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第7章 第3話 私がヒーロー

「こ、光華ちゃん……!」

「いいから行ってください!」



 とにかく菜々ちゃんを逃がし、私は剣を構え続けます。後ろから遠ざかる足音がします。やはり私は劣っている。あの時の私は動くことすらできなかったのだから。



「さて――」



 問題は目の前の男性です。たぶん大学生くらいで、それなりに太っている。この人が成長したらきっとあのおじさんと似た感じになるはずです。



 あの体重は厄介ですが、喧嘩に自信がないのは確実。宗吾くんの名前を出したことは襲うなら今しかないと誘き出すためでしたが、思わぬ収穫です。



 ……大丈夫。相手はあいつみたいに包丁を持っているわけではないし、私は以前のわたしではない。軽くではありますが宗吾くんから剣の振り方は教わっています。



「ふぅぅぅぅ……!」



 勝てない相手では、ない。ここで私は過去を乗り越える。今度は私がヒーローに――!



「……お前でもいいや」

「……え?」



 気づいた時には私の顔は殴られていました。動きは捉えていた。拳を振りかぶっていたのは見えていた。それでも、動けなかった。



「ぁ……う……ぐ……っ」



 頬に感じる痛みを感じないよう努め、立ち上がろうとした瞬間。私の脚は掴まれていました。



「や……ぁ……ぁあ……っ」



 そして引きずられ連れていかれたのは、ただでさえ人気のない通りのさらに奥の路地裏。いつ置いたのかもわからない段ボールの山に私は押し倒されました。



「やめ……や、だぁ……っ」



 目の前を覆う大きな身体に声が出ない。いや、こんな情けない声は出しちゃいけないのに。悲鳴が、抑えられない。



「声出すなよ……」



 そして私の視界に入ったのは、鈍く輝く金属。包丁。それを右手で私の眼前に突き付け、左手で強引に私の服を破っていく。



「やだ……やだ……やだ……っ」



 頭が真っ白になる。嫌悪感が満ち溢れる。女性としての危機に瀕しているからではない。私の、わたしのヒーローが、消えていく。その恐怖が、屈辱が。わたしの脳を支配する。



「喋んなって言ってんだろ!」

「っ――!」



 腹を殴られ、口にタオルを詰められる。あの時と同じだ。あの時と変わっていない。



 被害者。どこまで行ったって同じだ。わたしはかわいそうな被害者のまま、変わらない。ヒーローには、なれない。



「ちっ……。なんで口枷なんてつけなきゃいけないんだ……。泣き叫ぶ姿がそそられるのによぉ……」

「奇遇だな。僕も同じだよ」



 ヒーローに助けてもらうことしかできない。



 ストーカーが後方に大きく吹き飛び、わたしの前に人が立つ。



「ごめん、遅くなった」



 あの時と同じ状況。あの時と同じ感情。あの時と同じ背中。



「宗吾くん――」



 タオルを口から出してそう声をかけると、道着を纏った宗吾くんは顔だけこちらに向けてきた。ああ、なんでここだけ違うんだろう。



「お前、復讐される覚悟はできてるんだろうな」



 遥さんの安心させてくれる笑顔とは真逆の、殺意のこもった瞳が。わたしから外れ、ストーカーに向いた。



「なんで……ここがわかったの……?」

「浪花さんに連絡をもらった。光華さんが逃がしてくれたおかげだよ。ありがとう」

「……うそつき」



 ここと道場は1キロ以上の距離がある。そして何より、剣道の稽古をしていたのに武器が竹刀ではなく。殺傷能力のある木刀のはずがない。



 ここも同じだ。遥さんはあの日非番だった。それなのにすぐに駆けつけてくれた。わたしを陰から見守ってくれていたんだ。



 あの時はうれしかった。でも今は、違う。



 わたしは宗吾くんと同じだと思っていたのに。宗吾くんにとってはわたしも守るべき対象だったんだ。



 そんなことはない。宗吾くんがそんなことを思っているはずがないのに、見下されたと。下に見られたのだと思ってしまって。悔しくて仕方ない。



 非力なわたしに貫けるような正義なんてない。わたしはヒーローにはなれない。わたしは、わたしは――。



「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ」



 宗吾くんのものではない悲鳴で目が覚める。前を見てみると、右手首と左脚がおかしな方向に曲がっているストーカーが転がっていた。



「お前っ! おまえぇぇぇぇっ! 絶対に許さねぇぞぉぉぉぉっ! 覚えてろよっ! 警察に突き出してやる……これでお前は犯罪者だぁぁぁぁっ!」

「……わかってないな。僕は包丁を所持している危険人物の手首を叩き、後ろの光華さんに被害が及ばないよう脚にダメージを与えただけだ。だから――!」



 宗吾くんの竹刀が、ストーカーの口に突き刺さる。



「復讐は、これからだろ」



 ……宗吾くんは。朝陽さんに憧れている。



 口では色々言ってるけど、朝陽さんを見つめるその瞳は。羨望を超えた絶対的服従の色を帯びている。命を救われたという恩は、それだけ重いのだろう。



「お前、光華さんの口にタオル詰め込んでただろ。そんで髪掴んでたよな。だから倍返しだ。今からお前の髪を掴んで、全力で木刀を噛ませる。大丈夫だよ。歯が折れたって死ぬわけじゃないんだから。それにこれはお前がやったことへの復讐なんだから仕方ないよな」



 ……宗吾くんもわたしと同じだ。朝陽さんの気持ちをわかっていない。わかっていないから手さぐりで探している。そしてこれは、明らかにやり過ぎだ。



「宗吾くん、やめてください」



 わたしは……私は。宗吾くんの首筋に剣を当てます。



「私がやられた分の復讐は私がします」



 行き過ぎてしまう宗吾くんを止められるのは。私しかいません。何もできない私を救ってくれた宗吾くんと同じように。私が止めるしかないのです。だから。



「後は私に任せてください」



 今度こそ。私がヒーローにならなくちゃいけないのです。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  手探りでも何とか前に進もうとしているのが感じられる。  その方向が合ってるかどうかなんて判らなくともとにかく動かなくては、という想いが伝わって来ます。 [一言]  願わくば少しでも良いか…
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