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1.6

「それじゃあ、勝負は、単純に。私は負ける方(ドント・カム)に賭けるわね?」


 ミセス・ホールトンの宣言に意表を突かれ、おれは思わず眉を跳ね上げた。

 普通、クラップスでは投げ手は自分の勝ちに賭け、客も尻馬に乗る。客と店の勝負だからだ。

 しかし、負けに賭けられないわけじゃない。むしろ計算上は、自分の負けに賭けた方が得なくらいだ。


 なにしろ第一投で勝ち負けが決まる出目は、八通りしかない。なにかしらポイントナンバーが出るのが二八通りで、ポイントナンバーが決まれば負けの目は最も出やすい七に変わる。

 自分の負けにベットし妖しく微笑むミセス・ホールトンは、血の色のドレスを着た魔女のようだった。


「カム・アウトロール」


 宣言と共に、さいは投げられた。

 飛んでくるサイコロを見るのは初めてだった。緩やかな放物線を描いて空を飛び、おれの手元より少し下のバンクにぶつかり、ふわりと舞って――。


 柔らかい音。天面を弾んで、転がっていく。

 そのときおれは、空気に呑まれてしくじったことに気付いた。

 魔女の『ドント・カム』宣言に、ポイント・ロールで勝てばいいと思っちまったんだ。


 おれの頭はどこまでも客のままで、ミセス・ホールトンがカム・アウトロールで負けてくる可能性を失念していた。彼女はおれにベルヌーイがついていると知っている。勝ちたければ、おれに振らせなければいい。


 祈るしかなかった。

 ベルヌーイじゃなく、天にまします神さまにだ。

 サイコロが止まる――三と、六を示した。九だ。次はポイントロール。


 ざまぁみろ!


 おれは吼えたくなるのを手を握りしめてこらえた。躰の熱に汗が吹き出す。

 これでおれは、勝利に近づいた。


 ミセス・ホールトンは七が出るのを待たなきゃいけない。約一七パーセントだ。こっちは九を出さなきゃいけない。約十一パーセント。単純な出目の確率って意味なら向こうに分がある。だが、おれにはベルヌーイ様がついてらっしゃる。約三三パーセントで勝利を掴める。


「それじゃあ、ミセス・ホールトン。今夜はおれと一緒に過ごしてもらおうか」


 おれは自信満々でダイスを――、


「あなた勘違いしてるわ」


 振ろうとした瞬間、その一言を聞いてしまった。手元が狂った。一個はバンクに当たり、もうひとつはバンクを越えてミセス・ホールトンの胸にぶつかり、テーブルの下へと消えた。

 カツン、と小さな音が鳴り、ミセス・ホールトンは楽しげに小首を傾げた。


「意外と子供っぽいのね。私は好きよ? そういう可愛いところ」言って足元に目を滑らせる。「あら。いい目がでてじゃない。こっちは四。そっちはどう?」


 おれはミセス・ホールトンの麗しい背中が起き上がってくる間にテーブル上を確認した。出目は五。床に落ちた四と合わせて九だ。勝っていた。

 ミセス・ホールトンはテーブルに残るサイとまとめて、妖艶に微笑んだ。


「すごいわね。本当にベルヌーイがあなたに味方しているのかしら」


 おれはサイコロを手に取った。冷や汗が止まらない。


「ああ、そうさ。言ったろう? おれにはベルヌーイがついてんだ」

「せっかくだから、あなたの神様に聞いてもらいたいことがあるのよ」

「……なんだよ? ベルヌーイは誰にでも平等だ。言ってみな?」

「賽子ふたつを投げて、二回連続で九が出る確率は?」


 心臓が凍りついた。なにが『確率の話を女にする?』だ。よく分かっていやがる。

 おれが二回振る――つまり六回分振って九が二回出る確率は、およそ十三パーセントだ。普通に投げるより二パーセント高い。

 けれど、二回連続なら?

 手の中で、カチカチと音がしていた。震えが止まらなかった。


「落ち着いて振ってちょうだい? また拾うのは面倒だわ」

「おれがここで出せなくても、次はあんたのロールだ。そン次は勝つさ」


 握りしめた手を振り上げたとき、ミセス・ホールトンが言った。


「一番出やすい目は何か知ってる?」


 ――七だ。

 おれの手から賽子が飛んでっちまった。出そうとしている目はあやふやなまま。もしかしたらベルヌーイは、最後に意識した七を出そうとするかもしれない。

 賽子は壁にぶつかり跳ね回り、テーブルの上を転がった。


 そのときばかりは、移り変わる目がはっきり見えた。三・六、五・五、四・一、片方が止まって、もう一方は転がった。


 四と、三で、七だ。


 おれは足から力が抜けていくのを感じた。

 ブラッドリーから借りだした金でやったギャンブルと同じ顛末だ。

 最後の最後で大勝負に負けた。


 だが、あの日と今日じゃ、全く違う。

 あの日は単なる運否天賦で負けた。

 今日は、ミセス・ホールトンの揺さぶりに負けたと言ってもいい。

 おれは冷え切った息を吐きだした。これで負け分は約三〇〇〇ダラー。


「まぁ、おれは後に引きずらない性質なもんでね。持ってけドロボーだよ」


 そう嘯いた。正直な気持ちは、またか、ってところであっても、決して口にはしない。それが勝負師の勝負師たる所以で――。


「また勘違いしてる」

「……なんだって?」


 ミセス・ホールトンは長手袋を外しつつ、取り巻き状態の黒服に手の甲を向けた。すかさず黒服の一人が指先にシガレットホルダーを挟ませる。ただでさえ長いシガレットホルダーに、これまた長細い真っ白なタバコがついていた。


 ミセス・ホールトンが吸い口を咥えると、すぐに黒服が火を点けた。吐き出された薄い煙が、テーブル上で渦を巻く。彼女の妖しく光る瞳が、煙に隠れた。


「あなたはディーラー側って、私、言ったわよね?」

「……言った。が、まさか、配当も?」


 だとしたら倍率は一対一で、倍付になる。つまり六〇〇〇ダラー。誰の人生でも変えられる額だ。

 おれは空のグラスを手に取り、底に残っていたバーボンの一滴を舐め取った。口も喉も乾ききっていた。そのくせ吹き出す汗はひどくなる一方だ。


 まるで詐欺のような条件設定には、まだ続きがあるかもしれない。

 もしもミセス・ホールトンが口にした言葉すべてが字句通りの意味なら、さらにはそれらすべてがペテンのような文言だったとしたら。


 ――おれに課せられる借金は四桁程度じゃすまなくなる。

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