次女と黒薔薇様①
アヤトに呼び出されたのでセレスはギルド長の部屋の扉をノックした。
「お姉様、セレスです」
「セレスちゃん、入って入ってー」
アヤトの許可が出たのでギルド長の部屋に入ると、そこにはいつも通り執務机で仕事をしていたらしいアヤトと初めて見る男性がどっかりとソファーに座っていた。
身なりはごく一般的な冒険者の服装だが、どうしてもお忍びの貴族感が消えない男性だ。そんな黒い髪の男性は少々不機嫌そうな感じで座っている。なのにアヤトは全く男性を気にせずにセレスを手招きした。
「セレスちゃん、ちょっとお願いがあるんだけど」
「あ、はい。あのお姉様、この方は…?」
男性はセレスを観察するようにじっと見ていた。ただ、イヤな視線とかではなくて、純粋に観察をされているようだった。
「コレは気にしなくていいわよ。そうねぇ、黒薔薇様とでも呼んであげて」
「……黒薔薇様…?」
その瞬間、ガツという音がしてアヤトの額に硬い何かが結構な速さで飛んできたので、アヤトは反射的にそれを手で止めた。
「ちょっと!危ないわね」
「黙れ。俺は次に会った時にお前をシメると決めていたんだ」
「にしても方法があるでしょうが!もっと穏便にシメられなかったの?」
「どうせ当たらん。ついでにそれは土産だ」
「お土産って!だったらなおさら投げないでよね」
シメるのに穏便な方法ってあるんだ。ってゆーか、お姉様、何やったの…?
セレスの心の声を放置して、アヤトと男性は言い争い、というかじゃれあっていた。
「お前が黒薔薇なんて言い出さなければもう少し穏便にしてやったんだがな」
「謎のおっさん呼びとどっちの方がよかったのよ?」
「そっちの方がまだマシだ」
黒薔薇様は謎のおっさん呼びの方がよかったらしい。ただ、セレスの目から見ても“おっさん”というにはまだ全然若い気がする。
「あの…?謎のおじ様?」
「……リドだ。そう呼んでくれ」
「リド様、初めましてセレスと申します」
「セレスちゃん。リドはこの格好の時はただの冒険者よ。どうがんばっても隠しきれてないけど、立ち居振る舞いが上位の貴族のそれにしか見えなくても、この姿の時の扱いはただの冒険者でいいから!!」
あ、やっぱり上位貴族なんだ、下手な受け答えしたらセレスの素性なんてすぐにバレそうだ。
もっともアヤトと親しそうな感じからしてもうすでにバレている可能性の方が高いのだが。
「君も、俺に様を付ける必要はない」
そうは言われても、年上なのは確実なので呼び捨てにはできない。
「では、リドさん、とお呼びしてもいいですか?」
「ああ」
アメジストの瞳がセレスを見る時は幾分か和らぐ。アヤトには厳しいが、誰彼かまわず厳しいわけではなさそうだ。
「セレスちゃん。その人、ちょっとローズに用事があるんですって。今日はセレスちゃんもローズのところに行くでしょう?リドを護衛に付けるから一緒に行ってほしいのよ」
「え?でも私、ローズ様のところに行った後に冒険者ギルドの近くの酒場の方にも行きますよ?」
「それこそリドに護衛してもらえばいいわ。こう見えてリドは上位ランクの冒険者よ。リドと一緒にいれば下手なやつらは襲ってこないわよ」
いくら昼間とは言え、セレスみたいな子が1人で酒場の周辺をうろついていたら変な人間を引っかけてきてもおかしくはない。ギルドの中でも上位ランクの冒険者はセレスに手を出してくることはないが、他の場所から流れてきたランクの低い冒険者はセレスに絡んでくる可能性がある。
「ローズのところに行ってから冒険者ギルドの近くの酒場だな。かまわない」
セレスがローズのところと酒場に行くのは、薬の補充の為だ。
薬師ギルドと提携している店や宿屋などでは、ちょっとした常備薬がいくつかストックされている。エルローズのところは切り傷や手荒れの薬などが常備されているし、酒場だと二日酔いに効く薬や酷い傷でも対応できるように効果が強めの傷薬が置いてある。定期的に見回ってそれらを補充するのも薬師ギルドの役目だ。
「遠慮はいらないわよ。リドも私と一緒にローズのところに行くより、可愛い女の子が一緒の方がいいでしょう?」
「お前と歩くのはごめんだ。…セレス、と呼んでいいか?」
「はい」
「俺の方から頼もう。一緒にローズのところに行ってほしい」
アヤトと親しい仲でなおかつエルローズのことも知っているようなので、間違ってもセレスに危害を加えるような人ではないだろう。
「はい。よろしくお願いします。少し準備をしてきますのでちょっと待っていただいてもいいですか?」
「もちろんだ。用意が出来たら呼んでくれ」
「はい」
セレスが薬などの準備のために部屋から出て行った後、アヤトは投げつけられた土産をじっくりと見つめた。
「これって…」
「天然物の月の魔石だ。どうせ俺は使わん。好きに使え」
天然物の月の魔石なんてめったに手に入る物じゃない。天然物は長い年月、幾度となく満月の光を浴びるせいか、薬師達が作る月の魔石より魔力の凝縮度が半端ない。簡単に市場に出回る品物ではない。
「素直じゃないわねぇ。セレスちゃんのこと、お願いね」
「…わかっている」
手の中で天然物の月の魔石を転がしながら、色々な意味を込めてアヤトはリドに言ったのだった。