思い浮かばないッス」
ぽりぽりと頬をかくヨシュアは、たまにこちらの想定外の意見を出してくる。
「あ、そういえば、リヒトんところに連絡がまだ来てないらしいッス。どこの誰が止めてるのか探ってる最中らしいッスけど、リヒトがいい笑顔でした!」
「……そうか、いい笑顔だったか…」
2人の感想は「相手、終わったな」だった。宰相閣下は、なぜかぶち切れた時に一番良い笑顔が出る。心の底からの笑顔に見惚れる貴婦人も多いのだが、リヒトの本性を知っている人たちから見れば一番要注意の時の顔だ。
「うちの上司(本人曰く、しがない中間管理職)も、今現在、宰相室に駆り出されて書類と格闘してるらしいッスよ」
「ああ、あいつか。あいつ、妙に書類の整理とか処理能力が高いんだよな」
何度かこっちの書類仕事を手伝ってもらう為に部署異動を打診したのだが、本人が影の仕事を気に入っているらしく、お手伝いはするけれど、部署異動は拒否します、と言って断られた。
仕方がないのでその都度、お手伝いをお願いしている。
今回はリヒトの補佐兼影たちとの連絡係として宰相の執務室に置いてきた。
「他の動きは?」
「今んところ無いッスねー。先輩がいつ帰ってくるのかの探り合いの最中です」
リドのだいたいの日程を知っているのはほんの数名だけなので、動いている人間は少ないようだ。
「多少は流せよ」
「きっともうそろそろ色んな噂が駆け巡ってるんじゃないッスかね」
噂の出所はよくわからないだろうが、帰る頃には面白い噂話が流れているかもしれない。
「そういえば、ウィンダリア侯爵がリヒトんとこに来たらしいッス」
「何の用件でだ?」
「上の娘さんを第二王子殿下の婚約者に、って話だって言ってました」
「…ルークが夢中なのは次女の方だが?」
「お嬢ちゃんの存在そのものを忘れてたみたいッス」
ヨシュアは少し困惑気味で答えた。前々からちょっとそうじゃないのかな、という感じで見てはいたのだが、今回、リヒトがウィンダリア侯爵と直に話したことで確信が持てた。
「…『ウィンダリアの雪月花』が一族を見放し始めたのか」
「たぶん、としか言いようがないッス。何せ不可思議なことが多すぎて。どうも侯爵夫人は、上の娘さんを『ウィンダリアの雪月花』だと言ってるみたいッス」
「おかしな話だな。雪月花としての外見的特徴を持たない娘を『ウィンダリアの雪月花』だと信じているのか。…それも雪月花を守る為の目くらましかな…」
真の『ウィンダリアの雪月花』を隠すために一族にかけられた目くらましの可能性が高い気がする。そうなるとその目くらましをかけたのは誰か、ということになるのだが、歴代の『ウィンダリアの雪月花』たちの願いか、それとも愛娘と目される存在を助けたい月の女神セレーネ様ご本人か。いずれにせよ、『ウィンダリアの雪月花』はウィンダリア家から離れようとしていると見ていいだろう。
「いいさ。雪月花は国として重要な存在だが、それが必ずしもウィンダリア侯爵家に属する存在じゃなくてもいい。どちらかと言うと今の彼女に近いのはティターニア公爵家の方だろう」
当代の『ウィンダリアの雪月花』であるセレスティーナの師匠はティターニア公爵の兄だ。ティターニア公爵家自体も薬のティターニアと言われるほど薬草に縁が深い。薬草の女神でもある月の女神の愛娘を守るのに適しているのはティターニア公爵家の方だ。
「そうッスねー。その為に家中の大掃除を今やってる最中ッスもん」
いざとなればセレスティーナを公爵家に迎え入れるために始まった大掃除だ。きっちり成果を出してくれるだろう。
「怖い兄弟だよなー」
しれっと言ったリドに「あんたもなんスけど…」と心の中でしかつっこめなかったヨシュアは、笑って誤魔化していた。