次女の事情
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ある日、王族も降嫁したことのある侯爵家に次女が生まれた。
彼女が生まれたその家には2つ年上の長女がおり、その長女は少しだけ身体が弱く、感情の起伏が激しかったのですぐに癇癪を起こしてはまた生来の身体の弱さから熱を出して、というのを繰り返していた。
両親は、最初の子供である身体の弱い長女をたいそう可愛がっていて、生まれた次女がものすごく大人しく手がかからなかったせいもあってか、常に長女を優先し、次女は生まれてすぐに育児放棄に近い状況となっていたのだがあまり気にされなかった。
それでも最初のうちは多少なりとも次女に時間を割いていたのだが、そうすると途端に長女の機嫌が悪くなって泣きじゃくるので、次第にその足は次女から遠のいていき、いつの間にか使用人からの定期報告のみを聞く状態になっていった。それも最初の1年くらいの間だけで、翌年妻が再び妊娠し、跡取りとなる待望の長男が生まれた頃には定期報告も行われなくなっていった。
長女は身体も弱く最初の子供でなおかつ妻によく似ていたので可愛いがられ、長男は跡取り息子として大切に育てられた。その一方で次女は大人しかったので、両親の中ではその存在感というものが全くなく、どうやって育てられているのかも関心はなかった。
時折、執事や侍女が「※※※様」という単語を言ったのだが、その名を聞いてやっと存在を思い出すくらいで、さらにその名を聞くと長女が癇癪を起こして暴れて手が付けられなくなるので、いつしか家族の前でその名を呼ぶ事すら禁じた。
年月が経ち、身体が弱かった長女もすっかり元気になったのだが、幼い頃から甘やかした為、何事も自分が一番でなくては気が済まない我が儘な子供に成長していた。弟は跡取りでいずれはこの侯爵家を継ぐ存在と両親に言われていたので、弟にはそれほど癇癪を起こすことはなかったが、自分の家より下の家の人間には容赦なくその我が儘っぷりを発揮していたので、ある意味で侯爵家の我が儘姫は有名だった。
その一方で、次女のことは全くと言ってよいほど話題には上がらず、家にいても食事を共にすることもなくお茶会に出席させるわけでもなく、ただただ存在自体を無きものとしていた。
そんな頃に、たまに侯爵の前に侍女のお仕着せを着た小さな少女が姿を現すようになった。
侍女の誰かの子供が見習いとして仕事をしているのだろう、と侯爵は気にもとめなかったが、その小さな侍女はだいたいにおいて次女の用事を伝えに来ていた。
そんな時は侯爵ももう1人の娘の存在を思い出して、そういえば、と思うのだが、そのたびになぜか毎回長女が現れては癇癪を起こして暴れてまわるのでまたすぐに次女の存在を忘れて、というのをずっと繰り返していた。
小さな侍女の用事も、「※※※様が必要としているのでこの書類にサインを下さい」ということばかりで、書類に軽く目を通したが特に不審な点もなかったのでいつもさっさとサインをして渡していた。
後に侯爵は、こういう書類があるたびにきちんと目を通して、あの子に直接会いにいけば良かった。あの子を忘れて何をしていたんだろう。長女が癇癪を起こそうが、あの子も私の娘だったのに…、そう言って涙を流したそうだが、その話を伝え聞いた次女の答えは「え?あの方って、私のことを覚えていらしたんですね。何せサインをいただく時に毎回違う名前を言っても気付かれなかったんですよ?最終的にはあの方の愛馬の名前を言ってみたんですが全く気付きませんでした」と心底不思議そうな顔をしていたので、周りの人間の方が引いていた。なぜ、毎回違う名前を言ってたんだろう、という疑問は残ったのだが。
侯爵夫人の方はどうだったかと言うと、娘を連れてのお茶会でも長女にべったりで娘が機嫌を損ねないように、そして侯爵家の名にかけて娘と息子を大切に育てなければ、という感じで張り切って子供2人を育てていた。自分が産んだはずのもう1人の娘のことはすっかり忘れていたのだ。だが、貴婦人の中には侯爵夫人がもう1人、娘を産んだことを覚えている人もいて、さりげなくもう1人の娘のことを聞いてくる夫人もいたのだが、侯爵夫人はそのたびに、「子供たちは大切に育てていますの」などと言っていた。
長女と長男だけを連れて歩き次女のことを一切話題に出さない侯爵夫妻に、夫人たちはこそこそと密やかに会話を交わしていたのだが、誰もそのことを本人達に告げる気はなかった。
貴族はある意味、足の引っ張り合い。話題提供をしてくれている親子に何事もないように笑顔を見せつつ、遠くからくすくすと笑いものにするのも楽しみでしかない。
年月が経ち、長女は貴族ならば誰もが通わなくてはならない学園へと入学した。侯爵は学費はもちろん多大な寄付金を出した。これは高位貴族の義務のようなもので、その寄付金で学園の施設を充実させたり能力はあるが家が財政難の貴族や平民を特待生として受け入れる資金へと当てられていた。
学園で長女は王家の第二王子に出会い、彼に執着した。
それは決して恋や愛ではなく、自分を飾る装飾品のような思いからの付きまといだった。
自分が、自分こそが、自分だけが王子妃として相応しいのだと言い続けて他の令嬢に嫌がらせや悪意を振りまく長女に第二王子は決して振り向くことも、特別扱いすることもなく、誰に対しても常に笑顔で冷静に対処をしていた。
彼らが3年生になった年に次女の方は入学を果たした。
とはいえ、いつものように家族から忘れられていた次女は手続きやら学費やらをいつも通り自分で行い、父であるはずの侯爵にはいつも通り全くちがう名前を告げて「※※※様が必要としていらっしゃるので」とサインを自ら貰いに行っていた。
これには貴族社会がまたもやざわめいた。
侯爵家の次女が入学を果たしたというのに、学費のみで寄付金は一切無し。子供たちを大切に育てていると豪語したわりには……くすくすくす、と言った感じで貴婦人たちは小さく笑い合った。
さらに翌年、長男が入学した時には多大な寄付金を出したので、さらに貴婦人たちは笑いを抑えられなかったようでしばらくはどの夜会でもネタと化していた。
次女が入学後に選んだ専門学科も話題になった。
次女は、薬学科を選択していた。
侯爵家の次女がたいていの令嬢が選ぶ貴婦人科でも王宮などの侍女になる為の侍女科でもなく、薬学科を選択したことで、将来、彼女は家を出るつもりなのだろうということをほとんどの人間が察した。
当の本人である次女は、周りの人間がどう思うとか関係無く自分の将来の為にひたすら勉強や、薬の材料となる物を自分で取りに行く事もあるだろうと剣の修行に専念し、気がついたら学年でもトップに入る成績を修めていた。
「……やりすぎた?」
こてん、と首を傾げた次女を、彼女と偶然知り合い交流を深めていた第二王子は「そんなことはないよ」そう言いながら他の誰にも見せたことのないような笑顔で彼女の頭を撫でた。
「ところで、あの話は考えてくれたかな?」
大変麗しい笑顔で第二王子が次女に聞いたが、次女はこちらも笑顔で首を横に振った。
「残念ながら、私の将来設計に貴方という存在は入っておりませんので」
きっぱりとお断りされることもはや何度目になるかわからないが、隙を見つけては第二王子は次女にその質問を投げかける。うっかり「はい」なんて返事をしようものなら自分の望みが叶わず変な方向に流されてしまうことはわかっているので、次女の返事はいつも一緒だ。だが、第二王子は諦めない。本人いわく「気がつかなかったけど、僕の執着はすごいらしい」とのことだった。
その執着心は出来れば他の女性に向けて欲しい、次女はそうお星様に願ってもみたのだが、願いは叶わず第二王子の心は次女にしか向かなかった。
もちろん長女はこれに激怒し、「誰かあの女の素性を調べて!!」と実の妹の素性を赤の他人に調べさせるという前代未聞の行動に出た。言われた周りの人間の方の戸惑いが大きく「実の妹だよね?なんで知らないの?」「ご存じないの?有名なお話よ。あそこのご両親と長女は頭にお花が咲いていらっしゃるようで、2番目の娘のことは心底忘れていらっしゃるようなのよ」などという会話があちらこちらから聞こえてきた。当然、家に帰りそれぞれの家族に話し、ますます侯爵家のお花畑は有名になっていった。
その間も第二王子は次女を口説きにかかっていたのだが、次女は華麗にスルーを決め込み、ひたすらに我が道を進んでいた。薬学の方も優秀で、薬師ギルドにも籍を置いていつでも平民ライフにレッツゴーの状態にはなっていたのだが、平民になりたい次女と自分のすぐ隣に置いておきたい第二王子との攻防戦は収束のめどがたたず周囲に生温かい目だけが広がっていった。
ある日、王子は気がついた。あの侯爵家にいるから婚約できないのではないか、ということに。
というのも、次女は王子の話をスルーするのに侯爵が認めないだのあの両親と姉がもれなく付いてきますので、などと言って断っていたのだ。ならばあの侯爵家から彼女を離せば問題は解決するのでは、と考え付いたのだった。父である国王と母である王妃、ついでに兄の王太子に相談してみたところ、さすがに貴族間でも有名な次女放置話に思うところがあったのか、侯爵家から離すのは賛成された。
ちなみに国王も王妃も何度か侯爵と夫人に次女の話をさりげなく聞いたりしたのだが、2人ともなぜかすぐにそれを長女の話だと思い込み、いつもちぐはぐな答えしか返ってこなかった。
第二王子はさっそく動き出した。彼女を侯爵家の籍から抜いて養女として迎えてくれる高位貴族を探し始めたのだ。ところがその動きを察した次女の方がさらに素早い動きを見せて、さっさといつもの手口で侯爵から貴族籍からの離籍とついでに絶縁のサインをもぎ取り、学園も退学して平民になって行方をくらましてしまった。
「どうしてそういう動きは早いのかな!!」
ある日突然登校しなくなった次女を心配して侯爵家に行ってみれば彼女は綺麗さっぱり跡を消していなくなっているし、自分に会いに来たと勘違いした長女に付きまとわれて大変迷惑だという事を遠回しに忠告しても聞いてくれないし、と散々だった。
改めて侯爵と2人っきりでじっくり話しあった結果、侯爵はようやく自分にもう1人の娘がいてずっとほったらかしにしていた事を思い出した。
「……なぜ、わたしは…」
頭を抱えた侯爵は侯爵家の執事に放置された彼女がどうやって育てられたのかを聞いたところ、侍女たちが代わる代わる育てていたことが発覚した。侍女たちは長女ばかりを優先していた侯爵夫妻には立場上何も言えなかったが、我が儘で仕えがいのない長女は嫌いでも、忘れられ放置されていた次女の方は哀れに思って、手の空いている者が交代で世話をしていたのだという。時には洗濯をする下級侍女の傍らでゆりかごに乗せられた次女が日向ぼっこをしていたりしたそうだ。執事が気がついた時にはもうそんな感じで次女は育てられており、執事は次女を育ててくれている侍女たちの給金をそっと上げることくらいしか出来なかったそうだ。
「じゃあ彼女がお仕着せを着ていたというのは…」
「はい、侍女の姿をしていればこのお屋敷内は比較的自由に動けますし、何か危険な場合は侍女たちに紛れることも出来ましたので、あの方は屋敷内ではだいたいお仕着せを着ておられました」
執事の言葉で侯爵ははっと顔を上げた。
「で、では時々来ていた私にサインを求めてきたあの子供の侍女はまさか!」
「はい、お嬢様です。失礼ながら旦那様、お嬢様はいつも用事がある時は自ら旦那様のもとへ伺っておられましたが、旦那様は一度もお気づきではなかったようです…。それと、お嬢様はサインをお求めになった時は、最初こそご自分のお名前をおっしゃっていましたが、途中から色々なお名前を言っておられました。残念ながら旦那様はそのこともお気づきにはなりませんでしたが」
執事に淡々と告げられた内容は侯爵をさらに落ち込ませた。が、そこではっと気がついた。そもそも自分はあの子の名前を覚えていない。あの子の名前はなんだったのか…、恥を忍んで執事に娘の名前を聞いてみた。
「……旦那様、まさかとは思っておりましたが、本当にお嬢様のお名前をご存じなかったのですね…」
「まて、ならば誰が彼女の名前を付けたのだ?」
実の親も忘れた存在に誰が名前を付けたというのだろうか。第二王子の純粋な質問に、侯爵はさらに落ち込んだ。何せ、自分が名前を付けた記憶がないのだ。
「……先の王妃様、王太后様です」
「おばあ様?なぜおばあ様が名付け親に?」
「お嬢様がお生まれになって一月ほど経った頃に、王太后様が祝福にいらっしゃって下さいました。奥様は王太后様から見たら姪にあたる方でしたので王家として、というよりは可愛がっていた姪の子供の誕生をお喜び下さってお越しになったのですが、またもや上のお嬢様が癇癪を起こされて奥様がそちらにかかりきりになっておられましたので、生まれたばかりのお嬢様のお顔だけでも、とこちらにいらしたそうです。その時に、侍女の1人が不敬にあたるのを承知でお嬢様にお名前がまだ付けられていないこと、上のお嬢様にかかりっきりで貴族籍の届け出も済ませていないであろうことを告げたのです。王太后様はそれを聞いて何度か旦那様や奥様と話し合いの場を設けられようとしましたが、いつも上のお嬢様の妨害などで思うように話し合いが進まず、業を煮やした王太后様がお嬢様にお名前を付けて貴族籍の届け出をしてくださいました。その事は旦那様にもお伝えしておりましたがどうやら綺麗さっぱりお忘れになっておられるようですね」
執事の冷たい目に侯爵はますます頭を抱えそうになった。だが、ここで全てを聞いておかなければこれから先の話は全く進まなくなると思い侯爵は執事に話の続きを促した。
「よろしいですか、旦那様、しっかり聞いて下さい。お嬢様のお名前は『セレスティーナ』様でございます」