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西暦一九七四年、突如として吹き荒れた新たなる澄風によって世界が荒野となるまで洗われてから、およそ六六年――。
おれは困っていた。
もちろん、かつてあったとされる西武開拓時代まで退化し回復しなかった世界に、じゃない。
だってそうだろ?
空気の読めない神さんが、誰も楽しんでいないのに気付かず三回も新たなる澄風を吹き回したからなんだってんだ? たしかに世界は乾いたが、酒場の軒先で鼻水垂らす靴磨きのガキは乾く前の世界を知らない。小さく肩を竦めて、それで終わりさ。
じゃあ、おれは何に困ってるのか。
命だ。東海岸北端に位置する第六ニューイングランドのボロくて臭い酒場で、この世にひとつしかない貴重なおれの額に、銃口を向けてるバカがいたんだ。
なんでおれが廃墟とあばら家で構成された街にいて、中でも不釣り合いなほど奇麗なカウンターにつき、馬の小便クラスの味した合成バーボンを飲んでいるのか。
まぁ、その話は後々するとして、いまは目の前にいるおっさんだ。
かなりのバカ野郎だから重要人物に違いない。興味深い生態してんだよ。
どう見てもカウボーイなおっさんは、前時代的な回転式拳銃を握ってやがるのさ。
回転式拳銃ってのは蓮根の断面みたいな弾倉に真鍮製の薬莢付き弾丸を詰めて、えっちらおっちら撃鉄あげて、へぇこらやれやれとぶっ放す銃をいう。
いまどきじゃ第八八リトルシャンハイや、第三六リトルメキシコでも見かけない代物だ。もしも見かける場所があるなら、せいぜいが第四ニューハバナの骨董品市場くらい――いや、あるいは第二オールド・ボコダあたりでも見られるかもしれないな。
ともかく、いくら火薬式の拳銃が好きだとしても、ケースレス弾薬もあれば二二口径クラスの小口径高速弾なんて物騒な代物まである時代に、六発しか撃てないような黒い鉄の塊を持ち歩くかよって思うだろ?
持ち歩く奴がいたんだよ。
それも、おれの目の前に。
いままさにおれの額を狙っているのがそれで、それを持っている埃臭くて茶色いポンチョ羽織った無精髭のおっさんが、異世界から人類社会に迷い込んだ未開人だ。
人間違いをしてやしないか、聞いてはみるよな?
「よう、カウボーイ。あんた誰に銃口向けてっか、わかってンのか?」
おっさんは牛革のカウボーイハットのツバを引っ張って、こうのたまった。
「良くわかってるよ、向こう見ず。それが俺の商売だからな」
続けて咥えた葉巻煙草をぐぅっと吸って、煙と一緒に吐き捨てた。
「お前は金を盗んだバカ野郎で、女を攫ったクソ野郎で、お尋ね者だ。ついでに言えば、いますぐにでも死ぬ可能性がある。違うか? ナカサキ。いや、グッドマンって名の方が、分かりがいいのか?」
最悪だと思ったね。名前がバレてる。グッドマンってあだ名が知れてるのはよくあることだが、身内の名前まで知られてるのは厄介だ。
なぜならミスター未開人は、おれをこの世にひり出しちまった愛すべき両親様とご対面を済ませてきてるって意味になるからだ。
親父もお袋もしけた農夫でしかないが、親は親さ。できれば平穏無事にくたばってほしい。
ところが、ある日突然訪ねて来た賞金稼ぎのバカに、こう言われてしまったわけだ。
『息子さんの命、俺に下さい』
冗談にもならない話だが、おれは未開人について少し学んだ。この飛びっきりのバカ未開人は、割とガチでヤバい賞金稼ぎらしい。
おれのやらかしに尾ひれがつくのは分かる。どいつもこいつも話のネタに飢えてるからな。かけられた賞金についてはもう諦めた。騒いでも賞金が下ろされるわけじゃないし、連邦保安局は金に屈するのが職務だからだ。
ただ最後。最後の、賞金稼ぎがヤバすぎる。
なんせ、おっさんは口調こそ穏やかなもんだが、メチャクチャに怒っていやがるらしいんだ。『とりあえず』でぶっ放してきそうな目つきもしてる。ソッコーでぶち転がさないとヤバい。しかしながら不本意ながら、世の婦女子の手を誘いこむおれの蠱惑的太ももには、空っぽのホルスターしかついていないんだよ。ヤバいだろ?
いや、一応は銃を突っ込んであるんだ。古臭いおっさんのと違って滑らかな曲線で構成された新しい拳銃で、総象牙をイメージした乳白色も美しいレーザーピストルってやつさ。血も涙も流させずに殺すから『PG‐十三』って名前で呼ばれてる。
撃つのは上手くないおれだが、さすがに銃口がくっつく距離ならハズさないさ。
ただ、弾がないんだよ。正確にはバッテリーと冷却器のセットだが、弾と呼んでる。
おれは肝心要の弾を、さっきポーカーでスっちまったんだよ。だからカードゲームは嫌いさ。まぁともかく、そうなりゃ、できることはひとつしかない。
命についての商談だ。
だから、おれは、未開人にこう言ってやった。
「よく知ってんね、カウボーイさんよ。でもよ、殺すこたないだろ? おれはハメられただけなんだ。それに賞金が欲しいなら、縄をかけて連れてきゃいいだけのはずさ。殺す必要はないだろ? 違うかい?」
「俺はカウボーイじゃない。牛は臭いから嫌いだ。飼うならブタがいい。綺麗好きだ」
賞金稼ぎは真っ白い歯をニヤリと剥いて、回転式拳銃の撃鉄を起こした。じぎり、と金属質で薄気味悪い音がし、長っ細い弾倉がグリっと回る。もし、おれの額に第三の目が開いていたなら、銀色に輝く弾頭が「こんちわー」なんつって羽を広げてんのが見えただろうよ。
つまりは、いますぐにでもなんとかしないと、恒久的平和が約束された無限の苺畑が広がるおれの頭骨の中に、臭くて野蛮な鉛玉さんが押し入ってくるわけだ。
だから、おれは、命乞いをした。
「なぁ、カウボーイ――じゃねぇか。ブタ野郎。ちょっとおれの話を聞いてくれ」
景気づけに琥珀色に輝くグラスを呷った。やっぱり不味かった。
「その六角銃身の回転式拳銃で撃つのは勘弁してくれ。んな古臭い銃で撃たれて死んでみろ。雲の上の神さんに言われちまう。『よう、カマ野郎。まず尻を出しな』ってな」
渾身のジョークさ。もちろんテキトーに言ったわけじゃない。笑った瞬間に頭をずらして、金的を入れてやって、走って逃げんべ。そう考えていたんだ。
ところが綺麗好きなブタ野郎は、隙はまったく見せずに歯を見せた。
「ブタ野郎ってのは気に入ったよ、グッドマン。なに、安心してくれ。コイツは四四口径の雷管式だ。新生軍隊って呼ばれてる。こいつに掘られたんなら、天におわします神さまだって『お前もそいつに掘られたのか』って同情してくれるよ」
ブタ野郎の台詞で、おれは呆れたね。だって雷管式だぜ? 骨董品どころの騒ぎじゃない。もはや化石だ。おっさんは、本格的に頭のイカれたナルシストなんだろう。
ああまったく。なんでおれはあんな小便臭い女の言葉を真に受けたんだ。
『アンタはバカに違いないけど、料金分は働いてあげるよ』
と、言われたからだ。
あの荒くれ者みたいな傷だらけの躰をした女――ジェシーは、自信満々だった。だから信じた。溺れる者は藁をも掴むというし、実行したわけだよ、おれは。
ところがジェシーは、街に着くと同時に、どこかに消えた。働いてくれよ。
「ともかくまぁ、ちょっと話をしようや。おれに賞金を懸けた奴の話のことさ」
「ああ、キングスの何某やら、ブラッドリーやらだとかいう男のことか?」
「なんだって? ブラッドリー? あのブタ野郎が賞金をかけたって?」
「おい、ブタ野郎はやめろ。ブタはギャングみたいな悪さはしない。いいヤツだ」
「本格的に待ってくれ。あんたはなんか誤解してる。まず、おれの話を聞いてくれ」
おっさんが肩を竦めたのを見計らい、おれは説明しはじめた。
おれが面倒極まりないことに巻き込まれたのは、二週間前にしくじったからなんだ。
お察しのとおり女さ。さっきあんたが口にした、おれが攫ったとかいう女。お若い未亡人で、いい女だった。まずは彼女の話をさせてくれ。
おれはあの日、おれの神様に祈りを捧げて、ドデカい賭けに負けたんだ。
終り。
――おいおい待てよ、一旦撃鉄を――いや、撃鉄はそのままでいいから聞け。
そう長い話じゃない。割と簡単だ。
おれは文明栄える東海岸の最南端にいたんだ。
エクス・マイアミって名前の、元・観光地、現・暗黒街さ。