先輩と後輩君
アヤトは今日も執務室で書類と睨めっこをしていた。
「もう、なんでこんなに書類が多いのよ。誰よ、こんな無茶苦茶な発注してくるバカ。しびれ草?こんなにいるわけないじゃない」
ぶつぶつと言いながら可と不可の書類に分けて可の書類だけにサインをして、不可の書類には大きく×印をつけていった。こうしておかないと却下した発注を勝手に可にして薬草を発注するおバカさんたちが大量発生するのだ。以前それをやって薬草を勝手に発注したおバカさんにはそれなりの代償を払ってもらった。なので今はアヤトのサインがない発注は基本受け付けないようになっている。
「……あら??」
書類に飽きてきた頃、よく知っている気配が扉から感じられた。
「ちわーッス。伝言をお持ちしましたー」
声とともに元気よく扉を開けたのは、ディーンと話をしていた王家の影の者だった。
ただ、さきほどディーンと話をしていた時とはしゃべり方も雰囲気もまったく違っているので知らない人が見たらよく似た別人にしか思わないだろう。
「アヤトせんぱーい、ディーン・ウィンダリアから伝言ッス」
「……ねぇ、君、本当に王家の影の人?軽すぎない?」
王家の影であるはずの後輩君はどこまでも明るく隠れる気が一切無い。
「何言ってんすか。先輩がオレを王家の影にぶちこんだんじゃないッスか」
「そうなんだけどさぁ、だんだん自信が無くなってきたわよ」
「ええー!!こんなモブ中のモブ、他にいないッスよ」
この後輩とは学園で出会ったのだが、100人に聞いたら100人ともが「あれ?いたっけ??」となる顔立ちと気配の無さに王家の影にアヤトが推薦してぶち込んだ。宰相からの情報によるとその才能をいかんなく発揮して影の中でもトップクラスの実力者だと言う。そう、こんな感じでも実力者、のはずだ。
当の本人は、勝手に棚からお菓子を取り出して紅茶を淹れてまったりとソファーでくつろぎ始めた。
「ちょっと、私の分は?」
「先輩も休憩ッスか?すぐに淹れます!!」
鼻歌を歌いながらアヤトの分までいそいそと紅茶を淹れはじめた姿を見て怒る気も失せたので、アヤトもソファーに移動して休憩することにした。ついでにこの後輩が乱入してきたことで今日はもう仕事をする気も失せた。残りは明日、気合いを入れて処理をしよう。
「で、私に伝言って?」
「あ、ディーン・ウィンダリアからで、僕の元に第二王子殿下が来ました、だそうッスよ」
「あらあら、今頃?ギルドの方にも誰も来てないみたいだし、セレスちゃんのことをあまり深くは知らないのね」
セレスが信用して話していない、それがアヤトの中では第二王子の評価の全てだ。
「みたいッスね。実際、今日もディーン・ウィンダリアに好き勝手にからかわれてましたよ」
「どんな風に?」
「バカみたいな話ッスけど、第二王子がディーン・ウィンダリアに「ウィンダリア侯爵家にいるもう1人の姉であるセレスティーナ嬢」について聞きたいって言ったんスよ。で、お坊ちゃんの返答は「我が侯爵家にセレスティーナという名を持つ者はいない」だったッス」
「あらあら、うふふ。ディくんは嘘をついてはいないわねぇ、おほほほほほ」
セレスに育てられたわりには素直じゃないけれど、こういう時にはそのひねった感じが役に立つ。嘘はついていないので、第二王子に対する不敬にもならない。
「君。ひょっとしてその軽い感じでディくんに接したの?」
「とんでもないッス。ちゃんとキリッとした大人の男性を演出したッスよ」
どこかに向かってキメ顔をした後輩君は、マジで王家の影なのか不安になる。ぶち込んだのは自分だが、あの時はどうしてこの後輩に影の適性があるって見抜けたんだろう。確かな自分の目が怖い。
「ってか先輩、あのお坊ちゃん、どうなってんスか!?オレ、めっちゃバレてました!」
「おほほほ、誰が師匠だと思ってるのよ。私とあの家の執事さんよ??」
「つーか、あの人、なんであの家の執事やってんスか?」
ウィンダリア侯爵家を本格的に調べたら真っ先にこっちの業界では有名な人が執事をやっていると知った。何度かウィンダリア侯爵家にこっそり侵入してみたのだが、侵入する度に帰り道にそっと夜食やおやつが置かれていた。初めて執事と対面した時にはとりあえず謝って逃げようと思ったくらいだ。むしろ逃がしてもくれなかったが。
「さあ?私も久しぶりに会ったら小さい子供を連れて来て、この方が今日からお嬢様の師匠ですよ、とか言って問答無用で巻き込まれたわよ。おまけに師匠になるのを承諾してから『ウィンダリアの雪月花』だって言われたわ」
「うわー、先輩さえも軽く巻き込むその行動力。尊敬に値するッス」
初めて会った時から巻き込まれっぱなしで、挙げ句の果てに王家の影に放り込まれた身としては、アヤトを容赦なく巻き込む執事は憧れの存在となった。
「ところで、君、ディくんの専属になったの?」
「違いますよー。今日はたまたま弟くんの方にいったんスけど、基本的には、お嬢さんメインッス。んでリド先輩がお嬢さんの護衛が出来ない時はオレが行くことになってるんッス。なので近々、お嬢さんに挨拶に伺いたいッス」
王家の影は当然ながら顔出しや身分の開示はしない。だが、後輩君はセレスに堂々と会うつもりでいる。
「護衛するには顔出しして一緒に行った方がいいんじゃないかって話になったんスよ。で、リド先輩がオレなら先輩方に逆らえないからちょうどいいってお嬢さんの専属に指名して下さりやがりました」
「理由がソレなの」
「うぃッス。リド先輩とアヤト先輩にオレが逆らえるとでも思ってるんスか?そんな自殺行為はしたくないッス」
「失礼ねぇ。リドと一緒にしないで」
「オレから言わせてもらえばどっちもどっちッス。ま、あの王子様から離れられたんで結果オッケイだったんスけど」
「相変わらず、第二王子のことが嫌いなのね」
「嫌いッス。実の父親にそっくりすぎてムカつきます。仕事はちゃんと割り切りますけど、個人的にはムリッス」
あの王子の父親の顔を思い浮かべると、どうしてもセットであの女の顔が思い浮かんでくる。学生時代、自分たちの将来を大きく変えてくれやがったあの女。
「あの女とセレスちゃんは全然違うわよ。第二王子がセレスちゃんに夢中になったからってあの時みたいにはならないわ」
「……うぃッス」
それもわかっている。あの女とセレスティーナ・ウィンダリアは似ても似つかない。だが、ルークと実の父親は似すぎていてどうしても過去のことが思い出される。
よほど厳しい顔をしていたのか、アヤトの指が伸びてきて額にデコピンをくらった。
「痛いッスよー、先輩」
「バカなことを考えてるからよ」
「ヒドイ!可愛い後輩を労って下さいッス」
可愛い後輩とやらは、勝手に棚を漁っておやつを食べたりしないはずだ。
「あ、そうそう。面白い話も持ってきましたッス。この間、アイツ、リド先輩にローズ様にお土産持って行けって言われて固まってたッス」
後輩君の言うアイツとは宰相のことで、後輩君とは同級生になる。
「…いつローズのところにお土産を持って行こうか迷いに迷って一月は過ぎるに1万ギル」
「さらに、自分もお土産を用意しないと、って気付いたはいいけど思い浮かぶのが今王都で流行ってる物ばっかりでありきたり過ぎるってムダに考えまくってさらに一月は過ぎるに1万ギル」
「賭けになんないわね。あの子、どうしてローズのことになるとああなのかしら?」
「わかんないッス。最大のチャンスだったあの婚約破棄騒動の時にローズ様を口説けなかったのが拗れた最大の原因ッス」
エルローズは定番の「みんなの前で婚約破棄」をされたのだが、その時、本人は扇の後ろでこっちに向かって親指を突き立てていた。元婚約者本人以外は、エルローズが婚約破棄をしたくてしかたなかったことを誰もが知っていた。
「あの子ってば昔から自分が年下だからってうじうじ悩みすぎなのよ。その間にローズはしたくもない婚約をさせられた挙げ句、婚約破棄までされたのよ」
「そうッスよねー。どうせ今回もローズ様のところに行ったはいいけど、うまくしゃべれなくて落ち込んで帰って来るんスよ」
「ローズも似たようなものね。あの2人、向かい合って会話しても、今日の天気はいいですね、って雨の日に本気で言ってんのよ」
「2人ともツンが過ぎるッス。お互いが見えないところでデレても仕方ないッスよ」
はたして宰相がいつエルローズの元にリドからのお土産を渡しに行くのか見当もつかないが、せめて一歩前進してほしいと願っている。
これでも3歩進んで4歩下がるすれ違いぶりを見せつけてくれているあの2人を周囲はそれなりに心配しているのだ。
「もういっそ王命とかで結婚させちゃえばいいんじゃないッスか?」
「で、すれ違いまくって家庭内が最悪の雰囲気になるのが目に見えるわ。その結果、しわ寄せがこっちに来るのよね」
結婚するならぜひお互いにすっきりと話し合いをしてからにしてほしい。なんとも言えない空気感が漂う執務室で2人は同時にため息をついたのだった。