4.9
カトーの手を離れたモロトフ・カクテルもどきが回転しながら宙を翔ける。
ジャックは舌打ちしながら撃鉄を起こし、立ち上がった。ファランクスが構えるミウラ折シールドに当たった火炎瓶もどきは、どごん、と床に落ちた。
破裂せず、割れもしない。
口から青白い炎の舌をつき出し、カトーを挑発しているようですらあった。
「――あぁ?」
「高い酒の瓶は固いんだろ!?」
以前、本人の口から言われた言葉を投げ返し、ジャックは照星を瓶に向けた。
「それに同志イワンは、食らった側なんだよ!」
引き金を切った。弾は瓶を正確に撃ち抜き破裂させる。中に残る酒が飛び散り、運良く燃えるハンカチに引火した。酒であるゆえに糖分が混ざり、粘度も高い。炎がそこら中に広がる。
しかし、所詮は酒だ。
炎の温度は著しく低く、床をなめるように広がった青い炎は、ファランクスを数歩だけ後退させたにすぎなかった。
――そう。後退したのだ。
ファランクス隊は素早く後退しようとしたのだろう。通路を塞ぐ盾の内、右側の一枚は引き摺って下がらず、持ち上げたのだ。
ジャックは一瞬だけ露出した足先を見逃さなかった。
一発。最も酒瓶に近かった右足、そのつま先に命中した。痛みのせいで右足が引かれて盾が傾く。左足が露出した。親指で撃鉄を起こ(サミング)し、足首を狙う。
「がっあぁぁぁ!」
撃たれた男の悲鳴が届くより早くしゃがみ込む。怒りを込めて降り注がれる弾雨をやり過ごしつつ、ジャックは言った。
「よくやった! これで一人だ!」
「どこがいいんだよ! 俺は一気に終わらせようと思ったんだ!」
「いいから時間を稼げ! リロードする!」
「リロード!?」
何を考えてるんだよ悠長な、と口をあんぐり開くカトーをよそに、ジャックはレッグポーチからフラスクを取りだし、本当に悠長に弾倉に火薬を注ぎ始めた。どうやって時間を稼げというのか。
目の奥が鋭く痛みで、カトーは視界が真っ赤に染まっていくような気がした。
「ああくそ! 一張羅だってのによ!」
カトーはジャケットを脱ぎ、背中を守る防弾テーブルに引っ掛けた。
「次は何する気?」
「向こうが古代ギリシャ式なら、こっちは古代ローマ式だ!」
再び開いたライターに火を灯し、ジャケットの裾に差し向ける。
少し腰を浮かせて足を曲げ、ジェシカに叫んだ。
「テーブルを押せ!」
「よく分からないけど分かった!」
呆れ顔をしていたジェシカだが、出された指示には従った。
『ときたま』のグッドマンが現れた。そう考えたのかもしれない。
ジェシカは短く息を吐き出し、テーブルに背中を押しつけた。倒してしまわないように重心を低くとり、足を伸ばす。
床にこすりつけられた分厚い防弾テーブルが盛大に鳴いた。ブタの悲鳴に似ていた。
話を聞いていなかったのか、テーブルが滑った拍子にジャックが転びかけた。弾を一発取り落としたようだ。まだ一発しか再装填を終えていない。
「なにしてるんだ!?」
「時間を稼いでるんだよ!」
なにをバカなと言わんばかりに、ジャックは鉛玉を薬室に乗せて弾倉を回転、ラマーを押し下げた。パッチを仕込む時間もグリスを塗る余裕もない。ようやく二発。全弾装填するには時間がいくらあっても足りない。連鎖爆発が起きたら運が悪かったと諦めるしかないだろう。
弾雨の中、再びテーブルが動き、止まった。
「でぇっ! いってぇぇぇんだよ! クソが!」
その悲鳴に、ジャックとジェシカは弾かれたようにカトーに顔を向けた。
カトーのシャツが、左肩が、赤色に染まっていく。
とうとう弾丸がテーブルを貫いたのだ。
焼けるような痛みとはよく聞くが、それほど熱は感じなかった。
ただただ、痛い。それが正直なカトーの感想だった。
顔を歪めたジェシカが「大丈夫か」と聞いてきた。まさか心配されるとは。
ジャックが歯を食いしばりつつ、ラマーを押し下げていた。冷静すぎて、逆にムカつく――いや、あるいは心配しているからなのか。
カトーは痛みを堪えてテーブルを押した。死ぬほど頭にきていた。
一張羅だって言っただろうが!
力が上手く入らず、ジェシカの押す側がわずかに前に出る。
カトーは足を滑らせ、尻餅をついた。
ヤバイかもしれないと顎を上げたカトーは、煙と、弾と、涙で滲んだ視界の奥に、ベルヌーイが差し出す救いの手を見た。
「スプリンクラーだ!」
「はっ?」「なんだと!?」
「ジャック! あれを撃て!」
カトーは天井に据えつけられた円盤型の出っ張り、そのすぐ近くにある丸い穴を指さした。火災報知器である。
ジャックは困惑顔をしながらも、火災報知機を撃った。
途端、やかましいベルが鳴りだし、スプリンクラーが顔を出した。目をもたない水の女神は、健気にも、起きてるかどうかも分からない火災を鎮めようとしたのだ。
世界の崩壊後、ホテル『ジャグラーズネスト』には、新たな火災報知器が採用されていた。新たなる澄風に対する恐怖からか、従来の熱感知と煙感知に加えて、衝撃感知もついた最新型だ。キングスは田舎のギャングといえども周辺地域ではトップにあり、彼らを象徴するホテルには貴重な水も優先的に引かれている。それも、生活用水としてだけでなく、耐火、防火のために使用できるほどに。
――結果。
スプリンクラーは恵みの雨をペントハウスに降らせた。
「うぉっ!? クソ! 火薬が!」
ジャックの叫びを聞き、カトーはやっちまったかもと思った。しかし悪いのは今どき雷管式拳銃なんて骨董品を使ってる未開人である。そう考えることにした。
「なに!? 雨!? 家の中で!?」
そんなジェシカの叫びを聞き、なにを可愛いことを言ってんだとカトーは思った。ずっと内陸部のド田舎で生活していたのだから仕方もないが、これが終わったら世の中ってものを教えてやるべきかもしれない。
頭の後ろで、がちゃがちゃと金属音がした。弾が続くかぎり、そして銃が動くかぎりは降り続けるはずの銃弾の雨が、止んでいた。
カトーは唇の端を凶暴に吊った。
「ジェシー! 出番だ! 奴らの銃はジャムってる!」
ジャムっている。つまり、動作不良だ。
呆けたようにスプリンクラーを見つめていたジェシカは、待ってましたとばかりに可愛らしく微笑んだ。
何もできずに撃たれるばかりで、頭にきていた。
ジェシカは山刀を強く握りしめ、テーブルの陰から飛び出した。
収まりつつはあるが、煙がひどい。加えて天井から降る水飛沫で視界は最悪。左目を瞑り、バイオニック・アイを赤外線に切り替える。通路にあふれる煙がコンクリの粉塵とガンスモークだったのは幸いだった。並べられた盾、そして奥に身を隠す男の姿、青から赤までのグラデーションで手に取るように分かる。
敵が気付いたのか、銃らしきものが動いた。
しかし、弾は飛んでこない。代わりとばかりに金属質な擦過音がした。
散々っぱら連続射撃させられてきた彼らの銃の銃身は煙を噴くほど熱くなり、水飛沫で急冷却され曲ってしまったのだ。開いたボルトは閉まらず、力を入れてもビクともしない。
武器を失った集団に、ジェシカは真正面から駆け込んだ。
「――わん・みししっぴ」
まず盾に隠れた男の喉を薙いだ。やたらと練習させられたせいなのか、興奮していたせいなのか、なぜかカトーに教え込まれた時間の数え方を呟いていた。
銃持ちが慌ててナイフを抜いた。ジェシカの目が見逃すはずもない。
「とぅー」先に、両足から血を流して寝ている男の腹に山刀の切っ先を押し込んでおく。「みししっぴ」
横から突きだされたナイフをしゃがんで回避。
「すりー」思い切り太股を切り上げる。「みししっぴ」
残り一人は拳銃を抜こうとしていた。
「ふぉー」ジェシカは切り上げた勢いで躰を捻り、俯いた男の頭を目掛けて振った。「みししっぴ」ドッ、と男たちが倒れた。
ジェシカは通路をバイオニック・アイで見通し、敵性気配の有無を確認した。
「ふぁいぶみししっぴ、で準備万端」
ジェシカは首をかくんと傾げた。何かがおかしい。
「――できあがり、だっけ?」
「どっちもあるんだよ。焼き物と煮物は分けて考えろって言ったろ!」
ジェシカが左目を開けて振り向く。カトーが顔をしかめて立っていた。
「一度に言われても覚えられないってば」
「そうかよ。だから料理が上手くならないんだ。……まぁ、食えりゃいいけどな」
「俺はどうせ食うなら美味い方がいい。だが、よくやったぞジェシー」
言いつつ、ジャックも立ち上がる。濡れそぼった拳銃をホルスターに戻した。
それを見て、ジェシカは言った。
「ジャック? 拘りはどうするんだっけ?」
「分かってる。だからしまったんだ」
ジャックは転がる死体からハンドガンを抜き取りベルトに挟んだ。
カトーは焼け焦げてボロボロになったジャケットを肩に担いで、首の骨を鳴らした。
「さぁ、ミセス・ホールトンにご対面といこうか」
痛みは酷いが、顔を歪めていては勝負に勝てない。
ずぶ濡れ、血塗れのカトーは、顔に薄笑いをはりつけた。




