次女とお姉様の町⑪
読んでいただいてありがとうございます。11月25日に四巻が発売されますので、よろしくお願いします。挿絵、万歳。
セレスは、ジークフリードとヒルダと一緒にクレドの町の中に来ていた。
海が近いので、潮の香りがすごい。
そして、海鮮が焼ける匂い。
屋台や店から漂ってくるのは、食欲をそそる匂いばかりだった。
「ジークさん、大変です。私のお腹が海鮮を求めています」
「安心しろ、セレス。俺もだ」
王都は内陸にあるので、ここまで海鮮に溢れていない。
干物や香辛料に漬け込んだ切り身などが多く、こんな風に店頭で魚が丸ごと売っている店は少ない。
「あぁ、イカさんが干されてます。あぶって食べたら、美味しいやつです」
内心で、マヨネーズがほしい、と思っているのだが、さすがにそんなものはない。
個人的には、醤油とマヨネーズを合わせて、一味を入れて食べたい。
こうして考えると、前世の世界の食事事情はすごかったと思う。
特にセレスが生まれ育って死んだであろう国は、すごかった。
「セレス、確かにアレはあぶって食べると美味しいが、酒飲みに好まれる味だぞ?」
それも庶民が好んで飲むようなお酒に合うものだ。貴族の晩餐には絶対に出ない。
冒険者として活動しているジークフリードは、仲間とああいったものをつまみに酒を飲んでいたが、セレスがあの味を知っているのはどういうことだ。
「お酒は飲めませんが、酒飲みのおつまみ系料理は好きです。薬師の皆で飲みに行く時についていって食べてました」
「おい、それは大丈夫なのか?」
「一応、薬師ギルドのすぐ近くにあるお店ですし、最終的に全員、薬師ギルドで転がって寝てましたね。私は、師匠の部屋のソファーで寝てました。忙しい時を乗り切ったら、毎回そんな感じになるんです」
年に一回ぐらい、ギルドに泊まり込んで、昼も夜も交代で薬を作らなくてはならない時がある。そういった時は、終わると飲み会をして床に倒れ込むのがいつもの風景だ。店でも分かっているので、倒れて動かない者がいると、店の人間が薬師ギルドに放り込んでくれる。
セレスは飲めないので、いつも果実のジュースなどを飲んで食事を楽しんでいた。
酒のおつまみ系料理は、その店でよく食べさせてもらっているので、もちろんイカ干しの味も知っている。
「無茶な納期とかが重なって仕事漬けになった後は、多少の解放感は必要だったということで」
「まぁ、溜め込むのは良くないとは言うしな」
「はい。皆はお酒を飲めてうはうはで、私は美味しい料理を食べられてうはうはでした。しかも、支払いは師匠に押しつけて良かったので、遠慮なんて最初に消えてなくなりました」
無法地帯だった感は否めない。酔っ払って変な薬を誰かに飲ますとか自分で飲んじゃうとかいうおかしな騒ぎにならない限り、誰も咎めたりはしない。
おそらくうっかり薬を飲んだところで、自業自得と言われるだけだ。
「何であんなに美味しいんでしょうね。仕事が終わったという解放感と合わさると、極上の味でした」
「分からんでもない。忙しい時は、身体を維持出来る必要最低限の食事を取るだけで、とにかく時間を作って仕事終わらせたいからなぁ。それから解放された時が、一番、食い物が美味いんじゃないかな」
味なんてどうでもいい、お腹さえ満たされれば。
食事の美味しさを考える余裕なんてない。
ジークフリードもよく知っていることなので、十分に共感出来る。
「味のことを考えられるのは、少しほっとした時だな。仕事に集中している時は、食事の最中でもどうしても仕事のことを考えてしまうから、味など気にしていない。腹に入れば何でもいい。食わなくていいのなら、それでもかまわないくらいだ」
「そうですね。とにかく早く終わらせようとしか考えていませんでした」
ジークフリードもセレスもある意味、立派な仕事中毒者だった。
ヒルダだってそれは十分に分かるのだが、騎士は逆に、美味しいご飯こそが身体を作る、という考え方が基本なので、この二人とは方向性がちょっと違う。
どれほど忙しい時でも必ず食事を取ることは、騎士の身体を維持するためには必要なことなのだ。
だが、身体を動かす騎士と書類に埋もれる寸前の国王が正反対なのは分かるが、どうして薬作りという常に薬草を擦ってかき混ぜている、ある意味体力勝負のセレスまで国王派なのだろう。
「悲しい職業病なのですが、薬ばっかり作っていると、匂いで鼻がおかしくなる時があるんですよね。ご飯の味なんてはっきり言って分からないです。なので忙しい仕事明けのご飯は、ほとんどの薬師は濃い目の味付けの物を食べて、自分の味覚が生きていることを確認してほっとしていたりします」
ヒルダの疑問に、セレスは何とも言えない表情でそう答えた。
「それは、その、大変ですね」
「はい。どれだけ良い匂いだろうと、濃い匂いをずっと嗅ぎ続けていればおかしくもなります。人の身体って色々な部分で繋がってるんだなぁ、と毎回実感しています」
「繋がっている。そうですね」
十年前の事件の時、ヒルダは魅了の香水の存在を知ってはいたが、本当に匂いだけでそこまで人を操ることが出来るのだろうかと疑問に思っていた。
けれど、言われてみれば確かに人の身体は、色々と繋がっているのだ。
好きな匂いだと精神が安定するし、嫌いな匂いならばイライラする。
「あ、そうだ。ヒルダさん、安眠用の匂い袋、要りませんか?」
「匂い袋ですか?」
「はい。最近、薬だけじゃなくて、薬草で匂い袋を作ってるんです。よかったら、実験、じゃなくて、体験をしてもらって感想がほしいんです」
「……そこまで口から出たのなら、もう実験体って言ってもらってもかまいませんよ」
「いえいえ、あくまでも表向きは体験をしてもらう、という感じでお願いします」
セレスの怪しい笑顔に、ヒルダはセレスが師匠に似てきたことをとても残念に思っていたのだった。