41話 名誉挽回の一手
「フミフェナ様、ご報告致します。
対象の確保、完了致しました。
勿論、お二方とも、“無傷”でセーフハウスへ移送完了しております。」
ヴェイナーの報告は、端的なものであったが、既に手配していたミッションの中でも、最優先事項を達成したことが確定した。
そもそも、紫の領館にいる頃からヴェイナーやヴェイナーの配下が24時間常時監視していた対象であるので、命も貞操も守られていることは確認していたが、完全に手元に押えたことは強い。
「ありがとう、護衛の女性戦士の手配は?」
「事前にご指示いただいておりました通り、手配済みでございます。
4名が既にセーフハウスに到着しており、おって現在移動中の増員2名が間も無く合流致します。
後発の交代要員6名は、3時間後にカンベリアを出立する予定で、既に規定装備を済ませ、待機中でございます。
必要な物資があればそれらを携え、こちらに向かわせます。
事情が変更にならない限り、本日夕方以降は総勢12人体制、2交代制で稼働可能です。
明日以降は更に6人増員可能ですので、3交代制、あるいは8~9人編成とした2交代制へも移行可能です。」
「・・・と、いうことになっておりますが、よろしいでしょうか、アマヒロ様、ヒノワ様。」
「完璧だよ、安心した、これで最悪だけは回避できそうだ。
達成すべき目標の8割は既に達したと言ってもいい、よくやってくれた。」
「さっすがフェーナ。」
「ありがとうございます。」
向き直って軽く会釈をしたところで、アマヒロがこちらに本当に小さく、目礼する。
目に見えてアマヒロは緊張感がやわらぐのが分かった。
こちらも軽く会釈しながら目礼で返礼する。
アマヒロの言の通り、既に目標の8割は達成した。
今回のミッションに関しては、目的はアマヒロがレイラを正妻として迎える正式な婚姻の履行。
目標はその為に要する、レイラの命、貞操、名誉、どれも完全な状態で維持すること。
命については、常にヴェイナーと配下が24時間監視下においていたし、現段階に於いてはこちらの陣地内に身柄を押えて完全にガードした為、達成済みと言っていいだろう。
貞操に関しては、初動こそ“エンテュカのカード使い”殿の知らせからの行動となり、確認がクーデターから2日後と遅れたが、行動を開始してからはヴェイナーがすぐさま現地サポートに入り、初期調査でも問題がなかったことも確認しており、以降も24時間監視体制下に置いていた為、事実として守られていたと言っていいだろう。
残る名誉という問題は、アマヒロのここからの立ち回り次第というところだが、提示すべき情報などは既に相当量の物を収集完了しており、事故的な事象が起きたとしても、この先はどう転んでもそう不味くはならないだろうと推測をしている。
調べられる限りにおいてボリウスは理性的で、かつ正しい意味での貴族的な人物であり、損得勘定もしっかり出来、かつレイラを厭うことはない様子だった。
なんならちゃんと血縁者としてしっかり先行きを心配もしており、一般的な叔父姪よりも明確に血縁者としての愛情を持っていて、一般的なものよりもある種、貴族的に高潔とさえ言える倫理観も持っている。
加えて、今回騒動になっている降嫁先の相手も、レイラを不遇の立場に追いやるどころか、以前から熱心な好意を寄せていたことが判明している上、表向きを心配してか、クーデター以降、今日まで手を出すどころか正式発表までは側近にすら明かさないほどの緘口の徹底ぶりを見せており、強引な手段に出る気配はなかった。
領館外の者にはそもそもレイラの婚約者が変わる事は知らされておらず、知らされているのはボリウス麾下のレイラの監視・護衛・お世話役に就く兵士や戦士、使用人のみだ。
それらに対しては、『手出し無用の厳令』が課されているのだが、加えて元々規律正しい組織だったらしく、命令に反して暴走する配下がいないどころか、レイラの境遇を憐れんだ者達が規律に違反しない程度にアレコレと融通していることすらあるなど、配下の戦士も兵達も前当主の娘であるレイラに好意的であり、乱暴を働くという意思を持つ者がそもそもいないような様子だ。
アマヒロはこの先は既に事後を見据えた問題だと認識しているのだろうし、私もそう思っている。
致命的な、取り返しのつかない前者2項が守られた時点で、既に目標は80%守られているに等しいのだ。
王都へ送られた書簡の内容について既に知っていることや、それを撤回させる為の手勢の展開も合図があればすぐさま処置が可能な状況である以上、その手続きを解決する為に、ここ、つまり現地での問題さえ解決してしまえば、万事うまく収まる、という見込みだ。
まだ紫色領内においてすら正式な発表がなく、ボリウスも降嫁予定者も領館勤めの者達も緘口令を守っており、王都政府において書簡に触れた者以外は誰も、レイラ嬢の嫁ぎ先が変わりそうだ、ということを知らない。
つまり、ここでのことさえ片付いてしまえば、後は事後処理の域を出ない。
しかし・・・動いてみると、現段階までの話では、拍子抜けと言えるほど良い方に想定が上振れた。
不条理かつ予想不能な展開も有り得たと思ったが、存外ボリウスが優秀な常識人だったのだ。
前当主レリスは、直接の面識こそなかったが、得られる情報や客観的評価から推察するに、優れたバランス感覚を持つ領主だと評価していた。
初期の推測では、ボリウスは武力でレリスを上回ったのみで、それ以外においてはおそらく劣るだろうと考えていた。
が、ボリウスの評価はレリス以上だという評価に改めなければならないだろう。
レリスよりも最前線に侍っている期間が圧倒的に長く、最前線都市を支える兵や戦士達の人気が非常に高い、という情報が徐々に集まってきている。
戦略立案や領地自治においても秀でているようで、元から管轄していた所領の領民の評価も高い。
配下の統率など他の分野に於いても上回る領主になりうるだろう、であれば、一般論的には『素晴らしい色付き戦貴族当主であり領主』足り得る。
勿論人間である以上、欠点はあるだろうが、目に見えて欠点だらけだった隣の橙に比べれば月とスッポンだろう。
優秀な領主に不満を抱く者が、その領主よりも有能だというのは、『そんなことは滅多にないだろう』という想定の中にしかなかった為、こんなことあるんだな、という感想だ。
『領主になるような人間は優秀な人間でなければならない、つまり、こんなに愚かな領主がいるはずがない』と言う逆方向に突出したヴェルヴィアを見た後では、本当に感慨深い想いだ。
客観的な評価ではあるが、それほどの人物が最も近い血縁である兄のレリスの施政に納得がいかなかったのだから、外からでは分かりにくいが、レリスにもボリウスにクーデターを想起させる何かしらの問題があったのだろう。
ただ、流石にレリスはそこそこ評価の高い領主だったので、普通はクーデターを起こしてまでひっくり返す必要があるのか、と考えてしまうが、おそらくボリウスの能力が高すぎたことによってすれ違いが発生したのだろう。
外にまで悪評が流れてきていた橙のクソ領主とは格が違うので、比較対象にすることすらレリスにもボリウスにも失礼かもしれない。
ボリウスは紫色なんかでクーデターせずに橙色で一旗挙げてくれれば、バランギア卿は喜んだような気がする。
ただ、ボリウスは紫だからこそ行動を起こしたのかもしれないし、ボリウスを紫に据えるとすれば今からレリスを転封して橙色領に押し込んで領主に据えるのも問題があるだろう、色々な軛もあるだろうし。
中々その辺り、上手くはいかない。
自分で断っておいてなんだが、おそらく人材登用や配置調整に四苦八苦しているだろうバランギア卿の苦労が偲ばれる。
と、話が逸れた。
アマヒロの緊張感がやわらいで見えたのは、気のせいではない。
レイラの生命の保護は、前述の通り、作戦立案時から計画されていた第一義だからだ。
私の直属の配下で護衛したセーフハウスの防衛能力は客観的に評価してもかなりのもので、かつヴェイナーも私もヒノワ様もヌアダも、と灰色の最大戦力に近いメンバーがこの地にいる時点で、不確定要素はほぼ無いに等しく、逆にこの布陣でどうにもならない事態だった場合は、この方面、あるいは近隣に存在する戦力や部隊ではどう動いても、どう足掻いてもダメだった、ということになる。
ないとは思うが、そうなったとしたら、諦めも付くだろう。
把握している限りにおいて、とりあえずレイラの身の安全だけは、ここからボリウスがどう足掻いてもどうにもできないと、保証してもいい状況だ。
彼としては一段落したと見ていい状況であり、安心もするだろう。
アマヒロが私にだけ目礼するに留めたのは、他人の手前、立場からそうしただけであることは理解しているし、彼が私に感謝していることは伝わっている。
第三者の介入などでこちらからは分からない誰とも知れない者に横から搔っ攫われてしまう、等、情報確認に時間や手間のかかる事態に急変する可能性もあったが、その可能性を潰せたことは大きい。
レイラの名誉を守る施策についても、既にほぼ初期目標を達成しており、後は引率するアマヒロの行動に成否が依存する。
直接的、間接的に無事を確認したと言っても、第三者が推定に用いる『貞操の保護に関する客観的根拠』については、物理的に監視できる状態にあったかどうか証明できる証拠があるのかどうかは、非常に重要だ。
実は監視下にありました、だけでは客観的事実とはならず、貞操保護が確実だったのかという根拠にはなりえず、世論に対しても説明はつかない。
監視要員は誰と誰で何時から何時まで、従者アリーと一緒にいた時間やそこでどんな会話をしたのか、食事の内容やトイレに行った時間や回数、就寝時間から起床時間まで全て記録しており、その証明を可能とする為に関連した人員の個人情報まで調べており、24時間、常時監視をしていたことが分かるようにしてある。
そして情報収集能力の証明の為に、レイラだけでなく、より監視難易度が高いボリウスに関しても同様にデータを集めており、高位戦士を相手にしても常時監視が可能であったことを間接的に証明することで、より容易に監視できるレイラなら完璧に監視できただろう、という証明材料にする計画だ。
レイラ、ボリウス両者用のレポートファイルは、キングジムファイルのような分厚い物が4冊にもなっている。
不名誉な事実は一切なかったことを証明する証拠は山のようにここにあります、監視者はボリウスも同時に監視していたので監視者の実力の証明もここにあります、そういった準備のあるとないでは、今後の展開が異なるのは自明の理だろう。
また、監視者においては、女神ヴァイラスへの誓約を課している、という事実を提示することで、灰色の者にとってそれが如何に重大で、命を賭けた証明であることの保証にもなる。
“女神ヴァイラスに誓って、偽りを述べることはない”と女神ヴァイラスの信徒が誓った、という事実が、灰色においてそれがどれほどの覚悟を以っての行動であるのか、そして偽りがあった場合にどうなるのかは、事情を調べられればすぐに判明する。
女神ヴァイラスの“恩寵”と、“偽りへの懲罰”は、最早灰色では知らぬ者などいないほどに周知されている“事実”となっており、報告を上げた者の言の真実性を担保することになるだろう。
実際に、ヴェイナーとその配下は事実しか口にしないしレポートにも記載していないので、誤魔化しや捏造は一切挟んでいない。
実際には女神ヴァイラスの懲罰と思われている行動は、私が操作可能なので、誤魔化したり捏造したりすることも可能ではあるが、そう言った操作を行ったことで女神ヴァイラスへの信仰性が薄れたり、私が操作可能であることを知られた場合のリスクを考えると、不用意には行えない。
ということで、名誉に関して言えば、本当の事実のみを記載した客観的事実の羅列と、女神ヴァイラスへの誓約の二つを以って、客観的な調査と分析を受けても守られると言っていいだろう。
今回のミッションにおいては、私の能力やバックボーンが中心になったのは、誇らしいことだ。
私がいなかった場合は、物理的に命と貞操が無事な状態でレイラを救出できたとしても、名誉を守る為には『直接的事実』を検査によって明らかにし、それをつまびらかにする義務が生じた、ということであり、名誉が幾分かは損なわれたことだろう。
物心つく頃から“そうあれ”と課され、“そうであった”と不足なく果たしてきた女性にとって、直接的事実を提示するしかない、という事実は噴飯ものなはずだ。
展開次第で揺らぎはあるかもしれないが、私が提示できる情報に関しては、現段階においては最大限の物を揃えているという自負はあり、実際にアマヒロが適切に活用すれば、目的も目標も果たせると断言できる。
レイラの命と貞操を保護し、名誉を守る、今回の仕事で、私という存在の価値を示すプレゼンテーションの一環になったと言って過言ではないだろう。
しかし、ここまで力を示さなくてはならないと考えるのは、これは名誉挽回の一手でもあるからだ。
私はその前段階で不首尾に陥ったことについて、危機感も覚えていた。
そもそも、私が情報収集をもっとしっかりとしていたなら、このような事態に陥る前に対処できたはずだったのだ。
『様々な用途に使える情報』を収集・流布することはマーケティングにも重要であり、『様々な用途に使える商品』を開発・提供することも商人として必須事項だ。
それらを満たすことはヒノワ様の需要に応えるということであり、ヒノワ様の御用商人である私は、絶えず、それを求めなければならない。
私がいなかった頃から組織され活動しているはずの灰色や紫色の情報組織や領内の落ち度や能力問題がどうとかいうことは、私の仕事ぶりとは因果関係がない。
今回の紫色の事変については、広域・迅速な情報収集・工作を売りにしている私は、誰よりも早くヒノワ様にすることこそ、本来の御役目だったと言ってもいい。
それも『流石だ』と称賛されるほどの、完璧なものを提示しなければならなかったことだろう。
問題が起きてから情報を集めるのは二流のすることと、そう考えていた。
私、フミフェナ・ペペントリアが目指す『一流の商人』という定義にとって、問題が起きる前に事態を知ることが出来なかったのは、明らかな失態だと言える。
それは、如何に出来る者を動かせるのかが、ひいては雇い主の能力の評価に繋がるからだ。
ヒノワ様にもアマヒロにも、トラブルを未然に防ぐ為の能力を持っていることは知られている。
であるにも関わらず、それを十全に活かせなかった私は、無能の誹りを受けても仕方がない。
今回の失態は、痛恨の極みだ。
灰色のすぐ隣の紫色領の事象くらいであれば、私の能力を考えれば、把握はそれほど難しくないはずだったのだ。
バランギア卿や“エンテュカのカード使い”からの情報などなくとも、クーデター企図の時点ですぐさま情報を掴み、私が進言し、ヒノワ様の判断を仰ぐことこそ御用商人たる私の面目躍如たる場面だったというのに、“クーデターが成った後”に、“他人から伝えられて知る”というとんでもない失態を演じたのだ。
恥辱以外の言葉もない。
紫色領を治めるレリスは優秀で、最前線維持も問題がなく、領内も安定している『だろう』、と、決めてかかってしまった。
『アレラ』の展開もほとんど進めておらず、油断していたのだろうと言われれば、是と言うしかない。
橙色などという、余分とも言える部分に注力して、本来自分が掌握していなければならない職掌を手放して、手元の仕事に集中してしまった愚行を反省しなければならない。
今回のことで自分の存在感を示すことで挽回こそ図るが、私の評価が下がったのは間違いないだろう。
やらなければならないことをおろそかにした罰が下った、と言っていいだろう。
まだまだ、だ。
まだまだ全然、ダメだ。
この失態に対しての名誉挽回を図る為にも、客観的に見て過剰なほどの評価を得ることが出来るほどの出来を見せなければならない。
これからはもっと貪欲に情報収集を可能とする組織を作らなければならない。
早く、アレコレに着手しなければならない。
そう熱い想いがこみあげてきて止まらない。
差し当たり、今回の紫色領の事案については、全力で、スマートに解決に導く下働きをこなさなくては。
やりすぎては、レイラとアマヒロの関係に問題が生じてしまうかもしれない。
だが、燃え上がる感情の落としどころが無くては、不完全燃焼で尋常ではないストレスを感じてしまいそうだった。
・・・そうだ、隣にいるヴェルヴィアとその一族は、まだバランギア卿に捕らえられたまま存命だ。
彼らに嫌がらせをして鬱憤を晴らそう。
ふふ、どんな方法がいいかな。
あぁ、早くこちらを片付けて橙に行かなくては。
遠距離で、間接的にやったのでは意味がない。
至近距離で、直接的に、やらなくては。
紫色で完璧な仕事を披露した上で、颯爽と場を辞し、バランギア卿に交渉してヴェルヴィアとその一族へ拷問する許可を取ろう。
きっと殺さなければいい、というような許可は、バランギア卿ならくれるはずだ。
うん、ついでにほとんど絶滅状態にまで狩り尽くされている橙色領の近隣の魔物を草の根一本残らないほど一掃するお手伝いもしよう、多少は溜飲も下がるはずだ。
自分でも自覚できるほど、ぶつぶつ、と、小さな独り言を呟きながら、私はアマヒロ・・・おっと、アマヒロ様に続いた。
フミフェナはあまりに周りが見えていない状況だった。
ヒノワとナインだけはその姿を見てニコニコとしていたが、残りの面々は4歳の幼女の眉間に刻まれた深い皺と、明らかに不穏なオーラを撒き散らす姿を見て、冷や汗を流すしかなかった。




