1.4
熱狂。その単語を知ってはいても、実際にどんな状況を示す言葉なのか知っている奴は意外と少ない。
鉄火場に戻ったおれは、まさにその中心にいた。
「カムアウト・ロール」
ディーラー側のチンピラは射殺さんばかりの目をおれに向け、レーキを取った。赤いクリスタルガラスのダイスが、おれの前に突き出される。
本日二十七回目の投げ手だ。一度でも負ければサイを振る役は別の奴にまわる。そうなれば、おれは傍観者になり、ベルヌーイも力を貸してくれなくなる。
しかし、おれは勝ちまくっていた。
客の誰もがおれの勝利を信じてベットする。スティックマンが別の奴を指定しても断られる。勝ちが積もったところで負けの率が上がるわけではない。
勝ちに勝って、ディーラーをイラつかせ、客を熱狂に巻き込む。
おれはさらに観客を煽るため、周囲に群がるギャングを睥睨した。
「おれの振るサイは、いつだって勝利を示すんだ」
呟きが取り巻きの声を一層大きくさせる。おれはサイコロをつまんだ右手にスナップを利かせた。運命の赤い六面体は、緑のラシャが張られたバンクにぶつかり、跳ねて――。
「ウィナー」
ディーラーの苦々しい宣言に応じて、どっと歓声があがった。
出目はナチュラル――つまり、三と四、合わせて七の勝利を示した。ベルヌーイのご加護はかかっちゃいないが、勝利は勝利だ。場の熱はさらに高まり、勝利に賭けた客にも配当がつく。ブラッドリーも大満足で、イワンのばかとリュウの阿呆も小遣い増やしてご満悦。観客の信頼が、おれを次の投げ手に再指名するってわけさ。
対して、ディーラーは面白くない。苦虫噛み潰すどころの騒ぎじゃないらしい。場の管理者であるボックスマンが背後に控える黒服の一人に耳打ちした。すぐに走っていった。
おれはそれを横目に、指にダイスを挟む。
「まだまだ勝つぜ。今日のおれは」
デッカく、投げつけてやった。
観客が小さなため息を漏らした。目は五と一の六。ポイントだ。以降は同じ数字か、七が出るまで勝負が続く。見物客の声が高い。シリーズが始まった時点でおれの勝ちを確信している。暢気なもんだと思いはしても、六なら余裕で、おれも気が乗ってきた。
おれがサイコロを持つと、案の定ブラッドリーは三のゾロ目に多額を賭けた。イワンとリュウも続き、観客は六と八に分かれて賭けた。
この一体感もクラップスの醍醐味のひとつだ。他の客たちと一緒になって、ディーラー側をぶっ潰す。これが楽しい。どいつもこいつも、おれを英雄のように崇め奉り、勝利を願う。期待に応えてやる。脳には強い快感が迸る。
おれはサイコロふたつを手に取って、観客たちに宣言してみせた。
「おれは超えるぜ? ベットは終わってんのか?」
ディーラーは喚く観客たちに睨みを利かせ、おれにサイを振るよう促した。
「おれにはベルヌーイがついてんだ。負けても、勝つのさ」
熱狂の渦にもまれてサイが舞う。バンクにぶつかり宙高く。落ちて二回、三回と転がり――。
「スリー、ダブルス」
三のゾロ目。勝利だ。歓声は火の粉が飛んだ火薬樽のように爆発した。
おれの勝利を示すサイを引き寄せながら、スティッカーが舌打ちをした。店側らしからぬ態度だ。店はいつだって淡々と勝負し続けなければならない。それができないのなら、もう敗者も同じだ。
おれは煙草を咥えて、自然と上がってくる口角を抑え込んだ。いまの時点で二二六六ダラーを稼いだ。端数は切り捨て。倍率を丁寧に考えて賭けていけばもう少し勝ちは積めたが、いまさらだ。おれは我らがベルヌーイ神と同じく、勢いとか流れってもの自体を、氷の入った安っぽい合成ウィスキーの次に嫌う。
だから、ダイスを指三本でつまみあげたら、こう宣言する。
「パスラインに五〇ダラー。ついでに宣言しよう。出目に同額でオッズ賭けだ」
おれを取り巻く観客たちが「強気だな」だの「イカれてる」だの喚きだす。
それを見ていたブラッドリーが、四〇〇上乗せしやがった。見栄っ張りのブタめ。しくじったら、お前の責任だからな。
おれはオーディエンスを睥睨して煽るのを忘れず、サイコロを放った。出目は四。観客の中には舌打ちをする奴もいた。しかし、おれは笑う。さすがにハードラインに賭け足しはしないが、カムベットに積まれた一五〇ダラーが光って待ってる。他人の三倍運がいいおれが、二回振る。つまり六回分で、約一一パーセントの出目も、約五〇パーセントで出るんだ。
――そのくせ、掛け率は変わらない。
おれは笑ってサイコロを振った。目は――残念、九だ。勝利の切符がおれの元に戻ってくる。次に振るのが四を狙った第三投、常人で言ったら九投目になる。勝率は約六十四パーセント――。
「イージー・シックス」
ディーラが一と五、合計六を宣言した。と、同時に、
「きた! やったよ! イワン!!」
リュウがもろ手を挙げて叫んだ。どうやらビッグシックスに張ってたらしい。
――バカだ。
ビッグシックス、ビッグエイトは七の次に出やすい目だから、配当も低くカジノ側の控除率も高い。まぁ盤面上じゃ派手に六と八が書かれているから、素人だったら賭けることもあるだろう。けれど慣れてる客は絶対にそこには賭けない。
じゃあ何故リュウがベットしたのかというと、イワンのバカに従うだけだからだ。イワンが先にチップを置いて、後からリュウがそこに乗せるというだけ。他の客たちは間抜け二人がどんな賭けをしていようが興味はないし、ブラッドリーからすれば二人が給料を使い果たしてくれれば恩着せがましくタダ働きさせられるってわけだ。
「リュウ、後で一杯、奢ってくれ」とイワンが言い、
「ボス! イワン! いっぱい奢るよ!」とリュウが答える。
アホが。お前、気付いちゃいねぇだろうが、二〇パーセントは資金を目減りさせてんぞ。
それにいま運命を握っているのはおれ。一番出やすい目は四になっている。言い換えれば、イワンとリュウは、いまの勝利でもっと儲かる次の目を見逃したんだ。
しかも二人は、今度はプレースベットの五に賭けた。なんでだよ。
おれはこみ上げてくる可笑しさに頬を緩めた。狙っているのは四だけだ。
「オッズ。ハードフォー」
言いつつ、おれは百五十ダラー分のチップを投げる。
ディーラーが鋭い目をしておれを見た。今日は負けに負けているから当然だ。追い出したくなってきた頃合いだろう。間髪いれずにブラッドリーが言った。
「オッズ、フォー」
置かれる四〇〇ダラー分のチップ。ベルヌーイを信じていないのなら、本気かよ、と言いたくなるような賭け方だ。一般人の年収で言えば約三年分を一回のダイスロールに賭ける。たまらない興奮を味わえる。台の下で見えねぇが、ブラッドリーのイチモツはいきり立ってるに違いない。
おれは押しやられてきたサイコロを手に取った。伸ばした手が震えそうだ。無理もないさ――けれど、こいつがたまらないんだ。
「おれにゃ、ベルヌーイがついてんだ」
祈りを捧げ、対岸のバンク目掛けて投げつける。ぱしん、と跳ねてラシャを転がる。
観客の視線が賽子に集中する――、
四だ。二のゾロ目。
「フォー。ハードフォー」
ディーラーがため息交じりに言った。
観客はほとんど喊声と言ってもいい熱狂に包まれた。
その場だけで普通の奴の年収でおよそ二〇年分。とんでもない額が飛び交っている。
そりゃもちろん、本当に金があるハイローラーなら、こんなもんじゃないさ。ホエールなんて呼ばれる頭のイカれた奴らは桁ふたつは大きい。けれど、おれは借金を取り返すために鉄火場に立っていたんだ。すでに十分釣りつき、いま帰ったっていい。
でもまぁ、特別な夜なら別だろ?
ミセス・ホールトンが勝負をしかけてくるまで夜は続く――そう決めた矢先のことだった。




