次女とマダム
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とある伯爵邸の一室が女性陣の笑い声で満ちていた。
次の春の夜会で社交界にデビューする娘の為に前々から予約がしてあった王都でも人気のデザイナーが屋敷を訪れて、ドレスの形や色合いなどを決めたのだ。伯爵夫人と娘は楽しそうにデザイン画の中から基本の形を選び、そこからデザイナーと細かい部分の打ち合わせをして満足のいくドレスを発注することができた。次は仮縫いをして実際に着てみてからの直しになるだろう。
「春の夜会ですもの、淡い色合いの方が多いのかしら?」
「そうですね。やはりデビューの初々しさと季節を考えますと、はっきりとした色合いよりも淡い色合いをお選びになる方が多いですわ。お嬢様方もそういった色合いが似合う方が多いので」
侍女たちが片付けをしている間、伯爵夫人とその娘と一緒に紅茶を飲みながらそう答えたデザイナーは真紅の髪を持つ派手な感じのする女性だった。
「マダムはいかがでした?デビューなさった時は?」
「わたくしは淡い色合いはダメでしたわ。若い頃からどうにも淡い色合いが似合わなくて。ですからお嬢様のように今は淡い色合いが似合い、もう少し大人になられたらはっきりとした色合いもお似合いになるであろう方がうらやましくて…。わたくしはデビューから真紅一色でしたわ」
「まぁ、エルローズ様の真紅のドレス姿をぜひ拝見したかったですわ」
髪も瞳も真紅の女性、マダム・エルローズと呼ばれる女性は、上位貴族の家に生まれながらドレスに魅せられてデザイナーになったという変わり者だ。古典的なデザインから斬新的なデザインまで、その場面と着る人に合ったドレスを作ってくれると評判で、予約は1年待ちだと言われている。実際伯爵家も1年以上前に予約を入れていた。
「そうそうデビューと言えば、マダムはご存じかしら、ウィンダリア家の次女と第二王子殿下のこと」
「まぁ、どのようなことでしょう?」
「何でも殿下が次女の方を養女に迎えて下さる家を探していらっしゃるとのことですわ。ほら、あそこの次女は放置されていると有名ですから。殿下がどこかに養女に出されてから婚約者に、と思っていらっしゃるらしくて。それで噂によるとティターニア公爵家とオルドラン公爵家が快諾なさったとか」
「四大公爵家の内、二家が殿下のお味方についた、ということになるのでしょうか?」
「そうですわねぇ。そうなると近々マダムの元にウェディングドレスのご依頼が来るかもしれませんわね」
「それはとても光栄なことですわ。ですが、そうなると殿下には2年ほどお待ちいただくことになりそうですわね。わたくしの手も空いておりませんし、殿下のご結婚の衣裳ともなれば布や糸だって厳選した特別な物を使いたいところですわ」
「殿下が待てるとは思えませんわ。実は娘が次女の方と同じ年で。学園での様子も時々聞くのですが、殿下はその方のことをずいぶんと大切にしていらっしゃるとか」
夫人が娘を見ると、娘はにっこり微笑んで肯定した。
「わたくし、専門の学科は違いますが、教養学科のクラスが一緒でしたの。ウィンダリア家のセレスティーナ様は大変お可愛らしい方ですわ。それにマナーや礼儀なども完璧にこなされますの。殿下が大切になさるのもわかりますわ。出来ればお話ししたかったのですが、少々気後れしてしまって…」
「あそこの家は少し特別ですから。昔、娘にせがまれてよく『ウィンダリアの雪月花』の話をしていたので、その家名だけでどうも気後れしてしまったようですわ。でももし殿下の元にその方が嫁がれたら『ウィンダリアの雪月花』の血筋は王家に移動するのかしら?」
『ウィンダリアの雪月花』はウィンダリアの血筋に生まれる。ウィンダリア家に王族の降嫁はあっても王族に嫁いだことはない。正確には嫁いでもその娘は子を残すことがなかった。なので、今の王家にウィンダリアの血は混じっていない。
「どうでしょう。それこそあの家は少し特別ですから」
「おほほ、そうですわね。娘と同じ年ということは、本来なら次の春にデビューを迎えられるのですね。でしたらマダムにはウェディングドレスよりも先にその方のデビューのドレスの依頼が来るかも知れませんわね」
「まあ!もしマダムがセレスティーナ様のお衣装をお作りになるのでしたら、ほんの少しだけわたくしのドレスにも同じ…そうですわね、刺繍とか付けていただけませんか?わたくし、あの方に憧れていますの」
そう言って恥じらう娘は大変可愛らしかった。
伯爵家から帰る為の馬車に乗り込んでしばらくはエルローズはずっと考え事をしているように黙ったままだった。エルローズの前に座るお針子2人が心配そうな目でエルローズを見ていた。
「……薬師ギルドに向かってちょうだい」
「はい!」
エルローズの指示を御者に伝えると、馬車は薬師ギルドに向かった。
セレスは薬師ギルドの奥にある調剤室で薬草をごりごりと潰していた。綺麗に均等になるように潰さないと出来上がりにムラが出るので、慎重に確認しながら潰していっている最中にその足音は聞こえてきた。
カツカツ、というヒール音が近づいてきたと思ったら調剤室の扉が勢いよく開かれて真紅の女性が現れた。
「セレスちゃん!!」
真紅の女性―エルローズはセレスを見つけるとヒールを履いているとは思えない速度で近づいてきてぎゅっと抱きしめた。
「ローズ様?あ、薬草が」
「そんなのアヤトにやらせときなさい!!それよりもわたくしの癒やしの方が大事でしてよ!」
セレスはイスに座っていたし、元々の身長差もあるので、エルローズがセレスを抱きしめるとその豊かなお胸にセレスの顔がちょうど埋もれてしまう。
「あーもう、可愛い!!セレスちゃんのウェディングドレスならいつでも作ってあげるけど、お姉さん、王家に嫁ぐのは賛成しないわ」
ぎゅーっと抱きしめる力が強まったのでさらに胸に押しつぶされそうになる。
「ろ、ローズ様、息が…!」
「あら、ごめんなさい」
お胸の圧迫からようやく逃れたセレスだったが、エルローズは抱きしめたまま離してはくれていない。
「王家には嫁ぎませんよ。殿下から逃げてきちゃいましたし…ついでに貴族籍からの離籍もしちゃったんですが」
「あらあらそうなの。じゃあ、わたくしが今日聞いた噂は?」
「その噂ってアレでしょう?セレスちゃんが他家の養女になって第二王子と結婚するっていうやつでしょう?」
答えたのはエルローズが開けっぱなしにした扉から入ってきたアヤトだった。
「ま、アヤト。相変わらずそんな色気のないきちきちの服を着てますのね」
「そういう貴女は相変わらず露出狂ぎりぎり一歩手前の装いね」
見た目美女2人がそれはもうにこやかに言っているのにどうしてその背後にブリザードや雷が落ちている様子が見受けられるんだろう。幻覚にしてもはっきり見える気がしてならない。
初めてエルローズを紹介された時からこんな感じだったので、いつも通り執事に聞いてみたところ、
「服装における意見の相違です」
とのことだった。
「アヤト様は、肌は隠して首元まできっちり締めて、それが時折乱れるのが良いという古典派です。対してエルローズ様は、普段から見えるか見えないかのぎりぎりまで攻めたいという革新派です」
……うん、一方が男の人だということは一度忘れよう。それは知識でいうところのチラリズム、でいいんだろうか?
ちょっとセレスは悩んだが、デザイナーだというエルローズに知識の中から着てみたかった服のイメージを伝えたところ、それがエルローズの新しい扉を開けたらしく大変感謝をされ、それ以来セレスの服は基本的にエルローズが作ってくれていた。
ちなみにセレスが着てみたかったのはアオザイだったのだが、それ以外にも「知ってる服の情報を教えてくれない?」と言われて着物やサロンケバヤ、バタデコーラなどを教えた。ただし、言葉だけだとイメージが湧かないから絵にして描いてほしいと言われて描いた絵は見なかったことにされた。
セレスの言葉だけが頼りになってしまったのだがそれでもエルローズの創作意欲を十分に刺激したらしく、セレスはエルローズのお気に入りとなっていた。
「ティターニア公爵家とオルドラン公爵家なんて具体的な名前も出てきてたから、てっきりそういう方向にいってるのかと思いましたわ」
場所をギルド長の部屋に移して、持ってきた服をセレスが着てはエルローズとお針子さんが素早く手直しをしていく。普段使いが出来るようなワンピース等なのでドレスと違って手直しは簡単らしい。
「あらま、もうすでに貴族間でもそういった噂話が出てきてるのね」
「侯爵家がセレスちゃんを放置しすぎてたせいか、殿下が堂々と探してても誰も疑問に思わなかったみたいですわ。むしろ学園内ではお似合いの2人と思われている感じでしてよ」
セレスに憧れているという伯爵家の娘さんの話を聞く限り、学園内でも第二王子とセレスを応援している派閥がいくつかありそうな感じだった。
「そうそう、セレスちゃん。貴族籍を抜けてるのなら春の夜会でデビューはしなくてよいわよね。でもセレスちゃんの為のドレスの用意は出来てるから内々でやりましょうね」
第二王子からの依頼などなくてもセレスのデビュー用の衣装は用意してある。黒い髪でも銀の髪でもどちらでもいけるようにちゃんと2着用意した。さすがに日の目を見ないのはもったいないし、あれらの服はあくまでセレスのイメージで作っているので他の人が着たって似合わない。
「知ってる人だけ招待してやりましょうね。場所はわたくしの屋敷かアヤトのところの広間でやれば問題ないわ」
セレスを着せ替え人形にして満足したエルローズは、そう言ってセレスに断る隙を与えてはくれなかったのだった。