次女の拾いもの
学園を自主退学したセレスはそれほど朝早くに起きる必要はないのだが、『ガーデン』に住むようになってからは日課の庭の確認と水やりの為、それなりの時間には毎朝起きている。ただし、前日の夜に夜更かしした場合は別だ。昨日はギルドにある資料室で面白そうな本が有ったので借りてきて、ベッドの上でずっと読んでいたらいつの間にか本を片手に寝落ちしていた。それでも習慣というものは怖いもので、だいたいいつも同じくらいの時間になると目が覚めるはずなのだが、本日はそれが違っていた。
「……やっちゃった…」
キリのいいところまで読んで寝ようと思っていたのだが、思った以上に面白かったので寝落ちするまで本を手放すことが出来なかった。そして1人暮らしをするようになってから初めて寝坊というものをしてしまった。といっても1人だし本日はお休みの日なので誰に迷惑をかけるわけでもない。
「あ、でも買い出しには行かないと…」
食料の買い出しに近くの市場に行くつもりだったので、セレスは起き上がってグッと腕を伸ばした。
まだ少し眠気が残っているのでちょっと頭がぼーっとした感じはあるが、二度寝したら起きれる自信がない。服を着替えて下の階に行くと紅茶を作って残っていたパンを食べはじめた。
そう言えば知識の中に「寝坊した場合は、パンを食べながら走ると曲がり角で運命の出会いがある」というのがあるのだが、寝坊はしてしまったが今日は時間の縛りがないので走る必要がない。なのでこの知識はあまり役には立ちそうになかった。これは今度、まだ学生のディーンに教えてあげよう。それで本当に運命の出会いがあったら、ぜひともお姉さんに教えて欲しいものだ。
「青春だねー」
別にディーンがそういう出会いをしたわけでもないのに、セレスの頭の中ではすでにディーンがそういう出会いをしたことになっている。ディーンが聞いたら「姉様、妄想のし過ぎです」と言われて呆れられただろう。
1人暮らしで困るのは髪を染められないことなのだが、先日侯爵家の侍女が来て綺麗に染めてくれた。
何でもセレスの家に誰が行くかで揉めたらしい。今回はいつもセレスの身の回りの世話をしてくれていた侍女が来てくれたが次回は別の侍女が来てくれると言っていた。順番でセレスの様子を見に来てくれることになったらしい。
ぐっと涙を堪えながら髪の毛を染めてくれた侍女はそのまま家の掃除を手伝ってくれて簡単な食事まで作ってくれた。今までセレスの周りには、彼女に愛情を注いでくれていた侍女や侍従たちがいてくれたのだが、こうして1人になると食事も寂しい感じがしたので、お願いして一緒に食卓を囲んでもらった。いつも一緒にいてくれてありがとう、私を育ててくれてありがとう、そうお礼を言ったら侍女が「おじょゔざまぁ」と言って泣いていた。
屋敷に帰る彼女にディーンのことをお願いしたら「坊ちゃまは…大丈夫ですよ」とちょっと間が空いて言われた。そのちょっとの間が何なのか怖くて聞けなかったが、侯爵家の方は執事と彼女たちに任せておけばきっと大丈夫だろう。
セレスの方は、先代が開いていたという薬屋をどうやって再開させるか悩み中だった。
アヤトの弟子とは言え、まだまだ駆け出しの薬師だ。主な収入は薬師ギルドに納めている薬品類だが、品質も一定の物を納めているのでそれなりの収入はきちんとある。アヤトと少し話したのだが、もし薬屋を再開させるのだとしても、店の規模としては小さいので売る薬を絞っていこうということになった。
薬師ギルドは基本的にはある程度何でも対応出来る種類と量の薬を抱え込んでいる。街の薬屋は、大きい店だと色々な種類を置いてあるし、規模の小さい店はその周辺の特徴に合わせた薬を置いている。
セレスもこの辺りの人達がどんな薬が欲しいのかまだわからないのできちんと調査をして本当にここに薬屋が必要かどうかを検討した上で再開させるかどうか決めようと思っていた。ちなみに先代の時は薬屋としても趣味全開だったらしく、当時のこの店は普通の店なら置かないような怪しい薬で溢れていたとのことだった。本当かどうかは知らないが、魅了の薬まで置いてあったという。ちょっと興味を持って調べたのだが、魅了の薬の害について載っている本はあっても作り方が載っている本はなかった。
実は再開したらお店に置こうと思っているのが、化粧水と乳液、それに美容液だ。
それらは屋敷にいた頃に侍女たちにモニターになってもらいながら作ったもので、この世界ではまだ無いものだった。この世界でのお肌の手入れは、保湿成分が入った水のようなものを肌に使うくらいだったので、セレスは知識の中にあった化粧水、乳液、それに美容液をこちらにある似た効果を持つ薬草などを使って作った。
侯爵家を出た自分の世話をしてくれる侍女たちは、給金は侯爵家から十分に貰っていますので、と言ってセレスからの給金を受け取ってくれなかったので、美肌3点セットの現物支給にしたところ大変喜ばれた。試作品を渡してはいたのだが、侍女たちの悩みはセレスからもらった3点セットが無くなった場合はどうすればいいのか、ということだったらしく、給金よりも美肌3点セットの方がよかったらしい。その時に侍女が「お嬢様、出来ればお店の方にこの化粧水、乳液、美容液を置いていただきたいのですが…実は以前、私の友人にこの化粧水を少し分けたところ、後日、売っているお店を教えて欲しい、と言われました。ですので、お嬢様、お店の片隅でもかまいませんので、これらを売ってください」と必死の形相で言われたのでお店で売ることを承諾した。
何だかんだのんびりと朝食を食べ終わった後に奥の庭を一通り点検してから、買い出し兼リサーチの為に市場に行くべく表通りの扉を開けたところ、扉のすぐ横の壁に1人の女性がもたれかかっていた。
「…え…??ちょ、大丈夫ですか!?」
顔色が悪く―というか少し青あざになっている気がする―今にも意識を失いそうな感じの女性と目が合うと、セレスはすぐに彼女のそばに近寄った。
「…お嬢ちゃん、あそこから出てきたってことは薬師?」
「はい、そうです。なので少し触らせて下さい。青あざになっているところはなるべく触らないようにはしますが、ちょっとだけ痛いかもしれません。よければ中に入ってください」
女性が頷いたので、セレスは女性をゆっくり起こすと家の中へと招き入れた。
「ゆっくりでいいので歩いてください。はい、そうです」
歩き方もどこかおかしいので足の方も何かケガを負っているのかもしれない。
手持ちの薬を思い出しながら、セレスは女性を店舗側のソファーに座らせたのだった。