老人の言葉②
読んでいただいてありがとうございます。
「ワシが生まれたのは、北の方の山深い場所にある小さな村でなぁ。村には月の女神様の神殿があった。神殿には神官が一人で住んでいて、さほど重要な場所だと思ったことはなかったんじゃが、昔、一度だけ、どこかから別の神官が訪ねて来たことがあった。後で聞いたら、その神官は王都にある月の女神を祀る神殿のお偉いさんだったらしくてのぅ、十数年に一度、村の神殿で祭事を行うために、わざわざ王都から偉い神官さんが来ていたんだと」
「月の神殿の神官が?」
「そうじゃ。今思うと、おかしな話じゃろう? 神殿のお偉いさんじゃ。普通なら、あんな辺鄙な場所にある神殿に、わざわざ一人で来るか? 来たとしても、大勢のお供を連れて馬車で来るもんじゃないのか?」
「それは、多少の偏見が……」
「入っているかもしれんが、それでもおかしいじゃろう。王都の偉い神官が、わざわざ北方の山奥にある小さな村に一人で来るなんぞ」
「言われてみればそうですね」
「ワシが見たことがあるのは二回だけだが、その神官は十日ほど滞在して帰って行ったの。村の大人たちは、昔っからある習慣だと言っておった」
老人は、チラリとセレスを見た。
銀色の髪。
王都で今、髪を染めることが流行っているのは知っているが、ここまで鮮やかで自然な銀色は見たことがない。
彼女がこの髪色であることの理由は、きっと一つだけだ。
「……村のある山は、月の神殿が管理しておってな。村がある場所から下の方は自由に行き来してよかったが、上の方は基本的には誰も入ることが許されておらんかった。それに、上の方は万年雪で覆われておって、天気も荒れており、入ったら命が危ないと戒められていたのぅ。だが、ワシの祖父母が若い頃、一度だけその山に入りたいと、不思議な少女が訪ねて来たそうじゃ。神官は、少女のその髪を見て、跪いておったと聞いたことがある」
「それって……」
「少女は、銀色の美しい髪をしておったそうじゃ」
かつて、ヴィクトールの病のために、雪月花の花を持って来たというナーシェル。
けれど、入り口はウィンダリア侯爵領にある月の神殿のはず。
ウィンダリア侯爵領は、北ではなく、西の方だ。
「少女には、黒髪の偉丈夫が常に一緒にいたそうじゃ。何があったのかは知らんが、翌日には少女はその男と一緒に馬に乗って帰って行った。その手には、大事そうに布に包んだ何かを抱えていたそうじゃ」
その包みの中に入っていたのは、おそらく雪月花の花。
「それに、この本を読んで気が付いたのじゃが、所々に北の方で使われておった言葉が混ざっておる。おそらく、このトーイという薬師も、北の出身じゃろうて」
「本当ですか?」
「うむ。ちょっと古い言い回しではあるが、ワシ等世代ならまだ使っている者もおる。今の若者は知らんかもしれんがのぅ」
「言葉ですか。確かにちょっと困る言葉があるな、と思っていたんですが、昔の言い方だと思っていました。そっか、北の言葉なんだ」
全く意味が分からないわけではないのだが、ちょっと独特の言葉に、セレスも頭を捻っていた。
方言だと言われれば、確かにそうだ。
「どうじゃ? 北の方、より正確には、ワシの生まれた場所に行きたくなったじゃろう?」
「はい」
その少女がナーシェルお姉様だったとして、おそらくその偉丈夫は当時の国王。
西のウィンダリア侯爵領に行ったはずの姉が、どうして北の小さな村に行ったのか。
オースティに聞いた話では、すでに開花時期を過ぎてしまっていた雪月花の花を手に入れるために、ナーシェルはその命を削って咲かせた。
もし、それが、開花時期を過ぎていただけでなく、今まで咲いていたはずの場所から失われていたとしたら?
雪と氷に覆われた山の深く。
その条件さえ揃っていれば、別にウィンダリア侯爵領じゃなくてもいいのなら?
セレスは、今まで考えたこともなかった雪月花という薬草について考えを巡らせ、そもそもその村は何なのかと興味が湧いてきた。
「北の地と言っても広いですが、どの辺りですか?」
「ここじゃ」
老人は近くにあった地図を引っ張り出してきた。
地図と言っても、おおさっぱに山や川などの地形が書いてあるだけの簡素な物だが、だいたいの場所は分かる。
そして、老人が指した場所は、北の地でも端の方とかではなくて、意外と中心地に近い場所だった。
「もっと端っこの方だと思っていました」
「じゃろう?だが、実は一番近い街はノクス公爵領の領都だ」
「え?そんな場所なんですか?」
「うむ。この辺りは山と森に覆われていてなー。もっと便利な場所はいくらでもあるのに、なぜここにノクス公爵家が自分たちの領地の中心となる街を作ったのか分からん」
「場所だけ見ると、中心部分ではあるんですけど」
「山と森の反対側は開けておって、そこが肥沃な大地だったのが理由かもしれんが、ここに領都を持ってきたのは、アレクサンドロス王から数えて五代目くらいの公爵だったそうじゃぞ」
「歴史は長いですね」
「うむ」
「ヒルダさんの許可が出たら、行きたいと思います」
「むぅぅ、ヒルダの許可か……」
ヒルダの名前が出たら、老人は唸って首を振った。
彼は、ヒルダの素性を知っている。
何と言っても、彼が生まれた村はノクス公爵家に属しているのだから。
若い頃に王都に出てきて薬師となった彼だったが、故郷に残っている家族とは連絡を取り合っていたし、ノクス公爵家の姉妹の噂も聞いていた。
クレドに来てヒルダと出会った時は、すぐに分かった。
これが、ノクス公爵家の剣だと。
剣でありながら、ノクス公爵家を出奔した女性だと。
それ以来、それなりに親しくしているのが、ヒルダから故郷の話を聞いたことはない。
「ヒルダさんはお父様が付けてくださった護衛ですので」
「そうじゃのう。まぁ、行くも行かぬもお前さんの自由じゃ。神様の思し召しということにしておけ」
「はい」
そう言いながらも、セレスは何とかヒルダを説得して、北の村に行くつもりになっていたのだった。




