次女とヒルダさん
読んでいただいてありがとうございます。
5/25に三巻が発売されました。書き下ろしで、セレスとジークは会っているので、よろしければそちらもどうぞ。オースティ様も素敵なイラストになっております。
セレスが旅までの間に何かすることがあるかと言われれば、はっきり言ってない。
荷物は侍女たちが用意してくれるし、せいぜい酔い止めやいざという時の薬の類いを多めに用意するくらいだ。
なので、セレスはさっそく新しい薬作りを始めた。
「えっと、こっちの薬と保湿薬を混ぜて……あれ?見た目の色が怖い?女性が使うから、もうちょっと何とかしないと。さすがに緑色は肌に塗りたくないよねー。日焼け止めって、肌色くらいがいいのに」
ぶつぶつ言いながら何とも言えない色合いの薬液を混ぜているセレスを眺めていたヒルダは、嬉しそうに調薬するセレスがちょっとだけ魔女に見えた。
銀色の髪を持つ若い魔女が無邪気に薬を作っている姿は、何処か恐怖と無邪気ゆえの容赦のなさを感じさせる。
「……お嬢様」
長年オルドラン公爵家に仕えているヒルダだが、悪人面の先代より今のセレスの方が恐怖の対象になりそうな気がしてきた。
あの人たちは見た目で絶対悪いことしてそうだ、と思えるから見た瞬間から警戒出来るが、セレスの場合は、見た目で恐怖が全く伝わらない。
こういう人の方が、実はとっても怖い。
何をするか分からないという点では、セレスの方が上だ。
こそこそと策謀するのではなくて、いきなり毒をぶちまけそうな気がする。
それも大変良い笑顔で。
でも作っているのは、女性に必要な薬ばかりのはずだ。
「ふふ、見てください、ヒルダさん。このねっとり具合、いい感じじゃないですか?すぐに流れないから保湿効果もばっちりです。あとはこれを薄く伸ばせるようにして、色も変えないと」
どろっとした緑色の液体を見せられて、うちのお嬢様は新しい魔物でも作るつもりなのかもしれない、と思ったのは秘密だ。
「薬草ってどうしても緑色が強いんですよね。緑でも、もっと綺麗な色ならいける?商品名に森の女神からの贈り物とか付けたら、いけそうな気がする」
「お嬢様、肌に塗った時に緑色のままでは、いけないかと思います。塗った時に無色になるとかしてほしいです」
「あ、そっか。塗った時に緑は嫌だよね。それにまだ青臭いから、臭い消しと無色になるようにして」
セレスは再び薬液を手に取って、緑色のどろっとしたものに混ぜ始めた。
色合いはともかく、ふわっと匂ったのは、花のような香りだった。
「いい匂いですね。花はないのに、どれから匂っているのですか?」
今、この場には花はない。あるのは、草や木といった物ばかりだ。
「いい匂いですよね。これ不思議なんですが、この草の匂いなんですよ。茎を裂くとこんな匂いがするんです。で、この匂いは、しばらくしたら消えるんですよ。消える時に、他の匂いも消してくれるので、けっこう便利なんです」
鼻歌でも歌い出しそうなセレスの様子に、ヒルダは思わず「銀の魔女」と呟いてしまった。
「何ですか?銀の魔女って」
呟かれた言葉を拾ったセレスがそう聞くと、ヒルダは一瞬、しまったという顔をしたが、聞かれた言葉はもうなかったことには出来ない。
「……お嬢様が、不愉快に思うかもしれない話なのですが……」
言いにくそうにしていたヒルダだったが、意を決したようにセレスの方を見た。
「お嬢様は四大公爵家はご存じですよね?」
「えっと、ティターニア、オルドラン、シュレーデン、ノクスの四家だよね?」
「えぇ、その通りです。ティターニアとオルドランは、それぞれの家を興した方が王族でした。シュレーデンは、王国が出来た頃からある武人の一族です。将軍や近衛、それに軍の要職によく就いています。何度か王女の降嫁があったので、当然王家の血は引いています。そして、王太后様のご実家でもあります」
考えてみれば当然なのだが、セレスを孫のように可愛がってくれている王太后にも、実家というものが存在している。
セレスが物心ついた時から、王太后は王太后だったので、何と言うか、実家のイメージが浮かんでこない。
「ティターニア、オルドラン、シュレーデンには王家の血が多く入っているので、雪月花に惹かれる方はいらっしゃいました。ですが、ノクスだけは違います」
「同じ四大公爵家なのに?」
セレスは侯爵家の生まれだが、いずれ薬師として家から出て行くつもりだったので、そこまで詳しく貴族のことを勉強したことはない。薬関係のことだけ夢中になって調べていたが、それもどの領地でどんな薬草が育てられているか、とかそういった類いのことばかりだった。
「ノクス公爵家に王家の方が嫁いだり、婿入りしたことはありません。他家との婚姻で少しは王家の血が入っていますが、直系の方は誰もいません。その代わり、ノクス公爵家は四家の中で一番、王妃となった方が多いのです」
「王妃様……」
「はい。ノクス公爵家から最初に出た王妃は、始まりの雪月花に関わった国王の妻となった方でした」
「エレノアお姉様の?」
「お嬢様はエレノア様のお名前も知っているのですね。そうです、エレノア様を追い詰めた王妃です」
「……ごめんなさい、ヒルダさん。色々あってお姉様の名前は知っていても、詳しい事情は知らないんです。知っているのは、一般的な伝説だけです」
夢の中で、アリスお姉様はそんな個人的なことまでは言っていなかった、と思う。
そもそも夢の記憶が曖昧なので、もし教えられていたとしても覚えていない。
ウィンダリア侯爵家なら伝わっていてもおかしくないのだが、雪月花のことはあまり詳しく伝わっていない。名前や性格、どうやって生きたのか、その全てが一般的に流布している程度のことしか伝わっていないのだ。
ディーンに頼んで、それとなく父に聞いてもらったが、いつの頃か分からないがそれらの資料は全て失われたのだそうだ。侯爵家としても、雪月花たちを不当に扱っていた時代があったため、黒歴史として全て封印してしまいたいという思惑もあり、失われたのなら仕方ないと言ってそのままにしたのだそうだ。
おかげで、姉たちの名前さえ分からなかった。
家系図に書いてないのは、もはや悪意でしかない。
「あら?そうなのですね。ではざっくりお教えしますと、当時の国王アレクサンドロス様とエレノア様は惹かれ合っていました。そのことが気に入らなかった王妃は、当時のウィンダリア侯爵を脅してエレノア様を襲わせました。言い伝えの真相はこんな感じなのですが、いつの間にか役割を変えられて話が広まっていったようです」
恐らくそれを広めたのは、アレクサンドロスだ。
エレノアを守るために。
悪いのは国王で、女神の娘が襲われたという話が広まらないように。
あくまでエレノアはウィンダリア侯爵と惹かれ合い、愛し合って嫁いだということにするために。
「あの、ヒルダさんは、どうしてそんなことを知っているのですか?」
セレスが知っているのは、改変された話の方だけだ。
というか、普通の人はエレノアの名前だって知らない。
何せ家系図にも名前が残っていなかったのだから。
「我が家で代々語り継がれてきたことですので。それに、この真相をぶちまけたところで、当事者の方々はもういませんし、あまり楽しくない内容ですので」
ヒルダの実家がこの話を密かに語り継いでいる理由は、この王妃のようになるな、という教訓のためだ。
この王妃のように雪月花を憎むな、ということではなくて、この王妃のようにバレるようにやるな、という教訓なのが、あの家の妄執のようなものを感じる。
「王家にもあまり詳しくは伝わっていない話なのですが、王太后様はご存じでした。アリス様から教えてもらったそうです。王太后様は、今の国王陛下にもお伝えしたそうですから、これから先は王家にも伝わるでしょう」
次期王であるアルブレヒトなら、この話を握りつぶすこともないだろう。
もし王家に伝わらなくても、ジークフリードが当主になるシュレーデン公爵家には伝わる。
ずっと思っていた。
女神の娘でありながら人に翻弄され、その存在さえも隠されることの多かった『ウィンダリアの雪月花』たちの歴史を、彼女たちの生きた証をきちんと残してあげたかった、と。
こういうことを考えるから、ヒルダは実家と上手くいかなくて、こうしてオルドラン公爵家の世話になっている。
だからこそ、ナーシェルのことを知り、アリスのことを知ることが出来た。
何より、セレスティーナという当代の雪月花に会うことが出来た。
後悔なんて、少しもしていない。
「ざっくりすぎて、ロマンチックさの欠片もない……」
せめて、どうやってエレノアお姉様と国王が知り合ったとか、そういう場面の話を聞きたかった。
だからイチャイチャが見たいとか言ったのかなぁ?、などと呟いているセレスを、ヒルダは微笑ましく見ていたのだった。