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灰色の御用聞き  作者: 秋
44/45

40話 レイラ強奪

春の柔らかい日差しの差し込む執務室。

彼は、ここ3日ほど休む間もなく仕事をしていた。

3日前、彼は自分の夢の一つを成し遂げたところだった。

達成感も束の間、あまりの多忙で昼食も執務室で取るほど、彼は仕事に追われていた。

仕事の一つのヤマが片付き、ようやく昼食を、と思った直後、慌ただしく、守衛からの使いが走ってくる音が聞こえた。

はぁ、とため息をつくと、執事に目で合図を送る。

執事が執務室の扉を叩く前に制止し、守衛の使いから用件を聞き、帰ってくる。


「灰色の嫡子殿が訪ねてきた?」

「は。

灰色戦貴族次期当主筆頭候補アキナギ・グレイド・アマヒロ様と、灰色戦貴族筆頭戦士アキナギ・グレイド・ヒノワ様、並びにヒノワ様の婚約者であられるヌアダ殿が配下の方々数人と、ボリウス様にお目通り願いたいと仰られていると、先ほど先触れが来たと門番から報告がございました。

あと1時間ほどでこちらに到着するそうです。

アポ無しでの突発的な訪問です。

本日の他の面会予定は午前中でほぼ終了しておりますが、どうなさいますか・・・?」

「また面倒な・・・。」


クーデターを成就させ、紫色戦貴族の新当主となったボリウスは、根回しで約束したアレコレを遵守すべくバタバタと数日の仕事をこなしつつ、戦勝の報告や支援者の祝勝会などへの出席で、あまり眠れていない。

いくら様々な術式やバフスキルを持つ高レベル戦士とは言え、顔にも疲れが目立ち始めていた。

今は兄レリス、甥オリレスの陣営の者たちの掌握と懐柔の目途が着き始めた段階であり、対内の事で実際手一杯である。

対外的なことは、正式な色付き戦貴族当主と認められてからだ、というのが当然の流れである為、部下に準備や調査こそさせているが、今現在は気にしている余裕はなかった。

実際、王都政府からの公布、玉座の間への召喚から、国王陛下からの認可と宣旨を受け、国王陛下から下賜される剣を用いた演武、戴剣式を以って、正式な色付き戦貴族当主であると認識されることになり、対外に知らしめることになる。

その為、その儀式を経ていない者は、実質そうであったとしても、対外的な立場を持たない。

そして、ボリウスとしては今、一番来てほしくない対外の有力者が、赤色のバランギア卿、そして次点が、灰色、特にその嫡子だった。

赤色の英雄も、勿論来てほしくはない。

自分のやり方は完全にバランギア卿の定めるルールに則ったものであり、ひょっとすると多少の瑕疵程度はあるかもしれないが、概ね問題なく認められるはずであり、そちらの心配はない。

ただ、この忙しい時期にバランギア卿を相手にした接待に回す気力と労力が湧いてこないのも事実。

法に詳しい者に幅広く意見を求めたやり方を実施したはずであり、王都政府へ送る書簡の内容についても、まず間違いなくそのまま通過する、と、王都政府の文官のお墨付きまで貰っていたのだ、おそらく諮問会議のようなことにはならないだろう自信はあるのだが。


どちらかと言えば、王都側の行政上の処理が終わるまでの間は、灰色の方が色々と不味い。

姪であるレイラを、兄を打倒するクーデターの協力者に対する報酬の一つとして挙げてしまったことで、レイラが数か月先に嫁ぐ予定だった灰色の嫡子と婚約を破棄する必要があった為だ。

ボリウスとしても、当時はどうしても必要なことだと思い、そうした。

クーデターの作法に則る限り、ルールさえ守っていれば『婚約破棄』や『瑕疵のない重大でない取引の約束の中断』と言った、勢力が塗り替わった際に地盤強化の為に必要な『既に履行中、あるいは済んだもの以外について中止する権限』が認められている。

ルール上は問題ない・・・が、クーデター後に詳しく聞いてみると、レイラとその婚約者であった灰色のアマヒロは政略結婚の間柄でありながら、長年の恋仲であったらしく、レイラの落胆は尋常なものではない、と報告が上がっていた。

長年の恋仲であった婚約者との婚約を、結婚数か月前に急に破棄されたとなれば、たしかにそうもなるか、という感情もあった。

同様に恋仲であったという灰色の嫡子も怒るだろうとは思ったが、ルール上問題ないのであれば、正式に婚約破棄が認められた後なら、如何様にも突っぱねることができる、と思っていた。

手札の少ないボリウスにとって政略結婚に使える処女の縁戚という手駒は重要だ、有効活用せねばならない、それは事実であり、手駒不足である自分にとっての本心だ。

色付き戦貴族当主、あるいは次期当主の正妻を宣言する婚約については、王都政府の認可が必要であり、逆に言えば王都政府が『レイラとアマヒロの婚約破棄を認める』と公布すれば、王都政府に婚約の再認可してもらうことは不可能だ。

そうなれば大手を振って泰然自若としていられるのだが、書簡を伝令に持たせたのは数日前であり、公布や回答が得られるどころか、ようやく書類が届いたかどうかという時期だ。


「・・・王都へ送った書簡は、今どの辺りだと思うか?」

「足の速い馬と伝令のバフスキルを持つ戦士に届けさせましたので、本日午前中には王都には到着しているかと思います。

王都政府の審議を通過するのは政府機関に到着してから、精査に一週間ほどはかかると聞いておりますので、おそらく行政機関の各部署を通過するのに1日2日は掛かるだろうと考えますと、正式公布は本日から起算して9~10日後というところではないでしょうか?」

「ふむ、そうか・・・。

では、書簡が開封されるとしても、明日以降だな。

いや、ひょっとすると昼前に行政機関に到着した時点で開封される可能性もあるか?

まぁいずれにしても、正式公布の内容を知って来たわけではないということになるな。

偶然、何かのついでに立ち寄ったということか?

律儀に領館へ挨拶しようとは真面目な次期当主だな。」

「お待ちください。

アマヒロ様は、レリス様ではなく、ボリウス様にお会いしたい、と言ってきております。

領館にも灰色の息のかかった者、手の者も潜んでおるのは間違いないでしょうが、クーデター成立からまだ3日です。

クーデター成立を知ったのだとしても、正式公布を待たずに、用件伝達もせず、ボリウス様に会いに来る理由が不明です。

何故、面識がある前当主であるレリス様ではなく、面識のない現当主であるボリウス様にお会いしたい、と言ってきているのでしょうか。

レイラ様にお会いしたい、なら分かりますが、先方はボリウス様をご指名です。」

「む、確かにそうだ。」


領館に勤める者には、クーデターで起きたことに関して、口外を禁止する旨の戒厳令を敷いている。

兄の配下だったものだろうが、そうでなかったものだろうが、関係なく、口外した者とその親族を全て連帯責任として極刑に処す、非常に厳しいものだ。

当然、制限と期限を設けており、王都政府の公布があった際には戒厳令としての令は解かれる。

勿論、機密に関わることについて口外することが禁じられているのは、クーデターの有無に関係なく領館に勤める者にとって元から重罪であるため、そういった事を不用意に口にする者は、そもそも領館では勤められない。

加えて、新当主を祝うための『溜めの時期』という意味での戒厳令でもある為、大々的な公表の際には職員・使用人にも大々的にボーナスが配られることになるので、彼らにとっては、いつもより気を付けよう、深酒をやめよう、誰かが口外しそうになったら急いで止めよう、と言った程度の意識の違い程度だ。

領民もある程度は“何かあったんだろうな”とは知ってはいるが、自分たちの置かれる環境に大きな変化が無い為に、具体的なことは知ろうともしていない。

触らぬ神に祟りなし、という世界の理の経験則からくるものだ。


それはともかく。

領館の内外に灰色の手の者がいた場合であっても、クーデターの全てを把握できる立場にいたとは考えにくい。

それほど凄腕の情報収集要員を、友好関係にある紫色の領館に常駐させる必要性が、灰色にはないと考えられるからだ。

何処まで把握できたかは不明だが、ある程度の情報を以ってすぐさま灰色に連絡したとして、距離を考えれば伝達に1日とは言わずとも半日以上はかかる。

話が伝わったとして、灰色内での意思決定の為の会議や折衝もある。

即座に行動を起こしたとして、準備や調整を行った上で、10人以上という人数で、領の次期当主候補が、計3日以内で配下と共にここまで来れるだろうか?

王都は紫と灰の距離よりも遥かに遠いので、優れた諜報員が王都にいて、今日の午前中に書簡が開封されたと仮定したとしても、書簡の内容を王都からこちらに数時間以内に伝える術がない、つまり内容を知ってから行動を起こした訳ではないはずだ。

彼らはおそらく1~2日前には出立を開始しており、時系列から考えてもクーデター成立から1日以内には行動を確定し、開始しているから、順当に考えれば、書簡内容は関係なしにクーデターの速報を経て来たとみるべきか。


書簡の内容を知る者は、自分だけ。

そもそも、書簡を符牒なしで破壊して閲覧した場合には、文面が破壊されるような封をしており、王都で開封されるまでの間に伝令から書簡が奪われ、何らかの方法で灰色に閲覧されることがあったとしても、書簡の文面は破壊されているはずであり、道筋の間で外に知れるはずはない。

ボリウスが新当主に着任したことを知って、レイラとの婚約破談の可能性を考えたか?

嫡男と配下数人のみで来たということは、警戒はかなり薄い。

武力的な背景は必要なかったと判断していると思っていいはずだ、荒事ではないだろう。

自分が新当主になって間も無く、まだ正式公布もなされていないボリウスに、灰色の嫡男がわざわざ挨拶に来る意味はなんだ?


「戒厳令については、問題なく施行されていると治安維持担当者から聞いている。

となれば、かなり耳と足の早い何某かが我らが領に潜んでいるのだろうな。

クーデター、あるいは俺の新当主就任、どちらかが何処からか漏れ、灰色に伝わったと考えるのが無難なところだろう。

あるいは、兄が誰にも知らせていない何某かの私的な会談をアマヒロ殿と交わしていて、それが今日、ということもありえるのか?」

「かもしれませぬが・・・他色の次期当主を迎えるのに何の準備もしないわけにも参りませんから、執事達全員が知らないということは・・・考えにくいかと思われます。

秘密会談で接待を行わない・・・ということもありえるのでしょうか?

灰色との関係は友好的であって、ボリウス様は灰色との約束を反故にするようなことをする、というような発表を全くしておりませんから、敵対的な行動でもないと考えますが・・・。」

「分からんな。

まぁ会ってみて、兄と口約束のようなものがあったのなら、知らん、で終わりだな。

が、レイラとの婚約のこと以外については、まぁ、呑んで問題のないようなことなら、友好の為に呑んで、恩を売ってもいい。

俺の知らない秘密文書が兄の私室から出てくる可能性もあるが、それは今考えても仕方がない、言い分があれば聞くだけ聞いて探します、だ。

まぁ既に効果が発動している契約書などがあり、既に履行期限が来ているのであればすぐさま考えねばならないが、おそらくそういったものであればテンダイ殿が来られるだろう。

一応、兄の執事やらに詰問し重要度の高い文書も開示させたが、その中にそんなものはなかった。

テンダイ殿ならともかく、兄とアマヒロ殿がそこまで親交を深めているということもないと思うがな。」


勿論、書簡の中身は、灰色との約束を反故にする物ではあるが、それを無い前提で考えるならば、彼がここに来る意義が見出せない。

兄と何か約束があったか、次期当主として新当主である俺との何かの約束が必要と考えているという線もあるが、クーデター3日後にまだ政府の公式発表すらされていない新当主である自分を、次期当主として訪問するか?

いや、灰色は確か先日の橙色のお家お取り潰しに配下の非常に強力な戦士団を応援に送り、赤色の英雄や近衛兵団と共に橙色でかなり大きな魔物との戦を終えたと聞いている。

ひょっとすると、灰色の嫡男や長女は橙色領へバランギア卿への挨拶や現地で働いた配下達へ慰労を伝えに行き、帰りにこちらで騒動があったと聞いて立ち寄った、か?

あるいは、数か月先に嫁いでくる予定のレイラと何か打合せをするべく寄り、その際に道中か何処かから当主が変わったことを伝えられただけか?


「橙色の問題解決の為の道中で寄っただけだ、と言うのなら間が悪い・・・いや、敢えて、ここだ、と動き出したのは、このタイミングでクーデターを起こしたのは、・・・俺か。

テンダイ殿がおらず、配下数人で、ということであれば、俺に会うのは本質的にはついでで、実際のところはレイラと会いに来た、あるいは何か打合せをしたいということかもしれんな。

・・・用件については何も言ってきていないのか?」

「は、それは私も確認したのですが、ボリウス様にお会いしたい、という一言のみ承っている、と。」

「断るのも問題があろうな。

新人当主と次期当主候補筆頭殿の会合だ、多少の不心得や失敗は見逃してくれるだろう。

会おう。

先触れには歓迎すると伝えろ。

但し、急な訪問だった為、歓待の準備にもう少し時間が欲しいので、館内への案内は1時間半後とさせてほしい、とも伝えるように。

それと、レイラをここに呼べ。」



「アマヒロ様が、来られた、と?」

「そうだ。

どういった用件かは先触れは伝えてこなかったが、俺に会いに来るそうだ。

だが、まぁ、俺に会うのはおそらくついでで、お前に会いに来たのだろう。

兄上がもう当主でないことは、どうやってか知っているようだが、正式に王都公布の公式発表がない俺は、当主内定者・・・まだ暫定当主。

正式に認可されていない暫定当主にわざわざ会いに来る用事など、無いだろうからな。」

「・・・しかし、叔父上の命で、私はアマヒロ様との婚約は破棄され、別の方に嫁ぐことになると伺いましたが・・・?」

「あぁ、そうだ。

だが、アマヒロ殿には、まだその事実は伝えていない。

正式な公布まで、お前はまだアマヒロ殿との婚約が継続したままの状態であるとされるからだ。

だが、実際は正式公布が出次第、アマヒロ殿とお前の婚約は破棄され、お前は別の嫁ぎ先に嫁いでもらう。

お前の嫁ぎ先は、取り繕わずに言えば、俺の地盤固めの為に利用させてもらうことになる。

そこについては、お前は弁えているはずだな?」

「先日も申し上げましたが、貴族の子女の血の宿命については、承知しております。

紫色領を統べる一族の者として、弁えねばならないことである、ということも。」

「結構。

が、お前とアマヒロ殿の婚約を破棄する、という話は、外には漏れていないはずだ。

どういった用件で俺に挨拶に来たのかは知らんが、俺に会った後にお前に会わせろという流れになるのは、間違いない。

何か事前に、今日、会う約束でもしていたのか?」

「いえ・・・そういった約束はしておりませんでした。

手紙のやり取りで日時を決める場合が多いのですが、近日打合せをする予定は決めていなかったはずです。

侍女長や執事の方々に確認していただいても構いませんよ。

まぁ、何か用事があって紫色の近くに立ち寄られたのであれば、婚約者の元を訪れないのは、不義理になりますから、近場に寄られた、あるいは紫色領に立ち寄るついでがあった、などではないでしょうか。

何かの手土産とお花くらいはお持ちかもしれませんが、その位かと。」

「まぁ、俺の方でも確認してみたが、お前の従者も侍女たちも知らないとのことだったから、その線が濃厚だとは思っている。

・・・だが、公布前の今、アマヒロ殿にお前との婚約が破棄されるのを知られるのは、良くない。

いないと嘘をついてもいいが、何らかの方法でそれがバレたら、それはそれで問題だ。

よって、お前は今すぐ出立の用意をし、20分以内にヴィオーラの俺の別邸に向かって出立せよ。

侍女達にはすぐに準備させ、着替えの衣服や生活品などは後程届けさせる故、最低限の身繕いを済ませたら、最低限の人員ですぐさま出立せよ。」

「・・・そうですね、会ってしまえば、きっと私はボロが出ますでしょうし・・・。

私とアマヒロ様の婚約が破棄されることが必ず伝わってしまうでしょうから、会うわけには参りませんね。

叔父様のご指示に従います。

こちらのアリーと二人で、馬車に向かいます。」

「賢明な、弁えた姪で助かるよ。

お前には悪いとは思っているが、これも色付き戦貴族の習いだ、悪く思わんでくれると嬉しいな。

それに、俺の考えている嫁ぎ先の男も、優秀で良い男だ。

蝶よ花よと愛されることはあっても、悪くされることはないだろう。

安心しろ、可愛い姪を下衆な男に嫁がせるほど、俺は鬼畜ではない。」

「ご配慮、ありがとうございます。

戦闘力に特段秀でていない色付き戦貴族の女人の役目は、政略結婚、あるいは強き戦士を生む為の血を繋ぐ者である、ということは生まれてからずっと聞かされてきたことです。

・・・アマヒロ様とのことは、非常に残念ですが・・・私も弁えております。

この選択をすることで、紫色は叔父上の治世で安定し、民草の為になるのだ、と・・・納得しております。」

「すまんな。

・・・ヴィオーラも良い所だ、ゆっくり楽しんで来れば良い。

護衛兼監視の戦士は幾人か付けるが、現地の使用人達はある程度自由に使っていい。

お前の侍女達に多少金は持たせておくから、1か月ほどそちらで過ごせ。

どうせこちらは少なくとも一ヶ月はバタバタしている、お前の嫁ぎ先も同様だ。

諸々準備せねばならぬ情報などについては、落ち着いてから追って書簡で連絡する。」

「承知致しました。」



姪は、賢い女性だ。

まだ15歳だが、既に貴族令嬢から貴族婦人と呼ぶ方が相応しい成長を果たし、気品も備え、何処に出しても恥ずかしくない女子となった。

それが、本来、灰色のアマヒロに嫁ぐために仕上げられたものだということは、ボリウスとて理解している。

もし、ボリウスがクーデターを成功させるために必要なことでなかったのなら、灰色との関係性を維持する為にも、姪の為にも、アマヒロに嫁がせるのが正統だと、ボリウス本人も思っていた。

だが、ボリウスは、どうしても自らこそが当主に相応しい、自分なら紫色戦貴族領をもっと繁栄させることができる、前線はもっと前進させられるし、それによって得られる様々な資源や粒子の恩恵で領はもっと潤うはずだと、心の中で燃え滾る自分の故郷を思う強い想いが止められなかった。

何年も前から様々な点から実現性について検討し、実際に実現可能であることを確認し、クーデターを計画し、血判を伴う根回しもしていた。

年々、自分こそが当主に相応しく、兄に当主の座を預けておくのは、最早我慢ならない、という思いは強くなっていた。

領の運営と未来の為にも、数年、数か月、数日でも早く自分が当主になることこそ、領の為になる、という確信があった。

そしてその確信は、恐らく大部分は正しかった。

現段階で、クーデター後、すぐさま押さえた様々な権限・事業について、好転する大きな事業や戦力展開が既に数十を超えている。

兄の配下で取り込みの済んでいない勢力や派閥、事業もいくつかは存在するが、そちらも現行安堵を約束すれば、ほとんどは現行維持可能だと踏んでいる。

つまり、プラスの事象はクーデター後、既に多数確認できており、その他の事象についても現状維持か悪くても多少マイナスな程度で、大きな失敗はなく、基本的には全ての事象は上手くいっている。

ただ、やはり成した物事が大きくなればなるほど、ミスや齟齬、計算外のことも多少は見えてくる。

レイラとアマヒロの恋仲について、甘く見ていた事実も、その一つだ。

レイラは「婚約を破棄し、別の男に嫁がせる」というボリウスの言に「承知致しました」という言葉しか発さず、問題なく移行できると考えていた、そう計算していた。

そして実際に、彼女はそうした。

そこに事実上の間違いはなかった。

が、そもそも兄や甥も憎くて追い落とした訳ではない。

兄や甥が治めるよりも、自分が領を治めた方がより良い領へと成長させることができると確信し、それを実行するための方法が「兄や甥を打倒するしかない」という状況だった為に、そうしただけだ。

姪のレイラとて、自らの娘の如く可愛がっていたので、灰色の嫡子との婚約こそ破棄させてしまったが、姪を不幸にするような男子に嫁がせるつもりではない。

将来、自分の嫡男の側近として尽くすであろう優秀な参謀職の男であり、血統も家格も非常に優れた人品卑しからぬ人物だ。

息子と同年代という若さにして、既に非常に重要なポストを受け持つ、紫色領の軍の師、元帥参謀職の戦士。

彼は、レイラとの結婚が叶うならば、レリスとボリウスの一騎討ちの邪魔は決してせず、させずの協力を約束する、と以前から断言していた。

そして、実際に行動に移す直前に確認した際もその履行を約束し、どちらにも加担せず、勝った方に必ず忠誠を誓おう、とボリウスに語った。

軍の師である元帥参謀ともなれば、紫色領の領主であり当主であるレリスへは絶対の忠誠を誓い、本来であれば懐柔を掛けられた時点でレリスへ通報するか、しなくとも、ボリウスが勝ったとしてもボリウスには忠誠を誓わない、職を辞す、と言うべき立場にある者だ。

彼も彼で、おそらく兄レリスのゆっくりとした治世への不満をある程度持っていたのだろう。

優秀な武官である彼からすれば、もっと己の武功を立てられる環境を欲していても不思議ではない。

バランギア卿の不興を買わないよう、『ルール』について調べていた際、婚約や貿易約束等、“まだ約束段階であること”については破棄が許容されることを知っていた為、レイラの嫁ぎ先を変更すれば済むと判断し、“事が成った暁には、彼は自分の派閥につく。彼がこちらの派閥につくことが成った際には、彼にレイラを嫁がせる”と約束した。

彼は幼い頃からレイラを狙っていたらしく、親族から勧められた見合いや縁談全てを断り、成り上がった上で兄レリスに繰り返しレイラを嫁にくれと迫っていた、ということを知ったのは、クーデターが成った後だ。

野望を持つ野心溢れる人物であるが、それほどレイラを欲していたのなら、レイラを悪くはしないだろうという確信はある。

だが、娘同然に可愛がっていた姪が、恋仲の男との婚約破棄を告げた後に切々と流した涙は、自分の心の何処か、ひょっとすると良心と呼ばれる部分に、響いたような気がした。

クーデター成功後、今日で三日になるが、この三日で姪は相当に痩せこけていた。

ただ三日絶食しただけではこうはならないであろう、というほど、通常考えられないような痩せ方だ。

明らかにアマヒロとの婚約破棄による精神的なものであると、そういったことに疎い自分でもわかった。

だが、止まることは、出来なかった。

クーデターは、成功したのだ。


レイラが指示通り、ほぼ身一つで専属の侍女と二人、馬車に乗り込んでヴィオーラに旅立ち、懸念は一つ片付いた。

流石に館に婚約者がいるのに会わせないというのは不自然過ぎるし、隠したとしてもバレる可能性もあるので、この処置が一番簡単に時間稼ぎが可能だろう。

事実、唐突な訪問だったので、君が来るということは知らなくて実は地方に出かけていてね、という流れが、多少疑われようが一番無難だ。

・・・とりあえず執事や使用人達は大忙しで歓待の準備を整えているが、万が一に備え、コレも準備しておかねばならないだろう。

常日頃から腰に下げている2本の愛刀を抜き、ギラリとした輝きを確認したが、念のために更に磨き、室内で多少の準備運動を行う。

戦士としての勘が、嫌な予感を告げていた。

ずいぶん昔、父がまだ現役だった頃に紫色領で開催された周年パーティーに訪問した、赤の英雄と初めて顔を合わせた時の戦慄。

テラ・バランギア・ラァマイーツという名の人型の化け物を目にした時の、初めて五感で感じた恐怖。

それに近い根拠のない謎の悪寒が自分を襲っている。


「先触れが伝えてきたメンバーの精査は済んだか?」

「は・・・。

序列順に申し上げます。

まず、アキナギ・グレイド・アマヒロ様、次期灰色戦貴族領当主筆頭候補、レイラ様の婚約者であられます、15歳とのことでしたが、確かもうすぐ16になる歳だったかと。

その妹、アキナギ・グレイド・ヒノワ様、現灰色の『弓』、灰色戦貴族領筆頭戦士、次期灰色戦貴族当主候補序列第二位、6歳。

ヌアダ・ファラエプノシス殿、黒色戦貴族領現当主三男でヒノワ様の婿としてアキナギ家に入る予定であるという、ヒノワ様の婚約者、9歳。

フミフェナ・ペペントリア殿、灰色最前線都市『カンベリア』、衛星都市『レギルジア』におけるヒノワ様の御用商人、・・・・4歳。

アキナギ・ノーレリア・シュウセイ様、灰色戦貴族分家ノーレリアの筆頭戦士、フミフェナ殿の護衛戦士、21歳。

ナイン・ヴァーナント殿、灰色衛星都市『レギルジア』サキカワ工房のレアアーティファクト職人、世界的に有名な技師、14歳。

トスキーテ・ユーガン殿、フミフェナ殿・ナイン殿の護衛戦士______ 」


執事が読み上げたメンバーは、通常考えにくい編成だ。

当主候補と現筆頭戦士とその婚約者、御用商人と技術者、それらの護衛。

ほぼ全員が子供と若年者ばかりで構成されたメンバーだ。

一体何をするつもりで、何処に行っていたのか。

護衛戦士の名は、ノーレリア家の戦士の名を聞いたことがあるような気がする程度で、残りの戦士など名前を聞いたこともない。


「12人か、代表者2名と黒色の御曹司はいいが、残りのメンツについて、お前は何処まで知っている?」

「調べられた限りですが・・・。

まず、フミフェナ・ペペントリア殿ですが、最近御勇名轟いておられる、大戦士です。

半年前の魔物の大侵攻で大戦果を挙げた新進気鋭の非常に強力な戦士であると、発表されていた方と同一人物であるかと思われます。

それほどの戦果を挙げたにも関わらず、商会を立ち上げ、ヒノワ様の御用商人となり、領の貿易等を司る部門で重職を得る等、在野の平民出身ながら最前線都市『カンベリア』で立身出世し、ヒノワ様を武の面も、武以外の面でも補佐していると言われております。」

「・・・あのバランギア卿から褒め称えられた、と噂になった女戦士か、言われてみれば聞き覚えがあるな。

・・・先ほど、その人物は4歳とか言っておらなんだか?」

「はい。

・・・フミフェナ・ペペントリア殿は、おそらく“来訪者”だと言われており、短期間に様々な功績を挙げておられる模様です。

以前に拝見した資料には、魔物の大侵攻においては、多数の守り神級の魔物の討伐や非常に広範囲に広がった飽和浸潤攻撃から民を守り、後逸なく魔物をすべからく殲滅した、という規格外の大戦果を挙げられたと、王都公布の論功行賞に記載されていたと思います。

それに加え、先だっての橙色領への魔物の侵攻への戦力協力、橙色領との大規模食糧貿易の契約。

灰色領内だけでも農業改革により大量の食糧生産を促進、様々な商会と技術提携しインフラ用の資材を開発し、舗装路面の改修、荷馬車の大型化による物流速度の改革など、様々な分野で名声を高めておられる人物です。

ヒノワ様の命で動く者と報告を聞いておりますので、おそらくその人物で間違いないのではないでしょうか。」

「4歳で、か・・・。

確かヒノワ殿も“来訪者”ではないかと言われていたのだよな。」

「はい。

公表されておりませんが、早熟過ぎることから、おそらくそうではないか、と。」


来訪者という存在は、総じて教育レベルが段違いに高い。

異世界出身である者がそう呼ばれるが、転生と呼ばれる異世界で死んだ者がこちらの世界で生を受けた者、転移と呼ばれる異世界からこちらの世界まで生きたまま移動し定住した者、これらの総称だ。

異世界は相当に文化レベルが高い世界らしく、こちらの世界の文化レベルが時折急激に上昇するのは、異世界出身の来訪者がその技術や知識をこちらの世界に齎した場合が大半だ。

しかし、異世界は戦いのない世界らしく、こちらの世界に来た段階で戦闘能力をほぼ持っていない、と言われている。

故に、基本的に来訪者はこの世界とは根本を異とする知識・技術を活かして技術職、研究職に就く者が大半であり、その中でも優秀な者はそれで財を成し、貴族になった者すらいる。

が、戦士として大成した来訪者となると、誰がいるのかとなると、名前を挙げるのは可能としても、来訪者の総人口から考えると数はかなり少ないはずだ。

おそらく戦士に適正のある来訪者もいるはずであるので、来訪者の戦士が生まれたとしても、国王陛下か、バランギア卿か、政府中枢に近い誰かが秘匿されているのではないか、と誰もが都市伝説のように考えていた。

もし優秀な戦士が生まれたとしても、なんらかの理由でその戦士が“来訪者である”ということは公にされていないのだろう。

絶対に公表するな、とは公布されていないが、公に知られている戦士が少ない、という時点で、何かはある。

ヒノワ嬢とペペントリア嬢という若年どころか幼年と呼ぶべき年齢にある者が、類稀にみる優秀な戦士の来訪者であるというのは、何か運命の偏りを感じざるを得ない。

紫色には来訪者として名を挙げた戦士はおらず、なんなら非戦闘職に適正のある来訪者ですらここ数年見つかっていない。

見つかった者も支援施設へ引き取られ、その後どうなったのか、大半の者については紫色では追跡調査を行っておらず、把握できていない。

時折、紫色領出身の来訪者が大成して貴族になった、とか、非常に有用な成果を挙げた、とか、そういったニュースを聞いた際に彼の出身地が元々紫色領で故郷ではこうだった、というような来歴程度は付随されていることが多いようだが、その程度だ。

兄レリスが秘密裏に把握していたとしても、ボリウス自身はそういった情報を今のところ全く持って把握していないし、直接会ったこともない。

それくらい総数が少ないものなのだ。

来訪者の戦士が台頭する可能性が高いのであれば、紫色戦貴族領でもっと来訪者が戦士となれるような優遇政策を進めたり、地盤を固めた方が良いのかもしれない。


「ノーレリア家の戦士は、昔見たことがあるな。

若くして分家筆頭候補となった優秀な戦士だったはずだが・・・。

分家の筆頭候補となれるほどの強者が、わざわざ御用商人の護衛に配されたというのか?

どういう目的で成された戦力配置なのか、分からんな。

いや、ノーレリア家は分家でもアキナギ家の血が濃く流れている血筋のはず。

となれば、その戦士が随行することになったから、ペペントリア嬢も随伴したか?

それほど優秀な娘ならば、血筋に組み込むこともありえるだろう、その男の婚約者ということもあるのではないか?」

「申し訳ありません、そのあたりまでは調べが進んでおりません。」

「まぁ良い。

ナイン・ヴァーナント技師も、確か来訪者、だな。

戦士としても戦えるとは聞いたが、それほど高レベルではなかったはずだな。」

「はい。

レアアーティファクト技師はその技術・資材を秘匿する為に、大半が自らで素材集めもこなすことが多く、大成している技師の大半はレベル70を超えているとは言われています。

が、主とする職が製造業であるが故に、レベル100を超える者はいない、というのが通説です。

ナイン・ヴァーナント技師は国で保護されている優秀なレアアーティファクト技師である為、おそらく最前線での戦役には参加されていないと思われますから、どれほど戦士としての適性があったとしても、70~90の間ではないかと推測されます。」

「そうか。

となると、その技師は戦力換算の人員ではないな。

ひょっとするとアマヒロ殿とヒノワ殿の特注のレアアーティファクトか何かの素材集めの帰り、か?

・・・いや、わざわざ紫に寄ったのであれば、アマヒロ殿とレイラの二人に合わせた、婚姻に関係する何らかの物の可能性もあるか。」

「通常、レアアーティファクト技師が配置された施設から特別な要件もなくメンバーに加わることはないと思われますが、秘さずに列挙されている事から、レイラ様の為に誂える何某かの衣装、あるいは装備品の採寸や適性調査などを行う予定だったのかもしれません。」

「かもしれんな。

婚約者のプレゼントの為に技師ごと訪問してくるとは、健気なものだ。

まぁしかし、アマヒロ殿には悪いが・・・今日は騙されて帰ってもらうしかないな。」

「はい・・・。」



ブラドル・フォンドーマ。

紫色領領館の門番を務め、今年で20年目になろうかというベテラン門番。

若い頃から対人の鑑定術式を得意とし、術式やスキルでも見通せない相手に対する人物眼にも長けると評され、門番に一筆付きで推薦され、15歳頃から門番として働いてきた。

日々変わらない景色を眺めながら、不審者を警戒し、賓客の来訪にはそれ以上に緊張しながら過ごさねばならない、という職務を帯びているが、前線で働くことに比べれば比較的穏便な毎日であり、お給金も悪くない。

原則的によほど人件費を削減している都市でもなければ、門番は門自体に2名+詰所に交代要員・伝令要員2名の計4名がいるのだが、彼ら4名は皆、冷や汗を流していた。

特に、毎朝のじゃんけんに負け、賓客が来た際には案内役をすることになったブラドルは尋常ではない冷や汗をかいている。

彼を今、未曾有の危機が襲おうとしていたのだ。

1時間前からブラドルのいる門の周囲はビリビリとした謎の緊張が走り、数百メートル先の領館がバタバタと忙しなく動き回っている様が見て取れた。

隣領の灰色戦貴族領の次期当主という賓客が唐突に訪れるというのだから、一騒動だ。

最初はわざわざ先触れを遣わすほどの立場の者が来るのだから、賓客だぞ、良かったなチップ貰えるぞ、と同僚たちにひやかされていた。

次には次期当主のお通りであるとの内容で若干戦慄が走るが、チップが褒章となりより多くの臨時収入がいただける場合が多く、今日のシフトで良かったぜ!といった軽口も飛んでいたのだが、そんな軽口が一瞬で消し飛ぶような衝撃が、1時間後にやってきた。

門前に立つブラドルや同僚だけでなく、詰所に詰めていた者にすら分かる強烈な気配が近付いてくる。

彼らは何事かと周囲を見渡すと、殺気立った10人ちょっとの団体が領館に向かって歩いてきていた。

先ほど、先触れとして細身の女性が訪問を告げていた団体だろうと察しは付いたが、彼らはまるで今からカチコミでもやりますよ、というほどの殺気を纏っていた。

彼とてレベル70を超える戦士であり、そこらのはねっかえりなど相手ではない、生半可な戦士ではないと自負しているが、そのプライドと自信が根本から砕け散るほどの尋常ではない殺気。


「あ・・・アキナギ・グレイド・アマヒロ様でいらっしゃいますでしょうか。」

「そうです。

先触れも出しておりました通り、12名の訪問です。

ボリウス卿にお目通り願いたい。」

「は、はい・・・!

ご案内いたします、こちらにどうぞ!」


アキナギ・グレイド・アマヒロと名乗った少年の後ろに続くのは、年端もいかないような子供、幼児、護衛数人という少人数のグループだが、纏っている殺気は色付き戦貴族直系の上位戦士達をも超えているように感じた。

ただの門番である自分には詳しいことは分からないが、きっとこの面々は一人でも相当な強者だ。

強者に漂うオーラが乱雑に放たれる大雑把な感触とは、まったく異なる洗練されたオーラの流れが見て取れる。

特にヤバいのは、一番小さい幼児だ。


少し大きな幼児は、色付き戦貴族当主である父と次期当主候補である兄を追い抜いて筆頭戦士になり、灰色領の至宝『弓』を銘されたヒノワ嬢だ、ブラドルですら名前を知っている有名人。

彼女は、まるで空気、あるいは透明な清水の如き澄んだ静寂の佇まいで、何処にいてもそれが自然の一風景にしか見えてこなくなるほど、儚い存在感で、注意力を下げると見失いそうにすら思う。

存在自体が希薄であり、まるでそこにいるようでいないようにも感じた。

黒い装いの少年は、少しぎこちない感じは残りつつも、まだ9歳なりの武骨、不器用な、誠実さの残るようなオーラを放っており、頑強な、大きい岩のようなイメージを抱かせた。

この二人も、勿論ヤバい。

先頭を歩く少年は、おそらく灰色戦貴族次期当主という肩書からしてもう恐ろしいことこの上ないが、その動きは洗練されており、隠さず表現された武の気配がとんでもない。

が、しかしだ。

一番小さい幼女、こいつは別格だ。

優れた斥候や門番は、粒子の気配に敏感であることが求められる職であるが故に職務上敏感になるのだが、同僚4人の中ではブラドルが一番そういった気配の探知に長けていた。

前述の三名も勿論、ヤバい。

ヤバいが、この幼女は質が違う。

彼女の廻りには、何も無いのだ。

少し大きな幼女の方は、何処にでもあるような空気のような、ある種心地よさすらある気配を纏っていると感じ、それもある種何もないのだが、『そこにいてもいなくても違和感が無い』と称するべきかもしれない。

何処にでもある空気とは様々な、例えば空気中を漂う様々な細かい粒子や埃、花粉や菌、湿気や風・圧力というものが内包されているものであり、大きな幼女はそれらが違和感なく混在しているのだと認識できた。

だが、彼女の廻りには・・・空気こそあるはずだが、・・・表現できないが、何かが無い。

それが何かは分からないが、分からないのに存在自体に違和感を感じる、それがとても恐ろしい。

まるで吸い込まれるような、いや生命の危機を感じるような、あるいは未知の生物に出会ったかのような、感じたことのない謎の違和感を抱かせるほどの何か。

ブラドルは領館の使用人に案内を引き継ぐと、彼らの従者から受け取ったチップの中身の確認をすることもできず、緊張感の解放から腰が抜けたように倒れ、医務室に運ばれることになった。

彼は一言、「あの一番小さい娘っ子が危険だと、ご領主様にお伝えください」とだけ発すると、医務室で気絶するように眠ることとなった。


ブラドルがぶっ倒れる前、10分ほど、時間を遡る。


「ヴェイナー、状況を全員に聞こえるように、もう一度報告してくれる?」

「はい。

レイラ様は、ボリウス卿の指示で、30分ちょっと前に2つ隣の町のヴィオーラに向かって出立されました。

ボリウス卿は、この度の我々の訪問を、レイラ様との結婚式の為の打合せの一環だと理解しているようで、“色々と”歓待の用意を進めています。」

「レイラ様は、ここからどれくらい離れてる?」

「現段階で5km弱しか離れておりませんので、半日待ったとしてもすぐにでも追い付ける距離かと思います。」

「並足の馬車、かな。

普通の御令嬢一行に偽装したらそれでも分からないだろうと踏んでいるのかな?」

「かもね。

どうする、兄上?」

「レイラだけ攫っても、レイラの名誉や立場の問題は解決しないが、万が一も考えられる。

身柄だけは先行して確保したいところだね。

僕らはこのまま、領館へ行くが、フミフェナ嬢、レイラを確保する要員は捻出できるだろうか?」

「既に、ヴェイナーの代わりに高レベルの要員3名を気付かれないよう追随させておりますので、ご安心下さい。

お指図いただければ、すぐにでも強奪・離脱可能です。」

「分かった。

・・・本当は僕自身が行きたいところだが、ここは貴方達に任せたい。

すぐにレイラを強奪し、我々のセーフハウスに移動させ、重点的に護衛してほしい。

出来るか?」

「問題ございません。

すぐさま掛からせていただきます。

ヴェイナー、メラン達に外套装備でレイラ様を確保、紫色領内の私達が合流したセーフハウスまで移送し、私からの指示があるまで護衛するように指示してくれる?

あと、橙色に出向中のイオス達の中から、疲労の蓄積のないメンバーをさらに6人選出して、セーフハウスに合流させて。」

「承知致しました。」



ガタゴト、と。

王都などで既に実用化が始まっている平坦かつ丈夫な舗装や、震動を乗客に伝えない装備を施した馬車は、紫色領には、まだ、ない。

アマヒロとやりとりした手紙の中には、少なくとも舗装に関しては領都・カンベリア・レギルジアの三都市を中心に劇的に改善しているところらしく、ガタゴトと揺れる馬車で鍛えられたお尻がもう柔らかくなるかもしれない、と冗談も書かれていた。

ただの馬車の揺れですら、アマヒロとのやりとりを思い出してしまう。

つい、と、同乗している幼い頃から一緒に生活してきた侍女から水筒が差し出される。

流石にこれだけ揺れる馬車内で、カップに注いでから飲み物を飲むのは、合理的ではない。

本来貴族の婦女子として、あまりお行儀が良いとは言えない行為ではあるが、侍女はその辺りは長い付き合いで短い時間で色々準備してくれていた。


「ありがとう、アリー。

ごめんね、こんなことにつき合わせて。」

「何をおっしゃるのです、レイラ様。

落ち込んではおれませんよ。

ボリウス様がゆっくりしてこいと言ったのですから、レイラ様が政務から離れてゆっくりと何か月でも静養してもバチは当たりません!

ボリウス様の別宅でプールされているお金をしこたま使って遊べばいいのです!」

「・・・ありがとうね、アリー。

元気が出たわ、そうよね、言質は取ったもの、遊び倒してやりましょ。」


アリーは兄オリレスの幼馴染で、アリーの兄も兄オリレスの側近であり、主と従者という関係ではあるが、姉のような存在だ。

先日の叔父のクーデターの際に、父レリス兄オリレスの近くに、アリーの兄も侍っていた。

アリーの兄も死こそ免れたが、詳細不明だが戦士を引退せざるを得ないほどの重傷を負ったと報告で聞いた。

クーデター後の説明を受けた際には、二人でこっそりと泣いたりもしたが、幸い、自分の父も兄も、そしてアリーの兄も命には別条ないということが知らされ、安堵の涙も共に流した仲だ。

本来、主従で言えば主である自分が気丈であらねばならないところ、親友であり侍女でもあるアリーに慰められている。

情けない主だ。

そう思っていたところ、馬車が領都を出た直後、止められる。

外で人の話し声が聞こえるが、何かトラブルだろうか。

いずれにしても、御者・護衛の仕事であり、自分とアリーはただの乗客、あるいは荷物。

待つしかない。

ボリウスのクーデター後にある種人生を諦めた感のあるレイラとアリーは、ある意味図太い精神を発揮し、外の喧騒を全く気にせずに「あちらについたらあの店に行きましょう、美味しいごはんが食べられるわ!」というような能天気な会話に明け暮れた。

この時はまだ、10分もせずに、また激動の事態へ巻き込まれるとも知らず。


「馬車の前に立ち塞がるとは、貴様ら正気か!!

轢いたらこっちが罪に問われるんだぞ!!」

「お、おぉ、申し訳ない、御者の人。」

「この馬車を止める理由はなんだ?

まさか追い剥ぎだなどと言わんよな。」

「追い剥ぎじゃあないんだけど・・・。」


御者は四方に視線を配り、潜んでいる護衛達に目で合図を送る。

ある程度普通の馬車を装ってこそいたが、流石に領主の娘を乗せた馬車が無防備でいる訳はない。

高位戦士5人が少し離れて護衛についていたのだ。

彼らは油断なく馬車を庇える位置に着き、御者を下がらせながら馬車に通せんぼをした少年3人に対峙した。

馬車の御者も護衛も、運んでいる人間が色付き戦貴族の令嬢だとは口に出していない。

滅多にあることではないが、職にあぶれた戦士崩れの強盗も、全くいないという訳ではない。

3名の黒い外套を纏った男達は、身振り手振りからしても強盗のようには見受けられないが、ではどういう理由でこちらを足止めしたのか。

じっと見咎めれば、いずれも15歳~18歳頃、青年と呼ぶには少し若い、青少年と言った年ごろの子供達だった。

黒い外套はそこそこに良い生地で作られており、身なりも薄汚れたような感じもない。

しかし、武装していないと言っても、身のこなしは一般人ではなく、素人には見えない。


「ほかの馬車と間違えておらんか?

今ならまだ退けば何事もなかったと見逃してやっても良い。

早々に立ち去るがよい。

だが、それでも立ち塞がるというのなら、実力行使させてもらうぞ。」

「立ち去ることはできません。

申し訳ありませんが、御者殿、護衛の方々。

レイラ様の移送業務は、ここからは我々が担います故。」

「・・・どういうことだ。」


御者はいつでも馬を走らせられる準備をしながらも、冷や汗を流しながら周囲を警戒する。

この馬車に乗る貴人が誰か知っている者となれば、領館に勤めている者に限られるし、そうとなれば元領主の勢力であるレリス派の者の可能性が高い。

となれば、たった3人でレイラを強奪しにきたとは考えにくい、周囲にも兵が伏せてある可能性が高いと御者は一瞬で判断していた。

領内の移動であるし、クーデター後、レリス派の戦士達も大人しく事態を注視するにとどめていたことから、護衛は5人でも多いと考えていたが、油断が裏目に出た形だ。


「主から、こちらの身元を明かしてもいい、と言われています。

我々は灰色戦貴族領次期当主候補筆頭、アマヒロ・グレイド・アキナギ様の手の者です。

主の婚約者たるレイラ様をお迎えに上がりました。」

「(レリス様の配下ではなく灰色の配下だと・・・!?)

レイラ様とは誰のことだ?

悪いが人違いだぞ。」

「いいえ、人違いではございません。

我々は間違いなくレイラ様がこの馬車に乗っておられると、確信して・・・いえ、既に確認しております。

また、主からレイラ様の御身受けに関しては、追ってボリウス様とアマヒロ様が連名で手配書を御用意なさると伺っております。

故に、速やかにレイラ嬢の引き渡しをお願い致します。」


御者からすると、どう考えても灰色の対応は、異常の一言だ、と感じていた。

レイラとアマヒロを引き離そうと言う意図を指示された時点で、ボリウスがレイラを政治的な駒として利用しようとしていることは間違いなかったが、その指示も行動も数十分前に始まった話だ。

レイラを館から出したことに気付いて追手が差し向けられたにしては、動きがあまりにも早すぎる。

がしかし、身元を明かし、彼らの主と自分達の主の名まで出されては、職務上、引くべきなのだろうが、手配書や指示書、朱印状と言った委任状に類する書類が無ければ無為に引けない、というのが職務であるのも事実。


「まさか、貴公らは当初からレイラ嬢をかどわかすよう指示された者たちか?

本当にアマヒロ殿の配下かどうかも怪しいな。

ボリウス様からはそういった話は一切聞いておらん、ボリウス様からの書面、あるいは伝令でもなければ引き渡しは不可能だ。」

「政治的なお話は、後程、主にお問合せください。

我らの職務は、レイラ様をお迎えすること。

貴方がたの職務は、レイラ様を移送すること。

互いに相反する職務であることは理解しております。

没交渉となれば、我らも、貴方がたも、最終手段に頼らざるを得ないでしょう。

武器を構えて下さい。

あまり大怪我をさせないよう気を付けますので、早目にあきらめていただけると助かります。」



レイラとアリーは馬車の小さな明り取りから外の様子を伺い、馬車を止めたのが物盗りや野盗、強盗の類ではない様子だったので、多少は安心していたのだが、唐突に護衛達が声も出さずに横倒れに倒れていくのを見て、不気味な雰囲気を感じ始めていた。

明り取り以外はほぼ窓もない護送車に近い馬車である為、詳しく何が起きているのか見る手段がない。

見える範囲では御者も両手を挙げて降参のポーズを取っており、一体何が起きているのか分からなかった。

この馬車は、貴人が乗る馬車には見えないよう外部側はボロく偽装してあったが、幌馬車や乗合馬車にはないしっかりとした壁と天井のある馬車であり、あるように見える窓は実際には板張りに潰した状態で、扉自体にも相当に頑丈な錠がついており、内側からは開けられず、外側からでなければ開けられない扉だった。

危険を感じつつも、レイラとアリーの二人は脱出することは叶わない。

御者や護衛が予定していない停車を強いられたのであれば、不測の事態もありうる。

二人は頷き合うと、隠し持っていた武器で戦闘態勢に入り、扉の脇に構える。

が、扉を開けたのは馬車を操縦していた御者その人だった。


「・・・レイラ様、こちらで下車なさってください。」

「どういうことです?

貴方がたは、叔父様から私達をヴィオーラまで移送する予定だったのではないのですか?」

「・・・非常に不本意ながら、我々はここで敗北し、戦士として死にました。

以後は、彼らに貴方の身柄が引き渡されます。

アマヒロ殿の配下だと名乗っておりましたが・・・本当なのかどうかは不明です・・・。」

「アマヒロ様の配下の方・・・ですか・・・?」


開かれた馬車の扉から頭を少し出して外を確認する。

護衛として付けられていたのであろう高位戦士が5名倒れており、3名の若い戦士がこちらに気付くと頭を下げて礼の姿勢を取った。

レイラが見たことの無い戦士であり、彼らが本当にアマヒロの配下であるのかどうかは不明だ。

だが、彼らが本当にアマヒロの配下だとしても、例えそうでなかったとしても、この場は彼らに付き従うしかない。

おそらく護衛は全て無力化され、御者に抵抗する術はないのだろう。


「分かりました。

ここまでありがとうございました。

早々に領館まで逃げて下さい。」

「・・・申し訳ありません・・・!」


御者が立ち去るのを待って、青年3人が歩み寄ってくる。

警戒心を抱いてはいるが、正直護衛5人を瞬殺した戦士3人を相手にレベル50にもならない女子二人では不意を突いても一撃も与えられるとは思えない。

3mほど離れた位置で彼らは立ち止まり、跪く。

その姿は形式的なものでありつつも、一定の敬意を実際に払っているように感じた。


「お初にお目にかかります。

メラン・ジェロールと申します。

アキナギ・グレイド・アマヒロ様の遣いとして、貴方様を『強奪』するよう命じられて参りました。」

「強奪・・・ですか?」

「はい。

正式には私の所属は、アキナギ・グレイド・ヒノワ様の配下である『フミフェナ・ペペントリア様』の直営部隊となっておりますので、レイラ様とは初めてのおめもじかと存じます。

御聞き馴染みがないかと思いますが・・・我々はフミフェナ様の御名と女神ヴァイラス様に誓って、貴方がたに危害を及ぼさないことをお誓い申し上げます。

アマヒロ様麾下の部隊の者でないこと、諸事情があったことをご理解いただけますと助かります。

我々は所謂『工作実行部隊』に所属する戦士だと御理解いただければ、相違ないかと存じます。」

「そう・・・ですか。

メラン殿。

しかし、私の身は、紫色戦貴族領元本家の血筋の女。

叔父ボリウスのクーデター後の領内治安安堵の為、その身を捧げなければならないと叔父から役目をいただいております。

私とて、女の一人。

恋焦がれるアマヒロ様との結婚を夢見ておりましたが、実家の問題にて婚約破棄が成立し、嫁ぎ先まで決まってしまったと聞いております。

アマヒロ様の御厚意で我が身を攫っていただけたのだろうと思いますが、そこに義はございません。

我が身の有無で紫色の民の生活や治安の安堵が成るのであれば、私はこの身をそれに捧げることに否やはございません。

故に、申し訳ございませんが、お引き取りをお願いできませんか。」

「そこにつきましても、我が主、フミフェナ様が解決を図られるとおっしゃっておられましたので、御安心いただければと思います。

主がおっしゃるには、詳細は語れませぬが、我々がこうしている現段階においては、未だ婚約破棄は成立しておらぬ・・・ということだそうです。」

「婚約破棄が成立していない・・・?

それはどういう・・・。」

「色付き戦貴族当主、あるいは次期当主筆頭候補の正妻ともなれば、貞操問題が非常に重要視されることは御存知のことと思います。

故に、不浄な横槍を防ぐため、その婚約関係・婚姻関係については王都政府の承諾を得る必要があり、その破棄についても王都政府の承認が要る、とのことです。」

「それは存じておりますが・・・ですが、クーデター成立直後には、既に叔父は王都政府宛に、婚約破棄の旨を記した書簡を早馬で送っていると聞いております。

三日もあれば、既にそれは開封され、王都政府で稟議に掛けられているものと考えますが?」

「我が主からは、『本日中に全て解決する予定の為、レイラ様の身を傷一つ付けずに護りきるように』とだけご指示を受けておりますので、おそらく王都政府側への対策も本日中に解決するものと思われます。」

「それほどの影響力を持つ者が、ヒノワ様の御配下におられると・・・?」

「は。

フミフェナ様はまさに女神ヴァイラスの姫巫女にして、政治・武力共に比類する者なき女傑。

『本日中に全て解決する』とおっしゃられるならば、そうなると我々は思っておりますし、実際にそうなるだろうと、既に終わったことだと判断しています。」

「・・・分かりました、貴方の言には理があるように思います。

貴方がたについていきましょう。

・・・しかし、フミフェナ・ペペントリア様・・・ですか・・・。

そういえば、最近、大変な功績を挙げた女性戦士がそのような名前だったと聞いた記憶がありますね・・・。

アリー?」

「はい、レイラ様。

おそらくその方で間違いないかと。

最近、灰色の経済事情や戦力充足で比類なき功績を挙げた女性がいる、と話題になっている方です。

内政に於いては農作物の増産や物流の改善などを短期間に果たし、また武力面でも新興派閥に近い組織ながらも、非常に強力な戦士を多く抱えており、橙色の騒動解決に尽力し赤色の英雄バランギア卿からの覚えも目出度い方だと、噂になっております。」

「そうですか。

では、おそらく叔父上のところへもその方が向かっておられるということですか。」

「申し訳ありません、お伝えが遅くなってしまいました。

こちらにはアマヒロ様ご本人が参られております。」

「アマヒロ様が!?」

「レイラ様を自らの正妻として迎える為に全力を尽くされておられます。

我が主、フミフェナ様は戦士の強化訓練にも優れたお方であり、またそれに応じた装備品の開発にも携わられているお方で、アマヒロ様はボリウス卿のクーデターの当日にはレイラ様の境遇の変化を知り、身を削り骨を削ぐほどのフミフェナ様の特訓を経てすさまじいレベルアップを果たされました。

例えボリウス卿が力に訴えてきたとしても、それを凌駕しうる力を付けるために、です。

アマヒロ様は御自身でレイラ様をお迎えに来れないことを非常に悔しがっておいででした。」

「あぁ・・・そうでしたか・・・アマヒロ様・・・。」

「只今、セーフハウス・・・避難所に我らの部隊の女官を向かわせて部屋の準備をさせておりますので、我々の移送を甘受していただけますでしょうか。」

「え・・・えぇ。

移送していただくのは結構なんですが・・・。

・・・護送ではなく・・・移送・・・?・・・甘受する・・・?

どういう意味でしょう・・・?」


女子にあるまじき雄々しい叫び声をあげながら、レイラとアリーはメラン達に運ばれた。

セーフハウスまで10分も掛からない、“ブレスレット”を装備したメラン達からすれば相当に速度を落とした状態で移送対象を保護しながら移送するスキルも発動しながらの道程だったが、レイラとアリーにとっては今までの『速い』の概念の10倍以上の速度を体験したことで、心身ともに疲弊することになった。

が、絶叫を5分以上続けた所為で喉が少し痛い程度で、身体は五体満足であり、他にダメージのあるところもない。


「『ヴェイナー班長、レイラ様、侍女アリー殿の強奪、完了致しました。』」


レイラ強奪劇は、フミフェナ配下の戦士達3人の手で、強襲・強奪・移送までたった30分で達成された。

御者は、領館に伝令を使って通報しようとはしたが、政治的な機密行動中だったことから、何処に伝わるとも知れないそこらの兵などに事情を説明する訳にもいかず、自らの足での報告を選ぶしかなかった。

メランがすぐさまヴェイナーに報告した為に事後すぐに事情を把握していたが、レイラ強奪の報が領館に報告されたのは、領館でのアレコレが終わった後だった。


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