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漂白−BLEACH−

作者: 来栖ハヤト

「僕は、僕が知っているのは、この白い世界だけだ」


青年は言った。

悲しそうに、儚く微笑みながら。


「貴方は、色の付いた世界を知っているのですか、」


青年は問うた。

真っ直ぐに、透き通った双眼を僕に向けて。


「ええ、知っていますよ。けれど、それ程のものでもない」


そうですか、と微笑する君の瞳は不服そうに下げられた。

けれど、僕は君に伝えたかった。

白のみの世界に生きる君は、とても綺麗だ、と。

色に塗れた世界なんか、知るに値しない程に。


だって君は、選ばれてしまった咎人(スケープ・ゴート)なのだから。




部屋は全てが白で満たされていた。

壁も床も、ベッドやシーツさえも、全てが眩しいばかりの純白だった。

カーテンが引かれ、外の様子は伺う事ができない。

ただただカーテン越しに光が室内に迷い込むばかりだ。


そこに青年はいた。


ベッドから身体を起こし、虚ろな視線を壁に注いでいる。

身体に纏う寝間着、身体を覆う皮膚、髪に至ってまでもが、白一色で統一されていた。

それは、不自然な程に。

僅かに開かれた唇からは紅い舌が覗いた、が自身で眺める事のできないそこは、青年にとっては無いものと変わりないのだろう。


音をたててドアを開いた僕の方へ視線を滑らせると、ゆっくりと首を傾いで、虚ろな双眼で僕を見つめた。

初対面ではない。

ただ、日々記憶を漂白されていく青年にしてみれば、僕はまったく知らない人間、そういう事になる。


「どちら様ですか、」


透き通った、まるで硝子製の風鈴のような、か細く、しかし美し声音が室内に響いた。

白花化(はくはか)の進んだ人間は全てこういう風に、美しく、儚い存在になる。

突然発症するこの現象は、先ず身体の色素が全て抜け落ち、そして、症状が進行すると身体が透けていき、最期には存在すらなくなってしまう、現在の技術では病かさえ解りかねる、奇怪な現象だった。


未だ発症者が十名に満たないそれは、神の福音か、それとも神がこの世に課した咎なのか。

どちらにせよ、人間がここまで美しくなるのだ。

悪くは無い。


「僕は冴樹涼二(さえきりょうじ)と言います。貴方とは依然にもお会いしてるんですよ、」


「そう、ですか。申し訳ありません」


青年が僕のことを覚えていないのは仕方が無い事だ。

しかし青年は、自分の記憶が逐一消えていっているという事実さえ忘れていく。

全てが初めてで、全てが、心までもが白い。


「まるで、地に堕ちた天使だ」


「え、」


青年は顔を上げ、そして不思議そうな表情(かお)を僕に向けた。

白い髪、白い肌、そこに浮かぶ漆黒の瞳がなんともアンバランスで、そして魅力的でもある。


「いえ、何でもありません。お身体はいかがですか、」


「今朝は、とても気分良く眼が覚めました」


あの、と青年は言葉を続けた。

気まずそうに眉を潜める仕草、其れさえもが常人離れして美しい。

どうぞ、と言葉を返すと、青年は少し考えるような素振を見せ、ゆっくりと小振りな唇を開いた。


「申し訳ありませんが、以前お会いしたというのは…」


記憶にない、とでも言いたいのだろうか。

それは当たり前のことなのだが。

この青年の症状はかなり進行している。

身体が透けて実体を失うのもそう先の話ではないだろう。


「ああ。貴方がまだ小さい頃に1度だけお会いしたんですよ。確か、お父様と虹を眺めてらっしゃいました」


もう10年以上の前の話だ。

記憶が消えようとも残っていようとも、覚えていなくても仕方がない。

しかし、あの光景は僕にはとても、とても衝撃的だった。


あの日、僕は父に手を引かれ公園へと向かっていた。

藤の花が咲き乱れる、5月のある日。

ふと視線を上げるとそこには、あまりに鮮明な、大きく雄大な虹が鎮座していた。


『お父さん、大きな虹ですね』


父は微笑むと、虹の麓には宝が埋まっているという話を僕に聞かせた。

当時の僕には興味深く、必死で虹の麓を探し、その麓が向かう公園に続いている、そう思ったのです。

そして公園に到着すると、虹の麓には、貴方がいた。

漆黒の瞳と髪、それとは対照的な白い肌が酷く美しかった。

間違いなく、宝だ、僕は幼いながら確信しました。


あの日を境に貴方を見ることはありませんでした。

しかし、友人の見舞いに訪れたこの病院で貴方に再び出会った。

貴方が記憶を漂白されれていたこともあり、近づくことは簡単でした。

ただ、その美しい眼に自分が焼き付く事がないのが唯一の心残りではありましたが。


そして、色は変わろうとも、僕はその美しさに再び心奪われた。


「そうなんですか、覚えていなくて申し訳ない限りです。」


青年は申し訳なさそうに頭を垂れた。

白い髪が、さらさらと零れ落ちる。


「でも、どうして今になって会いに来てくださったんですか、」


漆黒が僕の双眼を覗き込んだ。

それは余りに扇情的で、僕は気分が高揚するのを感じずにはいられなかった。


「ええ、友人の見舞いにこの病院を訪れた際に、偶然ドアの隙間から貴方の姿が見えたもので。なんでも記憶喪失だとか。何か御力添えできればと思ったのですが…」


青年は目を伏せた。

酷く哀しそうで、握られたシーツはくしゃくしゃに皺を寄せていた。


「…やはり、僕は記憶喪失なのですね。お医者様からは今朝報告を受けたのですが、確かに以前の記憶がまったくないんです。貴方が僕を見たという公園も、その時見ていた筈の虹の姿さえも、何も、何も思い出せないんです」


今朝、と青年は言ったが、それはきっと毎日行われている事なのだろうという察しは直ぐについた。

逐一記憶が消えるとはどういう気分なのだろう。

彼はきっと、明日には今日僕と会ったことさえ忘れているだろう。

虹の色も、眩しいばかりの芝生も、彼の中にはない。


彼が知っているのは、囲まれている白、ただそれだけ。


「それは、お気の毒に。僕に出来ることならなんでも言ってください、できる限りのことは何でもしますよ」


「ありがとう、ございます」


天使は堕ちた。

たとえ明日には自分のことを再び忘れていようとも、天使を手中におさめたという興奮はちっとも成りを潜めそうにはない。



「僕は、僕が知っているのは、この白い世界だけだ」


青年は言った。

悲しそうに、儚く微笑みながら。


「貴方は、色の付いた世界を知っているのですか、」


青年は問うた。

真っ直ぐに、透き通った双眼を僕に向けて。


「ええ、知っていますよ。けれど、それ程のものでもない」


そうですか、と微笑する君の瞳は不服そうに下げられた。

けれど、僕は君に伝えたかった。

白の世界にのみ生きる君は、とても綺麗だ、と。

色に塗れた世界なんか、知るに値しない程に。


この純白の鳥篭に、ずっと君がいればいいと思う。

いつか消えてしまうという儚さも、それさえも凌駕してしまうほど、君は美しい。


だって君は、選ばれてしまった咎人(スケープ・ゴート)なのだから。

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