岩の神殿⑤
読んでいただいてありがとうございます。5巻が発売されましたので、よろしくお願いします。
岩の神殿で薬草の管理を長年してきた神官は、ようやく訪れてくれた女神の娘とその伴侶と思わしき青年が帰って行くのを笑顔で見送った。
女神の娘は彼らが大事に育ててきた薬草にとても感激してくれた。
いくつかの薬草は、王都の薬師ギルド本部で定期的に買い取りをしたいと言っていた。
今までは、いつ女神の娘が訪れても薬草があるように市場に卸す数量を調整していたが、彼女がもったいないから売りに出してほしいと願ったので、量を増やして売ることになるだろう。
神官は、薬草園の片隅のたき火を見ながら部屋へと戻った。
帰ってきた時、その手に何の変哲もない手紙を持っていた。
白い封筒に小さな青い花が描かれたそれを大事そうに持ってきたが、小さく微笑むと手紙を火の中に入れた。
「おや、よろしいのですか?それは大切な手紙だったのでは?」
後ろから付いてきたお付きの神官にそう問われて、彼は笑顔を崩さずに頷いた。
「いいのです。女神の娘たる御方にようやくお目にかかれましたから。この手紙をいただいた時、ナーシェル様との約束だったとはいえ、得体の知れない者に薬草を渡すことは本当に正しいことなのかと悩みましたが、ああしてあの方が幸せそうに生きておられるのならば、あれでよかったのでしょう。『ウィンダリアの雪月花』と呼ばれる方々の中には、未来を見通せる不思議な力を持った方もいたと聞いています。その未来のために、少しだけですがお手伝いが出来たという事実は、神々に仕える私たちの誇りです」
「はい。ようやく手紙ではなく、直にお目にかかること出来ましたね。薬草の優先は王都の薬師ギルドでよろしいですか?」
「えぇ。セレス様の手元に届くようにしてください」
「はい」
火の中に消えていった手紙は、彼らと『ウィンダリアの雪月花』を繋ぐ証拠のようなものだったが、もはやそれは必要ない。
岩の神殿の神官たちにとって大切なのは、王侯貴族のあれこれや、それに伴う権力争いではなく、地上に姿を現す唯一の女神の娘の言葉だった。
「私たちが仕えるのは神々です。そしてセレス様は、肉体こそ人のそれですが、魂は間違いなく神の娘。出来うる限り願いを叶えるのが神に仕える者の役目でしょう」
「……十年前、先ほどの手紙を拝見させていただいた時、本当に女神の娘たる方にお目にかかることが出来るのかと疑問を抱きましたが、手紙の通りになりましたね」
「えぇ、これから先の予言はもうありません。我々はセレス様が健やかに過ごされるのならばそれで……」
神官たちは、伝承とは違い感情豊かに笑うセレスを思い浮かべていた。
「えへへー、薬草園を確保出来ました」
「よかったな」
にへらと笑うセレスは、先ほどまで薬草に夢中になっていて、放っておけばいつまでもあの場所から動こうとしなかっただろうから、ジークフリードが強制的に終わらせた。
王都の薬師ギルドに薬草を送ってほしいとお願いすると、神官たちは快く引き受けてくれた。
ナーシェルからの贈り物なのでセレスが自由に使う分には問題ないらしい。
他の薬師からの依頼だと要相談といったところだ。
「ナーシェルお姉様に、もう一度お礼の祈りを捧げないと」
「……なぁ、セレス」
「はい?」
「ナーシェル様は、薬師ではないよな?」
「えーっと、たぶん?」
ナーシェルが育てるのを依頼したのは薬草ばかりだった。そこら辺にあるような薬草もあれば、珍しい薬草もあった。海の近くで何代にも渡り育てられたことで、本来の効能以上の何かを持っている薬草もあった。
ジークフリードが記録を確認した限り、ナーシェルは薬師ではなかった。
それどころか、歴代の『ウィンダリアの雪月花』で薬師と名乗れる人物はセレス一人だけだ。
アレクサンドロス王が愛した初代の雪月花も薬を作れたようだが、薬師というよりは神官的な立ち位置だったらしい。
『雪月花』の花は問題外だ。
あれは煎じて飲むだけであらゆる病を治し毒を無効化するので、薬師としての知識など必要ない。
「ナーシェル様はどうしてこの場所で、あんなにたくさんの薬草を育てるように言ったんだろう?」
ジークフリードの疑問はそこだった。
薬師ではないけれど、月の女神セレーネが同時に薬草の女神でもあるので娘である彼女たちにその知識が受け継がれているのは分かる。
けれど、どうして王都ではなく、この少しだけ離れた場所で薬草を育てるように言ったのだろうか。
海の近くで育てることで効能が変わるのならば、別にここではなくてももっと他の場所でもいいはずだ。
それこそ王命でもっと王都に近い場所に雪月花専用の薬草園を作ることくらい、彼女を愛した国王に頼めばすぐに出来ただろう。そして、ジークフリードはその薬草園をすぐにセレスに渡したはずだ。
王領ではなくて、オルドラン公爵領のこの場所にある神殿に依頼した理由は何だろう?
自分が生まれ育った街だから、海風で育てると効能が違うから、といった理由ではない気がする。
「アリスお姉様なら記憶を受け継いでいたから理由が分かったかもしれませんが、私ではちょっと……。ですが、王都からそこまで遠くないですし、ちょっとした気分転換の旅は楽しいので、個人的にはここに薬草園があってよかったな、と思っています」
「……そうか」
女神の娘が何を見て何を考えたのかは知り得ようがないけれど、ひょっとしたら、妹が旅を楽しむ姿でも見たのかもしれない。
それ以上詳しく考えるのを止めて、ジークフリードはセレスの手を取ったのだった。